宮本輝著「血脈の火」の風景(その2)

伸仁の小学校生活

小学生になった伸仁。初日からトラブルがありましたがたくましく成長していく過程が描かれています。他にも大阪での熊吾の事業の開始や観音寺のケンなるヤクザとの出会い、友人の娘・麻衣子と夫・井手とのトラブルなど物語が大きく動いていきます。

ランドセルは大きめ

伸仁が初めて小学校に登校する日、心配な母・房江はあとを尾けていきます。「セルロイドのケースに入れた定期券を、太いひもで首からぶら下げ、あちこちの景色を眺めながら、運転席の横の手すりに凭れていた」という出で立ち。 初老のサラリーマンからは「きみは、そのランドセルのなかに入りそうやな」とからかわれます。 下に引用させていただいたような姿だったかもしれません。他にも様々な出来事があるほほえましい場面です。

テントパッチ工業株式会社

熊吾は思いついた商売を3つ同時に始めます。一つ目は消防用のホースの修繕をする会社。懇意にしている筒井医師の義弟が発明した接着剤をもとにしています。下に引用させていただいたのは今の消防用ホースの写真です。家庭用のホースなどと比べると太さが全く違いますね。この業務のために「ビルの3階に事務所を設け・・・若い男の社員を3人雇った」とあります。

https://twitter.com/tarumi_fire/status/1222795400123277314

ジャンクマ

更に、神戸の中華街で働いていた台湾出身の腕のいいコックを引き抜きビルの2階に中華料理店をオープン。1階では「ジャンクマ」なる雀荘を営業開始します。ここでは「人数の足りない卓の相手を」するなどして忙しく働きます。下に引用させていただいたのは中国の娯楽施設(麻雀室)での一コマとのこと。この中の一人に熊吾の姿を重ねてみます。

観音寺のケン

学校にいくのも危ぶまれた伸仁ですが短期間でたくさんの知人や友人を作ります。その中の一人が観音寺のケン。信仁いわく「このへんの顔利き・・・人を6人も殺し、いままた7人目を殺すために神戸に行った」というヤクザでした。伸仁をかわいがり神社などで遊んでいるとラムネやガムを買ってもらうほどの仲。あるおでん屋で熊吾とケンが出会う場面も見どころの一つです。下に引用させていただいたのは熊吾のいた当時(昭和28年ごろ)のやくざ映画の写真。当時の任侠のイメージがわかります。ちなみにケンの姿は「髪をポマードでオールバックにし、もみあげを長く伸ばし・・・左の顎に火傷の跡があったが、どこか理知的な目をしていた」とあります。

井手と麻衣子

上海で懇意にしていた周栄文の娘・麻衣子と京都大学で研究をしている井手秀之とは結婚していましたが井手が元の妻と頻繁に会っているという事実が判明。ひと悶着が起こります。下に引用させていただいたのは当時、京大前にあった「百万遍」なる電停周辺の写真です。ここで麻衣子が電車を待っていると期せずして井手と元妻の密会を発見することになります。

旅行の情報

百萬遍知恩寺

このお寺は麻衣子が井手の浮気現場を目撃する百万遍の交差点にあります。京都大学に隣接した浄土宗の寺院。鎌倉時代の末期疫病がはやった際、こちらの住職が百万遍の念仏を唱えて鎮め、後醍醐天皇から「百萬遍」の名を賜ったとの言い伝えがあります。毎月15日には手作り市が開催され雑貨やスイーツ、パンなどのお店でにぎわいます。
【住所】京都府京都市左京区田中門前町103
【電話】075-781-9171
【アクセス】京都駅からバスで約30分
【参考サイト】 http://chionji.jp/

哲学の道

井手との新居から麻衣子が家出をして宿泊していたのは銀閣寺そばの旅館でした。「疏水沿いの黒塀に囲まれた二階屋」とあります。琵琶湖疎水沿いに続く「哲学の道」を歩くとこの小説の雰囲気を感じられるかもしれません。京都大学の哲学者・西田幾多郎(にしだきたろう)などが散歩をながら思索した場所としても有名なスポット。周辺にはおしゃれなカフェやショップも点在しています。
【住所】京都府京都市左京区浄土寺石橋町~若王子町
【アクセス】京都駅からバス乗り換え銀閣寺道で下車
【参考サイト】https://tetsugakunomichi.jp/