宮本輝著「血脈の火」の風景(その6)

新しい事業を開始

昭和20年代の終わり

「一家のためのおせち料理作りにやっと取りかかった房江は、明日が昭和20年代最後の日であることをラジオのニュースで知った」とあります。房江は「敗戦という事態を迎え、被占領国となり、世情は混乱して収恰がつかず、食べるものも着るものもなく・・・」 という20年代初期を思い返します。 下に引用させていただいたのは昭和29年の8月の新聞の写真。将棋界を引退されマスコミにも頻繁に登場する加藤一二三氏が4段に昇格した時の記事です。まだ戦地での生死不明の人も多かった時代ですがこのような明るい話題も増えていました。

クリスマスプレゼント

昭和20年代最後のクリスマスで伸仁がもらったクリスマスプレゼントはおもちゃの長い日本刀でした。枕元の靴下の中に入っていたのも現在と同じスタイル。「漫画の主人公のお面を頭に載せて」チャンバラで遊んでいました。下に引用させていただいたのは鉄腕アトムのお面を付けた昭和時代の子供たちの写真です。アトムは昭和27年から雑誌「少年」に連載された人気作品。伸仁が着けていたのもアトムだったかもしれません。ここでは道で出会った見知らぬ「並外れた大男」から「そのお面は坊によく似てござるな」と声をかけられ驚いて逃げ帰ってくる伸仁の姿を想像してみます。ちなみにこの大男はこの後、ある事件を起こすことに!詳細は本文にてお楽しみください。

戎橋・心斎橋で

明けて昭和30年・正月の3日に熊吾は家族3人で映画鑑賞や買い物にでかけます。映画館からデパートに向かう移動中のタクシーにて、熊吾は房江にプロパンガス屋から身をひき「きんつば屋」を始めたいとを打ち明けます。戎橋で降りて心斎橋筋を歩きますが「あまりの人出で寸刻みにしか進めず」という状況。あきらめて帰ろうとしますが伸仁がいないことに気付きます。下に引用させていただいたのは同時代(昭和30年代)の戎橋界隈の写真です。ここでは迷子になった伸仁を必至になって見つけようとする2人の姿をイメージしてみます。

きんつば屋を開店

「船津橋の前にあるから、ふなつ屋」ときんつば屋の名前も決定。 早くも1月7日にきんつば屋を開店します。最初のお客は「自転車の荷台に機械の部品を積んだ16、7歳の少年」でした。「一個でも売ってくれるかなァし」と10円玉を出す少年に対し「金は次からでええけん。ここを通ったら、ふなつ屋のきんつばを買うてやんなはれ。日本一うまいけん、いろんなとこで宣伝してやんなはれ」とサービスします。下に引用させていただいたのは或るきんつば店の写真です。手作り感がある良さそうなお店。中から熊吾の元気な声が聞こえてきそうです。

旅行の情報

出入橋きんつば屋

大阪・堂島の出入橋の近くにある昭和5年創業の和菓子店です。周辺は宮本輝氏が少年時代を過ごした場所。執筆時にこのお店の商品にも思いを馳せられたかもしれません。小豆と砂糖、塩、寒天などのシンプルな材料で作られた食べ物で上品な甘さが人気になっています。1個100円のコスパも人気のポイント。それでも熊吾のきんつば(1個10円)と比べると物価の変化が感じられます。
【住所】大阪府大阪市北区堂島3-4-10
【電話】06-6451-3819
【アクセス】北新地駅から徒歩で約5分

本高砂屋

本高砂屋は神戸に本店を置き、全国展開する明治時代創業の和洋菓子店。看板商品になっている「高砂きんつば」は今でも職人が一つずつ手焼きする手間のかかる商品です。もともと「きんつば」は刀のつばに形が似ていることに由来。江戸で流行っていたその商品を現在のような角型に改良したのがこのお店です。ちなみに、熊吾のきんつばも同様の角型ですが芋を入れたり皮に片栗粉を混ぜたりと工夫がされています。本高砂屋では季節により皮に桜葉や抹茶を練り込んだものや餡に栗を入れたものなどもラインナップ。見た目も美しく贈答用としてもおすすめです。
【住所】 大阪市北区角田町8-7(阪急うめだ本店)
【電話】 06-6361-1381
【アクセス】梅田駅から徒歩で約1分
【参考サイト】 https://www.hontaka.jp/