井上靖「北の海」の風景(その5)

金沢編(その1)

洪作は四高で柔道部の練習を見学した後、泊めてもらう杉戸に連れられてラムネを飲んだり、レストランでご馳走になったりしました。そして、犀川を渡り、「W坂」を登って杉戸の下宿に向かいます。今回は最初に四高の見取り図などを用いて洪作が見たであろう風景を想像しながら、ストーリーを追って行きましょう。

四高の風景

前回(北の海の風景その4・参照)は、洪作が金沢に到着し、四高の柔道を見学するところまですすめました。ここでは、お話を少し戻して、当時の四高の校内の様子を公開資料をもとに想像してみましょう。下には洪作が訪問した時期に近い昭和二年頃の「第四高等学校略図」を「第四高等学校一覧」から引用しました。

柔道場は下図の中央右側にあり、隣接する剣道場や弓道場とあわせて無声堂と呼ばれていました。その上側の「時習寮」は四高の学生寮で、北・中・南の順に3棟並んでいます。時習寮南寮の右側には浴室が設置され、柔道部員も利用していました。

なお、四高の本館は下図の最下部の建物です。教室や講堂(至誠堂)などを備えていて、広(廣)坂通り(現在の百万石通り)に面しています。

出典:第四高等学校 編『第四高等学校一覧・第十臨時教員養成所一覧』昭和2年4月至3年3月,第四高等学校,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1465648 (参照 2024-02-16、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1465648/1/146
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1465648/1/147

以下には明治42年ごろ、略図の右上から撮影した四高の俯瞰写真を引用しました。洪作の訪問時より20年近く前の写真ですが、構造は大きく変化していないため、こちらの写真を使用して柔道部員たちの動きを推測してみます。

右に三棟並んでいるが時習寮で南寮から伸びている小さな建物が浴室です。そしてその裏側の長い建物(食堂・炊事場)の奥に見えるのが無声堂と思われます。

右端の中央に見える大きな建物が四高の本館です。洪作が初めて鳶に連れられてきたときは「正面の建物を左に見て、建物を大きく廻って行った」とあります。ここでは写真の本館左側から無声堂に向かい、練習したあとは食堂をまわりこんで時習寮のお風呂に入る柔道部の学生たちを想像してみましょう。

出典:『東宮行啓紀念写真帖』,第四高等学校,明42.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/780857 (参照 2024-02-16、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/780857/1/8

先ずは水分補給

練習を見学した後、洪作は宿泊をさせてくれる杉戸とともに四高を出ます。校門の道を挟んだ正面には文房具屋があり、店先にはラムネ瓶がバケツに入って売られていました。杉戸が二本、洪作が一本飲み干すと、店の奥に向かって「ラムネ、三本」とどなって離れます。杉戸はツケでまとめ払いしていたようで、この時点で50本近くの未払いがたまっていたようです。

下にはラムネ瓶の写真を引用させていただきました。ここではビー玉をカランと鳴らしながら喉をうるおす洪作たちの姿をイメージしてみます。

出典:katorisi, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ramune-lemonade,japan.JPG

石川屋にて

喉の渇きが収まると、杉戸は洪作を歓迎するためためにレストランでご飯を奢ろうとします。といってもお金は杉戸自身が払うのではなく友人を頼る作戦です。「香林坊の四つ辻」という「繁華地区のまん中で」待ち伏せをし、同じクラスの山川という友人をつかまえると、「石川屋」という四高生行きつけのレストランに向かいました。

石川屋については以下に引用させていただいたブログなどによると、現在も「石川屋本舗」という和菓子店として営業を続けているとのことです。

文中に登場する「石川屋」は四高生御用達の食堂だったそうです。
現在食堂はなく、金沢駅にて和菓子などを販売しています。

出典:井上靖情報ブログ、【ゆかりの地】金沢冬の旅~番外編 『北の海』のお菓子~http://inoueyasushi.blog.fc2.com/blog-entry-215.html

下に引用した大正10年発行の「金沢案内記」には、お菓子販売とともに食堂部の営業についても明記されています。もともと江戸時代からの老舗のお菓子店ですが、大正時代のころには業種拡大も図っていたようです。

出典:小谷書店 著『金沢案内記』,小谷書店,大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/963479 (参照 2024-02-16、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/963479/1/59

下には昭和初期の香林坊周辺の写真を引用しました。こちらの道路右側には「石川屋本舗」の誘導看板も認められます。ここでは、山川に連れられて杉戸と洪作が左方向にある石川屋へ向かうところをイメージしてみましょう。

出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Korinbo_in_Pre-war_Showa_era.jpg

石川屋の店内は「明るい大衆食堂で、卓が十幾つか置かれてあり、四高の学生も居れば、女学生も居り、子どもを連れた夫婦者も居た。みんなアイスクリームか、紅茶か、そうしたものの器を、卓の上に置いている」とあります。

ここでは下のような香林坊の喫茶店の写真を引用させていただき、彼らが洪作に受験のアドバイスをしている場面をイメージすることにしましょう。以下は「北の海」からの抜粋です。

洪作「でも、どの学科も基礎ができていないから」
杉戸「それなら、この夏休み中に、基礎だけやればいい。英語なら中学一年のリーダーからやればいい。一年のリーダーなら一、二時間であげられる。二年のリーダーも半日であげられる。三年ぐらいからは少し判らない単語が出て来るので、何日かかかる。こうして五年のリーダーまでやれば、英語は大丈夫ですよ」
洪作「そうでしょうか」
山川「僕もその方法に賛成だな。僕も英語は中学のリーダーだけでやった。それで、試験に判らない単語が出たら、出す方が悪いと思えばいい。ただ他の科目は参考書が要る」
杉戸「参考書もいいものを一冊に決めて、それだけやればいい。それで、もし判らない問題が出たら、出す方が悪いと思えばいい」

洪作には受験勉強がひどく簡単なものに思えてきました。

W坂

レストランから杉戸の下宿に向かいながら、犀川を渡り、急な坂を上ります。杉戸は「この坂はW坂というんだ。W字に折れ曲がっているでしょう」と説明してくれます。下に引用させていただいたように、「石伐坂」が正式名称ですが、一般には四高生が命名した「W橋」が使われているようです。

藩政期に石伐職人の組地があったことからきている石伐坂であり、旧制四高の学生が名付けたというW坂であることに変わりはない。

出典:金沢の坂道公式サイト
https://kanazawasaka.com/ishikirizaka/

また、同じサイト「金沢の坂道」からW坂の写真も引用させていただきました。「北の海」には「なるほど少し登ると折れ曲がり、また少し行くと折れ曲がっている」とあります。

こちらの坂に「稽古のひどい時には、この辺で足が上がらなくなる。なんで四高に入って、こんなに辛い目にあわなければならぬかと、自然に涙が出て来る」といっている杉戸の姿を置いてみましょう。

出典:金沢の坂道公式サイト
https://kanazawasaka.com/ishikirizaka/

犀川や金沢の夜景

洪作たちは「W坂を登り切ったところで、洪作は金沢の町を眺め降ろした」とあります。下は、明治末に撮影された桜橋々上(W坂の上)からの四高や兼六公園方向の写真です。説明書きにもあるように、四高のある広坂通りは、市役所や県会議事堂といったお役所が並ぶ官庁街でした。

出典:和田文次郎 編『金沢写真案内記』,北陸出版協会,明42.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/764579 (参照 2024-02-16、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/764579/1/11

こちらから視線を少し左に転じると、香林坊や金沢駅周辺の光が目に入ってきます。洪作は「燈火が点々とちらばっているだけであるが、やはり沼津などに較べると、遥かに大きい都会の夜景であった」といっています。

下には近年のW坂上からの写真を引用させていただきました。洪作たちが見ていたのもこちらのような美しい景色だったかもしれません。

杉戸の下宿

杉戸の下宿は坂を登った住宅地のなかにある二階建ての家でした。こちらの下宿のモデルとなっているのは井上靖氏が四高時代に実際に過ごした下宿家で、現在は櫻畠楼(さくらばたけろう)として保存されています。下はその櫻畠楼が写っているストリートビュー(2012年10月の写真)です。

下宿では風呂に入り、おばさんからカステラを御馳走になるなどしたあと、二階の部屋で杉戸と布団を並べました。夜行列車の寝不足の上に、金沢に来てからの急展開に疲れた洪作は、「杉戸が何か言ったので、それに返事をしようと思っているうちに、洪作は深い眠りの沼に、もの凄い勢いでのめり込んでいった」とあります。

旅行などの情報

櫻畠楼

昭和2年に旧制四高に入学した井上靖氏が3年間を過ごした場所であり、「北の海」に登場する杉戸の下宿のモデルとなっています。現在は「寿司割烹・小林」の御主人が管理されていて、事前に予約すれば見学することも可能です。

内装は井上靖氏が住んでいたころからあまり変わっていないため、「北の海」の世界に浸ることができるでしょう。「北の海」巡りの締めくくりには「寿司割烹・小林」で、下に引用させていただいたような美味しいお寿司をいただくのもおすすめです。

基本情報

【住所】石川県金沢市寺町3丁目11-23(櫻畠楼の住所)
【アクセス】北陸鉄道石川線・野町駅から徒歩で約22分
【参考URL】https://coupon.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/shop01.php?me_no=71(見学の連絡先・寿司割烹小林)

W坂

洪作と杉戸が道場と下宿の往復に毎日通っていた急坂です。「北の海」は「W坂」を有名にした小説の一つであり、坂の踊り場には下に引用させていただいたような文学碑が設置されています。

また、こちらの坂は文豪・室生犀星が好んだ散歩道としても知られていて、坂からの金沢市街や犀川などの美しい眺めも見逃せません。犀川沿いは桜の名所となっているので、お花見も兼ねて訪れるのもよいでしょう。

基本情報

【住所】石川県金沢市清川町
【アクセス】JR金沢駅からバスを利用。広小路で下車
【参考URL】https://www.hot-ishikawa.jp/

石川屋本舗

洪作が杉戸たちに連れて行ってもらった食堂のモデルとされる石川屋本舗は、江戸時代創業の和菓子店です。伝統的な金沢の和菓子は、美味しさはもちろん、見た目も上品なのでお土産としても喜ばれるでしょう。

特に「かいちん」という、寒天と砂糖を自然乾燥で作る琥珀糖のお菓子は、下に引用させていただいた写真のようなかわいい姿が評判です。金沢駅ビルの金沢百番街内にも支店がありますので、ぜひ立ち寄ってみてください。

基本情報

【住所】石川県金沢市木ノ新保町1-1(石川屋本舗あんと店、金沢駅ビル金沢百番街内)
【アクセス】JR金沢駅からすぐ
【参考URL】https://ishikawaya-honpo.co.jp/