宮本輝著「花の回廊」の風景(その1)

大阪で再出発した熊吾の周辺

「流転の海シリーズ」の第五部で、昭和32年の3月半ばから物語が始まります。 前作で部下の裏切りもあって事業に失敗した熊吾は、息子の伸仁を(熊吾の)妹に預け、中古車のエアー・ブローカーをしながら再起を目指します。

伸仁が暮らすのは「蘭月ビル」

伸仁が熊吾の妹・タネたちと暮らすことになった蘭月ビルは、「尼崎市の東難波という停留所」の近くにありました。「路地を挟んで向かい合う二棟の細長い長屋」を「またぐ格好で二階部分を増築した」ような建物です。

下に引用させていただのは昭和時代の大阪のアパートの廊下の写真です。ここでは、熊吾や房江に連れられて「一階部分を南北に貫く、決して日の光が刺しこむことのない湿った土の通路へと」向かう伸仁の不安な気持ちを想像してみます。

蘭月ビルの近くでは缶けりをする子供も!

蘭月ビルの近くには「有刺鉄線を四方に張りめぐらした工務店の資材置き場」があり、空いたスペースでは子供たちが「竹棒をバット代わりにゴムボールで野球をしたり、缶蹴りに興じていた」とあります。

下に引用させていただいた写真の左上は、缶けりをする子供たちの写真です。現在では「缶けり」そのものを知らない子供も多いとのこと。ここでは、缶を思い切りけり隠れる場所を探す、元気な子供たちの姿をイメージしてみます。

ビリヤード場「ラッキー」を仕事場に

熊吾の生業は、事務所を持たずに電話などで中古車の売り買いをする エアーブローカーです。戦後の闇市で知り合った磯辺が経営するビリヤード場を、連絡先として使っていて、そこでは75歳になる老玉突き師や、石川県の中学を卒業して間もない女店員などが働いています。

下に引用させていただいたのは、昭和10年ごろのビリヤード場の写真です。ここでは熊吾が、ビリヤード台の周辺で「お値段は出来るかぎり、そちらのご意向に添わせていただきますけん」などと電話している姿を想像してみます。

シャンソンの流れる喫茶店で人生相談

ビリヤード場の主人・磯辺は喫茶店で熊吾に相談を持ちかけます。磯辺は祖父の出身が韓国で、在日韓国人の「梅田周辺の責任者」をしていました。北朝鮮出身者とのいがみあいが大きく、困っているとのこと。

下に引用させてただいたのは、熊吾が入った喫茶店と同じくシャンソンが流れる喫茶店です。窓際に熊吾たちを置き、「兄貴は南支持、弟は北を支持なんていう兄弟がおる一家は大変です。家の中で南北に分かれて戦争ですわ」と嘆く磯辺の声をイメージしてみます。

旅行の情報

蘭月ビルがあった東難波バス停は尼崎駅から徒歩10分以内で、伸仁が通うことになる尼崎市立難波小学校も5・6分の道のりです。ここでは、花の回廊のゆかりの地巡りにおすすめの観光地をご紹介します。

尼崎城

1617年に江戸幕府から尼崎藩主に任じられた戸田氏鉄が築いたもので、明治維新で廃城になりました。有志者や市民の活動などにより復元され、2019年から公開が始まっています。

尼崎駅をでるとすぐに5階建ての雄姿が見え、立派な庭園も付属しています。券売機でチケットを購入し最上階まで上がった後に、階段を使って観光するスタイルです。5階では尼崎を一望できて、「花の回廊」の舞台を把握できます。また、忍者や武将の衣装を着たり、芸術鑑賞したりとファミリーも楽しめる場所です。

【住所】兵庫県尼崎市北城内27番地
【アクセス】尼崎駅から徒歩で約6分
【参考サイト】https://amagasaki-castle.jp/

尼崎えびす神社

地元では 「尼のえべっさん」として親しまれている神社になります。尼崎は昔は「海崎」とも記述された漁業が盛んなスポットで、 現在では漁業に限らず、 商売繁盛全般がご利益です。

入口には高さ17mの大鳥居があり、この神社のシンボルになっています。また、なでると運気が上がるという月像石(つきいし)や、月替りやイベント時のかわいい御朱印も人気があります。

【住所】兵庫県尼崎市神田中通3丁目82
【アクセス】尼崎駅から徒歩で約4分
【参考サイト】https://www.amaebisu.com/