村上春樹「羊をめぐる冒険」の風景(その1)

1970年頃の回想から

「羊をめぐる冒険」は、1970年の大学時代の夏休みを舞台とした「風の歌を聴け(風の歌を聴けの風景その1・参照)」とその三年後、社会人になった「僕」が描かれる「1973年のピンボール(1973年のピンボールの風景その1・参照)」に続く、「鼠三部作」の三作目となります。

ある日、友人から「僕」が大学時代に付き合っていた女が事故でなくなったという連絡がきました。女の葬儀に参列した「僕」は、久しぶりに彼女のことを思い出します。当時、彼女は週に一回泊りに来て、近くの国際基督教大学のキャンパスまで散歩をするのがお決まりのルートでした。そんなある日、世間を騒がせる大事件が起きますが・・・・・・。

友人からの電話

「羊をめぐる冒険」は1978年、「僕」が二十九歳のころの物語です。「新聞で偶然彼女の死を知った友人が電話で僕に知らせてくれた」というところから始まります。

友人が読み上げる記事によると「何月何日、どこかの街角で、誰かの運転するトラックが誰かを轢いた。誰かは業務上過失致死の疑いで取り調べ中」とのこと。「大学を出たばかりの駆け出しの記者が練習のために書かされたような文章だった」とあります。

「僕」は彼女の「葬儀の日、僕は早稲田駅から都電に乗」りました。下に引用させていただいたのは昭和54年(1979年)の都電の風景です。こちらの写真(左側)の中に、二十九歳の「僕」が電車に乗り込むところをイメージしてみましょう。

静かな葬儀

「終点近くの駅で降りて区分地図を広げてみたが、地図は地球儀と同じ程度にしか役に立たなかった」とのこと。「僕」は道を訊きながらなんとか彼女の実家に辿りつきました。

ウィキペディア(東京都電車)によると、都電は「1972年以降は、荒川区の三ノ輪橋停留場と新宿区の早稲田停留場を結ぶ12.2 kmのみが運行されている。」とのこと。具体的な場所については触れられてはいませんが、下には終点(三ノ輪橋停留場)にも近い荒川区南千住の写真を引用させていただきました。

こちらの周辺に彼女の実家があったと仮定して、「彼女が十六の歳に家を飛び出したきり、というせいもあって、葬儀は身内だけのひっそりとしたものだった」という風景をイメージしてみましょう。

学生が集まる喫茶店

ここからはしばらく「僕」の追憶の場面になります。
「僕がはじめて彼女に会ったのは一九六九年の秋、僕は二十歳で彼女は十七歳だった。大学の近くに小さな喫茶店があって、僕はそこでよく友だちと待ちあわせた。たいした店ではないけれど、そこに行けばハードロックを聴きながらとびっきり不味いコーヒーを飲むことができた。」とあります。

喫茶店のモデルとされるのは西早稲田の「MOZZ」というジャズ喫茶といわれています。下は「MOZZ」のあったビル周辺のストリートビューです。現在は他の店舗が入っていますが、当時の「MOZZ」は写真中央(電柱の裏側)のビルの2階にありました。

こちらの2階に「いつも同じ席に座り、テーブルに肘をついて本を読み耽っていた。歯列矯正器のような眼鏡をかけて骨ばった手をしていたが、彼女にはどことなく親しめるところがあった。」という彼女の姿を置いてみます。また、「僕」がビル左下の階段を上って彼女に会いにいくところも想像してみましょう。

彼女の読んだ本や聴いた音楽

彼女の読んでいたのは「ある時にはそれはミッキー・スピレインであり、ある時には大江健三郎であり、ある時には『ギンズバーグ詩集』であった」とのこと。

また、流れていた曲は「ドアーズ、ストーンズ、バーズ、ディープ・パープル、ムーディー・ブルーズ、・・・・・・」などでした。

下に引用させていただいたのはドアーズが1967年にリリースした「Light My Fire(邦題:ハートに火をつけて)」という曲です。この曲を聴きながらこちらのジャズ喫茶の雰囲気を想像してみます。

当時の大学生活

「六九年の冬から七〇年の夏にかけて、彼女とは殆ど顔を合わせなかった。大学は閉鎖とロックアウトをくりかえしていたし、僕は僕でそれとはべつにちょっとした個人的なトラブルを抱え込んでいたのだ。」とあります。

下に引用させていただいた投稿の左側の写真は、当時の早稲田大学の学生同士が対立し、もみあっているシーンの写真です。

「七〇年の秋に僕がその店を訪れた時、客の顔ぶれはもうすっかり変わっていて、知った顔は彼女ひとりという有様だった。」とのこと。彼女の「昔の連中の話をした。彼らの多くは大学をやめていた。一人は自殺し、一人は行方をくらませていた。」とあります。

彼女「一年間何をしていたの?」
僕「いろいろさ」
彼女「少しは賢くなったの?」
僕「少しはね」
「そしてその夜、僕ははじめて彼女と寝た」

ICUのキャンパスを散策

1970年、「その年の秋から翌年にかけて、週に一度、火曜日の夜に彼女は三鷹の外れにある僕のアパートを訪れるようになった。彼女は僕の作る簡単な夕食を食べ、灰皿をいっぱいにし、FENのロック番組を大音量で聴きながらセックスをした」。

下にはウルフマン・ジャック・ショーの動画を引用させていただきました。ウルフマン・ジャックは小林克也さんや赤坂泰彦さんなどにも大きな影響を与えた伝説のラジオDJです。

そして「水曜日の朝に目覚めると雑木林を散歩しながらICUのキャンパスまで歩き、食堂に寄って昼食を食べた。そして午後にはラウンジで薄いコーヒーを飲み、天気が良ければキャンパスの芝生に寝転んで空を見上げた」とあります。

彼女「ここに来るたびに、本当のピクニックに来たような気がするのよ」
僕「本当のピクニック?」
彼女「うん、広々として、どこまでも芝生が続いていて、人々は幸せそうに見えて・・・・・・」

下に引用させていただいたのは現在のICU(国際基督教大学)のキャンパス内の景色です。こちらの写真の人物に二人の姿を重ねてみましょう。

奇妙な午後

そんな生活が続いたある水曜日のこと、「一九七○年十一月二十五日のある奇妙な午後を、僕は今でもはっきりと覚えている。」とあります。

「我々は林を抜けてICUのキャンパスまで歩き、いつものようにラウンジに座ってホットドッグをかじった。午後の二時で、ラウンジのテレビには三島由紀夫の姿が何度も何度も繰り返し映し出されていた。」とのことです。

出典:ANP scans 8ANP 222), CC BY-SA 3.0 NL https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/nl/deed.en, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mishima_Yukio_1970.jpg

上に引用させていただいたのは「僕」が見ていたと思われる「三島事件」の一場面です。作家の三島由紀夫が憲法改正のため憲法改正のために自衛隊に決起を呼びかけ、そのあと割腹自殺をするという衝撃的な事件でした。

ですが、ここで「僕」は「ヴォリュームが故障していたせいで、音声は殆ど聞きとれなかったが、どちらにしても我々にとってはどうでもいいことだった。」と述べています。

旅行の情報

国際基督教大学(ICU)

1970年から71年ごろ「僕」が彼女とデートした場所として登場する大学です。守衛さんのところで目的や名前を記入すれば一般人も入場が可能なため、「僕」と同じようなエリアを散策することができます(最新情報をご確認ください)。

「広々として、どこまでも芝生が続いていて、人々は幸せそう」という「水曜日のピクニック」の風景を見られるかもしれません。下にはそのような美しい芝生の景色を引用させていただきました。

基本情報

【住所】東京都三鷹市大沢 3-10-2
【アクセス】三鷹駅でバスに乗り換え「国際基督教大学」で下車
【公式URL】https://www.icu.ac.jp/

ジャズナッティ

上でも紹介したように、ジャズ喫茶「MOZZ」は残念ながら既に廃業しています。現在の早稲田周辺で、老舗ジャズ喫茶として営業を続けているのが「ジャズナッティ」です。

インテリアは下に引用させていただいたようなレトロな雰囲気で、大きなスピーカーからは高い音質のジャズが流れ、じっくりとジャズを楽しめるでしょう。

なお、MOZZでは「とびっきり不味いコーヒー」が提供されたとのことですが(?)、「ジャズナッティ」のコーヒーはすっきりして飲みやすいとの口コミもあります。コーヒー以外のアルコール類もワンコイン程度と価格が控えめなのもうれしいポイントです。

基本情報

【住所】東京都新宿区西早稲田1-17-4
【アクセス】早稲田駅から徒歩約1分
【参考HP】https://ameblo.jp/jazznutty/