内田百閒「第二阿房列車」の風景(その3)

春光山陽特別阿房列車

「春光の山陽本線に、特別急行列車が走り出した。その処女運転に乗ってきた話」というお話です。京都までは夜行の急行銀河で移動し「始発は京都駅で、終着駅は博多」の特急「つばめ」に乗り込みます。車窓からは故郷・岡山周辺の懐かしい景色も満喫。その後先生たちは博多で一泊し、さらに「一昨年の初夏、一度立ち寄った八代」(第一阿房列車の風景その4・参照)に向かいました。

京都までは急行銀河

京都まで行くために先生たちが利用したのは、夜「八時三十分発、第十三列車、一二三等急行『銀河』」です。友人で琴の師匠でもあった宮城検校氏(*1)によると「『銀河』の最後部には、天の川をあしらった中に、『銀河』と云う文字を浮かした列車標識が、美しい電気で暗い中に輝き、実に綺麗」とのことでした。

ところが今回「この長い列車の尻が、蛍の様に光っているとばかり思って、一番うしろへ廻ってみたら、そんな物は何もない。真っ黒なお尻であった」とあります。実はその豪華さが戦後の時流に合っていなかったため、列車標識は昭和24年の運行開始から9日後に取り外されたとのことでした。

*1)宮城検校は目が見えないため、この情報は同乗した人から聞いた情報。検校は内田百閒「贋作吾輩は猫である」の馬溲検校のモデルにもなっています(贋作吾輩は猫であるの風景その7・参照)、

しかし戦前の名士列車に準えた豪華な編成が仇となって利用が伸び悩み、戦後混乱期の当時はまだ混雑する列車が多い中でがらがら状態で走っていたため批判を呼ぶことになり、わずか9日後の9月24日には三等車を連結するようになりテールマークも外された。
(中略)
1980年(昭和55年)7月25日:「急行」の文字のみだったテールマークから、列車名とイラストが入ったテールマークに変更され同日大阪発より提出[11]。客車急行列車として絵入りテールマークの復活となる。

出典:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%B2%B3_(%E5%88%97%E8%BB%8A)

「銀河」のテールマーク(後部の列車標識)が復活するのは1980年まで待たねばなりませんでした。下には2005年に撮影されたテールマーク付きの「銀河」の写真を引用させていただきます。なお、急行「銀河」は2008年のダイヤ改正にて、惜しまれつつ引退してしまいました。

出典:Ogiyoshisan, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ginga_train_(02)_DSCN0066_20050803.JPG

三脚イスはお尻が痛い

下に引用させていただいたように、急行「銀河」は当時すでに人気歌手だった美空ひばりさんも頻繁に利用されていました。美空さんたちが楽しそうにおしゃべりしている一方(同じ列車に乗ったかどうかは不明ですが)、先生たちは寝台ベッドの脇に外から持ち込んだ「画家が写生の時に使う三本足の腰かけ」をコの字型に置き、お酒を飲んでいました。

ここでは写真の桂木さんの席に山系君を、美空さんの場所に先生の姿を置き、「三脚という物はお尻が痛い。長く掛けていられない。すぐにしびれる。だから時時交替でいて席を変えた」というシーンを想像してみましょう。

「かもめ」に乗り込む

京都に朝早く到着した先生一行は山陽線の出発までの時間を利用して京都御所や平安神宮をタクシーで観光し、駅に戻ると駅長に案内されて特別急行「かもめ」に乗り込みます。新列車のお披露目も兼ねているだけあって「まわりの諸氏は矢張り起ったり座ったり、車外に出たり、又這入って来たり」と忙しい様子。舞妓さんも乗り込むなど通常とは違う雰囲気です。

下には先生が乗ったのと同じ昭和28年の特急「かもめ」の写真を引用させていただきました。ここではこちらの写真の窓際に、「観念のまなこを半閉じにして・・・・・・周囲の騒ぎをそらそうとしている」先生の姿を置いてみます。

京都駅を出発

「牽引機関車C59の汽笛が鳴って、動き出した。八時三十分、勿論定時発車である」と、いよいよ山陽特別阿房列車の運行開始です。

ですが、「京都の駅は馬鹿に広い。段々速くなってきているけれど、まだ構内を出切らない」とあります。当時の3代目京都駅舎はこの旅の前年にできたばかりで、下に引用させていただいたような姿をしていました(1992年撮影)。建物が横に長くホームも長そうです。ちなみに、規模の大きさは4代目京都駅にも引き継がれ、558mの0番線は日本一長いホームとされています。

出典:Si-take. at Japanese Wikipedia, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kyoto_Station_(building_of_the_third)_Kyoto,JAPAN.jpg

大阪駅では新聞の取材

「京都を離れてから、本式に速くなり、じきに大阪に著(つ)いた。プラットホームは大変な賑わいである」とあります。下には昭和25年(1950年)頃の大阪駅・3代目駅舎周辺の写真を引用させていただきます。「かもめ」が停車した昭和28年もこのような賑わいをみせていたことでしょう。

国鉄からの招待という立場で乗車している先生のところには新聞記者がやってきて、その対応に追われます。ここでは、大阪駅ホームに停車する「かもめ」の中に苦虫を噛み潰したような表情で「不得要領な応対」をする先生の姿をイメージしてみましょう。

出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Osaka_Station_circa_1950.JPG

神戸は素通り?

大阪を出発すると間もなく三宮に停車します。ここで先生は「神戸駅と三ノ宮駅とが新特急『かもめ』の停車で争い、結局下りは三ノ宮駅停車、神戸駅通過、上りは神戸駅停車、三宮駅通過と云う変な事に収まった」ことに言及し、「東海道本線の終点、山陽本線の起点である神戸駅を、片道だけにしろ通過駅に扱ったのは、鉄道と云うものの姿から考えてよろしくない」とご立腹です。

下には戦後の三ノ宮駅の写真を引用させていただきました。先生が停車した昭和28年には「RTO」の替わりに「三ノ宮駅」と書かれていたと思われます。

そうかといって三ノ宮と神戸の両方に停車するのも時間のロスとなります、そこで先生は「国鉄にいい事を教える」と前置きし、「神戸と三ノ宮の間をプラットホームでつないで仕舞いなさい」と提案します。

下には昭和5年に竣工し、現在も現役の神戸駅三代目駅舎の写真を引用させていただき、「かもめ」がこちらの駅を通過するところを想像してみましょう。先生は更に発想を広げて「東京大阪間をプラットホームでつないでしまう。・・・・・・相当長いからホームの途中で日が暮れる。あんまり屋敷が広いので、離れへ行こうとすると、廊下で日が暮れて、そこで一晩寝たという話を聞いたことがある。先ずその伝だと思えばよろしい」と列車のなかで一人ほくそ笑んでいました。

出典:663highland, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kobe_Station01bs5s3750.jpg

曲がった鉄橋

列車は大阪や兵庫を過ぎ、岡山に至ります。周辺の記述で印象的なのが「曲がった鉄橋」です。吉井川の鉄橋にかかった時、高等小学校のころ先生から教わったことを思い出します。「曲がった鉄橋と云うのは・・・・・・日本中どこにもない、吉井川の鉄橋だけだ」、「橋が曲がっているのは、こっち岸と向こう岸と両方から計って来た測量が間違ったからだ」とありますが、実際はトンネルを掘るのを避けるため、山裾に沿わせて鉄橋を曲げたのが真相でした。

下に引用させていただいたのは現在の鉄橋と先生の頃の橋台跡(橋の右下)の写真です。現在の線路も神戸側(写真左)から岡山側(写真右)に向かってカーブを描いているのが分かります。ここではこちらの列車を「かもめ」に見立て、列車内に故郷・岡山の風景を懐かしむ先生の姿を置いてみましょう。

大手まんじゅう

先生の名前の由来にもなっている「百間川」を通過し岡山駅に到着します。「知った顔があると面倒」と考え「座席にじっとしている」と、「大きな声で『栄あん、栄あん』と私の名を呼んでいる」声が聞こえます。

先生の幼馴染の「真さん」が「東京へ持って帰るお土産の大手饅頭を、箱入りと竹の皮包みと、私が時時夢に見るほど好きな事を知っているものだから、持ち重りがする位どっさり持って来てくれた」とあります。

下に引用させていただいたのは現在も岡山名物として有名な大手饅頭の写真です。こしあんを甘酒のコクが施された薄皮で包んで蒸し上げた食べ物で、地元では吉備団子と並んで人気があります。ここではその大好物を、1・2個つまみ食いする先生の姿をイメージしても良いかも知れません。

特別急行「からす」と命名?

先生は「笠岡と尾ノ道で瀬戸内海が一寸見える外は、沿線の景色に変化がない」といい、「『かもめ』という呼び名で登場したが、あまりいい名前ではない」といいます。

「海岸線を広島に出る呉線の列車なら、鷗(かもめ)に因縁がない事もないだろう。ところがこの列車は糸崎からその先辺りで段段に山と山の間に這入り込み、無暗にカアヴして山の裾をうねくね廻り、山の鴉(からす)をおどろかして走るのだから、特別急行『からす』と云った方がよかったかもしれない」と毒を吐きます。

なお、その先の山口方面に行くと大畠駅・神代駅間に下のような瀬戸内海がきれいに見えるスポットもあります。先生がやぱり「かもめ」でよいと思ったかどうかについては書かれていません。

出典:MaedaAkihiko, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:JR_Sanyo-main-line_Series115-3000.jpg

アイスクリームを3つも!

「かもめ」の旅を終えた先生は博多の洋風ホテルに宿泊しました。「旅行に出れば私はアイスクリームばかり食べている」という先生は、朝食にもルームサービスで注文します。山系君(+1)の分も含めて3つでしたが、山系君が食べなかったため全部一人で食べるはめになります。

下にはアイスクリームの冷たさを示すために引き合いに出した「氷のすい」の写真を引用させていただきました。「氷のすい」とはシンプルな砂糖水のかき氷のことで、先生はこちらを「7杯飲んだ」ように頭がキーンとしてしまいます。

八代のお土産

先生一行は博多から「きりしま」で南に向かい「第一阿房列車(・・・の風景その4・参照)」でも利用した八代の旅館に宿泊します。山系君とお酒を飲んで、次の日は又寝をするなどして列車旅の疲れを癒しました。

帰途の静岡駅では八代の宿でお土産にもらった「狸の独楽」を山系君を見送りにきた後輩に上げるシーンが描かれています。「狸の独楽」とは八代地方で「彦一こま」と呼ばれる郷土玩具で、下に引用させていただいたように分解すると独楽になります。

ここでは、山系君が窓の縁で実演して見せたのはいいものの、発車のベルに慌てて「顔の向きを逆に差し込ん」でしまい、「ねじれた狸」を渡している場面をイメージしてみましょう。

旅行などの情報

吉井川橋梁(跡)

百閒先生が「曲がった鉄橋」として取り上げた吉井川橋梁(旧鉄橋)は下に引用させていただいたように橋台の跡のみが残っています。なお、昭和34年に完成した現在の橋梁もカーブをしているので百閒先生と同様の体験ができるでしょう。

また、橋を岡山方面に渡ったところにある万富駅から徒歩圏内の土手は、線路のカーブを利用して列車をダイナミックに撮影できるスポットとして有名です。

基本情報

【住所】岡山県苫田郡鏡野町
【アクセス】JR姫新線津山駅から車を利用
【参考URL】http://e-seto.net/midokoro/map1/04.pdf

大手饅頭伊部屋・雄町工場店

大手饅頭は文中でも「饅頭に圧し潰されそうだが、大手饅頭なら潰されてもいい」というほどの大好物でした。製造元の「大手饅頭伊部屋」は江戸時代創業の老舗で、特に工場併設の雄町工場店では出来立ての大手饅頭が人気です。

併設で大手まんぢゅうカフェも設置されているので、蒸したての味をその場で堪能してみてはいかがでしょうか。また、4月から10月末まで販売する「大手饅頭ソフト」は先生の好物が合体したような美味しいスイーツです。

基本情報

【住所】岡山県岡山市中区雄町201-1
【アクセス】高島駅から車を利用
【参考URL】https://www.ohtemanjyu.co.jp/