司馬遼太郎著「空海の風景」の景色(その7)

唐の旅

漂着する

日本を出発して1日目は順風。2日目から逆風になりしばらくすると他の船との連絡が取れなくなります。通常では10日程度で到着する大陸が一か月たっても見えず食糧も尽きてきます。皆が不安そうな顔を浮かべている時の空海はどんな姿だったのか。司馬氏はいいます「僧たちにまじり誦経するなどということをしていたかどうか」。「かれが空海であるかぎり、船倉でなく宇宙の内奥にいたはずであった」。また、陰陽師の占いや僧たちの姿勢に対して冷淡な態度を見せる空海は皆とは少し離れた位置に座り、橘逸勢に不満を漏らしている景色も想像されています。そして1か月以上たったある日、中国・福建省・赤岸鎮付近(現赤岸村)の彼方に空海たちの船が現われることになります。

到着はしたが・・・

到着した場所は下の地図(Chi-An-Cun)のとおり。 使節の目標地である長江流域の揚州市からは大分南に流されてしまいました。命は助かりましたが周辺には民家も少なく役所でも対応しきれないとの回答。結局このあたりを治める長官がいる福州にいってくれということになります。

開元寺

福州に船を回しますがみすぼらしい姿をした使節たちは中国側から信用されません。大使の葛野麻呂が長官に宛てて文書をしたためますが相手にされず、船から降ろされ湿った沙洲で待機することを余儀なくされます。空海が文章の達人とのうわさを聞いた葛野麻呂は代筆を依頼します。「この沙上が一場の戯曲なら」と司馬氏は続けます。空海は「沙上の乾いた場所をあたえられたであろう」。「木箱が据えられ、その上に硯箱が置かれた」。達筆でも知られた空海は筆がはやかったとのこと。この場合も一挙に書き上げてしまいます。彼の文章は福州の長官を感動させ早速宿舎をあてがわれることに!文章の詳細は司馬氏が本文にて詳細に解説しています。この事件以降、無名だった空海が使節団の中でも重要な存在になってきます。下に引用させていただいた写真は空海たちの宿舎ともなった開元寺です。福州の文壇にも呼ばれるなど一躍有名になった空海の少し得意な姿を想像しても良いかもしれません。

唐都・長安までの道のり

空海などの活躍によりやっと長安に行く許可がでます。804年11月3日の明け方に葛野麻呂をはじめとした遣唐使一行は福州を出発。年賀のあいさつに間に合うように「星に発し、星に宿す」と葛野麻呂が記録しているような急ぎの旅でした。小説中に書かれている経由地を地図に当てはめると福州からは下のようなルート。川沿いを進み杭州に到着。ここからは隋の煬帝(ようだい)が造った大運河を船で進みます。現在の開封市付近からは再び陸行。古都・洛陽などを経由して長安に至るルートです。

白馬寺

開封市から長安までの陸行は楽なものではありませんでしたが小説では随所に有名スポットを配し、空海や逸勢などをモデルにした紀行文のような語り口になっています。以下に少しずつ抜粋してご紹介します。悪路を馬車で旅する一行は頭や背中を打ち付けながら進みます。洛陽には中国最古の寺とされる「白馬寺」があります。「あれが白馬寺だ」とだれかがいったとき、さっさと歩きだしたのは空海ひとりくらいではなかったかと司馬氏は想像します。苦しい旅の中でも下のような古刹を興味深げに眺める空海の姿を想像してみます。

函谷関

洛陽を後にすると函谷関という関所にさしかかります。下は空海も通過したであろう函谷関・新関付近の現在の写真です。空海より数百年前には100kmほど離れた場所に函谷関・旧関がありましたが漢の劉邦(りゅうほう)と天下を争った楚の項羽が破壊したとされています。司馬氏は旧関に係わる故事として孟嘗君(もうしょうくん)の「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」をあげます。 関所を朝早く開けてもらい追っ手から逃れようとした孟嘗君はものまねのうまい部下に命じて鶏の鳴き声をさせます。中国の故事に通じた遣唐使一行はかつての歴史を思いながらこの関所を通ったであろうと司馬氏はいいます。

華清宮

もうすぐ長安というところまでくると玄宗皇帝が楊貴妃のために造らせた華清宮が見えてきます。貴妃が亡くなったのは756年ですから空海がここを通った804年はまだ50年程度しかたっていません。下に引用させていただいたのはその華清宮の写真です。司馬氏のいうように、この付近にきた空海はここで過ごした貴妃の美しい姿を想像していたかもしれません。

唐に到着

覇橋を通過し宿場で装束を整えるといよいよ長安。遣唐使一行は春明橋から入城します。当時は世界一の都といわれたところ。平城京との規模の違いに驚く空海たちの姿がありました。下の引用は現在の長安(西安)の城門付近。長安城は明の時代(14世紀)に再建され規模は大部小さくなりましたが今でも立派な姿をとどめています。この景色の中にこれが唐の都だと感動する葛野麻呂はじめ空海たちの姿を想像してみます。

いよいよ長安に入った空海たち。ライバルの最澄が何をしているのかも気になるところです。次回もお楽しみに。

旅行の情報

赤岸鎮・福州開元寺

空海が漂着した場所として登場した赤岸鎮や福州長官への嘆願書が認められしばらく滞在した開元寺は観光地としてはマニアックな部類。旅行をするならツアーに参加するのがおすすめです。「ユーラシア旅行社」の「空海、入唐の道を訪ねる」というツアーは漂着してからの空海の足跡をたどるもの。大運河での船旅まで堪能することができます。空海より時代が下りますが北宋の詩人蘇軾(そしょく)が考案したとされる東坡肉(とんぽーろう)などのグルメもいただくことができます。
【参考サイト】https://www.eurasia.co.jp/travel/tour/RCKU

函谷関 ・華清宮・西安(長安)

空海が近くを通過あるいは立ち寄った思われる長安や長安近くの名所・旧跡です。こちらも「ユーラシア旅行社」のツアーで巡ることが可能。西安では「始皇帝陵」や「兵馬俑博物館」などの空海以前の時代の観光ができるほか華清宮や函谷関(新・旧)も観光します。洛陽にて白馬寺の観光をした後は名物「水席料理」をどうぞ。全てのメニューがスープ料理というユニークなグルメです。
【参考サイト】https://www.eurasia.co.jp/travel/tour/CU11