宮本輝著「花の回廊」の風景(その3)

駐車場の立ち上げに奔走

ダットサンの中古車と共に

車社会の急発展に目をつけた熊吾は、シンエー・タクシー社長の柳田元雄に大駐車場の建設を持ちかけました。そして、経営に参加することで一定の報酬を受けるという約束をします。

ちなみに、熊吾が仕事の足として使っていた車はダットサンで、 (事務所をもたずに売り買いする) エアー・ブローカー時代に、「売れずに困っていたった中古車」でした。こちらは当時流行りの車で、下に引用させていただいた昭和32年カタログ写真では、八千草薫さんがイメージキャラクターをされています。

ダイハツ・ミゼット

高度成長期の日本には、ダットサン以外にも数多くの名車が登場しました。ダイハツ・ミゼットもその一つで、「ミゼットというひとり乗りの軽三輪トラックは、軽免許で運転できるし、荷台にはかなりの量の荷物が載せられて・・・おそらく空前のヒット商品になるだろう」と話題になっていました。

下に引用させていただいた写真のなかにも、そのミゼットが写っていますね。ここでは、信号待ちの運転手に「これはミゼットっちゅうやつですか?」と興味深そうに声をかける熊吾の姿をイメージしてみます。

駐車場の料金設定は複雑で・・

熊吾は駐車場の料金調査のために、大阪で営業をする有料駐車場とコンタクトをとりますが、「車を屋根の下に置きたがる」客が多いことが判明します。料金体系は「月極契約と時間制による一時預りの二種類に分けて、さらに細かい料金設定を考えてから、屋根付きとそうでない場所による料金」と複雑なものになりました。

下に引用させていただいたのは、昭和10年までは主流だった5つ玉のそろばんです。 小学校の教科書改訂により、10年以降は現在と同じ四つ玉が主流になったそうです。ここでは慣れない四つ玉で料金を計算しながら「わしらが子供のころに習うたのは五つ玉の算盤でのぉ・・・肩がこるのお」とぼやく熊吾を想像します。

駐車場の候補地を調査

駐車場にするために柳田に購入させた場所は移転予定の女学校で、1200坪と東京ドームほどの大きさがありました。

下に引用させていただいたのは、昭和初期の女学校の写真です。当時は生徒数が多かったせいか、 講堂(左下)も広い設計になっています。熊吾が考えたのは「四方の壁をぶち抜いて、屋根と柱だけ残せば、立派な屋根付きの駐車場になる」ということでした。

あの滋養強壮剤の会社へも?

また、ある製薬会社に売り込みにいくと、8台分利用したいが「大事な薬のサンプルを車内に置いたままにする場合が多いので、それが盗まれたりするような駐車場では困る」との条件を提示されます。

帰り際にこの会社の業務内容を尋ねると「ニンニクの滋養強壮の力」を利用した栄養剤を開発中で、あとは「厚生省の許可が降りるのを待つだけ」とのことでした。

ちなみに、今も販売中の「キヨーレオピン」は1960年(昭和35年)発売の「熟成ニンニク抽出液」を用いた滋養強壮剤です。販売元の湧永製薬株式会社は、大阪市福島区で創業しているので、こちらをモデルにされているのかもしれません。下にはキヨーレオピン看板の写真を引用させていただきました。

旅行の情報

伊勢のりもの博物館

関西でダイハツ・ミゼットや熊吾の乗っているダットサンなど、昭和30年代の名車を見るなら「伊勢のりもの博物館」がおすすめです。見て回るだけでなく、車内に入ってエンジンをかけられるのも魅力になります。

開館は土日曜日ですが、確実に見たい場合は事前に営業確認をするのが無難です。周辺には夫婦岩で有名な二見浦や伊勢神宮などもあり、観光も楽しめます。下にはその博物館にて、ミゼットが2台かわいく並んだ写真を引用させていただきました。

【住所】伊勢市二見町三津1070-3
【アクセス】伊勢二見鳥羽ライン・二見ICから車で3分
【関連サイト】https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/matikado/t/detail?kan_id=1121361

白井そろばん博物館

熊吾が四つ玉そろばんで四苦八苦してるのをみて、そろばんの歴史に興味をもった方におすすめなのがこちらです。熊吾が五つ玉そろばんを習ったのは明治時代と思われますが、そろばん自体は室町末期に中国から伝わっています。 下に引用させていただいたように、上に2つ玉がついているものもありますね。

ほかにも、ロシアやブルガリアなどの世界のそろばんや、電卓と合体したユニークな製品まで種類が豊富です。お休みは毎週月曜・火曜で、大人の入場料金は300円です。

【住所】千葉県白井市復1459-12
【アクセス】北総鉄道の白井駅から徒歩25分
【関連サイト】https://soroban-muse.com/