宮本輝著「血脈の火」の風景(その3)

戦後日本の風景

浦辺ヨネ

浦辺ヨネは熊吾の愛媛時代の幼馴染。わうどうの伊佐男との子を妊娠した後、大阪で暮らし「正澄(まさずみ)」という子を産みます。ちょうどその頃、城崎温泉でひっそりと店を営んでいた丸尾千代麿の愛人が亡くなりその子供の対処に困っていたところ。職を探すために熊吾を頼ってやってきたヨネに城崎のお店を譲渡する代わりに子供(とその母)の面倒を見てくれないかと打診します。下に引用させていただいたのは城崎温泉の現在の写真です。温泉街にある橋は昭和初期に造られたもの。今後、小説のもう一つの舞台になる城崎周辺を歩く熊吾たちの姿を想像してみます。

熊吾の作ったきんつば

食通の熊吾は心斎橋でおいしいきんつばを食べると「それがえらい気に入って、作り方をおしえてもらいはった」とのこと。「夜中に、小豆を煮たり、寒天を溶かして、練った小豆に混ぜたり、皮にするメリケン粉の粉を練ったり・・・」してやっとできたのは夜中の2時でした。下に引用させていただいたのは美味しそうな自家製きんつばの写真。伸仁は夜中に起こされて食べさせられ、タネ(妹)の家などにも大量に配ります。最初はお店より美味しいと喜んだタネですが3日置きに届けられて食傷気味になる場面もあります。

給食を無理やり・・・

伸仁の担任から電話があり「残した肉を食べるまで帰しませんので、遅くなっても心配しないように」との伝言があります。「お昼から夜(7時20分)まで、頑として肉を食べへんかった」とのこと。「好き嫌いが多いから、先生がそれを直そうとしてくれはったんや」という房江に対し「食えへんを食えと強要しつづけるのは、教育でなくて拷問じゃ」と決めつける熊吾の姿がありました。下に引用させていただいたのは現在でも食べられる復刻版の給食セット。嫌いなメニューを我慢して食べた記憶がある方もいらしゃるのでは?

力道山の活躍

当時はテレビでは力道山などが活躍していた時代。テレビのあるお店はその時間になると賑やかになります。「喫茶店の前では、窓の隙間からテレビの画面をのぞき見する男たちが道をふさいでしまい、それを立ち去らせようとしてやって来た警官までがテレビを盗み見ていた」という光景。下に引用させていただいたのは小説と同時代の1953年のテレビの場面です。空手チョップをしているのは力道山でしょうか。ちなみに、真似をして遊んでいた伸仁が勢い余ってトラックのバンパーに手をぶつけ手を負傷する微笑ましい場面もあります。

ミッキーの映画も

伸仁の子供時代はアメリカからの文化が急速に広まった時代。小説では「アメリカのウォルト・ディズニーという人が創った漫画映画」を観につれて行ってやると誘われる場面があります。「ミッキー・マウスやろ?」と嬉しそうに聞き返す伸仁。「小学校の講堂に映写技師が来て、写してくれた」とのことです。下に引用させていただいたのは昭和初期のミッキーマウスが搭乗するディズニー映画の一場面。今とは大分印象が異なりますが信仁が見たのはこのようなミッキーだったかもしれません。

旅行の基本情報

城崎温泉

浦辺ヨネをはじめとしてこの小説の主要な人物が何度も訪れることになる場所。この温泉は約1300年前の開湯で志賀直哉などの小説の舞台としても有名です。今でも7つの共同浴場が残るなど昭和の風情が残るレトロなスポット。おしゃれなカフェやお土産屋もたくさんあります。スマートボールや射的場なども熊吾の時代にタイムスリップできそうなお店も点在します。
【住所】兵庫県豊岡市城崎町湯島
【電話】0796-32-3663(城崎温泉観光協会)
【アクセス】JR城崎温泉駅で下車
【参考サイト】https://kinosaki-spa.gr.jp/

カフェ&バー・ブルヴァール

伸仁の給食が食べられない問題の場面で登場した再現給食のお店。昭和の町として知られる大分県の豊後高田市にあります。チキン南蛮やとり天などの地元グルメのほか懐かしの学校給食メニューも提供。おかずには鯨の竜田揚げや揚げパン、ナポリタンなど食べていると昔を思い出しそうな料理が目白押しです。
【住所】大分県豊後高田市新町3-992-23
【電話】0978-22-3761
【アクセス】宇佐駅から車を利用
【参考サイト】https://www.showanomachi.com/spots/detail/12