内田百閒「第三阿房列車」の風景(その3)

隧道の白百合・四国阿房列車

「次は四国に渡ろう」と考えた先生は山系君とルートを練り、「大阪港から船に乗り、室戸岬を廻って高知へ上陸」、「土讃線に乗り、阿波池田で徳島本線に乗り換えて徳島へ行く」ことにします。そして、昭和二十九年の四月「十二時半発の第三列車、特別急行『はと』」で東京を発ちました。今回は先生が旅先で体調を崩したため、お酒や食べ物があまり登場しない少し寂しい旅になります。

「はと」に乗車

特急「はと」は特別阿房列車(第一阿房列車その1の風景・参照)以来、先生がたびたび利用しています。今回も「一番好きな『はと』に揺られて、申し分のない半日」を過ごしました。

下に引用させていただいたのは当時の「はと」の雄姿です。こちらの列車の窓から「今日は海が格別に綺麗で、沖の方まですがすがしい色を湛えている」というような由比(ゆい)の海を眺める先生の姿を想像してみます。

関西汽船で高知へ

経由地の大阪に着いたころから先生は体調の不調を感じ始めました。「酒のにおいが鼻について飲めない。麦酒も飲みたくない」という先生としては異常な状態が、風邪が悪化を表しています。予定していた天王寺動物園の観光もあきらめ、そのまま海路で高知に向かいます。

乗り込んだのは関西汽船の須磨丸(すままる)という客船でした。下には同時代のものと思われる関西汽船のパンフレットの写真を引用させていただきます。こちらの写真では穏やかな波の上を走っていますが、先生の旅行時は波が高く「紀淡海峡と思われる辺りと、明け方近くの室戸岬では、大変なピッチングとローリングで、寝ていて何かにつかまらなくてはならない位だった」とのことです。

ここでは客室で「あんまりひどいので、揺られながら可笑しくなった」という先生の姿を思い描いてみましょう。

ごちそうやお酒が欲しくない!

高知では少し元気を取り戻して桂浜や播磨屋橋(はりまやばし)などに出かけ、夜になるとお客さんを迎えて晩餐を催します。そこでは下に引用させていただいたような高知名物「さわち料理」が提供されました。

ところが「高知の『さわち』で有名な鯛のいけづくりも出たが、私は何も欲しくなかった」とあります。さらに「昨夜の船のサロンではまだ飲めたけれど、今日はお酒も飲みたくない」という状況です。最後にはお客さんのお相手を「山系君にまかして先に寝てしまった」とあります。

徳島→鳴門へ予定変更

高知からは「初めのつもりでは徳島へ行く筈であったが、高松の管理局のすすめに従い、高松から自動車で鳴門へ行く事に変更」することになりました。そして「十時発の一〇六列車二三等準急行南風号で高松へ向かった」とあります。ちなみに「南風」の名前は今も引き継がれ、一部は「アンパンマン列車」という観光列車としても人気です。

「南風」の名称は、1950年10月1日高松桟橋駅 – 須崎駅間の準急列車に四国鉄道管理局が「南風」と名付けたのが最初で、公募により決定された。

出典:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%A2%A8_(%E5%88%97%E8%BB%8A)

この日は体調が悪かったせいか、準急「南風」の沿線の景色については感想を述べておらず、高松から鳴門へ自動車に向かう途中に「大坂越の峠がある」と記されているのみです。大坂峠は香川県と徳島県の境界付近にある難所で、当時は下に引用させていただいたような峠を超えなければなりませんでした。

「鳴門の旅宿に著いた時は、口も利けなかった」ほど弱っていた先生は、こちらのような絶景を眺める余裕はなかったのではないでしょうか。

出典:Sorrysorry, CC0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Osakatoge.jpeg

鳴門でうずしお観光

鳴門で一泊し「いくらか気分が軽い」と感じた先生は、鉄道関係者の案内で鳴門の渦潮を観光に行きます。当時は大鳴門橋などの手軽な観光スポットはなく、船で近くに行って眺めるのが定番でした。

「宿のモーターボートは屋形になっていて、硝子窓がはまっているから風が当たる心配はない」とのこと。先生が観光したのは旧暦3月14日、現在の4月初旬なので鳴門名物「春の大潮」が見られるシーズンでした。「潮が高く大きな渦が巻いて、その傍らを私共の船が通るのがこわかった」と記しています。

下に引用させていただいたのは戦前の鳴門海峡の写真です。奥に見える船にスリルを味わう先生たちの姿を置いてみましょう。

フェリーからの夜景

大鳴門橋がなかった当時は四国⇔近畿の主要交通として多くの客船が運行していました。先生は徳島・小松島港から大阪行きのフェリーに乗船します。船窓から淡路島付近の夜の景色を眺め「暗い山の上に薄明かるい空がひろがり、ぼんやりした春月がかかっている」と描写します。

下に引用させていただいたのは昭和時代のフェリーの広告写真です。例えば徳島フェリーのあわ丸(写真右下)の大きさは1,051.22総トンとの情報があります(ウィキペディア「徳島フェリー」より)。一方で先生たちが乗った関西汽船・太平丸は「千噸(トン)に少し足りない」とあるので、こちらより少し規模が小さめの船をイメージしておきましょう。そして夜の客船に、高熱に苦しむ先生を氷の手拭いで懸命に看病する山系君の姿を置いてみます。

大阪へ到着

「大阪港の天保山桟橋の前に、本船の入港を迎えてタクシイが一ぱい詰め寄せている」とあります。「一足先に行った山系君が、客引きに来た運転手と契約」しますが、先生は「足が云う事をきかないので」山系君と離れてしまい、「別の運転手が、幾人も近づいて来て、自分の車に乗せようとする」とのことです。

下には大正から昭和にかけて客船の発着で賑わった天保山桟橋の写真です。ここでは右側の通路に、タクシーの運転手を避けながら歩く先生の姿を置いてみましょう。

出典:「大阪 天保山桟橋」大阪市立図書館デジタルアーカイブより
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=c0289001

帰りは特急つばめ

先生は途中で病院に立ち寄ったあとに大阪駅へ。乗り込む列車は朝九時発の特急「つばめ」です。「『つばめ』に間に合う支度をするなぞと云うのは難中の難事であって、先ずその見込みはない。初めから諦めた方がいい」と思っていた先生ですが、風邪のおかげ(?)で乗れることになりました。

下にはその「つばめ」の写真を引用させていただきました。ここでは最後尾にある「展望車に身体を沈めて、後へ後へと遠ざかって行く線路や沿線の景色を眺める」先生の姿をイメージしてみます。

出典:本田正雄 (Masao Honda), Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:JNR_C62_36_%22Tsubame%22.jpg

大津駅での見送り

当時「山系君の友人で、又私の阿房列車の一番初めの『特別阿房列車』以来知り合った甘木君」が大津の「駅長になって赴任して」いました。その甘木君から「通過列車をホームで見送るから、展望車のデッキに出ていてくれ」との連絡がきます。

下には急行「つばめ」の展望車側から撮影した写真を引用させていただきました。大津駅を通過する際、ここから白い手袋をした先生が手を振る姿を「四国阿房列車」のラストシーンとしましょう。

出典:『75年のあゆみ』(阪急電鉄、1982年10月)P52, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hankyu_Kasuganomichi_Station_and_Tsubame.jpg

観光の情報

天王寺動物園

四国に渡る前、大阪で百閒先生が訪問したいと考えていた大阪最大の動物園です。風邪を引いた先生は「ライオンも猿も私を待ってはいない」といっていますが、他にもたくさんの動物が飼育されています。

アフリカをイメージしたゾーンにはキリンなどの草食動物とライオンなどの肉食動物が近くで生活し、本物のサバンナのような雰囲気を楽しめます。ほかにもレッサーパンダやホッキョクグマなども先生の時代よりもメンバーも豊富で、下に引用させていただいたようなかわいいショットを撮影できることも!売店やレストランもあり1日中遊べます。

基本情報

【住所】大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-108
【アクセス】大阪メトロ動物園前駅から徒歩約5分
【参考URL】https://www.tennojizoo.jp/

土佐料理・司

高知の旅館で提供された皿鉢料理(さわちりょうり)は、有田焼などの大きなお皿に刺身やお寿司、揚げ物、煮物などが豪華に並べたおもてなし料理です。今でも高知市内の多くのお店で提供されていて、中でも創業100年以上になる土佐料理・司(つかさ)は人気のお店となっています。

こちらの皿鉢料理は鰹のタタキやお刺身のほか、「土佐珍味どろめ」なる生シラスや鰹の角煮などの珍味、高知風のさつま揚げ・土佐天などを詰め込んだバラエティー豊かな内容です。皿鉢料理のコースは複数あるので詳細は公式サイトでご確認ください。

基本情報

【住所】高知県高知市はりまや町1-2-15
【アクセス】はりまや橋駅から徒歩約1分
【参考URL】https://kazuoh.com/

鳴門の渦

5日目に少し体が軽くなった先生が見に行った名所です。うず潮とは海峡が急激に狭くなっていることが原因で起きる波の自然現象で、下に引用させていただいたような巨大な渦ができることもあります。

今では大鳴門橋ができたため「渦の道」なる散策路から気軽に観光ができますが、当時は観測船が唯一の観光手段でした。先生と同じく船で体感したい方には「うずしおクルーズ」などをご利用ください。大型船なので揺れにくく酔いやすい方でも安心してご利用できるでしょう。

基本情報

【住所】徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦字福池65-63
【アクセス】JR鳴門駅からバスに乗り換え、亀浦口で下車
【参考サイト】https://www.uzushio-kisen.com/