内田康夫「遠野殺人事件」の風景(その2)
遺品のカメラを手がかりに
被害者の河合貴代のカメラには同僚の松永貞子も写っていました。会社でも不仲とされる二人が一緒にいた理由が不明のまま貞子犯人説が固まります。そんな中、フィルムのトリックに気付いた留理子は第三者の可能性を指摘。当日、現場近くにいたと考えられる経理課長が容疑者として挙がりますが、彼は奥多摩で遺体となって発見されました。
両親からの聴き取り
「昨日の夕方遠野についていたいと対面した河合貴代の両親が、迎えのパトカーに乗って出頭してきた。昨夜はおそらく泣き明かしたことであろう。二人とも、やつれ果てた顔をしていて、見るからに痛々しい。」
下には2017年ごろの遠野警察署の写真を引用しました。昭和51年築とのことですので「遠野殺人事件」があった昭和57年(1982年)ごろにはこちらの建物が立っていたと思われます。ここでは貴代の両親を玄関で丁重に迎える吉田たちの姿を想像してみましょう。
出典:Ebiebi2, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons、岩手県遠野警察署庁舎
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tono_police_station_2.jpg
吉田巡査部長「お辛いとは思いますが、お嬢さんのためにも事件を解決しなければなりません。気持ちをしっかり持って、ぜひ捜査にご協力ください。」
「河合貴代は三泊四日か四泊五日の日程で、遠野から三陸海岸の旅行をする予定になっていたらしい。きっちり予定を決めずに気儘な旅をするのは、貴代にはめずらしいことではなかったという。」
吉田「娘さんが突き合っていた男の人はいませんか」
河合夫婦「いえ、娘にはそういう方はおりませんでした・・・・・・じつは、今回の旅行についても、女のお友達をお誘いしておりましたのですが、その方のご都合が悪いということで貴代ひとりで旅をすることになりましたのです。もしその方がご一緒してくださっていればこんなことにはならなかったのでしょうけれども・・・・・・」
「『宮城留理子』という友人の名を吉田はメモした。」
とあります。
フィルムに映っていた場所とは
捜査の手がかりになる物証として、貴代が撮影したと思われるフィルム二本が現像されて送られてきます。
「一本目のフィルムには車窓から写したと思われる風景が写っているので、第一日目に装填したものである。途中から遠野の風景が出てきた。前半のあたりは遠野駅からあまり遠くない場所にある神社や寺が写っている。フィルムの真ん中あたりで夕景が出て来た。ここで第一日が終わったということか。次のカットはもう郊外へ出て、千葉の曲がり家、常堅寺のカッパ淵、そして土淵地区センター『水光園』の全景と館内に展示されているオシラサマを撮影している。」
上にはカッパ淵の写真を引用しました。前回(遠野殺人事件の風景その1・参照)も触れたように、こちらではカッパ釣り体験をすることができますが、貴代が旅行したころはまだこのような企画はありませんでした。神秘的な雰囲気の川周辺で、カッパの姿を探しながら散策をしていたのではないでしょうか。
また、上には千体のオシラサマを祀る「オシラ堂(遠野伝承園)」内の写真を引用いたしました。布に願いごとを書いてオシラサマに着せるのが祈願方法ということです。もしかしたら貴代はこのような場所で留理子のお見合いの成功をお祈りしていたかもしれません。
フィルムにはもう一人の女性が・・・
一本目のフィルムから以下のようなこともわかりました。
「おしまいの三カットには彼女自身が写されていた。・・・・・・その三カットは何者かがシャッターを押している。つまり、一本目のフィルムの後ろから三カット目の写真を撮る直前に、貴代は何者かに出会い、それ以後行動を共にしていると考えられるのだ。河合貴代が出遭った相手は二本目のフィルムに写されていた。」
当時のカメラは下に引用したようなフィルムを使うアナログ式でした。このように撮影した順番にコマ(画像)が並んでいます。なお、撮影したフィルムは写真屋さんに持っていき、印画紙に現像してもらうのが一般的でした。
出典:LoMit, CC BY 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Color_print_film_strip_01_-_negative.jpg
「二本目のフィルムは一カット目の貴代の笑顔から始まっている。そしてニカット目に風景を移し、三カット目からしばらく貴代でない女性と風景が交互に写されていた。女は貴代と同じ年ごろの、まず美人の部類に属すといっていいだろう。貴代とは対照的に淡いぶどう色のワンピースを着ている。そのせいか、カメラに向かって笑いかけている顔にどことなく寂しげな雰囲気が漂うような感じのする女性だ。・・・・・・『謎の女』は貴代よりもはるかに美人だが、いくぶん気取り屋なのか、笑った顔でさえいかにもとり澄ました感じがあって、刑事たちは好感をもてなかった。」
東京で捜査
「とにかく、明日、吉チョウと野口君に東京へ行ってもらうとするか」
「謎の女」が誰かは不明ですが、河合貴代が遠野に誘った宮城留理子が捜査上の重要参考人とみた県警の折倉警部は、吉田と県警の野口刑事にこのような命令を下しました。
東京に着いた吉田たちは成城学園前駅近くの留理子の家に向かいました。
留理子の自宅で彼女に対面した吉田の感想は以下のようです。
「ひと目見ただけで、彼女が写真の女でないことが分かった。さらに美しく、そして明るい。」
また、瑠璃子に貴代の写真を見せると、そこに映っていたもう一人の女性が河合貴代と同僚の松永貞子であることも分かりました。
下には1980年ごろの成城学園前駅周辺の写真を引用させていただきました。ここでは、こちらのホームに降り立って周辺を見回す吉田たちの姿を置いてみましょう。
出典:今昔写語、小田急 成城学園前駅(喜多見側)
https://konjaku-photo.com/?p_mode=view&p_photo=10173
松永貞子を重要参考人に切り替えて世田谷区用賀の貞子の家に行きますが、家族からは貞子の行方などの情報を得られませんでした。
東京での捜査を切り上げて遠野に戻ってみると、現場近くの山林では貞子の捜索が続いています。以下には捜索をしている刑事たちの会話を引用してみましょう。
「いったいどこさ消えちまったんだか・・・・・・」
「どこか、現場近くの山の中さ入って行ったと思うがなあ。なにしろ遠野のまわりは山ばっかしだから、探すったって容易なことでねえで」
「山さ入ったとすると、もう生きてはいねえでしょうねえ。サムトの婆みたいに、ひょっこり出てくりゃいいが」
「あはは、サムトの婆はよかったな・・・・・・」
上には遠野観光協会が監修した「サムトの婆」のお話を引用させていただきました。
立丸峠にて
貴代の両親と留理子が五百羅漢に花を供えに行くのに付き添った吉田は、無線で「立丸峠」で死体が発見されたことを知ります。死体が松永貞子と考えた吉田は、留理子を伴って立丸峠に向かいました。
「狭い峠道の頂上付近に先発隊のパトカーや鑑識車が列をつくっている。すでに立ち入り禁止のロープが張られ、制服巡査が四人、立ち番にあたっていた。」
とのこと。
下には、旧道の立丸峠付近のストリートビューを引用いたしました。こちらの周辺に警察車両が停まり、あたりが騒然としている様子をイメージしてみましょう。
遺留品などから遺体は松永貞子のものと判明します。また、近くに青酸性毒物入りのジュースの空き缶が発見され、「大変なことをしました、私が」と書かれた遺書らしきものも残っていました。そのため死因は自殺と断定され、貴代の殺害は貞子の犯行という疑いが濃厚になります。
事件は続く
貴代の遺品にあった二本のフィルムを手にした留理子はそのなかに「光線が入った」不自然なカットを発見します。弟からカメラの扱い方について基本的な知識を得ていた留理子は、二本のフィルムが別々の人によって撮られ、故意に写真の順番が操作されていると推測しました。
真犯人の存在を疑いだした留理子は、ある日、平安電器の社内食堂で以下のような話を小耳にはさみます。経理部の佐藤卓課長が、岩手県にある平安電器・久慈工場に出張したときの話です。
久慈工場の経理主任「盛岡のわんこそば、いかがでした?」
経理課長・佐藤卓「よせよ、そんな古い話」
下に引用させていただいたのは「遠野殺人事件」が起きたころの盛岡市繁華街の写真です。佐藤卓は眼鏡をかけた、地味で真面目な性格の男に描かれています。こちらのどこかに、美味しいわんこそばのお店を探しながら散策する佐藤卓を探してみましょう。
貴代と貞子の死に第三者の影を感じる留理子は、盛岡への出張になにか後ろめたい態度を示す佐藤卓に不審を抱きます。彼の出張記録では貴代が殺される前の時間(八月八日の二時半発)に盛岡を立ったことになっていましたが、吉田が佐藤の妻から聞き出したところ、帰宅したのは翌日(八月九日)だったとのこと。佐藤卓は二人を殺害した容疑者として急浮上しました。
ところがそんな矢先、留理子は自宅のテレビで以下のようなニュースを知ることに・・・・・・
「・・・・・・けさ九時ごろ、奥多摩町の人の住んでないお堂の中を、通りがかった近所の人が覗いたところ、男の人が死んでいるのを発見し、警察に届けたもので、警察調べたところ、この男の人は持っていた免許証から、東京都三鷹市に住む会社員、佐藤卓さん、四十二歳と分かり・・・・・・ポケットから遺書らしいものがみつかり、争った様子もなく、また、毒物の入っているとみられる缶ジュースが残り半分ほどになっている点などから、ほぼ自殺と考えられ・・・・・・」
上には奥多摩町の一部を上空から撮影した写真を引用させていただきました。こちらのようなのどかな町で起きた事件はテレビでも大きく取り上げられます。そして、河合貴代や松永貞子の事件は容疑者(佐藤卓)死亡ということで終結しそうになりますが・・・・・・
旅行などの情報
カッパ淵
常堅寺という古刹の裏にある小川一帯の名称です。「遠野物語」の58話には以下のようないたずら好きのカッパの伝説があります。
ある時、カッパが馬を川に引きずり込もうとしますが逆に引き上げられてしまいました。もういたずらはしないと村人に詫びて許され、以後はお寺の火事を消し止めるなどの善行をしたとのことです。
現在は常堅寺のお堂(十王堂)の前に下に引用したようなカッパの狛犬が祀られています。
出典:663highland, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jokenji02s3200.jpg
うっそうとした茂みに覆われたカッパ淵は本当にカッパが出てきそうな雰囲気です。前回(遠野物語の風景その1・参照)もご紹介したように、駅前の遠野観光協会やカッパ淵近くの「遠野伝承園」などで「カッパ捕獲の許可証」を購入しておけば、こちらでキュウリのついた釣り竿を借りてカッパ釣りを楽しむことができます。
基本情報
【住所】岩手県遠野市土淵町土淵
【アクセス】遠野駅からバスに乗りかえ伝承園前で下車。徒歩約5分
【参考URL】https://tonojikan.jp/tourism/kappabuchi-pool/
伝承園(でんしょうえん)
河合貴代の写真にあったようなオシラサマを展示する場所「オシラ堂」のある観光スポットです。遠野地方の昔ながらの農家の生活様式を再現した伝承園では、昔話を聞いたり、民芸品の製作をしたりとさまざまな体験ができます。下に引用させていただいたような南部曲がり屋「旧菊池家住宅」では幸運をもたらすという座敷わらしの部屋も見どころの一つ、「遠野物語」を柳田国男に語った佐々木喜善の資料を展示する「佐々木喜善記念館」など、遠野を体感できる施設がコンパクトにまとまっています。
散策のあとには食事処で「ひっつみ(練った小麦粉を手でちぎって入れた醤油味の汁物)」や黒砂糖とくるみが入った「焼もち」などの郷土料理をご堪能ください。
基本情報
【住所】岩手県遠野市土淵町土淵6地割5番地1
【アクセス】レンタル自転車で遠野駅から30分
【参考URL】http://www.densyoen.jp/
わんこそば(東家)
「遠野殺人事件」では佐藤経理課長が岩手に出張し、盛岡で「わんこそば」を食べたという会話がでてきました。わんこそばは後ろに給仕さんが待機しているのが特徴で、空にしたお椀に一口大の蕎麦を追加してもらいながら食べすすめます。
出典:そば処東屋公式サイト
https://wankosoba.jp/
盛岡は花巻とともにわんこそば発祥の地とされますが、なかでも「そば処東家」は明治四十年に創業した人気のお店です。一般的な蕎麦に比べて柔らかくゆでてあるため喉越しが抜群、上に引用させていただいたように鮪刺身やなめこおろし、とりそぼろ、胡麻などの多彩な薬味がセットになっているため、味変させながらお召し上がりください。
基本情報
【住所】岩手県盛岡市中ノ橋通1-8-3
【アクセス】JR盛岡駅からバスに乗りかえバスセンター前で下車(徒歩約3分)
【参考URL】https://wankosoba.jp/
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