宮本輝著「流転の海」の風景(その5)

妻・房江の生い立ち

幼少時代

ここでは小説のもう一人の主人公ともいえる房江の人生をイメージしていきたいと思います。神戸の中山手で生まれた房江は兄・姉のいる末っ子として生まれました。1歳の時に母が亡くなると、放蕩者として知られた父は房江を近所に養子に出して別の女と再婚。養子先の父が亡くなると尋常小学校を2年(7歳くらい)で退学させられ新開地にあった売春宿で小間使いをされらるなどつらい目に合います。戦前の新開地は東京・浅草と並ぶ歓楽街として有名な場所でした。下のような華やかな風景のなかに、養母の理不尽な扱いに悩む房江の姿がありました。

結婚と離婚・再起

その後、母方の伯父に引き取られるなどした房江は親戚の斡旋で20歳で結婚します。とうとう幸せをつかんだと思いきや、一緒に暮らしてみると夫が色気違いであることが判明。身の危険を感じて逃亡します。姉・あや子の家で療養させてもらった後に大阪・新町にある「まち川」なる本茶屋で働くことになります。人間関係のとりもちやお金の扱いなど女将の代理としての仕事が認められ当時のサラリーマンの給料の何倍ものお金をもらえるようになります。下の写真は大正時代に建築された「新町演舞場」の姿。「まち川」の芸者たちもここで踊りを披露していたかもしれません。女将の代理もしていた房江も何度かこちらに通ったのではないでしょうか?

熊吾との出会い

「まち川」で順調なキャリアを積む房江のところに自動車メーカーの浅見なる人物の招待客としてやってきたのが熊吾でした。「口ひげの似合う、切れ長な目の、精悍な顔つきの男」というのが房江の第一印象。なんとなく気になる存在でしたが数回通った後に熊吾から2人で奈良への旅行に行こうと誘われます。宿泊場所は熊吾が常宿とする奈良公園の高台に建つホテル。「外観は重厚な和風建築」や「内部は洋風」などの表現から「奈良ホテル」と推測できます。下の写真のように当時の従業員は和服だったそうです。この写真のような風景の中にいる熊吾と房江の姿をイメージしてみてください。

https://twitter.com/bunshichi1927/status/967057636469260288

熊吾は当時、関西で有数の自動車部品の商社の社長でした。房江は財産的に釣り合いがとれないという親戚や人間的に気に入らないというまち川の女将などの反対を押し切って結婚。次回からは戦後の時代に戻って風景を追っていきます。

旅行の情報

新開地劇場

房江が子供の頃に働いた神戸・新開地には劇場などもたくさんありました。この劇場は昭和20年に芝居小屋としてオープンしその後大衆演劇の専門館となりました。時代劇や歌謡、舞踊など様々な舞台が見られる楽しいところです。ここで当時の賑わいを感じてみてください。
[住所] 兵庫県神戸市兵庫区新開地5-2-3
[電話] 078-575-1458
[アクセス] JR神戸駅から徒歩約8分
[参考サイト]http://www.shinkaichigekijou.com/

新町演舞場跡

こちらは房江が離婚後に働いた大阪・新町の名所跡の一つです。新町は井原西鶴なども通ったとされる江戸幕府公認の遊郭でした。明治になると花街として発展しますが大阪空襲で全焼。今はいくつかの石碑が当時の痕跡を残しています。演舞場跡には下に引用させていただいたように正門の一部をモチーフにした石碑のみが残っています。
[住所] 兵庫県神戸市兵庫区新開地5-2-3
[電話] 078-575-1458
[アクセス] JR神戸駅から徒歩約8分
[参考サイト]http://www.shinkaichigekijou.com/

奈良ホテル

房江と熊吾が宿泊した奈良ホテルは明治創業の有名ホテルです。皇族や海外からの要人も利用する格式の高い施設ですがプランによっては1万円以下とリーズナブルに宿泊できます。下の写真は奈良ホテル内からの外の景色。熊吾がホテル専属の庭師の息子とかくれんぼをして遊ぶシーンがあります。周辺は森林浴ができそうな森に囲まれたところ。見つけるのが大変そうですね。
[住所] 奈良県奈良市高畑町1096番地
[電話] 0742-26-3300
[アクセス]近鉄奈良駅より約15分
[参考サイト]https://www.narahotel.co.jp/