柳田国男「遠野物語拾遺」の風景(その2)

巨石伝説

約1億1千万年前、遠野周辺には火山活動により南北37 km・東西22 kmもの花崗岩(遠野花崗岩)の地盤ができました。それから長い年月の浸食・風化を経て、数多くの巨石や奇岩が形成され、現在に至るとのこと。今回は有名観光地の「続石」のほか「羽黒岩」や「姥石」といった少しマイナーな巨岩に関する物語も追っていきましょう。

十話(丈競べ)

「綾織村字山口の羽黒様では、今あるとがり岩という大岩と、矢立松という松の木とが、おがり(成長)競べをしたという伝説がある。岩の方は頭が少し欠けているが、これは天狗が石の分際として、樹木と丈競べをするなどけしからぬことだと言って、下駄で蹴欠いた跡だといっている。」
とがり岩に向かう入口には下のストリートビューのように、天狗の巨大下駄が設置されています

「松の名を矢立松というわけは、昔田村将軍がこの樹に矢を射立てたからだという話だが、先年山師の手にかかって伐り倒された時に、八十本ばかりの鉄矢の根がその幹から出た。今でもその鏃は光明寺に保存せられている。」

なお、巨大下駄の脇には以下のような案内文が記されています。「遠野物語拾遺」と一部重複しますが、全文を引用いたしました。

羽黒岩
この上に高さ9メートルの巨石があります。矢立松と、おがり(丈)くらべをしたところ、石の分際で樹木と争うなどけしからんと天狗に下駄でけられ、上の部分が欠けたこの岩の話は「遠野物語拾遺」第10話にのっています。矢立松は、坂上田村麻呂がエゾの宮武を射った矢の鏃(やじり)がくいこんでいるといわれた松です。羽黒権現を祀っていたこのあたりは、羽黒山伏の先達たちが矢立ての行事をおこなっていた祭場だろうと推測されます。

出典:羽黒岩・矢立松の案内文

なお、鏃(やじり)が保存されているとされる「光明寺」は「天女の曼陀羅」を展示していたのと同じお寺です(遠野物語拾遺の風景その1・参照)。現在も鏃(やじり)は大切に収蔵されているのかもしれません。

十一話(続石)

「続石」は今では遠野観光の目玉の一つとなっています。遠野物語91話(遠野物語の風景その8・参照)では鳥御前が山神と出会う場所として登場しましたが、以下は巨石がつくられた由来について伝えています。

「綾織村山口の続石(つづきいし)は、この頃学者のいうドルメンというものによく似ている。二つ並んだ六尺ばかりの台石の上に、幅が一間半、長さ五間もある大石が横に乗せられ、その下を鳥居のように人が通り抜けて行くことができる。」
下には続石の写真を引用しておきます。笠石までの高さが2ⅿほどあるので、人一人なら余裕をもって通り抜けられます。

出典:Mamusi Taka, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons、続石
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E7%B6%9A%E7%9F%B3_-_panoramio_(1).jpg

「武蔵坊弁慶の作ったものであるという。昔弁慶がこの仕事をするために、いったんこの笠石を持って来て、今の泣石という別の大岩の上に乗せた。そうするとその泣石が、おれは位の高い石であるのに、一生永代他の大石の下になるのは残念だといって、一夜じゅう泣き明かした。弁慶はそんなら他の石を台にしようと、再びその石に足を掛けて持ち運んで、今の台石の上に置いた。それゆえに続石の笠石には弁慶の足形の窪みがある。」

「足形の窪み」とは上に載っている岩(笠石)の中央部のことを指しているのでしょうか。
なお、「続石」についてはドルメン(古代のお墓)説のほか土石流などによってできた自然の造形物という説もあり、結論に至ってないようです。

「泣石という名もその時からついた。今でも涙のように雫を垂らして、続石の脇に立っている。」

出典:写真AC、伝説の巨石 泣石(岩手県遠野市)
https://www.photo-ac.com/main/detail/23121523?title=%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%AE%E5%B7%A8%E7%9F%B3%E3%80%80%E6%B3%A3%E7%9F%B3%EF%BC%88%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C%E9%81%A0%E9%87%8E%E5%B8%82%EF%BC%89

上には泣石の写真を引用いたしました。たしかに木に寄りかかるように立つ姿は少しさみしそう。雨に濡れれば、さらに泣いているように見えるのではないでしょうか。

十二話(姥石・牛石)

「同じ村の字砂子沢では、姥石(うばいし)という石が石神山の裾野に立っている。昔一人の巫女が、この山たとえ女人禁制なればとて、われは神をさがす者だからさしつかえがないといって、牛に乗って石神山に登って行った。するとにわかに大雨風が起こり、それに吹き飛ばされて落ちてこの石になった。その傍には牛石という石もあるのである。」
下には姥石、牛石の写真を引用させていただきました。

今の石上山は女人禁制ではありませんが、鎖場などの急な登りが続くため、物語の「巫女」のように馬に乗ったままでは山頂まで辿りつけそうにありません。

十五話・十六話(石神)

ここからは石神のお話を2つ、ご紹介しましょう。

【15話(綾織駒形神社)】

「この駒形神社は、俗に御駒様といって石神である。男の物の形を奉納する。その社の由来は昔ちょうど五月の田植え時に、村の若い女たちが田植えをしているところへ、一人の旅人が不思議な目鼻もないのっぺりした子供に、赤い頭巾を被せたのを背中におぶって通りかかった。そうして今の御駒様のある処に来て休んだ。あるいはその地で死んだともいう。それがもとでここにこの社が建つことになったそうな。」

上にはご神体の写真を引用させていただきました。「目鼻もないのっぺりした子供」という不気味な存在は何を意味しているのでしょうか。

【16話(さまざまな石神)】

「土淵村から小国へ越える立丸峠の頂上にも、昔は石神があったという。今は陽物の形を大木に彫刻してある。この峠については金精神の由来を説く昔話があるが、それとよく似た言い伝えをもつ石神は、まだ他にも何か所かあるようである。土淵村字栃内の和野という処の石神は、一本の石棒で畠の中に立ち、女の腰の痛みを治すといっていた。」

上にはその石神の写真を引用させていただきました。以下にあるとおり、こちらの石神様は「金精神」とお墓(祖霊信仰)の二つの機能を果たしていたようです。

「畠の持主がこれを邪魔にして、その石棒を抜いて他へ棄てようと思って下の土を掘って見たら、おびただしい人骨が出た。それで崇りを畏れて今でもそのままにしてある。故伊能先生の話に、石棒の立っている下を掘って、多くの人骨が出た例は小友村の蝦夷塚にもあったという。綾織村でもそういう話が二か所まであった。」

二一話(栃の木)

「金沢村の字長谷は、土淵村字栃内の琴畑と、背中合わせになった部落である。その長谷に曲栃(まがりとち)という家があり、その家の後ろに滝明神という祠があって、その境内に昔大きな栃の木があった。ある時大槌浜の人たちが船にしようと思って、この木を所望して伐りにかかったが、いくら伐っても翌日行って見ると、切り屑が元木についてどうしても伐り倒すことはできなかった。」

ここでは「大きな栃ノ木」をイメージできるものとして山梨県の七面山、標高1000mにある栃ノ木(山梨県天然記念物)の写真を引用いたしました。樹齢は700年以上との言い伝えがあり、根元の周囲は約8.1m、樹高は約25mとされています。

出典:写真AC、七面山 登山道 山梨県天然記念物の栃ノ木
https://www.photo-ac.com/main/detail/4376126?title=%E4%B8%83%E9%9D%A2%E5%B1%B1%E3%80%80%E7%99%BB%E5%B1%B1%E9%81%93%E3%80%80%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E7%9C%8C%E5%A4%A9%E7%84%B6%E8%A8%98%E5%BF%B5%E7%89%A9%E3%81%AE%E6%A0%83%E3%83%8E%E6%9C%A8

「皆が困りきっているところへ、ちょうど来合わせた旅の乞食があった。そういうことはよく古木にはあるものだが、それは焼き伐りにすれば難なく伐り倒すことができるものだと教えてくれた。それでようやくのことでこの栃の木を伐り倒して、金沢川に流し下すと、流れて川下の壺桐の淵まで行って、倒(さか)さに落ち沈んで再び浮かび揚がらず、その淵のぬしになってしまったそうな。」
金沢川とは北上山地を水源として太平洋へと注ぐ大槌川の上流部の呼び名です。下には金沢川周辺のストリートビューを引用いたしました。「壺桐の淵」がどちらにあったかは分かりませんが、大木がこのような川に沈んでゆくところをイメージしてみましょう。

「この曲栃の家には美しい一人の娘があった。いつも夕方になると家の後ろの大栃の樹の下に行き、幹にもたれて居り居りしたものであったが、その木が大槌の人に買われてゆくということを聞いてから、斫(き)らせたくないといって毎日毎夜泣いていた。それがとうとう金沢川へ、伐って流して下すのを見ると、気狂いのようになって泣きながらその木の後についてゆき、いきなり壺桐の淵に飛び込んで沈んでいる木に抱きついて死んでしまった。」

上には「遠野物語拾遺21話」を題材にした「栃の木と(エクリ)」という本の挿絵(一部)を引用させていただきました。こちらは宇野亜喜良氏による幻想的な挿絵により、栃ノ木と娘とが死んだ後に一体化したことを表現しています。
「そうして娘の亡骸はついに浮かび出でなかった。天気の良い日には今でも水の底に、羽の生えたような大木の姿が見えるということである。」

上には富山県魚津市にある「埋没林博物館」で展示されているスギ原生林の写真を引用させていただきました。こちらは約2000年前に埋没(土や地下水で密閉・保存されてきた)したものだそうです。


旅行などの情報

続石の観光情報については以前(遠野物語の風景その8・参照)にも掲載したので、以下には「羽黒岩」と「姥石」について見どころなどをご紹介します。

羽黒岩・羽黒堂

羽黒堂の入口には天狗の巨大下駄があるので見逃すことはないでしょう。そこからお堂や羽黒岩のある場所までの所要時間は10分から15分ほどですが、上り坂となるので歩きやすい靴でお出かけください。

目的地付近は上に引用した写真の二つの岩のほかにも巨岩が立ち、自然のパワーを感じられるスポットです。また、矢立松は残っていませんが、周辺には羽黒岩よりも背の高い樹木が並んでいます。羽黒岩が再び「おがり負けてくやしがって」「自分で二つに裂けた」、ということがあるかもしれません。

基本情報

【住所】岩手県遠野市綾織町新里8地割
【アクセス】道の駅「遠野風の丘」から羽黒堂参道の入口まで徒歩約8分
【参考URL】https://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/48,73716,303,656,html

姥石(石上山登山道)

女人禁制であった石上山に登ろうとした巫女が変えられてしまったとされる石。石上山登山道の入口から5分程の場所にあります。登山道は整備されていますが、未舗装の上りが続きますのでこちらも動きやすい服装で観光しましょう。

なお、登山道の後半は鎖梯子などの鎖場が続き中級レベル以上となりますが、山頂からは早池峰や六角牛、片羽山、白見山といった遠野物語でおなじみの山々を望むことができます。標準タイムは登りが約1時間40~50分、下りが約1時間10~15分とのこと。上には「酒場詩人」の吉田類さんが石上山登山(NHKBSにっぽん百低山、2024年)をされているシーンを引用させていただきました。

基本情報

【住所】岩手県遠野市綾織町上綾織(石上山)
【アクセス】遠野駅から車で約17分
【参考URL】https://www.yamakei-online.com/yamanavi/yama.php?yama_id=18098