宮本輝著「地の星」の風景(その5)

美空ひばりさん

熊吾の妹・タネは裁縫などの家事は苦手でしたがラジオから聞こえてくる歌謡曲については知識が豊富でよく房江にも話してくれました。当時はやっていた美空ひばりさんの話もその一つ。近所にある劇場が公演を依頼しにいったところ1回40万円といわれ驚いて帰って来たとのことです。ちなみに同時期(昭和25年)のサラリーマンの平均年収は12万円。1回の公演で年収の数倍の収益だったことがわかります。下に引用させていただいたのは美空ひばりさんも出演した「悲しき口笛」なる映画のポスターです。12歳の初々しいひばりさんが描かれています。ここでは自分たちとは別の世界の少女を思い「40万円いうたら、新しい鰹船が四隻も買えるわ」とあきれる房江の顔を想像してみます。

https://twitter.com/hotaru444/status/1223630127273132032

チャンバラごっこ

小説の中でこの時代らしい場面をもう一つ。息子・伸仁が「腰に紐を巻きつけ、そこに長い木の枝を差してチャンバラごっこをしていた」というシーンです。小説では一人チャンバラをやっていましたが、下に引用させていただいた写真の右側の子供たちのような姿だったかもしれません。そこに「坊は長い刀を差してござんすねえ」といいながら近寄ってくる「毛皮の襟のついた外套を着た、色の浅黒い男」・わうどうの伊佐男の不気味な姿がありました。

蘇家神社にて

様々な事件や事故が重なったこともあり、このころ熊吾は伸仁をつれて毎日深浦港近くの蘇家神社に通っていました。ある日、心配して付いてきた房江と合流。名物の189段の階段を3人でのぼります。「境内まであと50段くらいのところで腰を降ろして、鳶やうみねこやかもめや、港を出ていく船を見ながら、熊吾は信仁にさまざまなことを語って聞かせる」という場面があります。下に引用させていただいたのはその蘇家神社の境内付近の写真です。左下のような海の雄大な景色を見ながら(戦前に見た)中国の揚子江の景色を思い出し「お前がおとなになったら、こんな小さい国になんかおるな」などと伸仁に語る熊吾の姿をイメージしてみます。

ダンスホールにて

スタート時はつまずいたダンスホール事業でしたが客入りは良く順調な滑り出しを見せます。大阪でダンスを学んだタネが中心になって客たちにダンスを教え、房江は入場した男女にダンスの相手を探してやるという役割を受け持ちます。下に引用させていただいたのは昭和時代のダンスホールの写真です。ここに「小学校の先生が幼い教え子に体操を教えるような調子で」次々にカップルを作っていく房江の姿を置いてみます。

どんな音楽で踊っていた?

ダンスホールにどんな音楽が流れていたかは不明ですが、戦後間もない時期なので戦前にはやったテンポの良い曲だったかもしれません。下に引用させていただいた音楽はルイ・アームストロングのセントルイス・ブルース。昭和初期に流行った名曲で軽快なリズムが特徴です。ダンスホールの2階にある器材室でこのようなレコードを次々とかける熊吾の姿やそれに合わせて1階で楽しく踊る若者たちの姿をイメージしてみます。

旅行の情報

蘇家(そが)神社

熊吾家族が3人で海を眺める場面で登場する神社。平安時代創建の由緒あるスポットです。熊吾の時代と同じく180を超える石段が今もたちはだかります。部活の練習場としても利用され地元の方からも親しまれています。ちなみに熊吾親子は毎日途中まで上りはしましたが境内まで行くことはなかったようです。腰を降ろしていた見晴らしスポットから境内まではまだ50段あります。旅行で訪れる場合には体力を充分に残しておくのがおすすめです。
【住所】愛媛県南宇和郡愛南町深浦286番地
【電話】0880-73-0369
【アクセス】松山道・津島岩松ICから
【参考サイト】http://ehime-jinjacho.jp/jinja/?p=3876