井上靖「夏草冬濤」の風景(その7)

良家への招待

三学期の期末試験をさぼった藤尾は(夏草冬濤の風景その6・参照)、洪作と同じクラスになります。そんなある日、磯村という良家の同級生から食事の招待を受けました。良家のモダンな応接間や、豪華なフランス料理などに興奮した洪作たちは、通常と違うふるまいをすることに!磯村家からの帰り道、詩に興じていた少年たちからは詩づくりの旅に出ようとの提案が出ます。

磯村君

中学四年になってしばらくしたころ藤尾が磯村という同級生から食事の招待を受けます。「二年の時東京の中学から転校して来た」磯村は姉が体の静養も兼ねて東京から転校してきたとのこと。友人を作りたいと考えた磯村は「一番気の利いていそうなのを物色したんだ。この級では藤尾君が一番気が利いているものな。君や金枝君は藤尾君といつも一緒にいるだろう。だから三人を招(よ)ぶことにしたんだ」とのことでした。

磯村の父親はえらい役人だったそうで良家の子弟といった品の良さが感じられます。なお、下に引用したように磯村のモデルは沼津中学の同級生・磯山正氏で、将来、東京の井上靖邸を設計をすることになります。

新居の家の設計は、自伝小説「夏草冬濤」にも出てくる中学時代からの友人の磯山正氏。

出典:井上靖記念文化財団、伝書鳩13、「井上靖の書斎に」
http://www.inouezaidan.or.jp/

東京の井上靖邸は現在はありませんが、書斎や応接間は旭川の井上靖記念館に移築されています。下には応接間などの写真を引用させていただきました。こちらで大人になった洪作と磯村が談笑していたかもしれません。

フランス料理

招待のときの食事はフランス料理とのことでした。呼ばれていない餅田は小説でフランス料理を食べるシーンを読んだことがあるらしく「フランス料理ってえのは、葡萄酒が出るんだ」とか「俺が行って食い方を教えてやるよ・・・・・・バルザックの小説でよく覚えてる」とか、勝手なことをいいます。

下の引用のように確かにバルザックの小説には食事のシーンが多く登場するようです。

バルザックの小説には食の風景が数多く描かれているが、その中でも『従弟ポンス』には食に関するエピソードが散りばめられ、食いしん坊な読者の想像力を刺激してくれる。

出典:Ovni、バルザックの料理帖6
https://ovninavi.com/641_balzac/

なお、バルザック本人も大食漢として知られていたとのこと。下には食べすぎで肥満気味だったともいわれるバルザックの肖像を引用しました。

出典:木村荘太 訳『バルザツク : 創造的芸術家 二』,新しき村出版部,大正13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/977237 (参照 2024-01-27、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/977237/1/3

モダンな応接室

磯村の家は「夏草冬濤」の最初の舞台・静浦の御用邸の近くで、「小さい丘の裾にある低い生垣を廻した家」とあります。蓄音機のある応接室に通されると、藤尾や金枝はレコード盤を引き出して「洪作の耳にしたことのない音楽家の名前や曲名の名前を口にしていた」とあります。

下には日本蓄音器商會(現・日本コロムビア)が大正14年に発行したレコードの総目録をリンクし、表紙の画像を引用しました。ヴァイオン独奏の項目には大正時代に来日した世界的なヴァイオリニスト・キャスリーン・パーロウの曲も多く含まれていて、ベートーベンやシューベルト、バッハなどといった有名な音楽家の名前が並んでいます。

出典:『ワシ印レコード總目録 : ニツポノホン』[大正14年3月發賣まで],日本蓄音器商會,[1925]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11697679 (参照 2024-01-30、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/11697679/1/1

他にも演説や教育、法話、童謡、独唱、軍歌、琴曲、尺八、琵琶、新内、小唄、義太夫、浪花節などバリエーションが豊富にあり、当時の人の趣味が広範囲にわたっていたことが分かります。

「藤尾、金枝、洪作の三人は、応接室で蓄音機を掛け」とありますが、彼らはクラシックよりも流行歌のほうが興味があったのではないでしょうか。三ページ目の歌劇の項目には当時の流行歌「ゴンドラの唄」などが掲載され、歌は日本初の歌う女優・松井須磨子さんとあります。下には彼女が唄う貴重な音源と、写真を引用させていただきました。

流行歌:ゴンドラの唄

出典:吉井 勇[作詞] ほか『流行歌:ゴンドラの唄』,ニッポノホン. 国立国会図書館デジタルコレクション https://rekion.dl.ndl.go.jp/pid/3575143 (参照 2024-01-30)
https://rekion.dl.ndl.go.jp/pid/3575143
出典:自分のコレクション, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E6%9D%BE%E4%BA%95%E9%A0%88%E7%A3%A8%E5%AD%90_%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%8A.tiff

磯村家の風景

食事の準備ができたと案内された座敷は「真門家(伯母の家)よりもずっと明るく、何となく上等に見えた。畳も新しいし、床の間の軸も大きかった。部屋に沿って広い縁側が廻っており、縁側のガラスには白いカーテンがかかっていて、その半分は端の方にたぐり寄せられてあった」とあります。

下写真のようなきれいな和室の中央にテーブルや椅子をおいて、磯村家の様子を想像してみましょう。

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/23943387&title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%BB%BA%E7%AF%89%EF%BC%88%E5%BA%8A%E3%81%AE%E9%96%93%E3%80%81%E7%95%B3%E3%80%81%E9%9A%9C%E5%AD%90%E3%81%AA%E3%81%A9

また、「座敷のまん中には凄いという以外形容のできないような食卓が作られてあった。テーブルは白い卓布ですっかり覆われ、その上にいろいろなものがぎっしり並べられてある。バラの花を挿した花瓶もあれば、ホーク、ナイフ、大小の皿、そして調味料を入れた何本かの硝子製の壜も並んでいる」とあります。

下は大正時代に発行された西洋料理のレシピ本に掲載されたテーブルの様子です。ここでは「沼津でただ一軒の敷物問屋」の息子・金枝が「こりゃ、凄えや」と感嘆し、「沼津で一、二の紐問屋」の息子・藤尾が「『うえっ!』と奇声を発しながら」椅子に座ろうとするシーンをイメージしてみます。

出典:手塚かね子 著『滋味に富める家庭向西洋料理』,福永重勝,大正13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/982276 (参照 2024-01-29、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/982276/1/16

ナプキンの掛け方

スープを運んできた磯村の姉は「どうぞ、ナプキンをおとり下さい」といいます。以下はナプキンの掛け方についての金枝と磯村のやりとりです。
金枝「ナプキンか、ナプキンなどと云うものを使うのは初めてだが、俺は、ナプキンの使い方だけは心得ているんだ。これはボタンの穴へ端の方を突込むことになっているらしい」
磯村「変なことをするんだな。ズボンの上の方にはさめばいい」

出典:手塚かね子 著『西洋料理の正しい食べ方 : 附・和洋接客の心得』,文化生活研究会,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/916988 (参照 2024-01-29、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/916988/1/4

当時の西洋料理のマナー本の写真(上)や引用文(下)でも、磯村のいうようにナプキンはひざの上に置くのが基本だったようです。もしかしたら文学少年の金枝は、引用文のように子供や老人がナプキンをつけている様子を小説で読んだことがあったのかもしれません。

着座致しましたならば直にナプキンを掛けます。男子の方ならば洋服の時は合わせ目にはさみ、羽織、袴の時は、帯のあたりに挟みますのが適当でありませう。(―中略―)老人や子供等は必要上胸のあたりから挟んでもよろしいのであります。

出典:手塚かね子 著『西洋料理の正しい食べ方 : 附・和洋接客の心得』,文化生活研究会,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/916988 (参照 2024-01-29)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/916988/1/45

スープの種類

料理の初めにスープが提供され、藤尾の「方々、ご馳走になろうではござらぬか」という言葉を皮切りに食べ始めます。スープについては事前に磯村の姉から「スープは濃いスープにしますか、うすいスープにしますか」と質問され、濃い方を選んでいました。

うすいスープとはブイヨンやコンソメを使った透明度の高いスープで、濃いスープとは牛乳などでとろとろにしたスープと思われます。磯村家ででたのは下に引用したポタージュのようなスープだったかもしれません。

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/908255&title=%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%97

ここでは、「ナプキンの掛け方」でも登場したモデルさんがスープを飲んでいる写真を引用し、磯村を見習って行儀正しく食べている少年たちの姿を想像してみましょう。

出典:手塚かね子 著『西洋料理の正しい食べ方 : 附・和洋接客の心得』,文化生活研究会,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/916988 (参照 2024-01-29、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/916988/1/5

スープを飲んだあとに、餅田の言葉(フランス料理には葡萄酒が出る)を思い出した洪作は磯村に
「葡萄酒は、これから出るのかな」と質問。
このこときっかけでちょっとした騒動が起きます。以下はその抜粋です。

藤尾「俺たち招ばれて客に来ているんだ。葡萄酒のことなど言うなよ」
洪作「出せと言ったんじゃない。出るかと訊いてみたんだ」
藤尾「同じさ。大体、お前、育ちが悪いよ」
洪作「お前は今日は、いつものお前と違うぞ。変に遠慮して、おどおどしているじゃないか」

それから言い合いがヒートアップしていって、二人は庭で決闘をすることに・・・・・・

他にはどんな料理が?

二人が外に出てもめている間に、食卓には前菜などが運ばれていたと思われます。磯村が遅れて帰ってきた際、「ハムとソーセージを買いに行ったんだが、いいのがないんで方々廻ったんだ」といっていました。下の引用写真のように、そのハムやソーセージがお皿にきれいに盛り付けてあったのではないでしょうか。

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/27667066&title=%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E6%96%99%E7%90%86%E5%89%8D%E8%8F%9C

また、以下には「家庭実用西洋料理法」という大正時代の書籍から、主なフランス料理の図を引用させていただきます。料理名は下に写し取り、あまりなじみのない料理には内容を確認して補足しました。磯村家ではこのような料理も登場したかもしれません。

(1)スコッチエッグ(2)スタッフド・ポテート(3)クリームドバウンド・フィッシ(フィッシュ)(4)ボイルド・アスペラガス(5)ドーナツ(6)ラブスター・カツレツ(7)チッキン・タンバール(タンバールという円筒形の型を使った料理)(8)スタッフド・ラブスター(9)プレイン・ケーキ
(10)ボイルド・ソール(シタビラメ)(11)キューカンバー・サラダ(12)シークリーム(13)スタッフド・ターニップ(ヨーロッパ原産のカブ)(14)オレンジ・ヂェリー(15)スノー・ボール(クッキーの一種)(16)デブルド・クラブ(蟹肉殻詰め焼)(17)ロールド・ソール(18)白魚フライ(19)三色ヂェリー

出典:赤堀峯吉 著『家庭実用西洋料理法』,大倉書店,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/961443 (参照 2024-01-30、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/961443/1/4

メインディッシュはビフテキ

洪作たちが戻ってくるとメインディッシュのビフテキが運ばれてきます。大正時代のビフテキのつくり方について「実用料理法(大正8年)」には以下のような記述があります。

(―前略―)厚さは約四分位とし、先ず肉の両面を包丁の平又は伸棒にて軽く叩き、その両面に塩と胡椒とを少しく振り(―中略―)フライ鍋にバタを入れて火に架け(―中略―)裏返しつゝ手早く両面を焼くのである。
此の焼き加減は(―中略―)中の厚さの三分の一位が未熟で桃色を帯びて居る位を適度とする(―後略―)

出典:梶山彬 著『実用料理法』,盛林堂,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/957718 (参照 2024-01-30)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/957718/1/49

なお、下に引用させていただいたのは、大正時代のレシピをもとに再現したビフテキとのことです。近年のビーフステーキに比べて少し薄めなので、少年たちにも食べやすかったのではないでしょうか。洪作たちが食べたのもこちらのような料理だったと思われます。

藤尾や金枝はともかく、洪作はフォークやナイフを使うことはめったになかったと思われます。ここでは「西洋料理の正しい食べ方」のモデルの方を磯村少年に見立て、洪作が食べ方を教えてもらいながらビフテキを味わっているところをイメージしてみましょう。

出典:手塚かね子 著『西洋料理の正しい食べ方 : 附・和洋接客の心得』,文化生活研究会,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/916988 (参照 2024-01-29、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/916988/1/7

帰り道

食事後も長居し、磯村家を引き上げたのは夜の10時を過ぎていました。「いい夜だな。今夜のような夜を良夜というんだ」と金枝がいい、藤尾とともに短歌をうたいます。そして藤尾たちから「お前、歌ってみろよ」といわれた洪作は「ビ、フ、テ、キ」と怒鳴ります。

御成橋までくると「四人の少年たちは橋の上で足を停めて、暗い川の面を眺めた。どこかに月でも出ているのか、川の面のところどころがにぶく光っている」とあります。下の写真のような光景だったでしょうか。

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/28647114&title=%E5%A4%9C%E3%81%AE%E5%B7%9D%E5%B2%B8%E3%81%AB%E5%84%AA%E3%81%97%E3%81%8F%E5%85%89%E3%82%8B%E6%9C%88%E3%81%AE%E8%BC%9D%E3%81%8D

橋の上磯村が次のような若山牧水の歌を口ずさみました
「山々のせまりしあひに流れたる河といふものの寂しくあるかな」
それを受けた少年たちの会話を以下に抜粋してみます。
藤尾「・・・・・・いいな、その歌、――俺、旅に出たくなった」
金枝「こんど五月に休みが続くだろう。どこか旅行するか」
洪作「旅か、いいなあ、俺も行く」

この日のことについて「磯村家に夕食に招ばれたことは、洪作にとっては一つの事件であった。・・・・・・良家と言えるような家庭の空気に触れたことは、洪作には初めてのことだった。・・・・・・料理が次々に一品ずつ運ばれて来る夕食は素晴らしかった」などと記されています。

旅行などの情報

沼津御用邸記念公園

フランス料理をご馳走になった磯村家の近くにある公園です。もともと明治時代に大正天皇の御静養先として造られた歴史ある建物で、洪作のころは少年時代の昭和天皇のお住居としても使用されていました。

昭和45年に公園として整備され、今では下に引用させていただいた御食堂や謁見所などを保存した「西附属邸」、御学問所であった「東附属邸」などの見学が可能です。ほかにも歴史民俗資料館やカフェ、食事処、売店などを備えています。四季それぞれの景色を眺めながら広大な敷地内を散策してみてはいかがでしょうか。

基本情報

【住所】静岡県沼津市下香貫島郷2802-1
【アクセス】沼津駅からバスを利用。御用邸前で下車
【参考URL】http://www.numazu-goyotei.com/

井上靖記念館

旭川で生まれた井上靖氏の記念館です。1993年の開館で、常設展示室には井上靖氏の幼年期から晩年までの写真や資料を年代別に展示するほか、「敦煌」や「孔子」といった作品のための取材ノートなども展示されています。

2012年には井上氏の友人であった磯村こと磯山正氏が設計した世田谷の旧井上靖邸の一部が移転・再現されているので、より深く井上靖ワールドに浸れるのではないでしょうか。また、館内入口の書棚には井上靖氏の作品が並んでいるので、読書も楽しめます。お出かけの際は公式サイトや公式Xなどを事前にチェックしてみてください。

基本情報

【住所】北海道旭川市春光5条7丁目
【アクセス】JR旭川駅からバスに乗りかえ春光園前で下車(約25分)
【参考URL】井上靖記念館公式サイト