夏目漱石「坊っちゃん」の風景(その4)
赤シャツの親切と罠
「赤シャツ」は「坊っちゃん」を釣りに誘い、バッタ事件(坊っちゃんの風景その3・参照)で生徒たちを扇動したのは「山嵐」であるというデマを吹き込みます。最初はそのデマを信じてしまいますが「赤シャツ」の卑怯な言動を見聞きするにつれ、彼のことを疑いはじめました。ほかにも「坊っちゃん」のヒロイン的存在「マドンナ」も登場、その実像にも迫ります。
赤シャツに釣りに誘われ
「君釣りに行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。赤シャツは気味の悪るいように優しい声を出す男である。・・・・・・おれはそうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をした事がありますかと失敬な事を聞く。・・・・・・神楽坂の毘沙門の縁日で八寸ばかりの鯉を針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったがこれは今考えても惜しいと云ったら、赤シャツは顋を前の方へ突つき出してホホホホと笑った。何もそう気取って笑わなくっても、よさそうな者だ。『それじゃ、まだ釣りの味は分らんですな。お望みならちと伝授しましょう』とすこぶる得意である。」
「だれがご伝授をうけるものか。」と反感を覚えますが、下手だから行かないんだと思われるのも悔しいので誘いに乗ることにしました。「坊っちゃん」と「赤シャツ」、赤シャツの腰巾着「野だ(野だいこ)」を乗せて小舟は出発します。
「船頭はゆっくりゆっくり漕いでいるが熟練は恐しいもので、見返えると、浜が小さく見えるくらいもう出ている。高柏寺の五重の塔が森の上へ抜け出して針のように尖がってる。向側を見ると青嶋が浮いている。これは人の住まない島だそうだ。よく見ると石と松ばかりだ。なるほど石と松ばかりじゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺望していい景色だと云ってる。野だは絶景でげすと云ってる。絶景だか何だか知らないが、いい心持ちには相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風に吹かれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。」
「坊っちゃん」に登場する「青嶋」などについて「伊予の松山と俳聖子規と文豪漱石」では以下のような説明がされています。
ターナー島の青島は、描寫されてゐる模様からたしかに四十島のやうであるが、“高柏寺の五重の塔”のモデルは果たしていづれか、太山寺か、石手寺か、おそらく作者の出まかせであらう。
出典:曽我正堂 著『伊予の松山と俳聖子規と文豪漱石』,三好文成堂,昭和12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1094622 (参照 2025-01-16)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1094622/1/23
また、下には「青嶋」のモデルになった四十島の昭和初期の写真を引用いたしました。
「『あの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね』と赤シャツが野だに云うと、野だは『全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ』と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙っていた。・・・・・・すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、吾々はこれからそう云おうと賛成した。」
出典:不明, Public domain, via Wikimedia Commons、四十島の投影、1929年、谷本延衛 『三津の面影』 愛媛県三津浜町
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E5%9B%9B%E5%8D%81%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%8A%95%E5%BD%B1.jpg
「ターナー島」のくだりは英国留学中に刺激を受けたターナーの作品をイメージして書かれています。下には漱石が参考にした可能性の高い作品「チャイルド・ハロルドの巡礼 ─ イタリア」を引用させていただきました。
出典:J. M. W. Turner, Public domain, via Wikimedia Commons、Childe Harold’s Pilgrimage – Italy
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Childe_harold.jpg
「この吾々のうちにおれもはいってるなら迷惑だ。おれには青嶋でたくさんだ。あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちゃ。いい画が出来ますぜと野だが云うと、マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味の悪るい笑い方をした。なに誰も居ないから大丈夫ですと、ちょっとおれの方を見たが、わざと顔をそむけてにやにやと笑った。おれは何だかやな心持ちがした。・・・・・・マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染の芸者の渾名か何かに違いないと思った。」
赤シャツたちの内緒話
釣りに飽きた「坊っちゃん」が仰向になって大空を眺めている脇で、赤シャツと野だは小声で会話をはじめます。
「え? どうだか・・・・・・」「・・・・・・全くです・・・・・・知らないんですから・・・・・・罪ですね」「まさか・・・・・・」「バッタを・・・・・・本当ですよ」
「野だは何のためかバッタと云う言葉だけことさら力を入れて、明瞭におれの耳にはいるようにして、そのあとをわざとぼかしてしまった。」とのこと。二人はさらに続けます。
「また例の堀田が・・・・・・」「そうかも知れない・・・・・・」「天麩羅・・・・・・ハハハハハ」「・・・・・・煽動して・・・・・・」「団子も?」
「言葉はかように途切れ途切れであるけれども、バッタだの天麩羅だの、団子だのというところをもって推し測ってみると、何でもおれのことについて内所話しをしているに相違ない。話すならもっと大きな声で話すがいい、また内所話をするくらいなら、おれなんか誘わなければいい。いけ好かない連中だ。」
出典:近藤浩一路 著『漫画坊つちやん』,新潮社,大正7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1087976 (参照 2025-01-16、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1087976/1/39
上には内緒話をしている場面を描いた挿絵を「漫画坊っちゃん」から引用いたします。赤シャツたちを「いけ好かない」と感じながらも「坊っちゃん」は内緒話を信じ、「山嵐」を敵とみなしました。
下宿を追われる
次の日「坊っちゃん」は、「山嵐」を敵とみなす前に奢ってもらった氷水代(一銭五厘)を返そうとしますが、彼は始業時間になっても現れませんでした。なんでも「山嵐」が周旋した下宿(いか銀)の主人から「坊っちゃん」に対するクレームがあり、事情を聴くために遅刻したとのこと。
「おれの顔を見るや否や今日は君のお蔭で遅刻したんだ。罰金を出したまえと云った。おれは机の上にあった一銭五厘を出して、これをやるから取っておけ。先達て通町で飲んだ氷水の代だと山嵐の前へ置くと、何を云ってるんだと笑いかけたが、おれが存外真面目でいるので、つまらない冗談をするなと銭をおれの机の上に掃き返した。おや山嵐の癖にどこまでも奢る気だな。」
以下は「一銭五厘」を前にして言い争いをする「坊っちゃん」と「山嵐」の挿絵です。
出典:近藤浩一路 著『漫画坊つちやん』,新潮社,大正7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1087976 (参照 2025-01-16、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1087976/1/42
二人のやりとりを抜粋してみましょう。
坊っちゃん「冗談じゃない本当だ。おれは君に氷水を奢られる因縁がないから、出すんだ。取らない法があるか」
山嵐「そんなに一銭五厘が気になるなら取ってもいいが、なぜ思い出したように、今時分返すんだ」
坊っちゃん「今時分でも、いつ時分でも、返すんだ。奢られるのが、いやだから返すんだ」
・・・・・・
山嵐「氷水の代は受け取るから、下宿は出てくれ」
坊っちゃん「一銭五厘受け取ればそれでいい。下宿を出ようが出まいがおれの勝手だ」
・・・・・・
山嵐「ところが勝手でない、昨日、あすこの亭主が来て君に出てもらいたいと云うから、その訳を聞いたら亭主の云うのはもっともだ。それでももう一応たしかめるつもりで今朝あすこへ寄って詳しい話を聞いてきたんだ・・・・・・君は乱暴であの下宿で持て余まされているんだ。いくら下宿の女房だって、下女たあ違うぜ。足を出して拭かせるなんて、威張り過ぎるさ」
坊っちゃん「おれが、いつ下宿の女房に足を拭かせた」
山嵐「拭かせたかどうだか知らないが、とにかく向うじゃ、君に困ってるんだ。下宿料の十円や十五円は懸物を一幅売りゃ、すぐ浮いてくるって云ってたぜ・・・・・・君出てやれ」
坊っちゃん「当り前だ。居てくれと手を合せたって、居るものか。一体そんな云い懸りを云うような所へ周旋する君からしてが不埒だ」
山嵐「おれが不埒か、君が大人しくないんだか、どっちかだろう」
「山嵐もおれに劣らぬ肝癪持ちだから、負け嫌いな大きな声を出す。控所に居た連中は何事が始まったかと思って、みんな、おれと山嵐の方を見て、顋を長くしてぼんやりしている。」
生徒の処分を巡って
「午後は、先夜おれに対して無礼を働いた寄宿生の処分法についての会議だ。会議というものは生れて始めてだからとんと容子が分らないが、職員が寄って、たかって自分勝手な説をたてて、それを校長が好い加減に纏めるのだろう。纏めるというのは黒白の決しかねる事柄について云うべき言葉だ。この場合のような、誰が見たって、不都合としか思われない事件に会議をするのは暇潰(ひまつぶし)だ。誰が何と解釈したって異説の出ようはずがない。こんな明白なのは即座に校長が処分してしまえばいいに。随分決断のない事だ。校長ってものが、これならば、何の事はない、煮え切らない愚図の異名だ。」
出典:近藤浩一路 著『漫画坊つちやん』,新潮社,大正7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1087976 (参照 2025-01-16、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1087976/1/49
「坊っちゃん」はすぐに生徒に厳罰が下ると考えていましたが、最初に発言した赤シャツは学校(教師)側の責任もあるという理由で、生徒への処分を寛大にすることを願います。
「赤シャツも赤シャツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんじゃない教師が悪るいんだと公言している。気狂が人の頭を撲り付けるのは、なぐられた人がわるいから、気狂がなぐるんだそうだ。難有い仕合せだ。」
頭にきた「坊っちゃん」は立ち上がって発言しました。
「私は徹頭徹尾反対です・・・・・・そんな頓珍漢(とんちんかん)な、処分は大嫌いです」
一同から笑いが起こりますが、彼はさらに続けました。
「一体生徒が全然悪るいです。どうしても詫まらせなくっちゃ、癖になります。退校さしても構いません・・・・・・何だ失敬な、新しく来た教師だと思って・・・・・・」
出典:愛媛県教育委員会公式サイト、二番町時代の松山中学校舎(明治24年)
https://ehime-c.esnet.ed.jp/soumu/kouhouehime/22kouhou_180/osirase/oshirase.html
上には、漱石が赴任したころの松山中学校の写真を引用させていただきました。なお、明治時代の松山中学校概略図(愛媛県立松山中学校一覧 明治39年4月)によると、会議室は一階の中央部にあったようです。ここでは「坊っちゃん」の威勢のいい声が響き渡っているところを想像してみましょう。
「坊っちゃん」の発言のあと、他の教師たちからは赤シャツの「寛大論」に賛成する意見が続きます。
「忌々しい、大抵のものは赤シャツ党だ。こんな連中が寄り合って学校を立てていりゃ世話はない。おれは生徒をあやまらせるか、辞職するか二つのうち一つに極めてるんだから、もし赤シャツが勝ちを制したら、早速うちへ帰って荷作りをする覚悟でいた。」
とのこと。
その時、生徒たちを扇動したはずの(?)「山嵐」が「硝子ガラス窓を振ふるわせるような声で」以下のような発言をしました。
「私は教頭及びその他諸君のお説には全然不同意であります。というものはこの事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新来の教師某氏を軽侮してこれを翻弄しようとした所為とより外には認められんのであります。教頭はその源因を教師の人物いかんにお求めになるようでありますが失礼ながらそれは失言かと思います。某氏が宿直にあたられたのは着後早々の事で、まだ生徒に接せられてから二十日に満たぬ頃であります。この短かい二十日間において生徒は君の学問人物を評価し得る余地がないのであります。軽侮されべき至当な理由があって、軽侮を受けたのなら生徒の行為に斟酌を加える理由もありましょうが、何らの源因もないのに新来の先生を愚弄するような軽薄な生徒を寛仮しては学校の威信に関わる事と思います。・・・・・・」
「山嵐」の弁論のおかげもあり、結果として
「寄宿生は一週間の禁足になった上に、おれの前へ出て謝罪をした。」
とあります。
引っ越し
「いか銀」から追い出された「坊っちゃん」は、今度は「うらなり先生」の紹介で「萩野(はぎの)」という老人夫婦の家に下宿することになりました。
下には「萩野」のモデル、上野家離れの写真を引用いたします。こちらは漱石の俳号にちなみ「愚陀仏庵」ともよばれ、一時期は俳人・正岡子規と共同生活を送った場所でもありました。
出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons、夏目漱石が松山時代に住み、一時期正岡子規と同居していた愚陀仏庵(現存せず)。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gudabutsuan.jpg
新しい下宿についての記述を「坊っちゃん」から抜粋します。
「ここの夫婦はいか銀とは違って、もとが士族だけに双方共上品だ。爺さんが夜るになると、変な声を出して謡をうたうには閉口するが、いか銀のようにお茶を入れましょうと無暗に出て来ないから大きに楽だ。お婆さんは時々部屋へ来ていろいろな話をする。」
以下には漱石が実際に使用した部屋の写真を引用しました。
出典:夏目漱石 著『漱石全集』第14巻,漱石全集刊行会,昭和11-12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1131620 (参照 2025-01-20、一部抜粋)、松山町二番町漱石の居室
https://dl.ndl.go.jp/pid/1131620/1/5
こちらの部屋でのお婆さんとの会話から、赤シャツたちが話題にする「マドンナ」の情報も得られます。
お婆さん「しかし今時の女子は、昔と違うて油断が出来んけれ、お気をお付けたがええぞなもし」
・・・・・・
坊っちゃん「どこに不たしかなのが居ますかね」
お婆さん「ここ等にも大分居ります。先生、あの遠山のお嬢さんをご存知かなもし・・・・・・ここらであなた一番の別嬪さんじゃがなもし。あまり別嬪さんじゃけれ、学校の先生方はみんなマドンナマドンナと言うといでるぞなもし。・・・・・・そのマドンナさんがなもし、あなた。そらあの、あなたをここへ世話をしておくれた古賀先生なもし――あの方の所へお嫁に行く約束が出来ていたのじゃがなもし・・・・・・ところが、去年あすこのお父さんが、お亡くなりて、・・・・・・それからというものは、どういうものか急に暮し向きが思わしくなくなって――つまり古賀さんがあまりお人が好過ぎるけれ、お欺されたんぞなもし。それや、これやでお輿入も延びているところへ、あの教頭さんがお出でて、是非お嫁にほしいとお云いるのじゃがなもし」
(*古賀さん=うらなり君)
坊っちゃん「あの赤シャツがですか。ひどい奴だ。どうもあのシャツはただのシャツじゃないと思ってた。それから?」
お婆さん「人を頼んで懸合うておみると、遠山さんでも古賀さんに義理があるから、すぐには返事は出来かねて――まあよう考えてみようぐらいの挨拶をおしたのじゃがなもし。すると赤シャツさんが、手蔓を求めて遠山さんの方へ出入をおしるようになって、とうとうあなた、お嬢さんを手馴付けておしまいたのじゃがなもし。赤シャツさんも赤シャツさんじゃが、お嬢さんもお嬢さんじゃてて、みんなが悪るく云いますのよ。・・・・・・」
「マドンナ」のモデル候補の一人とされるのが松山市の軍人の娘「遠田ステ」さんです。下には道後温泉「坊っちゃんの間」の写真を引用させていただきました。こちらの壁の上方には漱石先生の写真とならんで「遠田ステ」さんの写真が飾られています。
お婆さん「それで古賀さんにお気の毒じゃてて、お友達の堀田さんが教頭の所へ意見をしにお行きたら、赤シャツさんが、あしは約束のあるものを横取りするつもりはない。破約になれば貰うかも知れんが、今のところは遠山家とただ交際をしているばかりじゃ、遠山家と交際をするには別段古賀さんに済まん事もなかろうとお云いるけれ、堀田さんも仕方がなしにお戻りたそうな。赤シャツさんと堀田さんは、それ以来折合がわるいという評判ぞなもし」
坊っちゃん「よくいろいろな事を知ってますね。どうして、そんな詳しい事が分るんですか。感心しちまった」
お婆さん「狭いけれ何でも分りますぞなもし」
なお、「坊っちゃん」は道後温泉に向かうバス停で初めて「マドンナ」を目にしますが、そこでは以下のような表現をしています。
「色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人」「おれは美人の形容などが出来る男でないから何にも云えないが全く美人に相違ない。何だか水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握ってみたような心持ちがした。」
赤シャツとマドンナの密会
道後温泉に浸かったあと
「風呂を出てみるといい月だ。町内の両側に柳が植って、柳の枝が丸るい影を往来の中へ落している。少し散歩でもしよう。」
と「坊っちゃん」は考えます。
「いつか石橋を渡って野芹川の堤へ出た。川と云うとえらそうだが実は一間ぐらいな、ちょろちょろした流れで、土手に沿うて十二丁ほど下ると相生村へ出る。村には観音様がある。」
「坊っちゃん」に登場する野芹川などについては、以下のような考察があります。
なほ“野芹川の堤”とあるのは、たぶん石手川の土手のことであらうが、“相生村の観音様”といふのは石山寺のお大師様のことかどうか、そこまで考証するのは野暮な詮索であらう。
出典:曽我正堂 著『伊予の松山と俳聖子規と文豪漱石』,三好文成堂,昭和12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1094622 (参照 2025-01-16)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1094622/1/27
「だんだん歩いて行くと、おれの方が早足だと見えて、二つの影法師が、次第に大きくなる。一人は女らしい。おれの足音を聞きつけて、十間ぐらいの距離に逼った時、男がたちまち振り向いた。月は後からさしている。その時おれは男の様子を見て、はてなと思った。男と女はまた元の通りにあるき出した。おれは考えがあるから、急に全速力で追っ懸けた。・・・・・・土手の幅は六尺ぐらいだから、並んで行けば三人がようやくだ。おれは苦もなく後ろから追い付いて、男の袖を擦り抜けざま、二足前へ出した踵をぐるりと返して男の顔を覗き込んだ。月は正面からおれの五分刈の頭から顋の辺りまで、会釈もなく照す。男はあっと小声に云ったが、急に横を向いて、もう帰ろうと女を促がすが早いか、温泉の町の方へ引き返した。」
出典:媛県 編『皇太子殿下行啓記念写真帖』,愛媛県,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/967756 (参照 2025-01-16、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/967756/1/16
「坊っちゃん」の前を歩いていたのは「赤シャツ」と「マドンナ」でした。
「赤シャツは図太くて胡魔化すつもりか、気が弱くて名乗り損なったのかしら。ところが狭くて困ってるのは、おればかりではなかった。」
とあります。
上には大正時代の石手川の写真を引用いたしました。こちらの土手のどこかに赤シャツとマドンナが並んで歩く姿、後から速足で追いかける「坊っちゃん」の姿を置いてみましょう。
次の日のこと。
「昨夜は二返逢いましたねと云ったら、ええ停車場で――君はいつでもあの時分出掛けるのですか、遅いじゃないかと云う。野芹川の土手でもお目に懸りましたねと喰らわしてやったら、いいえ僕はあっちへは行かない、湯にはいって、すぐ帰ったと答えた。・・・・・・おれはこの時からいよいよ赤シャツを信用しなくなった。」
とあります。
旅行などの情報
四十島(ターナー島)
四十島(しじゅうしま)は「坊っちゃん」で「青嶋」として登場する無人島のモデルです。周囲約130メートル余りの花崗閃緑岩(かこうせんりょくがん)でできた島で、松が垂直に伸びる姿をみた赤シャツたちが「ターナー島」と命名しました。「坊っちゃん」が出版されると「四十島」より「ターナー島」の方が有名になり、現在は地図にも併記されています。
昭和50年代のマツクイムシの被害により一旦全ての松が枯れてしまいましたが、地元有志の方の植栽により下の写真のように復活しました。
出典:Jyo81 (ja: User), CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Shiju-shima_(Turner_island)_Matsuyama-City.JPG
ターナー島を観光するには高浜港周辺がおすすめです。海岸沿いには正岡子規によるターナー島の句碑が建てられ、近くで島を望むことができます。また、絶景映画のロケ地にもなったレトロな駅舎・高浜駅などもあるので一緒に巡ってみてはいかがでしょうか。
基本情報
【住所】松山市高浜1黒岩沖
【アクセス】句碑まで伊予鉄道高浜駅から徒歩7分(正岡子規句碑)
【参考URL】https://www.city.matsuyama.ehime.jp/
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