宮本輝著「天の夜曲」の風景(その2)

富山での生活

熊吾一家(房江と伸仁)は(熊吾の)共同経営者・高瀬の家から引っ越し、立山連峰が見える富山市大泉本町に間借りを始めます。熊吾は一足先に大阪に向かい、事業立ち上げに奔走します。富山に残された伸仁たちは、慣れない土地での生活を続けることになります。

ラジオや電話

房江の生活は単調でした。「伸仁が帰ってきてから、飯を炊き、おかずを作り、二人きりで食べ終わるのが七時前、それから後は、何もすることがない。」とあります。下に引用させていただいたのは、この小説と同じ昭和30年代の一般家庭のイラストです。「ラジオをつけっぱなしにして、これまでゆっくりと聴いたこともない歌番組や寄席中継やクイズ番組を聴くともなしに聴き・・・」という場面をイメージしてみます。

当時の小学生の姿

伸仁たちの小学校の服装については「富山の小学校は、ランドセルではなく、肩にたすき掛けする布製の鞄を、まだ生徒に使わせている」と述べられています。下に引用させていただいたのは、人形でリアルに再現された昭和30年代の子供たちの写真です。中央の少年をモデルにして登校する伸仁の姿を思い描いてみます。

誰も死なない西部劇?

伸仁と房江は気晴らしに映画を見に行くことにします。伸仁が見たかったのは「だーれも死ねへん西部劇」とのこと。映画の詳細は不明ですが、2人が見たのは「公会堂の近くの映画館」でした。下に引用させていただいたのは、在りし日の「富山市公会堂」の写真です (左側) 。跡地はホテルになっていますが、坂本九さんやサザンオールスターズさんなど、有名アーティストのコンサート会場ともなったエンターテインメント施設でした。

銭湯通い

間借り先には内風呂はなかったが「(房江たちの住んでいる)大泉本町の家々には内風呂を持つ家は案外少なくて、法連寺橋を渡ったところに一軒、堀川小泉に一軒、銭湯があった」とあります。下に引用させていただいたのは、 堀川小泉にある昭和2年創業の「朝日湯」の写真です。リフォームはしていますが、現在でも昭和の雰囲気、伸仁の姿もイメージできそうです。

行商人のいる風景

魚の行商人が定期的にやってくるのも当時の風物詩です。特に富山は魚津港などの水揚げ高の多い漁港があるため行商が盛んでした。下に引用させていただいたのは昭和30年台の青森県の魚の行商風景です。ここから「昼前にやって来る魚の行商人の鳴らす鈴の音が聞こえた・・・氷詰めの木箱にいれて自転車の荷台に積み・・・売り歩く」行商人の姿をイメージしてみます。

次回は大阪での熊吾に起きる事件などについて、SNSを引用させていただきたながら風景を追っていきます。更新の周期が長くて恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

旅行の情報

朝日湯

上でも取り上げた堀川小泉にある銭湯です。昭和2年創業なので、房江と伸仁が通った銭湯の一つと考えられます。

オーナーは元プロの漫画家で、集英社から「フロ屋のおきて」なる作品も発表されています。下に引用させていただいた写真のように、休憩室には単行本が並んでいてゆっくり過ごすこともできます。大人440円・中人140円・乳幼児60円とお財布にも優しい値段です。

【住所】富山市堀川小泉町1ー232
【アクセス】富山地鉄・堀川小泉駅からすぐ
【参考HP】http://www.asahiyu.com/

氷見昭和館

今回は昭和30年代ごろの生活風景を中心にご紹介しました。富山県氷見市にある氷見昭和館は昭和30年代から40年代の氷見の商店街を復元した施設です。

小説の舞台になっている富山市からも30km程度、車なら1時間ほどでアクセスできます。

下に引用させていただいた写真のように、昔ながらのタバコ屋さんや酒屋さん、カメラ店などが並んでいます。壁にはホーロー看板や昔の映画看板などが貼られていて、当時の富山にタイムスリップしたような気分になれますよ。

【住所】富山県氷見市柳田526-1
【アクセス】氷見ICから車で15分ほど
【参考HP】https://himishouwakan.jimdofree.com/