柳田国男「遠野物語拾遺」の風景(その5)

座敷ワラシや御蔵ボッコの話、天狗の置き土産

今回は「座敷ワラシ」や「天狗」などをメインにして「遠野物語拾遺」の風景を追っていきましょう。「座敷ワラシ」がやってくると家が繁栄するとされ、類似する神様の「御蔵ボッコ」を含め、遠野には多数の話が伝わっています。また、一日市の万吉は温泉宿で天狗と意気投合し、家に泊めたり遺品を託されたりする仲になりました。

八七~九一話(座敷ワラシや御蔵ボッコたち)

【八七話(元姫様の座敷ワラシ)】

「綾織村砂子沢(いさござわ)の多左衛門どんの家には、元御姫様の座敷ワラシがいた。それがいなくなったら家が貧乏になった。」

以下には2025年6月に遠野伝承園にて開催された「ザシキワラシ仮装写真コンテスト」の投稿を引用させていただきました。「元御姫様の座敷ワラシ」とは写真(右)の中央の方のようだったでしょうか。

【八八話(御蔵ボッコ1)】

「遠野の町の村兵(むらひょう)という家には御蔵(おくら)ボッコがいた。」
「御蔵ボッコ」とは名前のとおり蔵に住みつく神様です。座敷ワラシと同じくそこからいなくなると家運が傾くといわれています。

なお、遠野は三陸からの海産物と内陸からの農産物との交易場所として栄え、上に引用させていただいた写真のように街にはたくさんの蔵がならんでいました。蔵の選択肢が多すぎて、「御蔵ぼっこ」もどこに入るか迷ってしまったかもしれません。

「籾殻などを散らしておくと、小さな児の足跡がそちこちに残されてあった。後にそのものがいなくなってから、家運は少しずつ傾くようであったという。」

【八九話(御蔵ボッコ2)】

「前にいう砂子沢でも沢田という家に、御蔵ボッコがいるという話があった。」
遠野物語拾遺が語られたころの砂子沢は以下に引用させていただいたような山里の集落でした。蔵を持っていたのは庄屋さんを初めとした豪農だったでしょうか。

「それが赤塗りの手桶などをさげて、人の目にも見えるようになったら、カマドが左前になったという話である。」
一般には家が栄えている間は「御蔵ボッコ」の姿を見ることができず、糸車をまわす音などからのみ、実在を感じられるとのこと(遠野物語拾遺第90話)。姿が見えるのは家運が傾く前兆といわれています。

上には水木しげる先生が描いた「倉ぼっこ」のイラストを引用させていただきました。かわいい神様ですが、このようなお姿が見えてしまったときには・・・・・・。

九一話(六部殺しを疑われた家)

「附馬牛村のある部落の某という家では、先代に一人の六部が来て泊って、そのまま出て行く姿を見た者がなかったなどという話がある。」
「六部」とは「六十六部」の略語で、全国六十六か所の霊場に書き写した法華経を納めるために諸国をめぐる聖のことです。背中には以下に引用したようにお経や仏様を入れた大きな厨子を負い、その仏様を拝ませることにより木戸銭を稼いでいました。「そのまま出て行く姿を見た者がなかった」を普通に解釈すれば、持ち金を取られて殺されてしまったということでしょうか。

出典:長谷川光信 画 ほか『絵本御伽品鏡 3巻』,千草屋新右衛門,元文4 [1739]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2534308 (参照 2025-06-24、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2534308/1/7

六部の財産を得たためか(?)、「某という家」の金回りがよくなりますが、次の代になると家運が傾きだします。
「近頃になってからこの家に十になるかならぬくらいの女の児が、紅(あか)い振袖を着て紅い扇子(せんす)を持って現われ、踊りを踊りながら出て行って、下窪という家にはいったという噂がたち、それからこの両家がケエッチヤ(裏と表)になったといっている。

その下窪の家では、近所の娘などが用があって不意に行くと、神棚の下に座敷ワラシがうずくまっていて、びっくりして戻って来たという話がある。」

九二話(釜鳴神)

「遠野一日市の作平という家が栄えだした頃、急に土蔵の中で大釜が鳴り出し、それがだんだん強くなって小一時間も鳴っていた。家の者はもとより、近所の人たちも皆驚いて見に行った。それで山名という画工を頼んで、釜の鳴っている所を絵に書いて貰って、これを釜鳴神といって祭ることにした。今から二十年余り前の事である。」

上に引用させていただいたように、遠野市立博物館には小一時間も鳴っていたという「釜鳴神」が展示されています。展示室で鳴り出したというハプニングは今のところないようです(?)。

九六話(一つ眼一本足の怪物とは)

「貞任山(さだとうやま)には昔一つ眼に一本足の怪物がいた、旗屋の縫という狩人が行って
これを退治した。その頃はこの山の付近が一面の深い林であったが、後に鉱山が盛んになってその木は大方伐られてしまった。」
こちらの物語は鉱業の進化を比喩的に表しているという説が多いようです。

「一つ眼に一本足の怪物≒一本だたら」とは原始的なタタラ師のことを指しています。以下のような厳しい労働条件のため「一つ眼に一本足」になることが多かったとのことです。

名称の「一本だたら」の「だたら」はタタラ師(鍛冶師)に通じるが、これは鍛冶師が片足で鞴を踏むことで片脚が萎え、片目で炉を見るため片目の視力が落ちること、一本だたらの出没場所が鉱山跡に近いことに関連するとの説がある

出典:ウィキペディア、一本だたら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%9C%AC%E3%81%A0%E3%81%9F%E3%82%89

下には水木しげる先生のイラストをもとにした妖怪「一本だたら」の模型写真を引用いたしました。

出典:dominick.chen, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0, via Wikimedia Commons、一本だたら(模型)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yokai_Ippon_datara.jpg

なお、「旗屋の縫」とは遠野物語32話(遠野物語の風景その3・参照)に「何の隼人」として登場し、仙盤山や片羽山、権現山(死助権現)の開山に関わったとされる伝説的な猟師です(注釈遠野物語、後藤総一郎、遠野常民大学、P136)。
「旗屋の縫」が「一つ眼に一本足の怪物」(古いタタラ製鉄の象徴)を倒したことにより、西洋式の製鉄・製鋼法が広がっていきました。

九八話・九九話(天狗との交流)

【九八話(温泉で知り合う)】

「遠野の一日市に万吉米屋という家があった。以前は繁昌した大家であった。この家の主人万吉、ある年の冬稗貫(ひえぬき)郡の鉛ノ温泉に湯治に行き、湯槽に浸っていると、戸を開けて一人のきわめて背の高い男がはいって来た。退屈していた時だからすぐに懇意になったが、その男おれは天狗だといった。鼻は別段高いというほどでもなかったが、顔は赤くまた大きかった。」
天狗は山中で超人的な能力を操り、修験道の理想的な存在、転じて、熟練の修験者(山伏)のことを指すこともあるようです。下には昭和36年の中日映画社による羽黒山特集の動画を引用させていただきました。こちらの中にも厳しい修行により特殊な能力を得た「天狗」が映されているかもしれません。

「そんなら天狗様はどこに住んでござるかと尋ねると、住居は定まらぬ。出羽の羽黒、南部では巌鷲早池峯などの山々を、行ったり来たりしているといって万吉の住所をきき、それではお前は遠野であったか。おれは五葉山や六角牛へも行くので、たびたび通って見たことはあるが、知合いがないからどこへも寄ったことがない。これからはお前の家に行こう。何の仕度にも及ばぬが、酒だけ多く御馳走をしてくれといい、こうして二、三日湯治をして、また逢うべしと言い置いてどこへか行ってしまった。」

出典:巌手県奉迎会 編『東宮行啓紀念写真帖』,巌手県奉迎会,明41.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/780856 (参照 2025-06-25、一部抜粋)、鉛温泉
https://dl.ndl.go.jp/pid/780856/1/144

上には天狗が湯治をしていたとされる「鉛温泉・藤三旅館」の写真を引用いたしました。川沿いに立っている人に天狗の姿を重ねてみましょう。
「その次の年の冬のある夜であった。不意に万吉の家にかの天狗が訪ねて来た。今早池峯から出て来てこれから六角牛に行くところだ。一時も経てば帰るから、今夜は泊めてくれ。そんなら行って来ると言ってそのまま表へ出たが、はたして二時間とも経たぬうちに帰って来た。六角牛の頂上は思いのほか、雪が深かった。そう言ってもおまえたちが信用せぬかと思ってこの木の葉を採って来たと言って、一束の梛(なぎ)の枝を見せた。町から六角牛の頂上の梛の葉のある所までは、片道およそ五、六里もあろう。それも冬山の雪の中だから、家の人は驚き入って真に神業と思い、深く尊敬して多量の酒を飲ましめたが、天狗はその翌朝出羽の鳥海に行くと言って出て行った。」
以下には修験道の祖・役行者が最初に開いたとされる大峯山周辺での修行の様子を引用させていただきました。万吉の友人となった天狗もこのような激しい修行をしていたと思われます。

出典:一般社団法人 吉野ビジターズビューロー公式サイト、修験道の山 吉野より
https://yoshino-kankou.jp/know/shugendo/

「それから後は年に一、二度ずつ、この天狗が来て泊った。酒を飲ませると、ただでは気の毒だといって、いつも光り銭(文銭)を若干残しておくを例とした。酒が飲みたくなると訪ねて来るようにも取られる節があった。そういう訪問が永い間続いて、最後に来た時にはこう言ったそうである。おれももう寿命が尽きて、これからはお前たちとも逢えぬかも知れない。形見にはこれを置いてゆこうと言って、著ていた狩衣のような物を脱いで残して行った。そうして本当にそれきり姿を見せなかったそうである。その天狗の衣もなおこの家に伝わっている。主人だけが一代に一度、相続の際とかに見ることになっているが、しいて頼んで見せてもらった人もあった。縫目はないかと思う夏物のような薄い織物で、それに何か大きな紋様のあるものであったという話である。」

【九九話(その名は清六天狗)】

引き続き天狗のお話です。前話(98話)で話題にあげられた「天狗の衣」を説明するところから始まります。

「遠野の町の某という家には、天狗の衣という物を伝えている。袖の小さな襦袢(じゅばん)のようなもので、品は薄くさらさらとして寒冷紗(かんれいしゃ)に似ている。袖には十六弁の菊の綾を織り、胴には瓢箪(ひょうたん)形の中に同じく菊の紋がある。色は青色であった。昔この家の主人と懇意にしていた清六天狗という者の著用であったという。清六天狗は伝うるところによれば、花巻あたりの人であったそうで、おれは物の王だと常にいっていた。早池峯山などに登るにも、いつでも人の後から行って、頂上に著いて見ると知らぬ間にすでに先へ来ている。そうしてお前たちはどうしてこんなに遅かったかと言って笑ったそうである。」
以下には清六天狗をモチーフにした天狗像の写真を引用させていただきました。青色の「天狗の衣」を羽織り、よく見ると左手には「一束の梛の枝」も握られています。遠野駅前の観光案内所兼お土産屋さんの「旅の蔵」にいらっしゃるのでお見逃しなく。

「酒が好きで常に小さな瓢箪を持ちあるき、それにいくらでも酒を量り入れて少しも溢れなかった。酒代によく錆びた小銭をもって払っていたという。この家にはまた天狗の衣の他に、下駄をもらって宝物としていた。」
下に引用させていただいたのも遠野市立博物館が所蔵する天狗の形見の写真です。上の写真に対し天狗像や天狗の絵馬が加えられています。いくらでも酒が入るという魔法の「小さな瓢箪」は置いていかなかったのかもしれません。

「右の清六天狗の末孫という者が、今も花巻の近村に住んで、人はこれを天狗の家と呼んでいる。この家の娘が近い頃女郎になって、遠野の某屋に住み込んでいたことがある。この女は夜分いかに厳重に戸締りをしておいても、どこからか出て行って町をあるきまわり、または人の家の林檎園にはいって、果物を採って食べるのを楽しみにしていたが、今は一ノ関の方へ行って住んでいるという話である。」

旅行などの情報

鉛温泉・藤三旅館

鉛温泉は約600年前に開湯した歴史のある温泉です。「藤三旅館」の祖先が、桂の木の下から湧き出るお湯に白猿が浸かっていることを発見したことが、開湯のきっかけとなりました。その言い伝えにちなんだ藤三旅館「白猿の湯」は岩を手掘りして造った浴槽で、深さが1.25ⅿほどあるため立ったまま入るのが特徴です。以下には「白猿の湯」の写真を引用させていただきました。こちらで天狗と米屋の万吉が談笑しているところを想像してみましょう。

また、内湯・露天風呂を併設した「桂の湯」の浴槽は豊沢川に隣接し、川のせせらぎを聴きながらの入浴を楽しめます。館内には合計4つの浴槽を持ち、全てが源泉かけ流しというのも人気のポイントです。宿泊以外にも日帰り温泉やランチ付きの入浴も実施しているので気軽にお立ち寄りください。

基本情報

【住所】岩手県花巻市鉛字中平75-1
【アクセス】東北新幹線新花巻駅から車で約35分
【参考URL】https://namari-onsen-ryokan.com/

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