内田百閒「第二阿房列車」の風景(その5最終回)

雷九州阿房列車(後章)

第一阿房列車(・・・その4・参照)と第二阿房列車(・・・その3・参照)でもなじみの松浜軒に宿泊した百閒先生一行は梅雨晴れのなか、池を眺めながらのんびりと過ごしました。ところが、次の日からは本格的な雨が降り出し、観光もままならない大荒れの天気に!宴会の途中で停電という場面もありますが、阿房列車は雨をすり抜けるように運行します。

松浜軒にて

八代の天気は小康状態で梅雨晴れの景色を眺めています。池には「二尺に足りない位の小さな蛇が、水の上に鎌首を立てて泳いでいる」、「睡蓮が咲いている浅いところにお歯黒蜻蛉(はぐろとんぼ)が飛んできた。声柄の悪い鴉(からす)が、又があがあ鳴きだす」などといったにぎやかな風景がありました。

下に引用させていただいたのは6月頃の松浜軒の写真です。この池の上に蛇や蜻蛉たちを配し、「澄んで綺麗になった」空の色を見る先生の姿を想像してみましょう。

出典:STA3816, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Shohinken_02.jpg

観光もそこそこに熊本を出立

松浜軒で宿泊した次の日(6月25日)は朝から「雷が轟(とどろ)き、覆盆の大雨が黒い庭に降り注いだ」とあります。宿を出発した先生たちは車で熊本駅方面に向かう途中、熊本城に立ち寄ります。ところが「熊本城址(じょうし)の入口まで行ったが、烈しいしぶきの為、車から降りることは勿論、窓も開けられなかった」状態でした。

下には1931年頃の熊本城の写真を引用させていただきました。右奥の建物は宇土櫓、その手前の洋風の建物は第六師団司令部庁舎でしょうか。ちなみに天守閣は西南戦争で焼失し、昭和35年に再建されるまでありませんでした。いずれにしても雨の中、「石垣と門を見ただけで熊本城の見物は終わった」とのことです。

出典:不明, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E7%86%8A%E6%9C%AC%E5%9F%8E%EF%BC%881931%E5%B9%B4%EF%BC%89.jpg

覆盆の雨

先生が立った6月25日の後、熊本は大雨で大きな被害にあいます。後日友人からの手紙には「二十六日の夜九時、白川の氾濫で忽(たちま)ち床上四尺(1m以上)の浸水となり・・・」などという惨状が記されていました。

下に引用させていただいた当時の熊本周辺の写真では、街中の大通りが川のようになっています。少し出発するのが遅くなれば先生たちもこのような目にあっていたかもしれません。

荒城の月

観光もそこそこに熊本駅で電車に乗り込んだ先生一行は一路大分を目指しました。山裾を走る車窓から阿蘇山の噴煙を眺めたいと願う先生でしたが「雨男ヒマラヤ山系君」が一緒にいるので「そんな事を念ずるだけが時間の無駄である」とあきらめます。

途中で豊後高田なる駅にしばらく停車する場面があります。こちらは作曲家・滝廉太郎の生まれ故郷で、ホームには「荒城の月」が流れていました(現在も流れています)。下に引用させていただいたのは昭和初期ごろの豊後高田駅の写真です。

ここでは停車した「車内の向こうの隅に、五つか六つの男の子を連れた、洋装の若いお母さんがいる。小さな声だが、(荒城の月を)立派な声で歌っている」という風景をイメージしてみます。

出典:Ministry of Railway , Kumaomto engineering office., Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bungo-Taketa_Station_1.jpg

別府で宿泊

先生たちは大雨や稲光のなか別府の「飛んでもなく大きな宿屋」到着しました。「この間の将棋の名人戦をなさった場所」ということから老舗旅館の杉乃井ホテルと推測できます。

下には昭和十六年の全国旅館名簿に掲載された「杉乃井館」の広告を引用させていただきました。杉乃井ホテルの前身と思われますが、まだ「別府に生まれた新名所」であったようで、時代の移り変わりが感じられます。

出典:旅館研究会 調査・編纂『全国旅館名簿』,旅館研究会,昭和16. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1033104 (参照 2023-12-01)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1033104/1/456

「通された座敷は十四畳敷の広間で、次の間もあるし、控えの間もあるし、玄関もあって、専用の風呂場がついている」と広さを表現し、一方「東京に帰れば、私の家は三畳の部屋が三つしかない」と明かします。

下には杉乃井ホテルの一室の写真を引用させていただきました。先生たちの宿泊した時代とは違いますが、落ち着いた雰囲気で別府湾の眺めがよいことは同じです。こちらの写真に景色を見ながら一服する先生の姿を置いてみましょう。

名人戦の部屋

上でも述べたように先生が宿泊したホテルは宿命のライバルとされた升田幸三氏と大山康晴氏との名人戦の舞台でした。先生たちは次の日そのお座敷が空くので移ってはどうかと女中たちにすすめられます。「山系君、そっちへ移って、一番指そうか」とその気になる先生。山系君も「やりましょう。君(女中さんに対して)、その時の盤や駒があるかい」とのってきます。

下に引用させていただいたのは昭和32年の対局で升田氏が大山氏を破った場面です。ちなみに杉乃井ホテルでの名人戦の結果も同じだったようです(最終的には四勝一敗で大山氏が名人を防衛しました)。

猿どころではない!

別府からも近い高崎山(自然動物園)は先生が昭和28年3月に開園したばかりで、「こちらの新聞では大雨の記事の外に、殆ど毎日の様に猿の事が載っている」とのことです。「女中」からも見に行くことを勧められますが、次の日には天候が更に悪化します。

「お午(ひる)になり、午後になり、いつまでたっても雨ばかり降って、そうして雷が鳴り、時時大きいのが轟いて心胆を寒からしめる。高崎山の猿なんぞにかまってはいられない」という荒れ具合でした。

下に引用されていただいたのは高崎山のお猿さんの絵葉書の写真です。とうとう高崎山へは行けずじまいだった先生はこのような絵葉書を眺めて猿たちの様子を想像していたかもしれません。

関門トンネルを紙一重で通過

停電したり、洪水のため旅館の温泉に入れなかったりと不具合もありましたが、帰りの列車は予定通り運行し門司発の寝台列車に乗り込みます。先生たちは、早速食堂車にいってお酒を始めますが、下に引用したように「関門隧道に水が這入って、私共が帰った後は、もう門司へも行かれなくなった」とあります。

こちらのトンネルの遥か先を走る急行「きりしま」に思いを馳せながら、「第二阿房列車」の風景を終了します。

出典:Mainichi newspaper / 毎日新聞社, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:1953_West_Japan_flood_infiltration_of_Kammon_railway_tunnel.jpg

旅行の情報

熊本城

先生が門と石垣しか見ることができませんでしたが、他にもたくさんの見どころがあります。2016年の熊本大地震からの天守閣の復旧も完了し、下に引用させていただいたような美しい姿を見ることができます。天守閣内は階を上がるごとに時代が進む展示スタイルとなっていて、最上階から眺められる熊本の街並みは絶景です。

また、先生が唯一見たという石垣もお見逃しなく。上に行くほど勾配がきつくなっていて防御能力の高いことで有名です。

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/28029275&title=%E9%9D%92%E7%A9%BA%E3%81%A8%E7%86%8A%E6%9C%AC%E5%9F%8E

基本情報

【住所】熊本県熊本市中央区本丸1-1
【アクセス】熊本駅前電停から市電に乗り熊本城・市役所前電停で下車
【参考URL】http://castle.kumamoto-guide.jp/

高崎山自然動物園

百閒先生が豪雨のため行けなかった観光地です。小説にあるように野生の猿が野菜などを食い荒らす被害を減らすために、一箇所に集め観光資源にしようと考えたことが始まりでした。開園当時は220頭程度が一つの群れで活動していましたが、現在は二つの群れとなり合計1200頭が生息しています。

下に引用させていただいたような子猿のかわいい姿が見られるほか、敷地内には簡易モノレールの「さるっこレール」、隣接には水族館「うみたまご」などの観光地もあるので、一日中楽しむことができるでしょう。

基本情報

【住所】大分県大分市神崎ウト3098-1
【アクセス】別府駅からバスを利用。高崎山自然動物園前で下車
【参考URL】https://www.takasakiyama.jp