小泉八雲「怪談」の風景(その3)

雪女

木こりを生業とする巳之吉とその主人・茂作は、仕事帰りに大吹雪にあいます。家に帰るには渡し船で川を渡る必要がありましたが、悪天候のため船頭は引き上げてしまい、仕方なく二人はそこで夜を過ごすことになりました。そして、夜分、目を覚ました巳之吉が見たのは「白装束の女」が茂作に白い煙を吹きかけているところでした・・・・・・。

大吹雪から避難

「武蔵の国のある村に茂作、巳之吉と云う二人の木こりがいた。この話のあった時分には、茂作は老人であった。そして、彼の年季奉公人であった巳之吉は、十八の少年であった。毎日、彼等は村から約二里離れた森へ一緒に出かけた。その森へ行く道に、越さねばならない大きな河がある。そして、渡し船がある。渡しのある処にたびたび、橋が架けられたが、その橋は洪水のあるたびごとに流された。河の溢れる時には、普通の橋では、その急流を防ぐ事はできない。」
ウィキペディア・雪女によると「小泉八雲の描く『雪女』の原伝説については、東京・大久保の家に奉公していた東京府西多摩郡調布村(現在の青梅市南部多摩川沿い。現在の調布市は当時、東京府北多摩郡調布町で無関係)出身の親子(お花と宗八とされる)から聞いた話がもとになっていることがわかっている(中略)2002年には、秋川街道が多摩川をまたぐ青梅市千ヶ瀬町の「調布橋」のたもとに『雪おんな縁の地』の碑が立てられた。」とのこと。以下は「調布橋」から多摩川の下流方面にあった「千ヶ瀬の渡し」方面をみたストリートビューです。

「茂作と巳之吉はある大層寒い晩、帰り途で大吹雪に遇った。渡し場に着いた、渡し守は船を河の向う側に残したままで、帰った事が分った。泳がれるような日ではなかった。それで木こりは渡し守の小屋に避難した――避難処の見つかった事を僥倖に思いながら。小屋には火鉢はなかった。火をたくべき場処もなかった。窓のない一方口の、二畳敷の小屋であった。茂作と巳之吉は戸をしめて、蓑をきて、休息するために横になった。初めのうちはさほど寒いとも感じなかった。そして、嵐はじきに止むと思った」
下には多摩川の「菅の渡し場」にあった船頭小屋の投稿を引用させていただきました。こちらの狭いスペースのなかで、蓑をふとん代わりにして眠りにつく二人の姿をイメージしておきましょう。

部屋に白装束の女が・・・

「老人はじきに眠りについた。しかし、少年巳之吉は長い間、目をさましていて、恐ろしい風や戸にあたる雪のたえない音を聴いていた。河はゴウゴウと鳴っていた。小屋は海上の和船のようにゆれて、ミシミシ音がした。恐ろしい大吹雪であった。空気は一刻一刻、寒くなって来た、そして、巳之吉は蓑の下でふるえていた。しかし、とうとう寒さにも拘らず、彼もまた寝込んだ。彼は顔に夕立のように雪がかかるので眼がさめた。小屋の戸は無理押しに開かれていた。そして雪明かりで、部屋のうちに女、――全く白装束の女、――を見た。その女は茂作の上に屈んで、彼に彼女の息をふきかけていた、――そして彼女の息はあかるい白い煙のようであった。」

以下には小泉八雲「怪談」に掲載された浮世絵師・武内桂舟による「雪女」の挿絵を引用いたしました。こちらの雪女は髪をきちんと結っているため、より印象的なシーンになっています。

出典:Artist Keishū Makunouchis (1861-1942/1943)Author Lafcadio Hearn, Public domain, via Wikimedia Commons、小泉八雲『怪談 雪女』武内桂舟画
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kwaidan,_Stories_and_Studies_of_Strange_Things_-_Frontispiece.png

「ほとんど同時に巳之吉の方へ振り向いて、彼の上に屈んだ。彼は叫ぼうとしたが何の音も発する事ができなかった。白衣の女は、彼の上に段々低く屈んで、しまいに彼女の顔はほとんど彼にふれるようになった、そして彼は――彼女の眼は恐ろしかったが――彼女が大層綺麗である事を見た。しばらく彼女は彼を見続けていた、――それから彼女は微笑した、そしてささやいた、――『私は今ひとりの人のように、あなたをしようかと思った。しかし、あなたを気の毒だと思わずにはいられない、――あなたは若いのだから。・・・・・・あなたは美少年ね、巳之吉さん、もう私はあなたを害しはしません。しかし、もしあなたが今夜見た事を誰かに――あなたの母さんにでも――云ったら、私に分ります、そして私、あなたを殺します。・・・・・・覚えていらっしゃい、私の云う事を』

そう云って、向き直って、彼女は戸口から出て行った。その時、彼は自分の動ける事を知って、飛び起きて、外を見た。しかし、女はどこにも見えなかった。そして、雪は小屋の中へ烈しく吹きつけていた。巳之吉は戸をしめて、それに木の棒をいくつか立てかけてそれを支えた。彼は風が戸を吹きとばしたのかと思ってみた、――彼はただ夢を見ていたかもしれないと思った。それで入口の雪あかりの閃きを、白い女の形と思い違いしたのかもしれないと思った。しかもそれもたしかではなかった。彼は茂作を呼んでみた。そして、老人が返事をしなかったので驚いた。彼は暗がりへ手をやって茂作の顔にさわってみた。そして、それが氷である事が分った。茂作は固くなって死んでいた。・・・・・・」
下に引用したのは江戸時代に描かれた雪女の絵です。こちらのような「大層綺麗」な女性が大吹雪の夜にこんな場所に現れるはずがないと考えた巳之吉でしたが、茂作が凍らされているのを知って気絶してしまいました。

出典:Sawaki Suushi (佐脇嵩之), Public domain, via Wikimedia Commons、佐脇嵩之『百怪図巻』より「ゆき女」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Suushi_Yuki-onna.jpg

巳之吉の回復と結婚

「あけ方になって吹雪は止んだ。そして日の出の後少ししてから、渡し守がその小屋に戻って来た時、茂作の凍えた死体の側に、巳之吉が知覚を失うて倒れているのを発見した。巳之吉は直ちに介抱された、そして、すぐに正気に帰った、しかし、彼はその恐ろしい夜の寒さの結果、長い間病んでいた。彼はまた老人の死によってひどく驚かされた。しかし、彼は白衣の女の現れた事については何も云わなかった。再び、達者になるとすぐに、彼の職業に帰った、――毎朝、独りで森へ行き、夕方、木の束をもって帰った。彼の母は彼を助けてそれを売った。」
江戸時代には電動糸の機械は普及しておらず、以下に引用させていただいたような大木でも斧やノコギリで地道に処理していました。若年とはいえ巳之吉の体は引き締まっていたのではないでしょうか。

出典:公益財団法人渋沢栄一記念財団 実業史錦絵絵引、衣喰住之内家職幼絵解之図、[ 山に入り木を切り出す ]
https://db.ebiki.jp/works/view/2

「翌年の冬のある晩、家に帰る途中、偶然同じ途を旅している一人の若い女に追いついた。彼女は背の高い、ほっそりした少女で、大層綺麗であった。そして巳之吉の挨拶に答えた彼女の声は歌う鳥の声のように、彼の耳に愉快であった。それから、彼は彼女と並んで歩いた、そして話をし出した。少女は名は「お雪」であると云った。それからこの頃両親共なくなった事、それから江戸へ行くつもりである事、そこに何軒か貧しい親類のある事、その人達は女中としての地位を見つけてくれるだろうと云う事など。巳之吉はすぐにこの知らない少女になつかしさを感じて来た、そして見れば見るほど彼女が一層綺麗に見えた。」

出典:パブリックドメインQ、武内桂舟 「まつり」 (文藝倶楽部1903年第9巻1号より)
https://publicdomainq.net/takeuchi-keishu-0032207/

上には、小泉八雲「怪談 雪女」の挿絵の作者・武内桂舟の美人画を引用させていただきました。巳之吉はこちらの女性のように美しい「お雪」に心を惹かれていきます。

「彼は彼女に約束の夫があるかと聞いた、彼女は笑いながら何の約束もないと答えた。それから、今度は、彼女の方で巳之吉は結婚しているか、あるいは約束があるかと尋ねた、彼は彼女に、養うべき母が一人あるが、お嫁の問題は、まだ自分が若いから、考えに上った事はないと答えた。・・・・・・こんな打明け話のあとで、彼等は長い間ものを云わないで歩いた、しかし諺にある通り『気があれば眼も口ほどにものを云い』であった。村に着く頃までに、彼等はお互に大層気に入っていた。そして、その時巳之吉はしばらく自分の家で休むようにとお雪に云った。彼女はしばらくはにかんでためらっていたが、彼と共にそこへ行った。そして彼の母は彼女を歓迎して、彼女のために暖かい食事を用意した。お雪の立居振舞は、そんなによかったので、巳之吉の母は急に好きになって、彼女に江戸への旅を延ばすように勧めた。そして自然の成行きとして、お雪は江戸へは遂に行かなかった。彼女は「お嫁」としてその家にとどまった。

お雪は大層よい嫁である事が分った。巳之吉の母が死ぬようになった時――五年ばかりの後――彼女の最後の言葉は、彼女の嫁に対する愛情と賞賛の言葉であった、――そしてお雪は巳之吉に男女十人の子供を生んだ、――皆綺麗な子供で色が非常に白かった。
田舎の人々はお雪を、生れつき自分等と違った不思議な人と考えた。大概の農夫の女は早く年を取る、しかしお雪は十人の子供の母となったあとでも、始めて村へ来た日と同じように若くて、みずみずしく見えた。」
仲睦まじかったと伝えられる小泉八雲夫妻(下に写真を引用)のように、このまま「めでたしめでたし」で終わればよかったのですが・・・・・・。ちなみに「怪談」などに収録される作品の多くは、小泉節子(妻)が八雲(夫)に語り聞かせた民話や伝説を元にしているとのことです。

出典:Rihei Tomishige (1837-1922), Public domain, via Wikimedia Commons、小泉八雲(左)と節子(右)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Lafcadio_Hearn.jpg

タブーを犯した巳之吉の運命は?

「ある晩子供等が寝たあとで、お雪は行燈の光で針仕事をしていた。そして巳之吉は彼女を見つめながら云った、――
『お前がそうして顔にあかりを受けて、針仕事をしているのを見ると、わしが十八の少年の時遇った不思議な事が思い出される。わしはその時、今のお前のように綺麗なそして色白な人を見た。全く、その女はお前にそっくりだったよ』・・・・・・
 仕事から眼を上げないで、お雪は答えた、――
『その人の話をしてちょうだい。・・・・・・どこでおあいになったの』
 そこで巳之吉は渡し守の小屋で過ごした恐ろしい夜の事を彼女に話した、――そして、にこにこしてささやきながら、自分の上に屈んだ白い女の事、――それから、茂作老人の物も云わずに死んだ事。そして彼は云った、――
『眠っている時にでも起きている時にでも、お前のように綺麗な人を見たのはその時だけだ。もちろんそれは人間じゃなかった。そしてわしはその女が恐ろしかった、――大変恐ろしかった、――がその女は大変白かった。・・・・・・実際わしが見たのは夢であったかそれとも雪女であったか、分らないでいる』・・・・・・」

このように巳之吉は命拾いをしましたが、お雪との幸せな生活が戻ることはありませんでした。

なお、国内には小泉八雲の「雪女」以外にも、さまざまな「雪女」の伝説・物語があります。例えば遠野物語・一〇三話では冬の満月の夜、「童子をあまた引き連れ」遊びにくる雪女が描かれていました(遠野物語の風景その9・参照)。また、岩手県・宮城県では雪女が人の精気を奪うとされ、新潟県では子供の生き肝を抜き取ることもある怖い存在です。ほかにも言葉を交わすと食い殺されたり(秋田県)、呼びかけに対して返事をしないと谷底へ突き落とされり(茨城・福島・福井)といった伝承もあります(ウィキペディア・雪女)。
雪女がこのように情け容赦ないキャラクターということを考えると、お雪は雪女の掟(?)を破ってまで巳之吉の命を救ったのかもしれません。

旅行などの情報

雪おんな縁の地

小泉八雲「雪女」で巳之吉たちが避難したのは「千ヶ瀬の渡し」の船頭小屋であったと考えられています。その後、「千ヶ瀬の渡し」の少し上流には調布橋(ストリートビューの右側)が掛けられ、橋のたもとには「雪おんな縁の地」の石碑(ストリートビューの中央)が建てられました。

碑の裏側には小泉八雲の写真と「怪談」の序文が刻印されたパネルが埋め込まれ、周辺からは当時の様子を想像できる多摩川の流れを眺めることができます。

基本情報

【住所】東京都青梅市千ヶ瀬町5丁目
【アクセス】青梅駅から徒歩約15分
【参考URL】https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/

昭和レトロ商品博物館(雪女の部屋)

昭和の街並みが残る青梅駅周辺にある懐かしい生活雑貨の博物館です。こちらの2階には「雪女の部屋」というコーナーがあり、入口では雪女(写真)がお出迎えしてくれます。

展示室では上に引用させていただいたような紙芝居風の展示や、雪女の絵や本、ゆかりの地の古写真などを鑑賞できます。近くには昭和時代の建物のジオラマや猫グッズなどを展示する「昭和幻燈館」もあるので一緒にめぐってみてはいかがでしょうか。

基本情報

【住所】東京都青梅市住江町65
【アクセス】青梅駅から徒歩約4分
【参考URL】https://x.com/gentokan