司馬遼太郎著「空海の風景」の景色(その5)

最澄も渡唐を決意

最澄の思想

最澄が比叡山にこもった理由として当時の仏教への不信感がありました。「奈良仏教は宗教でなくて論なのではないか」というもの。インドを起源とする論理学や認識論について研究するのみで釈迦のように解脱をする方法については体系ができていないのではないかという疑念を抱きます。そんな時に出会ったのが「法華経」。「般若経の空観(くうがん)の考え方を基礎とし」、「極小なるものの中に極大という全宇宙が含まれる」という世界を示したもの。更に司馬氏は「仏陀を賛美し比喩や挿話でひとびとを恍惚たらしめる」宗教性もあるといいます。「大乗起信論義記」なる法華経の注釈書に書かれていた「天台をもって指南とする」という言葉が最澄の心に火を点じます。ここでは毎日難しい経典を読み、引用させていただいた写真のような「止観(しかん)」なる瞑想行を課していた最澄の姿を想像することにします。

最澄の人となり

そんな最澄について「空海に比べぎらつくような独創性には欠ける」が「物事の本質を見抜く聡明さ」や「追及する執拗さや勇気」は同時代の僧と比較して卓越していたとあります。さらに「教団の形成という世俗的な仕事をしたわりにはおよそ世俗的な機才に乏しかった」とのこと。桓武天皇を初め次々と庇護者が現われた理由としては 「無私な志に偏執するようにして熱中している姿が・・(中略)・・・どこか脆げでもあるということ」がそうさせたのではとも推測されています。引用させていただいたのは漫画「阿吽」に描かれている最澄の姿。天台宗の「一隅を照らす運動」の啓発ポスターとしても採用されています。司馬氏のいう最澄のイメージと重なるでしょうか?

桓武天皇

下に引用させていただいたのは最澄の最大の庇護者となる桓武天皇の肖像です。低い位の王族だったため父と共に臣籍に降り官僚として仕えていました。藤原氏などの助力で思いもかけず父が天皇となるとその後を継いで即位。45歳の遅咲きでした。身分の低さへの反動もあり新しい王朝の創始者という気概を持っていた天皇。その意気込みが仏教界にも大きな影響を及ぼすことになります。肖像からも中国の帝王的な雰囲気が伺えます。

鬼門にあった比叡山

桓武天皇は新しい都を京都に移すことに決定。都の鬼門(北東)に位置する比叡山寺を官寺とすることにします。当時の比叡山寺は最澄の一族が管理する小さな私寺でした。山林で修行をしていた一僧侶が突然仏教界の主要人物へと出世することになります。下の写真は京の都から見た比叡山の姿です。前の都(長岡京)での凶事に心悩ませていた桓武天皇。比叡山を見ながら最澄たちがその元凶を断ってくれることを願っていたかもしれません。

高尾山寺

出世した最澄は天台宗の重要性を訴え「高尾山寺(現在の高尾山神護寺)」にて講義を行うことになります。最澄の庇護者の一人・和気広世(わけのひろよ)が天皇に推薦。天皇のお墨付きとなり奈良仏教を代表する老僧たちも呼ばれます。講義の感想を求められた老僧たちは天台宗のすばらしさを賞賛する他なく「くやしさを噛みころして微笑していたに違いない」と司馬氏はいっています。下は現在の高尾山神護寺の風景。ここでは天台宗の講義を終えた最澄がほっとするとともに渡唐やその後の天台宗の布教といった夢を抱いている姿を想像してみます。

その時空海は

この頃の空海はといえば無名の放浪僧でした。勤操(ごんぞう)をはじめ奈良仏教の学僧たちとは親しかった彼の耳には天皇の威を借りて新宗義(天台宗)の発表を行った(ように見える)最澄への怒りの言葉が入ってきます。同世代の「新人のめぐまれ方に対し、ひとには漏らしがたいほどのなにごとかをこのとき鬱懐したかと思われる」と司馬氏はいいます。「嫉妬と名づけてやるのは酷であるかもしれない」とも。下のような姿で放浪していた空海にあせりはあったのでしょうか?

次回はいよいよ2人が唐に旅立ちそれぞれの貴重な体験をすることになります。お楽しみになさってください。

旅行の情報

比叡山延暦寺

最澄が今の根本中堂の場所に一乗止観院(いちじょうしかんいん)なる草庵を創ったのがはじまりです。延暦寺なる名称は最澄の死後に許されたもの。今では東塔や西塔、横川のエリアに分かれ計150の堂宇が点在しています。観光には叡山ケーブルやロープウェイ、比叡山内シャトルバスなどのご利用が便利です。
【住所】滋賀県大津市坂本本町4220
【電話】077-578-0001
【参考サイト】https://www.hieizan.or.jp/

高尾山神護寺

最澄が天台宗の講義をした場面で登場した古刹です。小説でも紹介される和気清麻呂・広世父子のゆかりの寺院でもあったところ。国宝の仏像が複数あることでも有名ですが圧巻は秋の紅葉の景色。下の引用写真のような絶景を堪能することができます。
【住所】京都府京都市右京区梅ケ畑高雄町5
【電話】075-861-1769
【参考サイト】http://www.jingoji.or.jp/