柳田国男「遠野物語」の風景(その5)

河童が登場

今回は鳥をテーマにしたお話から始めます。鳥の鳴き声は行方不明となった夫を探す呼び声や誤解のため姉を殺めてしまった妹の後悔を表しているとも!また、メインキャラクターでもある河童は馬を川に引きこんだり、洗濯をする女性に悪さをしたりといたずらもしますが、間引きされた赤子や間男との子に扮して村の平和に貢献しました。

五〇話(春の楽しみ)

「死助(しすけ)の山にカッコ花あり。遠野郷にても珍しという花なり。」
「カッコ花」とは下に引用した「アツモリソウ」のことです。花弁の姿が平敦盛の背負った母衣(ほろ)に似ていることが名前の由来となりました。

出典:Orchi, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons、ホテイアツモリソウ
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cypripedium_macranthos_Orchi_2011-05-01_007.jpg

「五月閑古鳥(かんこどり)の啼(な)くころ、女や子どもこれを採りに山へ行く。酢の中に漬けて置けば紫色になる。酸漿(ほおずき)の実のように吹きて遊ぶなり。この花を採ることは若き者の最も大なる遊楽なり。」

「閑古鳥」とはカッコウのこと、鳴き声に物寂しさを感じるためこの名前が付いたとのことです。こちらの音を聴きながら楽しそうに「カッコ花」を採る「女や子ども」たちの姿をイメージしてみましょう。

五一話(夫の行方を探して)

「山にはさまざまの鳥住めど、最も寂しき声の鳥はオット鳥なり。夏の夜中に啼く。浜の大槌(おおづち)より駄賃附(だちんづけ)の者など峠を越え来たれば、遥(はるか)に谷底にてその声を聞くといえり。」
下には岩手県道35号釜石遠野線(通称大槌街道)のストリートビューを引用いたしました。今でも道路の片側は険しい谷になっており、深山の雰囲気が漂っています。

「昔ある長者の娘あり。またある長者の男の子と親しみ、山に行きて遊びしに、男見えずなりたり。夕暮になり夜になるまで探しあるきしが、これを見つくることをえずして、ついにこの鳥になりたりという。」
以下の引用文によると「オット鳥」とはコノハズクのこととあります。

コノハズクであろう。(中略)コノハズクはフクロウ科の小型の鳥で、初夏に渡来して繁殖する。鳴く声から「ブッポウソウ」と混同されてきたが、昭和一〇(一九三五)年に誤りであることが判明して、それ以降、「姿のブッポウソウ」に対して、コノハズクは「声のブッポウソウ」と区別されることになった。深山に住み、里山でその声を聴くことはほとんどない。

出典:後藤総一郎(監修)、遠野常民大学(編著)、注釈遠野物語、筑摩書房、1997年、P171

「オットーン、オットーンというは夫のことなり。末の方かすれてあわれなる鳴声なり。」
下にはコノハズクの鳴き声がわかる動画(1:40あたりから)を引用させていただきました。「オットーン、オットーン」というより「オットントーン」が近いようにも思えますが、「末の方かすれてあわれなる鳴声」というのはうなずけます。

五三話(かっこうとほととぎす)

「郭公(かっこう)と時鳥(ほととぎす)とは昔ありし姉妹なり。郭公は姉なるがある時芋を掘りて焼き、そのまわりの堅きところを自ら食い、中の軟らかなるところを妹に与えたりしを、妹は姉の食う分ぶんは一層旨かるべしと想いて、庖丁にてその姉を殺せしに、たちまちに鳥となり、ガンコ、ガンコと啼きて飛び去りぬ。ガンコは方言にて堅いところということなり。」

「妹さてはよきところをのみおのれにくれしなりけりと思い、悔恨に堪えず、やがてまたこれも鳥になりて庖丁かけたと啼きたりという。遠野にては時鳥のことを庖丁かけと呼ぶ。盛岡辺にては時鳥はどちゃへ飛んでたと啼くという。」

上にはホトトギスの鳴き声の動画を引用させていただきました。「庖丁かけた」のほか動画のコメントにあるように「特許許可局」「テッペンカケタカ」などとも聴こえますね。

五四話(遠野物語の斧伝説)

「閉伊川(へいがわ)の流れには淵多く恐ろしき伝説少なからず。小国川との落合に近きところに、川井(かわい)という村あり。その村の長者の奉公人、ある淵の上なる山にて樹を伐るとて、斧を水中に取り落としたり。」

「川井という村」は平成21年まで岩手県下閉伊郡にありました。現在は宮古市になり、JR山田線「陸中川井駅」を最寄り駅としています。

以下には新川井橋からの「機織淵」周辺のストリートビューを引用いたしました。こちらの川の中に、落とした斧を必死に探す奉公人を置いてみましょう。

「主人の物なれば淵に入りてこれを探りしに、水の底に入るままに物音聞ゆ。これを求めて行くに岩の陰に家あり。奥の方に美しき娘機を織りていたり。そのハタシに彼の斧は立てかけてありたり。」

なお「その村の長者」については「注釈遠野物語」で以下のように述べられています。

南部家の家臣沢田重右衛門の家系にまつわる人と思われる。この家は、明治初期に中閉伊郡役所ともなり、現在、県立都高等学校川井分校のあるあたりを領地としていたという。

出典:後藤総一郎(監修)、遠野常民大学(編著)、注釈遠野物語、筑摩書房、1997年、P178

下の航空写真から、長者の家(旧宮古高等学校川井校)と八幡神社周辺にあった「機織淵」とは至近距離であることがわかります。

「これを返したまわらんという時、振り返りたる女の顔を見れば、二三年前に身まかりたる我が主人の娘なり。斧は返すべければ我がこの所にあることを人にいうな。その礼としてはその方身上(しんしょう)良くなり、奉公をせずともすむようにして遣らんといいたり。」
死んだはずの「我が主人の娘」は淵の主にさらわれて、妻となっていたのでしょうか。下には大正初期の機織りの写真を引用いたします。娘が機織りの手を止めて、斧を返すところをイメージしてみましょう。

出典:A.Davey from Portland, Oregon, EE UU, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0, via Wikimedia Commons、足踏織機つまり足で綜絖の上下を操作する織機(日本、1914年)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Weaving_with_a_Loom_of_Japan_(1914_by_Elstner_Hilton).jpg

「そのためなるか否かは知らず、その後胴引(どうびき)などいう博奕(ばくち)に不思議に勝ち続けて金溜り、ほどなく奉公をやめ家に引き込みて中ぐらいの農民になりたれど、この男は疾(と)くに物忘れして、この娘のいいしことも心づかずしてありしに、或る日同じ淵の辺(ほとり)を過ぎて町へ行くとて、ふと前の事を思い出し、伴なえる者に以前かかることありきと語りしかば、やがてその噂は近郷に伝わりぬ。」

「注釈遠野物語」によると「胴引」とは「人数文の麻縄のうち、一本を当たりにして小銭などを賭けてひき当てる単純な方法の博打」とあります。奉公人は博打でお金を稼ぎ、一旦は独立しますが、娘との約束を破ってしまいました。

「その頃より男は家産再び傾(かたむ)き、また昔の主人に奉公して年を経たり。家の主人は何と思いしにや、その淵に何荷(なんが)ともなく熱湯を注ぎ入れなどしたりしが、何の効もなかりしとのことなり。」

五五話(河童の間男)

「川には川童(かっぱ)多く住めり。猿ヶ石川ことに多し。」
下には猿ヶ石川近くの太郎淵の写真を引用させていただきました。この周辺には昔、「太郎」という河童が住み、洗濯などに来る女たちにいたずらをして困らせたという言い伝えがあります。

出典:遠野時間公式サイト、太郎淵
https://tonojikan.jp/tourism/tarobuchi-pool/

「松崎村の川端(かわばた)の家にて、二代まで続けて川童の子を孕(はら)みたる者あり。生れし子は斬り刻みて一升樽(いっしょうだる)に入れ、土中に埋めたり。その形きわめて醜怪なるものなりき。」
なお、河童の正体についての主要な説として以下のようなものがあります。

河童の子について、これまで、間引きを正当化するための口実として河童が利用されたものとか、奇形児(おそらくそれは頭部や顔面や手足に奇形を示すアペール症候群という疾患によるもの)の出生を怖れ、河童の子として殺したという解釈が唱えられてきた(岩本由輝「遠野の河童」『民話の手帖』第十九号、一九八四年)。

出典:後藤総一郎(監修)、遠野常民大学(編著)、注釈遠野物語、筑摩書房、1997年、P185

遠野物語五五話は不義の子が河童に見立てられています。
「女の婿(むこ)の里は新張(にいばり)村の何某とて、これも川端の家なり。その主人人(ひと)にその始終を語れり。かの家の者一同ある日畠に行きて夕方に帰らんとするに、女川の汀(みぎわ)に踞(うずくま)りてにこにこと笑いてあり。次の日は昼の休みにまたこの事あり。かくすること日を重ねたりしに、次第にその女のところへ村の何某という者夜々(よるよる)通うという噂立ちたり。」
下は猿ヶ石川周辺のストリートビューです。少し不気味ですが、こちらにうずくまって笑う娘の姿を想像してみましょう。

「始めには婿が浜の方へ駄賃附(だちんづけ)に行きたる留守をのみ窺(うかが)いたりしが、のちには婿と寝たる夜さえくるようになれり。川童なるべしという評判だんだん高くなりたれば、一族の者集まりてこれを守れどもなんの甲斐もなく、婿の母も行きて娘の側(かたわら)に寝たりしに、深夜にその娘の笑う声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなわず、人々いかにともすべきようなかりき。その産はきわめて難産なりしが、或る者のいうには、馬槽(うまふね)に水をたたえその中にて産まば安く産まるべしとのことにて、これを試みたれば果してその通りなりき。」
下には馬槽(飼い葉桶)から餌を食べる馬の写真を引用いたしました。

出典:写真AC、箱に頭を突っ込む馬
https://www.photo-ac.com/main/detail/21927/

「その子は手に水掻(みずかき)あり。この娘の母もまたかつて川童の子を産みしことありという。二代や三代の因縁にはあらずという者もあり。この家も如法(にょほう)の豪家にて何の某という士族なり。村会議員をしたることもあり。」
「注釈遠野物語」によると「このように河童という幻想に包みこまれることによって、不倫をした女とその豪家、またその聟とその実家、そして間男の誰もが傷つくことのない話になった」とあります。河童は地域の人間関係を丸く収められる便利なキャラクターでした。

五六話(遠野河童の顔は赤い!)

「上郷村の何某の家にても川童らしき物の子を産みたることあり。確かなる証とてはなけれど、身内(みうち)真赤(まっか)にして口大きく、まことにいやな子なりき。」
下に引用した写真のように遠野の河童は顔が赤いことが特徴です。

出典:写真AC、遠野駅前の河童像
https://www.photo-ac.com/main/detail/27675927?title=%E9%81%A0%E9%87%8E%E9%A7%85%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%B2%B3%E7%AB%A5%E5%83%8F

「忌(いま)わしければ棄てんとてこれを携えて道ちがえに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思い直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにとて立ち帰りたるに、早取り隠されて見えざりきという。
○道ちがえは道の二つに別かるるところすなわち追分(おいわけ)なり。」

子供を追分に捨てることについては以下のような意味合いもありました。

『拾遺』第ニ四七話は、この第五八話の子捨て譚のある種の背景を示唆している。すなわち、年回りの悪い子供は道ちがいに形式的に捨てられる。しかし、あらかじめ拾う人との申合わせができており、その子は拾われ改めてその人から貰子にされるのである。道ちがいは不幸を背負った子供が捨てられるが、穢れが祓われ甦って迎えられる場所でもあったのである。

出典:後藤総一郎(監修)、遠野常民大学(編著)、注釈遠野物語、筑摩書房、1997年、P187

五八話(河童の駒引き)

「小烏瀬川(こがらせがわ)の姥子淵(おばこふち)の辺に、新屋(しんや)の家という家あり。ある日淵へ馬を冷しに行き、馬曳(うまひき)の子は外へ遊びに行きし間に、川童出でてその馬を引き込まんとし、かえりて馬に引きずられて厩(うまや)の前に来たり、馬槽(うまふね)に覆われてありき。」

上に引用させていただいたのは「姥子淵」の投稿です。ここに冷たい水に浸かって気持ちよさそうな馬の姿、その馬を川の中に引き込もうとする河童の姿を置いてみましょう。
また、以下には遠野ふるさと村の白雪(しらゆき)というお馬さんの写真を引用させていだきました。引きずられてきた河童は馬槽の下に隠れていましたが・・・・・・。

「家のもの馬槽の伏せてあるを怪しみて少しあけて見れば川童の手出でたり。村中のもの集まりて殺さんか宥(ゆる)さんかと評議せしが、結局今後は村中の馬に悪戯(いたずら)をせぬという堅き約束をさせてこれを放したり。その川童今は村を去りて相沢(あいざわ)の滝の淵に住めりという。」

上にはカッパ淵の祠にたたずむ河童像の写真を引用いたしました。相沢の滝の淵に移住した河童も、改心して、このような神妙な顔をしていたかもしれません。

五九(家を覗く河童)

「外の地にては川童の顔は青しというようなれど、遠野の川童は面の色赭(あか)きなり。佐々木氏の曾祖母、穉(おさな)かりしころ友だちと庭にて遊びてありしに、三本ばかりある胡桃(くるみ)の木の間より、真赤なる顔したる男の子の顔見えたり。」

「佐々木氏の曾祖母」は亡くなった後に二度も姿を現した話(22話)で登場しました(遠野物語の風景その3・参照)。

出典:遠野時間公式サイト、佐々木喜善の生家
https://tonojikan.jp/tourism/birthplace-of-kizen-sasaki/

「これは川童なりしとなり。今もその胡桃大木にてあり。この家の屋敷のめぐりはすべて胡桃の樹なり。」
上には佐々木氏生家の外観の写真を引用させていただきました。こちらの外側から河童とおぼしき赤い顔の子供が中を覗いているところを想像してみましょう。

旅行などの情報

カッパ淵

今回は数多くのカッパが登場したので、カッパ伝説で有名なスポットをご紹介します。「カッパ淵」は下に引用したようなうっそうとした茂みのなかにあり、いまにもカッパが出てきそうな雰囲気です。近くの観光施設「伝承園」で「カッパ捕獲許可証」を入手し、キュウリを餌にしたカッパ釣りにチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

出典:写真AC、遠野 カッパ淵
https://www.photo-ac.com/main/detail/593777&title=%E9%81%A0%E9%87%8E%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%91%E6%B7%B5

こちらには守っ人(まぶりっと)のカッパおじさん(2代目)が週に4回ほど姿を見せ、カッパの話や民話を聴かせてくれます。隣接した「常堅寺」には火消しを手伝ったカッパが「かっぱ狛犬」として祀られているので、こちらにもお立ち寄りください。

基本情報

【住所】岩手県遠野市土淵町土淵7地割
【アクセス】JR遠野駅からバスで約25分
【参考URL】https://tonojikan.jp/tourism/kappabuchi-pool/