村上春樹「羊をめぐる冒険」の風景(その7)

「羊の写真」の場所へ

「羊の写真」の場所は羊博士が暮らしていた牧場で(羊をめぐる冒険の風景その6・参照)、十二滝町という札幌から遠い場所にあるとのこと。「十二滝町の歴史」という本によると、鉄道の線路は約100年前に最初の開拓民たちが辿った道に沿って敷かれていました。麓の町まで辿りついた「僕」は牧場の管理人を紹介してもらい、最終目的地に向けて出発します。

十二滝町の歴史

「札幌から旭川へ向う早朝の列車の中で、僕はビールを飲みながら『十二滝町の歴史』という箱入りのぶ厚い本を読んだ。十二滝町というのは羊博士の牧場のある町である」とのことです。以下には「十二滝町の歴史」から一部を抜粋してみましょう。

「現在の十二滝町のある土地に最初の開拓民が乗り込んできたのは明治十三年の初夏であった」
「札幌の近くにあったアイヌ部落に立ち寄り、なけなしの金をはたいてアイヌの青年を道案内に雇った。目の暗い、やせた青年で、アイヌ語で『月の満ち欠け』という意味の名前をもっていた」

下には明治時代に撮影されたアイヌの人たちの写真を引用しました。こちらの中のどなたかを「月の満ち欠け」の青年に見立ててみましょう。

出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:AinuGroup.JPG


「農民たちが肥沃な平野部を避けてわざわざ未開の奥地を探し求めていたのにはもちろんそれなりのわけがあった。彼らは実は全員が多額の借金を踏み倒して夜逃げ同然に故郷の村を出てきたので、人目につきやすい平野部は極力避けねばならなかったのである」
「塩狩峠を越えて四日北に進んだところで一行は東から西に流れる川にでくわした。そして合議の末、東に進むことになった」

下には天塩川の支流・ペンケニウプ川周辺のストリートビューを引用しました。こちらの川を「東から西に流れる川」に見立てて、東に進む農民たちの姿をイメージしてみます。

「彼らは海のように生い繁った熊笹をわけ、背丈よりも高い草原を半日がかりで横切り、胸まで泥につかる湿地を横切り、岩山をよじのぼり、とにかく東へと進んだ」

下には美深駅方面から仁宇布に到る北海道道49号・美深雄武線のストリートビューを引用しました。現在はこちらのような立派な道路ができていますが、明治十三年頃はまだ未開の地だったと思われます。

「手は熊笹のために血だらけになり、ブヨや蚊はところかまわず貼りつき、耳の穴にまで潜り込んで血を吸った」というような有様でした。

その後「東に進んで五日め、彼らは山に遮られてこれ以上は前に進めないというところまで到着した。とてもじゃないがこれより先に人は住めない、と青年は宣言した。そして農民たちはようやくその歩みを止めた。明治十三年七月八日、札幌から道のりにして二六〇キロの地点である」

「僕」たちも同じルートで

「我々は旭川で列車を乗り継ぎ、北に向って塩狩峠を越えた。九十八年前にアイヌの青年と十八人の貧しい農民たちが辿ったのとほぼ同じ道のりである」とあります。

下に引用したのは昭和14年に建てられた塩狩駅の写真です。「羊をめぐる冒険」は昭和53年頃のお話ですので、「僕」もこちらの駅舎を見ていたと思われます。

出典:Mr-haruka, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E5%A1%A9%E7%8B%A9%E9%A7%85040611.JPG

通学する高校生たちがいなくなってしまうと「列車は再びがらんとして、話し声ひとつ聞えなくなった」とのこと。
「彼女はしばらくかすれた口笛で「ジョニー・B. グッド」のメロディーを小さく吹いていた。我々はこれまでになりくらい長く黙っていた」とあります。下にはチャック・ベリーが歌う「ジョニー・B. グッド」のYouTubeを引用させていただきました。

旭川駅・美深駅を中継

「我々は旭川で列車を乗り継ぎ、北に向かって塩狩峠を越え」、「典型的な小規模の地方都市」がある駅に到着しました。こちらの駅のモデルは美深駅ともいわれています。

下には美深町役場の公式サイトから昭和41年(1966年)のイベント時の街の写真を引用させていただきました。こちらの写真を「小さなデパートがあり、ごたごたとしたメイン・ストリートがあり・・・・・・」という風景に重ねてみましょう。そして、電車の待ち時間に彼女が周辺を一人で散歩し、商店街でりんごを一袋買って戻ってくるところもイメージしてみます。

出典:美深町役場公式サイト,美深町のあゆみ 1857年~2014年,第2回商工まつり ミス美深の市中行進(昭和41年7月25日)
http://www.town.bifuka.hokkaido.jp/cms/section/soumu/qlmcaj0000003y6f.html

全国で3位の赤字線?

「列車が終点である十二滝町の駅に着いたのは二時四十分だった」とのこと。こちらの駅については昭和60年(1985年)に廃線となった美幸線の仁宇布駅がモデルという説が多く見られます。

到着した二人は「五百メートルほどの商店街を端まで歩き、旅館を探し」ますが見つかりません。「駅に引き返して駅員に旅館の場所を訊ねた。親子ほど年の違う二人の駅員は死ぬほど退屈していたらしく、おそろしく丁寧に旅館の場所を説明してくれた」とあります。

上に引用させていただいたのは昭和時代の仁宇布駅の写真になります。こちらの駅舎の中での「僕」と駅員との会話を抜粋してみましょう。

年配の駅員「旅館は二つあるんだ・・・・・・ひとつはわりに高くて、ひとつはわりに安い。高い方は道庁の偉いさんが来た時とか、改まった宴会をやる時に使うんだ」
若い駅員「食事はなかなか良いよ」
年配の駅員「もうひとつの方は行商人とか、若い人とか、まあごく普通の人が泊まるね。見ばえは悪いけど、不潔とかそういうんじゃないな。風呂はなかなかのもんだよ」
若い駅員「でも壁が薄いね」
僕「高い方にしますよ・・・・・・ありがとう」
若い駅員「でも、十年前に比べると、ずいぶん町も淋しくなりましたね」
年配の駅員「うん、そうだねえ」

そして「僕」たちに向かって
年配の駅員「この線だってさ、あんた、いつなくなるかわかんねえよ。なにせ全国で三位の赤字線だもんな」

出典:美深町役場公式サイト,美深町のあゆみ 1857年~2014年,美幸線サヨナラ列車(昭和60年9月16日)
http://www.town.bifuka.hokkaido.jp/cms/section/soumu/qlmcaj0000003y6f.html

ここでは再度、美深町役場公式サイトから美幸線のサヨナラ列車の写真を引用させていただきました。上でも述べたように「羊をめぐる冒険」から7年後の1985年に廃線となってしまいます。

なお、廃線にはなりましたが一部の線路は今も観光用途に再利用されていて、当時の電車からと同様の景色を見ることができます。詳細は「トロッコ王国美深」をご覧ください。

牧場の管理人の話

「僕」は一人で町役場に行き、写真の牧場について聞き込みを行いました。そこで、牧場の羊を管理している男を紹介してもらい、牧舎のある管理人の住居まで車で送ってもらいます。

「僕が牧舎に入ると、二百頭の羊がちは一斉に僕の方を向いた。半分ばかりの羊は立ち、あとの半分は床に敷きつめられた枯草の上に座っていた」とのこと。下には「ひるがの高原・牧歌の里」公式サイトから羊さんたちの写真を引用させていただき、「彼らはじっと僕を見つめていた。誰も身動きひとつしなかった」というシーンをイメージしてみましょう。

牧場の管理人によると「別荘の持ち主(=鼠)」が今もその牧場にいるはずとのこと。更に、次の日には管理人に車で牧場まで送ってもらう約束をして旅館に帰りました。

彼女「やっとこれでゴールの手前まで来たみたいね」
僕「だといいけれどね」

そして「我々はヒッチコックの映画を観てから、布団にもぐり込んで灯りを消した」とあります。上にはヒッチコックの代表的な映画「鳥」の予告篇を引用させていただきました。「動物パニック映画」のさきがけともいわれ、鳥が人を襲うシーンは衝撃的です。

「意識がたかぶって、どうしても寝付けなかった」とありますが、現実の出来事に対する興奮だけでなく、ホラー映画の影響もあったもしれません。

いよいよ牧場へ

次の日「僕」たちは牧場の管理人のジープで、牧場まで向かいます。「ジープは箱型の屋根付きで、払い下げ品らしくボンネットのわきには自衛隊の所属部隊名が薄く残っていた」とあります。

下に引用したのは「自衛隊香川地方協力本部所属」のジープの写真です。こちらの後部座席に「僕」と彼女を、運転席には元自衛隊で「新兵教育係の下士官」を思わせるがっしりとした体格の牧場管理人の姿を置いてみましょう。

出典:まも, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:JGSDF_Type_73_Light_Truck_3259.JPG

管理人「おかしいんだよ・・・・・・昨日念のために山の上に電話を入れてみたんだが、まるで通じねえんだ」
僕「最後に電話をかけたのはいつですか?」
管理人「先月の二十日頃。それ以来一度も連絡してないな。だいたい用事がありゃ向うからかかってくるからね」
彼女「ベルも鳴らないの?」
管理人「ああ、うんともすんとも言わないんだ・・・・・・ともかく行ってみようや」

そうして、鼠が暮らしている(と思われる)山の上の牧場へと向かいました。

旅行などの情報

トロッコ王国美深

美深駅と仁宇布駅の間にはかつて「美幸線」が運行していましたが、1985年に全線廃線になりました。「トロッコ王国美深」は1998年にその線路を再利用して作られたレジャースポットです。

旧仁宇布駅舎をモチーフにした「コタンコロカムイ駅舎」で受付を済ませると、下に引用させていただいたようなトロッコに乗りこみます。運転には普通自動車免許が必要なのでご注意を。

最高速度は20km程度ですが、天蓋などがないためよりスピード感を味わえるでしょう。また、往復10km・約40分の道のりでは北海道の大自然を感じられるだけでなく、かわいい野生動物たちとの出会いも期待できます。

基本情報

【住所】北海道中川郡美深町仁宇布215番地
【アクセス】美深から車で約30分
【関連URL】https://www.bifuka-kankou.com/attractions/torokko/

美深駅(旧国鉄美幸線資料館・村上春樹文庫)

「羊をめぐる冒険」に登場する路線は「全国で三位の赤字線」と紹介されていますが、美深駅と仁宇布駅をむすんだ「美幸線」は日本一の赤字ローカル線といわれていました。

その起点となった美深駅はレンガ色のモダンな建物で、現在も宗谷本線の駅として活躍中です。駅の二階には美幸線の年表や電車の付属品、過去に発行された切符などを展示する資料館が設けられ、ノスタルジーに浸ることができます。また、一階には70冊以上の著作を備えた「村上春樹文庫」もあるので、併せてお立ち寄りください。

基本情報

【住所】北海道中川郡美深町開運町
【アクセス】美深駅直結
【関連URL】https://www.bifuka-kankou.com/