井上靖著「夏草冬濤」の風景(その7)

良家への招待

フランス料理

中学四年になってしばらくしたころ藤尾が磯村という同級生から食事の招待を受けます。磯村は姉が体の静養も兼ねて東京から転校してきたとのこと。父親が元役人で良家の子弟といった品の良さが感じられます。誘われたのは藤尾以外に金枝と洪作。藤尾に魅力を感じた磯村がその仲間とも友人になりたいと考えたのが招待の理由でした。食事はフランス料理とのこと。餅田は呼ばれていませんが小説でフランス料理を食べるシーンを読んだことがあるらしく「俺が行って食い方を教えてやるよ」と勝手なことをいいます。 餅田が読んでいたのは「バルザック」の小説とのこと。「食卓のバルザック」なるエッセイが出ているように小説にはたびたび食事の記述がでてくるようです。テレビもラジオもなかった当時、文学作品は貴重な情報源でした。

応接室には・・・

磯村の家はこの小説の最初の場面となった静浦の海がある御用邸の近くです。「小さい丘の裾にある低い生垣を廻した家」とあります。しばらく応接室で待ちますがそこには蓄音機が鎮座。藤尾や金枝はレコード盤を引き出して「洪作の耳にしたことのない音楽家の名前や曲名の名前を口にしていた」とあります。下に引用させていただいたのはカフェに設置されている大正時代の蓄音機の写真です。ここでは応接室の中で藤尾と金枝がレコードを見ながら話している姿と少し離れて眺めている洪作の姿を想像してみます。

磯村家の風景

磯村に座敷の方に移動するように言われた3人は部屋の景色に見とれます。特に洪作は「真門家(伯母の家)よりもずっと明るく、何となく上等に見えた」とあります。「畳も新しいし、床の間の軸も大きかった。部屋に沿って広い縁側が廻っており、縁側のガラスには白いカーテンがかかっていて、その半分は端の方にたぐり寄せられてあった」という景色です。下に引用させていただいたのは東京都墨田区にある「旧小山家住宅」。大正6年に建築されたものです。部屋の中央のテーブルに置かれた「凄い」料理を見て気持ちが高揚する洪作たちの姿を想像してみます。

スープは?

磯村の姉さんからは「スープは濃いスープにしますか、うすいスープにしますか」と質問されます。スープなどは飲んだことのなかった洪作は藤尾たちに「濃いのとうすいのと、どう違うんだ?」と質問。藤尾は「濃いのはポタポタしていて、うすいのはさらさらしている」、金枝も「濃いのはしつこくて、うすいのはさっぱりしている」と要領を得ない回答をします。実は金枝も「スープなどというものにお目にかかるのは初めてのこと」だったようです。ポタポタしているといっていたのは下に引用させていただいているような「ポタージュ」のことでしょうか?こちらも美味しそうです。

一方、さっぱりしているのはきっとコンソメスープに違いありません。引用させていただいたスープの写真も美味しそう。ポタージュとどちらを選ぶか迷ってしまいそうです。一般的な家庭と違う「良家」の生活を垣間見た洪作たちは舞い上がってしまいちょっとした事件を起こしてしまいます。

前菜は?

食卓を見て「凄えなあ」と沼津唯一の敷物問屋で育った金枝もいいます。磯村が買ってきた「ハムとソーセージ」なる洪作には見慣れないものも前菜として並べられていたことでしょう。下には美味しそうな食卓の写真を引用させていただきました。生ハムなども一緒に入って豪華です。料理と共に小説のように「テーブルは白い卓布ですっかり覆われ・・・バラの花を挿した花瓶もあれば、ホーク、ナイフ、大小の皿、そして調味料を入れた何本かの硝子製の瓶も並んでいる」風景を想像してみることにします。

メインディッシュは?

メインディッシュはビフテキでした。「全日本ステーキ協会」によると明治・大正期のビフテキは薄切り肉を醤油やみりんで味付けしたものだったとのこと。下に引用させていただいたのはビフテキの再現料理だそうです。 はじめて見る贅沢な料理を3人(洪作・金枝・藤尾)は無言で平らげたのではないでしょうか?

帰り道

食事後も長居し磯村家を引き上げたのは夜の10時を過ぎていました。磯村の自転車ライトに付き添われながら3人はいつになく興奮した状態で夜道を歩きます。「いい夜だな。今夜のような夜を良夜というんだ」と金枝がいい藤尾とともに短歌をうたいます。月がでていたかどうかはわかりませんが「自転車のライトが暗い夜道を嘗めた」とあるので下に引用させていただいたような暗くも美しい景色を想像すればよいでしょうか?洪作が「この道を歩いていることは、一生忘れることはないであろう」と思った光景でした

帰りの夜道で短歌の話をするなかで藤尾が「旅に出たくなった」と発言。それをきっかけに西伊豆への旅行計画が持ち上がります。次回はそのあたりも含めて風景を追っていきたいと思います。

旅行の情報

沼津御用邸記念公園

磯村の家の近くにある公園で洪作のころは少年時代の昭和天皇のお住まいとしても使用されていました。もともと明治時代に大正天皇の御静養先として造られた歴史ある建物で今は中に立ち入っての観光も可能です。磯村家もかくやと想像できるような優美なインテリアを観光することができます。
【住所】静岡県沼津市下香貫島郷2802-1
【電話】055-931-0005
【アクセス】沼津駅からバスを利用。御用邸前で下車