太宰治「人間失格」の風景(その2)

第二の手記(前半)

「人間失格」の第二の手記には中学校から東京にある高等学校の時代までが描かれています。そのなかでも今回は、前半の中学生の部分までの風景を追っていきます。大庭葉蔵は幼少期(「人間失格」の風景その1・参照)から鍛えてきた「お道化」の技術も向上し、中学校では陽気な人として通っていました。そんな葉蔵にある事件が起き、絶望の淵に追いやられることに・・・・・・。

中学校に進学

はじめに、少し長くなりますが「人間失格」のなかの中学校の記述を抜粋します。「海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉(わかば)と共に、青い海を背景にして、その絢爛たる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤めて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている」。このように海と桜がコラボした美しい場所で中学校生活をスタートさせました。

下に引用させていただいたのは太宰氏が実際に通学していた県立青森中学校の写真です。ここでは周辺に桜が舞っている様子をイメージしてみましょう。

出典:青森県 編『青森県写真帖』,青森県,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/966069 (参照 2023-11-06、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/pid/966069/1/45

クラスのお調子者を演ずる

中学校は実家から離れてた場所にあったため「自分の家と遠い親戚に当たるものの家」にあずけられることになります。家族構成は「五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、病身らしい背の高い姉娘((中略)アネサと呼んでいました)それと、最近女学校を卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけ」でした。

葉蔵は「例のお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました」。「いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラスは大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました」とあります。

下に引用させていただいたのは昭和11年ごろの青森中学校の授業の写真です。太宰在籍時から少し時代は下りますが、教室のどこかに葉蔵を置き、こちらの教諭に笑いをこらえる先生のモデルになっていただきましょう。

出典:青森県立青森中学校 編『秩父宮殿下御台臨記念写真帖 : 昭和十一年十二月七日』,青森県立青森中学校,昭和12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1112142 (参照 2023-11-07、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1112142/1/10

お道化が見破られる!

「もはや、自分の正体を完全に隠蔽し得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました」。その相手は「クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで・・・・・・学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た」竹一という少年でした。

「その日、体操の時間に・・・・・・自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした」「果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると・・・・・・竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁ささやきました」「ワザ。ワザ」
「自分は震撼しました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは」

下に引用させていただいたのは中学生ごろの太宰治の写真です。ここでは竹一に見破られたときに「わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました」という表情を想像してみます。

出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tsushimabrothers1923.png

ちなみに、中学時代の太宰治の体育(体操)の成績は下に引用させていただいたように、181人中3位と上位でした。鉄棒の失敗も不自然に見えないようにできたはずですが・・・・・・。

ハロルド・ロイドのものまね

「彼が秘密を口走らないように監視」するために葉蔵は竹一と親しくなります。彼の優しい接し方には竹一も「偽善の悪計」とは疑わず「お前は、きっと、女に惚れられるよ」とお世辞をいいました。葉蔵はそれに対して「思い当たること」の一つとして下宿の姉妹が頻繁に部屋に遊びにくることを挙げています。

以下は「或る晩、妹娘のセッちゃんが、アネサと一緒に自分の部屋へ遊びに」来る場面です。セッちゃんは「葉ちゃん、眼鏡をかけてごらん・・・・・・アネサの眼鏡を借りなさい」といつものように「乱暴な命令口調で」いいます。
「道化師は、素直にアネサの眼鏡をかけました。とたんに、二人の娘は、笑いころげました」そして「そっくり。ロイドに、そっくり」といいます。ちなみにハロルド・ロイドとは当時、日本で人気だった米国の喜劇役者の名前です。

下には彼が主演をつとめた「ロイドの要心無用」という映画の一場面を引用しました。ここでは葉蔵が「自分は立って片手を挙げ」、「諸君」「このたび、日本のファンの皆様がたに・・・・・・」と挨拶の真似をして姉妹を大笑いさせるシーンをイメージしてみます。

出典:pixabay.com(一部加工)
/https://pixabay.com/photos/harold-lloyd-clock-building-city-1137109/

お化けの絵

また、「竹一は、また、自分にもう一つ、重大な贈り物をしていました」とあります。遊びにきた竹一が「一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて」「お化けの絵だよ」といいます。

葉蔵は「それは、ゴッホの例の自画像に過ぎないのを知っていました」が、「この一群の画家たちは、人間という化け物に傷いためつけられ、おびやかされた揚句の果、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見たのだ、しかも彼等は、それを道化などでごまかさず、見えたままの表現に努力したのだ」と気付きます。

下には「坊主としての自画像」というゴッホの自画像の一つです。ゴーギャンから贈られた自画像へのお礼として描かれたものとなります。ここでは、こちらの絵を見ながら「おれも、こんなお化けの絵がかきたいよ」といい「涙が出たほどに興奮し」ている葉蔵を想像してみましょう。

出典:publicdomainq.net
https://publicdomainq.net/vincent-van-gogh-0010600/

旅行の情報

合浦公園

太宰が通った青森中学校の跡地(青森市営球場敷地内)には旧制青森中学の正門の一部が残り、校歌碑が立てられています。隣接する合浦公園には遊歩道が整備され、下に引用させていただいたよう海の絶景を鑑賞できるのも魅力です。ここでは写真のなかに、砂浜を歩く葉蔵少年を置いてみましょう。

以下には小説・思い出のなかから合浦公園の様子を抜粋させていただきます。
「校舍は、まちの端れにあつて、しろいペンキで塗られ、すぐ裏は海峽に面したひらたい公園で、浪の音や松のざわめきが授業中でも聞えて來て、廊下も廣く教室の天井も高くて、私はすべてにいい感じを受けた」

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/28158903&title=%E5%90%88%E6%B5%A6%E5%85%AC%E5%9C%92%E6%B5%B7%E6%B0%B4%E6%B5%B4%E5%A0%B4

基本情報

住所:青森市合浦2-17-50
アクセス:JR青森駅からバスで約20分、合浦公園前で下車
関連サイト:https://www.city.aomori.aomori.jp/koen-kasen/bunka-sports-kanko/kankou/kankou-spot/shizen-kouen/05.html

浅虫温泉・椿館

「人間失格」の本文では詳細は語られていませんが、中学生後半になると太宰は本格的に高校受験の準備を始めました。また、入学当初は親戚の家から徒歩で通学していましたが、四年生の二学期からは浅虫温泉に泊まり込みで受験勉強に励むようになります。

下には太宰も宿泊したという浅虫温泉・椿館の(太宰関連の)由来と写真とを引用させていただきました。椿館は400年以上の歴史のある老舗温泉で棟方志功ゆかりの宿としても有名です。ここでは、受験勉強後に立派な温泉につかる少し贅沢な少年の姿を置いてみましょう。

太宰治はこちらに投宿しておりまして、太宰治の母親と姉が当館に湯治をしておりました。その当時の状況は氏の小説「思い出」「津軽」に載っております。

出典:浅虫温泉・椿館公式サイト
https://www.810215.com/74957/tsubakikan/
椿館公式サイトの引用に関連して小説「思ひ出」からの抜粋文も追加させていだきます。「秋になつて、私はその都会から汽車で三十分くらゐかかつて行ける海岸の温泉地へ、弟をつれて出掛けた。そこには、私の母と病後の末の姉とが家を借りて湯治してゐたのだ。私はずつとそこへ寝泊りして、受験勉強をつづけた。私は秀才といふぬきさしならぬ名誉のために、どうしても、中学四年から高等学校へはひつて見せなければならなかつたのである」

基本情報

住所:青森県青森市浅虫字内野14
アクセス:浅虫温泉駅から徒歩約6分
関連URL:https://www.810215.com/74957/