村上春樹「1973年のピンボール」の風景(その2)

双子との生活

前回(1973年のピンボールの風景・その1)は「僕」の大学時代の回想部分が中心でしたが、今回からは現在(1973年)のストーリーになります。「僕」が友人とともに立ち上げた翻訳事務所は受注が増え、順調に売り上げを伸ばしていました。また、突然現れた双子はそのまま家に住みつき、彼女たちとの触れ合いが「僕」の生活の一部となっていきます。

「僕」の仕事

「僕と僕の友人は渋谷から南平台に向う坂道にあるマンションを借りて、翻訳を専門とする小さな事務所を開」きました。開業資金は少なく「部屋の権利金の外にはスチールの机が三つと十冊ばかりの辞書、電話とバーボン・ウィスキーを半ダース買ったきりだった」とあります。

ですが
「何ヵ月か経ってから、僕たちは実に豊かな鉱脈を掘りあてたことに気づいた。驚くほどの量の依頼が僕たちのささやかな事務所に持ちこまれてきたのだ。その収入でエア・コンと冷蔵庫とホーム・バー・セットを買った」と、思ったよりも順調な立ち上がりを見せます。

下には1970年代のホームバーセットの写真を引用させていただきました。ナショナルのお得意さま組織「くらしの泉会」がノベルティとして配布したグッズとのこと。グラスのほかシェーカーやアイスペールなどもセットになっていて、ロックやカクテルなど多彩なお酒が楽しめそうです。

出典:神戸トランヂスタ公式サイト
http://transistor0069.blog96.fc2.com/blog-entry-2191.html

また、下に引用させていただいた写真には1974年の道玄坂下交差点が写されています。翻訳事務所はこちらの奥側にある坂の途中のマンションの一室にありました。

ここではホーム・バー・セットでつくったお酒を手にした共同経営者が「僕たちは成功者だ」といって「僕」と乾杯する場面をイメージしてみましょう。

仕事の内容について

翻訳の仕事については、依頼される「文書の種類も依頼主も実に様々だった」とあり、以下のような文書が例に出されています。
「ボール・ベアリングの耐圧性に関する『アメリカン・サイエンス』の記事、一九七二年度の全米カクテル・ブック、ウィリアム・スタイロンのエッセイからカミソリの説明文」など。

ウィリアム・スタイロン氏は実在の作家で、ホロコーストの非ユダヤ人被害者を描いた代表作「ソフィーの選択」は映画化もされています。「僕」が翻訳したエッセイにも、下のような彼の写真が挿入されていたかもしれません。

出典:William Waterway, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bill_Styron_in_his_West_Chop_writing_room_on_Martha%27s_Vineyard_-_August_1989.jpg

「収入は悪くなかった。会社の収入の中から事務所の家賃と僅かな必要経費、女の子の給与、アルバイトの給与、それに税金分を抜き、残りを十等分して一つを会社の貯金とし、五つを彼が取り、四つを僕が取った。」とのこと。

また、「原始的なやり方だったが机の上に現金を並べて等分していくのは実に楽しい作業だった。『シンシナティ・キッド』のスティーブ・マクィーンとエドワード・G・ロビンソンのポーカー・ゲームのシーンを思い起こさせた。」ともあります。下にはその「シンシナティ・キッド」のポーカーのシーンを引用させていただきました。

出典:洋楽専門チャンネル・ザ・シネマ公式サイト、シンシナティ・キッド
https://www.thecinema.jp/program/00171

また、「半年に一度ばかりやってくる恐ろしく暇な時期になると、僕たち三人は渋谷の駅前に立って、退屈しのぎにそのパンフレットを配った」とのこと。

キャッチフレーズは
「凡そ人の手によって書かれたもので・・・・・・人に理解され得ぬものは存在しません」
でした。

下に引用させていただいたのは1970年代の渋谷駅ハチ公前の風景です。こちらのどこかにビラ配りをする「僕」や共同経営者などの姿を置いてみましょう。

ペニーレインを口ずさむ事務員

経営が軌道に乗ると、僕と共同経営者は
「外語大の学生課で何人かの出来のよい学生を集めてもらい、さばききれない下訳をまかせることにした。女の事務員をやとい、雑用や経理や連絡を任せた」
とのことです。

彼らがやとった「女の事務員」は「ビジネススクールを出たばかりの足の長いよく気がつく女の子で、一日に二十回も『ペニー・レイン』を(それもサビ抜きで)口ずさむことを別にすればこれといった欠点はなかった」とあります。

下に引用させていただいたのはビートルズの「ペニーレイン」の動画です。ここでは女の子がこの曲を歌いながら「帳簿を整理したり、オン・ザ・ロックを作ったり、ゴキブリ取りを組み立てたり」している風景を想像してみます。

双子の好物

双子については「何故僕の部屋に住みついたのか、いつまでいるつもりなのか、だいいち君たちは何なのか、年は?生まれは?・・・・・・僕は何一つ質問しなかった」とのことです。

個人情報は全く分かりませんが、彼女たちの趣向や性格は徐々に明らかになっていきます。「僕は必要なものを買うようにと週の始めにいつも少しばかりの金を二人に与えたが、彼女たちは食事に必要なもの以外はコーヒー・クリーム・ビスケットしか買わなかった」のこと。

「コーヒー・クリーム・ビスケット」の形や味などについて詳細は判りませんが、上にはブルボン公式SNSからチョコ&コーヒービスケットの写真を引用させていただきました。

ここではこちらのビスケットを双子が美味しそうに食べる姿をイメージしてみましょう。なお、ブルボンのパッケージビスケットは1970年代に発売になり、今も人気のあるロングセラーとなっています。

夕方のゴルフ・コース

「僕」はまた、双子と一緒に「ロスト・ボールを捜しながらゴルフ・コースを夕方散歩したり、ベッドでふざけあったりして毎日を送っていた」とあります。

下には夕暮れのゴルフ場の写真を引用しました。こちらの写真の木々の周辺で真剣にボールを捜す双子と、後からついていく「僕」の姿を置いてみましょう。

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/27285410

メイン・アトラクションは?

双子との遊びの「メイン・アトラクションは新聞解説」でした。双子の知識については「二人は驚くほど何も知らなかった。ビルマとオーストラリアの区別さえつかなかった」と語られています。
そのため
「ヴェトナムが二つの部分にわかれて戦争をしていることを納得させるのに三日かかり、ニクソンがハノイを爆撃する理由を説明するのにあと四日かかった」とのことです。

9月21日 – 日越国交樹立。
(中略)
10月16日 – ベトナム和平への功績が認められ、ヘンリー・キッシンジャーとレ・ドゥク・トのノーベル平和賞受賞が決定。(トは辞退する)

出典:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/1973%E5%B9%B4

双子とともに暮らした1973年の9月から11月までの間、上に引用したようにベトナムに関する大きな出来事は二つあります。「ベトナム和平」とはこの年の1月に締結された「パリ和平協定」のことで、この協定によりアメリカ軍などは撤退することになりました。

下には「パリ和平協定」の調印式の写真を引用しました。もしかしたら、「僕」が双子と一緒に読んだ新聞にもこちらの写真が掲載されていたかもしれません。

出典:Knudsen, Robert L. (Robert LeRoy), 1929-1989, PhotographerPost-Work: User:W.wolny, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Vietnam_peace_agreement_signing.jpg

以下にはベトナム戦争についての双子と「僕」との会話を抜粋しました。
双子208「あなたはどっちを応援しているの?」
僕「どちら?」
双子209「つまり、南と北よ」
僕「さあね、どうかな?わかんないね」
208「どうして?」
僕「僕はヴェトナムに住んでるわけじゃないからさ」
208「考え方が違うから闘うんでしょ?」
僕「そうとも言える」
208「二つの対立する考え方があるってわけね?」
僕「そうだ、でもね、世の中には百二十万くらいの対立する考え方があるんだ。いや、もっと沢山かもしれない」
209「殆ど誰とも友だちになんかなれないってこと?」
僕「多分ね」

アメリカ撤退後もベトナム国内では内線が2年間続きます。最終的には北ベトナム軍がサイゴンを占領し、下に引用させていただいたような新聞が発行されました。

もうこの頃(1975年)には「僕」の家に双子は住んでいませんでしたが、いたとしたらこちらの新聞をどのように解説したでしょうか?

旅行などの情報

ビートルズ文化博物館

事務員が口ずさむ「ペニーレイン」を取り上げましたが、「1973年のピンボール」では他にもビートルズの曲が登場します。そこで今回は、日本で唯一とされるビートルズ専門の博物館をご紹介しましょう。

場所は兵庫県赤穂市にあり、ビートルズのDVDの鑑賞や書籍、写真集などの閲覧ができるほか、土日(レコードの日)には貴重なアナログ音を聴くことができます。

入場料はドリンク付きで300円ほどとリーズナブルです。イベントやグッズ販売もあるので、詳細は下の参考サイトなどでご確認ください。

基本情報

【住所】兵庫県赤穂市加里屋2059
【アクセス】JR播州赤穂駅より徒歩約10分
【参考URL】https://beatles21.jimdofree.com/