宮本輝著「天の夜曲」の風景(その5)

8月後半の暑い盛り、熊吾は皮膚に大けがを負った博美の病院の付き添いで長崎にやってきます。テンポの良い熊吾のストーリーのなかでは、少しのんびりした場面が多めです。

暑さの長崎駅

長崎駅に到着した熊吾たちは、改札口前でラムネを飲みほしますが一向に汗は引きません。 熊吾は旅館に荷物を置いて、診察を待つ博美と病院で合流することになります。 下に引用させていただいたのは(左)、昭和時代の長崎駅の風景です。ここでは 「駅前で客待ちをしているタクシーに博美をのせ」る熊吾の姿をイメージしてみます。

昭和30年代の長崎の風景(その1)

熊吾は汗をかきながら旅館に向かって歩きます。下に引用させていただいたのは昭和30年代の長崎の風景です。コメントにあるように戦災があったとは思えない立派な街並みですね。汽車のなかで長崎の勤め人から聞いた「原爆投下のあと百年は草木も生えないと教えられたが、ことし自分の勤める会社の近くでは、紫陽花がきれいに咲いていた」という風景もイメージできそうですね。

昭和30年代の長崎の風景(その2)

次の日、熊吾は博美の祖父(ロシア人)のお墓参りに出かけます。「市電の通る道から坂道をのぼって行き、博美の案内で空き地の多い町の路地から路地を辿って、樹木の涼しい一角に入ると、教会の屋根が見えてきた」とあります。下に引用させていただいたのは、昭和30年代の長崎某所の景色です。ここでは写真奥の方に坂を上がってくる熊吾たちを置いてみます。

ロシア人墓地でお参り(その1)

診察を終えた博美は、熊吾を伴い祖父(ロシア人)のお墓参りに出掛けます。「煉瓦塀に沿った細い道が急坂になったころ、中国人たちの墓があらわれた」という場面があります。下に引用させていただいたのはロシア人墓地周辺の風景です。「あそこが出島」と「坂道で歩を停め、振り返って斜め右のほうを指さした」博美の姿をイメージしてみます。

ロシア人墓地でお参り(その2)

「マカール・サモイロフ」、それが博美の祖父の名前でした。「バルチック艦隊の乗員だった」であろう祖父は祖国に帰らず、日本で結婚し32・3歳で亡くなります。下に引用させていただいたのは、上と同じく悟真寺国際墓地の写真です。顔も見たこともない祖父になぜか愛着を感じるという博美が「もう一生、来られへんかもしれへんから、ちゃんとお別れしとかんと・・・」といいながら、長い間黙とうする姿を想像してみます。

長崎から戻った熊吾には、予想もしないことが待ち受けています。富山にいる房江や伸仁の様子も気になりますね。アップ周期が長くて恐縮ですが、次回もお楽しみになさってください。

旅行の情報

稲佐悟真寺国際墓地

小説中で熊吾と博美がお参りにいったと思われる墓地です。悟真寺という浄土宗のお寺ですが、境内にはロシア人や中国人、ポルトガル人、オランダ人などのお墓が並んでいます。稲佐山のロープウェイ駅からも徒歩10分ほどで、観光の途中にも寄りやすい位置にあります。

【住所】長崎県長崎市曙町6-14
【アクセス】長崎駅からバスに乗り、悟真寺バス停で下車
【参考サイト】https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/116

浦上天主堂

熊吾たちが宿をとった上野町にもほど近い教会で、グラバー邸などと並んで長崎観光で人気のスポットです。原爆被災により破壊されますが、1980年に当時の姿を模して復元されています。

室内の窓はステンドグラス製で荘厳な雰囲気に浸れます。 原爆を生き残った破壊されず残った「悲しみの聖母マリア像」なども見どころです。

【住所】長崎県長崎市本尾町1-79
【アクセス】平和公園電停から徒歩約8分
【参考サイト】https://www.nagasaki-tabinet.com/junrei/122