井上靖「しろばんば」の風景(その4)

村の行事を楽しむ子供たち

豊橋で夏休みを満喫した(しろばんばの風景その3・参照)洪作が湯ヶ島に戻った頃には、秋の風が吹き始めます。二学期になると神楽(かぐら)、年があけると春の馬飛ばしなど子供たちが楽しみにしているイベントが目白押しです。さらにこの年は「神かくし」事件が起こり、洪作たちは探偵さながらに犯人さがしをはじめます。それでは子供たちの生き生きとした姿を追っていきましょう。

神楽

十一月に村にやってくる神楽は「大抵六、七人の団体で、獅子頭をかぶって舞う若者が二人、道化た万歳をやるものが二人、あとは太鼓と笛と三味線の係で、必ず女が一人か二人混っていた」とあります。村の家を一軒ずつまわり、ご祝儀が多い場合はそれに見合う時間の演舞を行いました。洪作たちは毎日学校が終わると神楽を追いかけ、勉強が手につかない日が続きます。

下には大正初期に撮影された神楽の写真を引用しました。ちなみに「おぬい婆さんはこうしたものには、いつも祝儀をはずんだ」とのこと。ここでは「獅子はわざわざ土蔵の二階まで登っていって、二、三回胴ぶるいして、首を振り立て・・・・・・土蔵の前の庭で、よその家の二倍も三倍もいろいろなことを演った」という風景を想像してみましょう。

出典:Elstner Hilton, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kagura-Dance-Shinto-1914.png

運動会

次の子供たちの楽しみは十一月中旬の運動会です。運動会の三日前からアーチ作りの手伝いをするなどして、子供たちは充実した時間を過ごします。

下には戦前の小学校の運動会の写真を引用させていただきました。こちらの写真に「帽子とりでは真っ先に帽子を奪られてしまった」という洪作の姿を置いてみましょう。「村人がまだあまり集まっていない頃だったので、洪作は自分の弱いところを大勢の人にみられないでよかった」とほっとする洪作でした。

出典:本多氏, CC0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E6%8A%9E%E6%8D%89%E5%B3%B6%E8%98%82%E5%8F%96%E6%9D%91%E5%B0%8B%E5%B8%B8%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E9%81%8B%E5%8B%95%E4%BC%9A.jpg

長距離競争

午後のメインイベントは長距離走です。「いつも走り出すとすぐ横腹が居たくなって道端に屈み込んでしまう」というように洪作にとっては苦手な種目ですが、その日はさき子にもらった「カミール」なる清涼剤が思わぬ効果を発揮します。

下には明治32年から現在まで販売されている「カオール」という清涼剤の写真を引用させていただきました。ここでは、こちらを「カミール」のモデルとも考え、スタート前に呑んでいる洪作の姿をイメージしておきましょう。

洪作は走っている途中「いつか横腹の痛みは感じなくなっていた。洪作はさき子から貰ったカミールが効き出した」と感じます。プラシーボ効果というものでしょうか。通常の洪作では考えられないハイペースで走り続けます。

下に引用させていただいたのは昭和47年の運動会の写真です。こちらの写真をお借りして以下の記述に重ねてみましょう。
「校庭に溢れている観衆はいっせいに立ち上がり、悉くありったけの声を振り絞って、自分を激励しているように思われた。楽隊は鳴り、万国旗ははためき、そして風は渦巻いて渡っていた」

出典:Kellykaneshiro, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Umenoki_school_s4709.jpg

馬飛ばし

季節は飛んで次の年の春になります。4月に行われる「馬飛ばし」は、大人から子供までを夢中にさせる人気の草競馬でした。周辺の10箇所ほどの村の青年たちが、馬を自分達で準備しレースを行うというもの。馬といってもサラブレッドのような競走馬ではなく、日常の農耕に使っている馬のため、コースをきちんと走らせるだけでも相当な技術が必要だったようです。

実際に洪作が目にしたレースでも、ゴールするだけで勝利というものもありました。下は他のエリアで現在も行われている草競馬の風景です。後ろの観客の中で洪作たちが歓声を上げている姿をイメージしてみます。

出典:gundam2345, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E3%81%95%E3%81%8C%E3%82%89%E8%8D%89%E7%AB%B6%E9%A6%AC_-_panoramio.jpg

馬飛ばしの楽しみ

馬飛ばしの開催場所は湯ヶ島から長野台地を通過して国士(こくし)峠を越えたところでした。約10Kmの道のりは子供の脚ではきついものでしたが、期待感に胸を膨らませ走り抜けていきます。

到着した馬場のは「人々は一人残らず馬場の真ん中の空地に集っていて、そこで酒盛りをやっている者もあれば・・・・・・」という様子でした。「食べ物を売る小屋掛けが三つ四つできていて、その小屋の周りに何本かの桜の木が植わっており、丁度満開の花を咲かせている」とのこと。競馬と花見を同時に楽しめるイベントだったことがわかります。

小屋掛けでは、いかの煮つけやしんこ団子、こんにゃくなどを売っていますが、洪作たちのお小遣いでは買えるのは一品だけです。真剣に選ぶ子供たちがお店のおばちゃんともめる場面を下に抜粋します。昭和時代の屋台の画像とともにその場面をイメージしてみましょう。
幸夫「おばあ、こんにゃく」
おばあ「あいよ、金を出しな。金を出さんとやらん」
幸夫「やめよかな」
おばあ「何を言っとる!この坊主」
幸夫「向こうのこんにゃくの方が大きいや」
おばあ「この寝小便たれ!お前どこの家のもんじゃ」
幸夫「雑貨屋だ」
おばあ「道理で、生意気言う小僧じゃ。家へ帰ったら父っつぁんにいいな。この間お前んとこの店で買った釘、三本足りなかった」

出典:wilford peloquin, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:71-1025a_Nikko,_Japan_1971_(51331837776).jpg

神かくし事件が発生

普段あまり事件のない村に「大滝部落の農家の子供である五年生の正吉が突然姿を消したという奇怪な事件」が起こりました。「学校から帰って、裏山へ薪をとりに行くと言って、一人で家を出て行ったが、そのまま家には戻らない」とのこと。「正吉が居なくなったということで、村中は沸き返」り、「『神かくし』という言葉が村人の誰の口からもささやかれた」とあります。

子供たちはおかねさんという「若い時神かくしに遭って、一週間後に天城の峠近い雑木林の中で発見されたが、それ以来痴呆になってしまったと言われていた」女性の「行動を偵察することにした」とあります。「神かくし」という共通点と、誰とも口をきかないミステリアスな存在ということが子供たちの注意をひいたのでしょう。

偵察役の駄菓子屋の平一かた「おかねさんはいま長野の方へ歩いて行ったぞ。鎌持って」という報告を受けて、洪作たちがおかねさんを追っていきます。下にはそのルート「裏山への間道(「神かくしの道」の看板有)」のストリートビューです。ここでは、下の様な会話をする子供たちの声を想像してみましょう。
「(おかねさんが)山へ何しに行くんだ」
「鎌持ってたか」
「鎌持ってって首ちょんぎるずら」

おかねさんを追っていった先にあったのは「四方山に囲まれた小さな平地があって、そこに何枚かの田圃がれんげの紫と、菜の花の黄で彩られて、美しい敷物のように置かれてあった」という風景でした。

子供たちの一人は「これから正吉さんを呼び出して、首ちょん切るんじゃないか」といいますが、おかねさんは「れんげの花の上に坐って、ひどくのんびりと弁当を食べている」とのこと。子供たちは少し拍子抜けした気持ちになります。

下には湯ヶ島エリアにある「荒原の棚田」の写真を引用させていただきました。こちらの写真のなかにおかねさんを置き、周辺に何か事件が起きないかとドキドキしながら見張る子供たちの姿を想像してみます。この後、実際にある出来事が起きますが・・・・・・

出典:伊豆半島ジオパーク公式サイト
https://izugeopark.org/geosites/arehara/

神かくしの結末

「神かくしの正吉が見つかったのは、彼が行方不明になった日から数えて三日目の夕方であった。湯ヶ島部落から小一里離れた新田部落の者が、山仕事からの帰りに、杉林の中を通って、そこの丸太に腰かけてぼんやりしている正吉の姿を発見したということであった」とあるように、事件は解決。正吉は「近くの百姓家に収容」されました。

下はバス停「湯ヶ島新田下」周辺の側道のストリートビューです。ここでは道の脇に広がる林の中に正吉の姿を置いてみましょう。この後、正吉を見にいった洪作がある事件を起こしてしまいます。ストーリーは「しろばんば」本文でお楽しみください。

旅行などの情報

馬飛ばしへの道

湯ヶ島から馬飛ばしに向かった子供たちを想像しながらツーリングするのも楽しみ方の一つです。旧湯ヶ島小学校跡の向かい側には「馬飛ばしへ向う道」の看板が設置されているので、そこからスタートしましょう。馬飛ばしの会場だった場所は現在、工場の敷地となっていて立ち入りはできませんが、洪作たちが一休みした国士峠などは残っています。

峠を下った先には静岡県の棚田10選ともなっている「筏場のわさび田」もあるので、こちらもコースに入れてみてください。下にはわさび田と国士峠付近の写真を引用させていただきました。

基本情報

【住所】静岡県伊豆市湯ヶ島
【アクセス】東名沼津ICから国道136、414号線などを経由
【参考URL】http://kanko.city.izu.shizuoka.jp/form1.html?pid=2465

荒原の棚田

運動会の長距離走のゴールとなった長野集落周辺には日本の棚田100選にもなっている「荒原の棚田」があり、プロの写真家も訪れる絶景スポットとなっています。上ではおかねさんがお弁当を食べるシーンに登場してもらいました。

一生懸命に走る洪作には景色はあまり目に入らなかったかもしれませんが、下に引用させていただいた水面に空が映り込む姿など、季節ごとの美しい風景を楽しめます。

基本情報

【住所】静岡県伊豆市湯ヶ島長野
【アクセス】新東海バス・湯ヶ島バス停から徒歩で約45分
【参考URL】http://kanko.city.izu.shizuoka.jp/form1.html?c1=5&pid=4037