司馬遼太郎著「空海の風景」の景色(その3)

四国での修行

大滝嶽にて

修行場所を近畿エリア以外に求めた空海は故郷のある四国を目指します。そのころ都では富山県の立山や山形県の羽黒山など霊山として有名な場所があり多くの修験者が修行に励んでいました。空海はそのような「北方の寒色に閉ざされた」場所ではなく「黒潮が流れる温暖さ」と「くすのきの葉が照り映える明るさ」を合わせ持つ土地を選びます。司馬氏はここに空海の生来の陽気さがあると指摘。下は四国の修行場所の一つ「大滝嶽」です。下の引用写真のように山頂部には「求聞持修行大師像」があり海の絶景を楽しんでいるようにも見えます。

日和佐へ

「大滝嶽」で一通りの修行をした後、さらなる飛躍を求めて修行場所を探す空海。当時「鬼国(きこく)」とも恐れられた高知(土佐)の室戸岬を目指しました。小説では司馬氏が四国での空海の足跡を訪ねるエピソードを挿入します。徳島市内からタクシーを利用。運転手から空海当時は日和佐(ひわさ)ぐらいまでしか人里がなかったと教えられます。日和佐は青年・空海が室戸に向かう道のりで最後にほっとできた場所でした。下は日和佐にある医王寺薬王院の境内での引用写真。司馬氏も見た「一段のぼるごとに一枚ずつ一円アルミ硬貨を落としてゆく」シーンです。当時第一級の論理家であった空海の教えが現在の人々にこのような形で影響を及ぼしていることを司馬氏は「謎」としこの小説の中で解き明かしたいと語ります。

鯖瀬にて

日和佐を過ぎると崖と海岸が交互に続く険しい道となります。鎌と斧を使い道を切り開きながら進む空海。山中では木の実を広い、海岸に出ては貝や海藻を拾って食糧とします。特に「鯖瀬ではひどいめにあった」とのこと。馬に鯖を背負わせた漁夫に恵みを乞いますが断られます。その後、馬が苦しみ出し動かなくなってしまい漁夫が謝りに来るという伝説もあります。下は現在の鯖瀬周辺の海岸の引用写真です。景色は綺麗ですが険しい崖が海まで続いています。さすがの空海も必死の形相だったのではと司馬氏。いまも空海が山中を歩きまわっているような妄想にかられると記述しています。

室戸岬に到着

ついに室戸岬に到着した空海は断崖にある「左右にうがたれ」た洞窟を発見します。下の引用写真の左側は「御厨人(みくろど)窟」と呼ばれる生活の場、左側が「神明窟」と言われる修行の地でした。恐ろしくて行者も訪れない秘境の地にあって住みよさそうな洞窟に恵まれた空海は「何者かが、自分を手厚くもてなしている」と感じたのではと司馬氏は語ります。ここでは苦しい旅を終え青年時代の集大成ともいえる修行を開始するたくましい空海の姿をイメージすることにします。

神明窟での修行

その当時文明の成熟度が低かった四国生まれの空海は「諸霊に憑かれやすい古代的精神体質」を持っていたと司馬氏は推測。夜になると「岩の霊がにわかにそそりたった脅したり」、「樹木の霊が炬(ひ)のような目をひらいて迫ろったり」します。密教をまだ身に着けていなかった空海は私度僧から伝授された「求聞持法」一本でそれらの諸霊と戦っていました。下の引用写真は「御厨人窟」から見た外の風景です。夜は周辺が真っ暗になる場所。一人で修行していたらさすがの空海でも心細かったのでは?ここで彼に何が起こったのかは実際の本でご確認ください。

孔雀明王のこと

ここで再び司馬氏の取材のシーンとなります。調査したのは下のような美しいインドクジャク。孔雀明王の成立についてヒントを得るために大阪にある天王寺動物園を訪ねます(現在はインドクジャクは飼育していません)。毒虫を食べても平気な孔雀に驚きその「解毒性」を利用できないかと考えたインドの行者たち。孔雀のような恰好をし印を結びマントラを唱えると「食べ物の毒」はおろか貪ることや怒ることなどの「精神の毒」までを取り除くことができるとします。空海は商利の追求をNGとした釈迦仏教でなく現世利益を肯定する密教に惹かれていきます。小説中の空海としては密教を「釈迦仏教の発展形態と楽天的に考え」修行の目的が定まってきた充実した姿をイメージしてみます。

次回は更に密教修行への進む空海の姿をイメージしていきます。また最大のライバルとなるあの名僧も登場します。

旅行の情報

大滝嶽

空海が四国に渡り修行を開始した場所として登場するスポット。修行の地周辺には大師像が建ち当時の雰囲気を偲ぶことができます。太龍寺ロープウェーの駅から約20分ほどの道のりですが鎖を使うきつい坂があるので動きやすい服装や靴をご利用ください。空海の風景をイメージするとともに山々や海の絶景をご堪能することができます。
【住所】徳島県那賀郡那賀町和食郷字田野76
【電話】0884-62-3100
【参考サイト】http://www.shikoku-cable.co.jp/tairyuji/

御厨人窟と神明窟

空海が「求聞持法」の修行をした「大滝嶽」と並ぶ主要スポット。「空海」との名を名乗るのもこの時期から。行場から見える空と海の雄大な景色がその由来ともいわれます。当時は険しい山中にありましたが現在は「岬ホテル前」なるバス停から徒歩3分で到着します。
【住所】高知県室戸市室戸岬町
【電話】0887-22-0574(室戸市観光協会)
【参考サイト】http://www.muroto-kankou.com/mikurodo/