村上春樹「羊をめぐる冒険」の風景(その6)

札幌で羊探しを開始!

札幌に到着した(羊をめぐる冒険の風景その5・参照)「僕」と「耳専門の広告モデル」は「いるかホテル」を拠点として羊探しをすることにします。図書館で羊牧場に関する資料を調べたり、登山ガイドで似た風景を捜したり、新聞に「尋ね人」の公告を出したりしますが進捗は思わしくありません。そんなある日、ホテルの支配人からの貴重な情報を得て、物語が進み始めます。

映画館にて

札幌に到着した日、彼女の提案で「僕」たちは映画を観ることにしました。
「一本目はオカルト映画だった。悪魔が町を支配する映画だ。悪魔は教会のしみったれた地下室に住んで、腺病質の牧師を手先に使っていた。・・・・・・悪魔はその町にひどく執着していて、一人の少女だけが自分の詩は以下に入らないことに対して腹を立てていた。悪魔は腹を立てるとぐしゃぐじゃとした緑色のフルーツ・ゼリーのような体を震わせて怒った。その怒り方にはどことなく微笑ましいところがあった」とのこと。

「僕」の観た映画のタイトルについては不明ですが、当時はオカルト映画が流行していた時期でした。下には「決してひとりでは見ないでください」というキャッチフレーズで有名になった「サスペリア(1977年公開)」の予告動画を引用させていただきました。

まずはホテル探しから

二人は周辺を散歩して歩き疲れると、目についたレストランに入り、「生ビールを二杯ずつ飲み、じゃが芋と鮭の料理を食べた」とあります。

下にはイケア・ジャパンさんの社員食堂で「村上春樹の日」というイベント時に提供された「じゃが芋と鮭の料理」の写真を引用させていただきました。
ここでは「ホワイト・ソースはさっぱりとしてしかもこくがあった」と美味しそうに食べる「僕」を想像してみましょう。

ホテル探し

二人は食事をしながら羊探しの拠点になる宿泊場所を探します。以下に二人の会話を抜粋します。
彼女「泊る場所についてはイメージができてるの」
僕「どんな?」
彼女「とにかくホテルの名前を順番に読みあげてみて」
「僕は不愛想なウェイターに頼んで職業別電話帳を持ってきてもらい、『旅館、ホテル』というページを片っ端から読み上げていった」とあります。

出典:shibainu, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Grey_pay_phones_rows_in_Shinjuku_Station.jpg

余談となりますがこの時代の職業別電話帳(タウンページ)は上の写真のような分厚いものでした。一方、近年のタウンページは地域ごとに分冊されたことや固定電話の数が激ったことやなどが要因となって、下のようにノートのような薄さに変わっています。

出典:flickr,タウンページの表紙がゆるキャラ
https://www.flickr.com/photos/norisa/14569081048

引き続き二人の会話を抜粋します。

彼女「それがいいわ・・・・・・今最後に読んだホテルよ」
僕「ドルフィン・ホテル」
彼女「どういう意味」
僕「いるかホテル」
彼女「そこに泊まることにするわ」

そして「僕」たちは「いるかホテル」に向かいました。

いるかホテル

いるかホテルの「ドアを開けると、中には思ったよりも広いロビーがあった。ロビーのまんなかには応接セットが一組と大型のカラー・テレビが一台置いてあった。つけっぱなしになったテレビにはクイズ番組を映し出していた」とあります。

ここでは、この年の9月まで田宮二郎さんが司会を務めた「クイズタイムショック」の写真を引用されていただきました(10月から山口崇さんに交代しています)。こちらのような場面を想像してホテル内の描写を抜粋してみます。

「近づいてみると応接セットの長椅子には頭の禿げかけた中年男が乾燥魚みたいな格好で寝転んでいた」とあります。カウンターに誰もいないので彼女がベルを鳴らすと、「男はとびあがるように長椅子から起きるとロビーを横切り、僕のわきをすり抜けてカウンターの中に入った。男はフロント係だった」とのことです。

フロント係「本当に申しわけありません。お待ちしているうちについ眠り込んでしまいまして」
僕「起こして申しわけない」
フロント係「いえいえ」
「出鱈目な名前と出鱈目な住所を書き」「職業は不動産業としておいた」

フロント係「今回は御商用で?」
僕「うん、まあ」
フロント係「何泊なさいますか?」
僕「一ヵ月」
フロント係「一ヵ月ずっと滞在なさるわけですか?」
僕「まずいかな?」
フロント係「その、まずくはないんですが、一応三日ごとに精算していただくことになっておりますもので」

そこで「僕」はフロント係に二十万円を渡します。
僕「足りなくなったらまた入れるから」

僕は北海道の山を

「いるかホテルにはレストランも喫茶店もない」ため、二人でホテルの近くの喫茶店で羊探しの打ち合わせをします。
僕「我々は手わけして行動するんだ・・・・・・僕はこの写真の背景に写っている山を手がかりに場所を探してみる。君は羊を飼っている牧場を中心に探してほしい」
彼女「大丈夫よ、まかせておいて」

「僕」は道庁の観光課などで、「羊の写真」の山を見てもらいますが、
「とても平凡な形を下山だしね」
「それに写真に写っているのはそのまた一部ときてるからさ」
などの答えが返ってくるだけでした。

上には「僕」が購入したのと同名(内容は異なると思われます)の「北海道の山」という本の写真を引用させていただきました。「僕」が喫茶店で読んでみると
「山は生きています。・・・・・・それを見る角度、季節、時刻、あるいは見るものの心持ちひとつでがらりとその姿を変えてしまうのです。従って我々は常に山の一部分、ほんのひとかけらしか把握してはいないのだという認識を持つことが肝要でありましょう」
と書かれていました。

ここでは、似たような山々の写真を見ながら「やれやれ」とつぶやく僕の姿を想像してみましょう。

新聞広告を出してみたものの・・・

札幌についてから六日たってもほとんど進展がなく、十月を迎えました。そこで「僕」は新聞に「尋ね人」の広告を出すことにします。内容は以下のような短いものでした。
「鼠、連絡を乞う 至急!! ドルフィン・ホテル406」

下には昭和時代のものと思われる尋ね人の広告を引用されていただきました。ここでは、こちらのなかに上の文章が挿入されているところを想像してみます。

広告をみた相手からは以下のような電話がありました。
相手1「鼠とは何を意味するのか?」
僕「友だちのあだ名です」
彼は満足して電話を切りました。

相手2「ちゅうちゅう」
「僕」も「ちゅうちゅう」といって電話を切ります。

相手3「私はみんなに鼠って呼ばれているんです」
僕「・・・・・・僕の探しているのは男なんです」
相手3「たぶんそうだと思ってました。・・・・・・本当はあなたとお話してみたかったんです」
僕「じゃあ、あなたが鼠と呼ばれているのも嘘なんですね?」
相手3「誰も私のことを鼠なんて呼びません。そもそも友だちもいないんです。だから誰かと話してみたくって・・・・・・食事でもしながらゆっくりお話しできるといいんだけれど」
僕「申しわけないけれど、ずっとここで電話を待ってなくちゃいけないもので」
「よく考えてみれば手のこんだ売春勧誘電話のようでもあった・・・・・・」

下に引用させていただいたのは、電話待ちのあとに「僕」が見たテレビ番組「バックスバニー」の動画です。ここでは、電話番に疲れた「僕」がビールを飲みながらこちらのような番組を見る姿を想像してみます。

フロント係の話

その日の夕食後に、二人でホテルのロビーで休んでいると、支配人(兼フロント係)が声をかけてきます。
「このように長期滞在していただきましたのも何かのご縁ということで、お礼のしるしにワインなどを差しあげたいと思うのですが?」

乾杯をした後の三人の会話を以下に抜粋します。
支配人「小さい頃から船乗りになろうと思っていたんです」
彼女「それで今はホテルを経営しているのね?」
支配人「このとおり指を失くしてしまいましたもので・・・・・・貨物船の積み荷を下ろしているうちにウィンチに巻き込まれちゃったんです。その時は目の前がまっ暗になりましたね。・・・・・・なんとか今ではこのようにホテルを一軒持てるようになりました。・・・・・・これでもう十年になりますか」
僕「でも十年にしては、なんというか、建物に風格がありますね」
支配人「ええ、これは戦後すぐに建てられたんですよ。・・・・・・」

ホテルはもとは「北海道緬羊会館」という建物で、その館長を支配人の父がしていたとのこと。父が北海道緬羊教会から建物を払い下げてもらい、二階は緬羊資料室、その他の部分はホテルとして使用しているとのことでした。

下には東京の文京区湯島にある「緬羊会館」の写真を引用させていただきました。

僕「実は僕の探している人物は羊に関係してるんですよ。手がかりと言えば彼が送ってきた一枚の羊の写真だけでね」
支配人「よろしければ拝見したいですな」
写真をわたすと
僕「これは覚えがありますね」
支配人はロビーの「天井近くにかかっていた額」を我々にわたし
支配人「これと同じ景色じゃありませんか?」
「背景の山はたしかに同じ山だった。写真の構図までがそっくり同じだった」
僕「やれやれ・・・・・・我々は毎日この写真の下を通りすぎていたんだよ」
彼女「だからいるかホテルにすべきだって言ったじゃない」

羊博士についての話

二人が写真の場所を知るにはもう一つ大きなハードルがありました。それは支配人の父である「羊博士」しかその場所を知らないとのこと。「羊博士」はホテル二階の綿羊資料室に終日こもる気難しい人物でした。以下には支配人が語る「羊博士」の生い立ちを抜粋してみます。

「父親は一九〇五年に仙台の旧氏族の長男として生まれました」
「東京帝国大学農学部に入学・・・・・・首席で卒業すると彼はスーパー・エリートとして農林省に入賞した」
彼に与えられた任務は「中国大陸北部における軍の大規模な展開に向けて羊毛の自給自足体制を確立」することでした。彼は一九三五年に満州に渡ります。
「事件が起きたのは七月だった。羊博士は一人で馬に乗ってぶらりと緬羊偵察に出かけたまま行方不明になってしまった」

下には昭和初期における満州の羊牧場の写真を引用しました。羊博士が偵察に来たのはこちらのような場所だったでしょうか。

出典:南満洲鉄道株式会社社長室情報課 編『満洲写真帖』昭和4年版,中日文化協会,昭和4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1192581 (参照 2024-04-05、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1192581/1/69

行方不明だった一週間の間、羊博士は「羊と交霊していた」、そして「羊が私の中にいる」と説明しますがが、もちろん上司からは信じてもらえず「精神錯乱」とみなされました。

主要なポストから外された羊博士は次の年「本国へ召還」、そして「羊は私の中から去ってしまった」とのことです。

その後、農林省を辞職した羊博士は北海道に渡って羊飼いとなり、北海道緬羊協会に勤務、緬羊会館館長を経て現在に至る。

羊博士との出会い

僕は二階に上がり古いドアをノックします。以下に羊博士との会話を抜粋してみましょう、
羊博士「うるさい」
僕「羊のことでお話をうかがいにきました」
羊博士「羊について話すことなんか何もない。阿呆めが」
僕「でも話すべきなんです。一九三六年にいなくなった羊のことです」
「しばしの沈黙があり、それからドアがいきおいよく開いた」とのこと。

羊博士の容貌については以下のように描かれています
「髪は長く、雪のように真っ白だった。眉も白く、それがつららのように目にふりかかっていた。身長は一六五センチばかりで、体はしゃんとしている。骨格は太く、鼻筋は顔のまんなかからスキーのジャンプ台のような角度で挑発的に前につきだしている」

なんとなく石ノ森章太郎氏の漫画・サイボーグ009に登場するギルモア博士に似ているような気もします。下には石森プロの公式SNSに投稿されたギルモア博士の姿を引用させていただきました。

羊博士との会話

ホテルのスタッフが運んできた「盆の上には羊博士のためにスープとサラダとロールパンと肉団子が、我々のためにコーヒーが二杯載っていた」とのこと。下には似たような組み合わせの給食の写真を引用させていただきます。ここでは「はたで見ていても気持ち良いほどの食欲」で食べる羊博士の姿を想像しながら二人の会話を聴いてみましょう。

「羊博士」が背中に星形の斑紋のある羊が体内に入って、日本に戻ると出て行った経緯を説明し、「僕」は「羊博士」から出た羊が右翼の大物(先生)の体内に入り、巨大な組織を築きあげたことを語りました。

僕「なぜ羊は彼の体を離れたんでしょう?あれほど長い年月をかけて巨大な組織を築きあげたのに」
羊博士「その人物も私と同じだよ。利用価値がなくなったんだ。・・・・・・彼の役目は巨大な組織を築きあげることであり、それが完了した時、彼は捨てられたんだ。ちょうど羊が私を輸送機関として利用したようにだ」

僕「最後にその写真の土地の場所を教えて下さい」
羊博士「私が九年間暮らした牧場だよ。そこで羊を飼っていた。戦後すぐに米軍に接収され、返還された時にある金持に牧場つきの別荘地として売った。今でも同じ持ち主のはずだ・・・・・・実は君たちの前にもう一人あの牧場について質問をしに来た人物がいるんだ。・・・・・・いろいろと教えってやったよ。小説を書く材料にしたいんだと言ってたな」

「僕」が「鼠」の写真を羊博士に見せると「たぶんその男だ」といいます。

村上春樹氏は「羊をめぐる冒険」の取材で当時「北海道立滝川畜産試験場」に勤務していた平山秀介博士を訪問していて、平山博士が羊博士のモデルといわれています。下には滝川畜産試験場の前身である「北海道庁種羊場」の写真を引用しました。

出典:『北海道概況』昭和13年[版],北海道,1938. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1272872 (参照 2024-04-06、一部加工
)https://dl.ndl.go.jp/pid/1272872/1/95

羊博士「本当のところを言えばあの羊にはこれ以上関らん方が良いと私は思う。私がその良い例だ。あの羊に関って幸福になれた人間は誰もいない。・・・・・・しかしまあ、君にもいろいろと事情があるんだろう。」
僕「そのとおりです」
羊博士「気をつけてな」

旅行などの情報

プレミアホテル中島公園・札幌

「いるかホテル」のモデルともされる「旧ホテルアーサー札幌」のあった場所に立つホテルです。「鍵は殆ど全部キー・ボードの上に揃っていた。いるかホテルは経営的に成功したホテルとは言い難いようである」と表現された「いるかホテル」とはイメージが違い、25階建ての近代的なシティーホテルになっています。

下に引用させていただいたように、中島公園ののどかな景色を眺められる場所にあり、レストランやバーなどの設備も充実。公共交通でのアクセスも便利なので札幌観光や「羊をめぐる冒険」の聖地めぐりの拠点にしてみてはいかがでしょうか。

基本情報

【住所】北海道札幌市中央区南10条西6丁目1 -21
【アクセス】中島公園駅から徒歩約4分
【参考URL】https://premier.premierhotel-group.com/nakajimaparksapporo/

樽前山

上で引用させていただいた「北海道の山」の投稿には「熊の転げ落ちる山」という名前の「カムイエクウチカウシ山」が紹介されていますが、こちらは少し上級者向けの登山スポットとなります。

札幌からも近い初級者向けの山として挙げられるのが「樽前山(たるまえさん)」です。支笏洞爺国立公園にある標高1041mの山で、7合目の駐車場からは往復2時間弱の手軽な登山コースが整備されています。山頂には自然のパワーを感じられる「溶岩ドーム」があり、登山道からは、下に引用させていただいたような雄大なパノラマが眺められるのも魅力です。

基本情報

【住所】北海道苫小牧市字錦岡
【アクセス】苫小牧駅から車で約1時間
【参考URL】http://www.iburi.pref.hokkaido.lg.jp/ss/srk/yama/mountain/tarumae.htm