種田山頭火「行乞記」の風景(その12・酒壺洞や時雨亭、双之介、苦味生など俳友との交流・大仏見物も!)

酒壺洞や時雨亭、双之介、苦味生など俳友との交流・大仏見物も!

今回(行乞記の風景その11・参照)も山頭火は多数の俳友と交流、福岡では酒壺洞さんの家でラジオを聴いたり、飛行機を見たりして「近代科学」に触れます。その後も、繊細な時雨亭さんや純情な双之介さん、炭鉱で重労働をしながらも母と幸せに過ごす苦味生さんなどの歓迎を受け、日本有数の大仏を拝観、世界一周中にリンドバーグが来訪した空港も見物しました。

主な出典:青空文庫、行乞記(ぎょうこつき)、底本:山頭火全集 第三巻、出版社: 春陽堂書店、入力:「さくらんぼ」氏、校正:小林繁雄氏、門田裕志氏
https://www.aozora.gr.jp/cards/000146/card44913.html

ビルデイングの影に影・福岡市(酒壺洞居)

 「十二月五日 曇、時雨、行程三里、福岡市、句会、酒壺洞居。

お天気も悪いし、気分もよくないので、一路まつすぐに福岡へ急ぐ、十二時前には、すでに市役所の食堂で、酒壺洞君と対談することが出来た(市役所で、女の給仕さんが、酒壺洞君から私の事を聞かされてゐて、うろ/\する私を見つけて、さつそく酒壺洞君を連れて来てくれたのはうれしかつた)、」
下には大正12年に竣工した福岡市役所・3代目庁舎の写真を引用いたしました。「酒壺洞」とは福岡市役所に勤務していた三宅安太郎氏の俳号です。江戸時代の禅僧・仙厓和尚の研究家としても知られていました。

出典:福岡市 編『福岡市勢要覧』昭和18年版,福岡市,昭和18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1439401 (参照 2026-03-17),、福岡市役所
https://dl.ndl.go.jp/pid/1439401/1/6

「退庁まではまだ時間があるので、後刻を約して札所めぐりをする、九州西国第三十二番は龍宮寺、第三十一番は大乗寺、どちらも札所としての努力が払つてない、もつと何とかしたらよさゝうなものだと思ふ。
龍宮寺は現在も「九州西国第三十二番」として続いていますが、大乗寺は戦災で焼失してしまいました。当時を偲べるのは元寇の際に敵国の降伏を祈願した「亀山上皇勅願石」や地蔵菩薩板碑などの石碑のみです。以下には大乗寺跡(画面右が勅願石)付近のストリートビューを掲載いたしました。

「夜は酒壺洞居で句会、時雨亭さん、白楊さん、青炎郎さん、鳥平さん、善七さんに逢つて愉快だつた、散会後、私だけ飲む、寝酒をやるのはよくないのだけれど。……
さすがに福岡といふ気がする、九州で都会情調があるのは福岡だけだ(関門は別として)、街も人も美しい、殊に女は! 若い女は! 街上で電車切符売が多いのも福岡の特色だ。
存在の生活といふことについて考へる、しなければならない、せずにはゐられないといふ境を通つて来た生活、『ある』と再認識して、あるがまゝの生活、山是山から山非山を経て山是山となつた山を生きる。……
役所のヒケのベルの音、空家の壁に張られたビラの文字、――酒呑喜べ上戸党万歳!」

下には昭和初期の福岡市中心部のダイナミックな写真を引用いたしました。このようなビル街を着飾った女性たちが歩く様子をイメージしてみます。

出典:福岡市 編『福岡市市制施行五十年史』,福岡市,昭14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1246716 (参照 2026-03-23、一部抜粋)、伸び行く福岡
https://dl.ndl.go.jp/pid/1246716/1/5

「……たゞこの二筋につながる、肉体に酒、心に句、酒は肉体の句で、句は心の酒だ、……この境地からはなか/\出られない。……
・ボタ山も灯つてゐる
 別れる夜の水もぞんぶんに飲み
・しぐるゝ今日の山芋売れない
 親一人子一人のしぐれ日和で
 新道まつすぐな雨にぬれてきた
 砂利を踏む旅の心
 焼き捨てる煙である塵である
 車、人間の臭を残して去つた
 地下室を出て雨の街へ
 飾窓の人形の似顔にたゝずむ
 大根ぬいてきておろして下さるあんただ(次郎さんに)
・濡れてもかまはない道のまつすぐ
 窓をあけた明るい顔だつた
 水を挾んでビルデイングの影に影
 お寺の大銀杏散るだけ散つた
・ぬれてふたりで大木を挽いてゐる
 しぐるゝやラヂオの疳高い声
 買ふことはない店を見てまはつてる
・窓の中のうまいもの見てゐるか
 どの店も食べるものばかりひろげて
・よんでも答へない彼についてゆく
 十二月の風も吹くにまかさう(寸鶏頭さんに)」

飛行機着いたよ着いたよ波・時雨亭居

 「十二月六日 雨、福岡見物、彷徨五里、時雨亭居。

眼がさめて、あたりを見まはすと、層雲文庫の前だ、酒壺洞君は寝たまゝでラヂオを聞いてゐる、私にも聴かせてくれる、今更ながら機械の力に驚かずにはゐられない、九時、途中で酒君に別れて、雨の西公園を見物する、」
下には昭和初期の西公園の写真を引用いたしました。「躍進の大福岡(写真引用元)」の説明文には福岡観光の代表的なスポットとして紹介されています。

出典:『躍進の大福岡』,博多築港記念博覧会事務局,昭和11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1099622 (参照 2026-03-17、一部抜粋)、西公園、福岡に足を留むる者は必ず此処に遊ぶ(後略)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1099622/1/11

「それからまた歩きつゞけて、名島の無電塔や飛行場見物、ちようど郵便飛行機が来たので、生れて初めて、飛行機といふものを近々と見た。時雨亭さんは神経質である、泊るのは悪いと思つたけれど、やむなく今夜は泊めて貰ふ、酒壺洞君もやつてきて、十二時頃まで話す。
今日は朝のラヂオから夕の飛行機まで、すつかり近代科学の見物だつた、無論、赤毛布!いや黒合羽だつた!」

出典:『躍進の大福岡』,博多築港記念博覧会事務局,昭和11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1099622 (参照 2026-03-17、一部抜粋)、名島飛行場
https://dl.ndl.go.jp/pid/1099622/1/10

上には昭和9年まで福岡市東区名島にあった名島飛行場の写真を引用いたしました。こちらは水上機専用の飛行場で、昭和6年9月にリンドバーグ夫妻が世界一周中に来訪したでも話題になりました。ちなみにリンドバーグはこの時、山頭火と同じく西公園を観光しています。
下にはリンドバーグの飛行艇着水の写真を引用いたしました。山頭火も「郵便飛行機」がこのように着水するのを見ていたかもしれません。

出典:不明/Unknown, Public domain, via Wikimedia Commons、福岡県福岡市の名島海岸に着水するリンドバーグ夫妻のロッキード・シリウス「チンミサトーク」号
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Charles_Lindbergh_and_his_wife_visit_to_Najima_coast,_Fukuoka,_Japan.jpg

「朝の木の実のしゞま
 降るまゝ濡れるまゝで歩く
・赤い魚すぐ売れた
 泥をあびせられつゝ歩くこと
・雨の公園のロハ台が見つからない
・すさんだ皮膚を雨にうたせる
・ふけてアスフアルトも鈴蘭燈もしぐれます
・さんざしぐれる船が出てゆく
・死ねない人の鈴(レイ)が鳴る
 墓をおしのけレールしく
 松原ほしいまゝな道を歩く(名島風景)
・正しく並んで烟吐く煙突四本( 〃 )
 飛行機着いたよ着いたよ波
 飛行機飛んで行つた虹が見える
 無電塔、またしぐれだした
 蚤も虱もいつしよに寝ませう
 暮れ残る頂の枯すゝき
 すさまじい響の大空曇る
時雨亭さんは近代人、都会人であることに疑いない、あまり神経がこまかくふるへるのが対座してゐる私の神経にもつたはつて、時々私自身もやりきれないやうに感じるけれど、やつぱり好意の持てる人である。」

二十五日は津屋崎に到り、ここから福岡へ直行し箱崎の鈴木時雨亭を訪ね、高松征二、四至木卓蔵らをまじえ句会をもったようである。時雨亭は本名重貞、当時は九州大学附属図書館に勤務、独身で箱崎の大仏近くに下宿していた。

出典:木下信三 著『山頭火伝』,古川書房,1983.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12464824 (参照 2026-03-17)

「山頭火伝、木下信三、古川書房」には時雨亭さんについて上のような情報が記されています(二十五日→昭和5年2月25日)。

からだあたゝまる心のしづむ・二日市町

 「十二月七日 晴、行程四里、二日市町、わたや(三〇・中)

早く眼は覚めたが――室は別にして寝たが――日曜日は殊に朝寝する時雨亭さんに同情して、九時過ぎまで寝床の中で漫読した、やうやく起きて、近傍の大仏さんに参詣して回向する、多分お釈迦さんだらうと思ふが、大衆的円満のお姿である、」
「近傍の大仏さん」とは福岡市東区馬出にある「称名寺」の銅製大仏のことです。明治45年に落成し、「博多大仏」という愛称で親しまれましたが、戦時中の金属供出により消失。下のストリートビューのように今は台座だけが残っています。

下には「博多大仏」を参拝する山頭火たちの姿をイメージしてみました。

出典:ChatGPTにより生成された画像、『大仏を拝む僧たち』などのキーワードをベースに生成、生成日:2026年3月17日

「十一時近くなつて、送られて出立する、別れてから一時頃まで福岡の盛り場をもう一度散歩する、かん酒屋に立ち寄つて、酢牡蠣で一杯やつて、それでは福岡よ、さよなら!
ぽか/\と小春日和だ、あまり折れ曲りのない道をこゝまで四里、酔が醒めて、長かつた、労いた(マヽ)、夕飯をすまして武蔵温泉まで出かけて一浴、また一杯やつて寝る。」
以下には大正時代の武蔵温泉の写真を引用いたしました。こちらの温泉街に手ぬぐい片手に歩く山頭火を置いてみましょう。

出典:駸々堂旅行案内部 編『九州鉄道旅行案内』,駸々堂書店,大正7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/933201 (参照 2026-03-17、一部抜粋)、武蔵温泉湯町
https://dl.ndl.go.jp/pid/933201/1/42

 「朝日かゞやく大仏さまの片頬
 まともに拝んで、まはつて拝む大仏さま
 師走の街のラヂオにもあつまつてゐる
・小春日有縁無縁の墓を洗ふ
 送らるゝぬかるみの街
 おいしいにほひのたゞよふところをさまよふ
 ぬかるみもかはくけふのみち
・近づいてゆく山の紅葉の残つてゐる
・どつかりと腰をおろしたのが土の上で
・三界万霊の石塔傾いてゐる
 ころがつてゐる石の一つは休み石
・酔がさめて埃つぽい道となる
 からだあたゝまる心のしづむ(武蔵温泉)
福岡の中州をぶらぶら歩いてゐると、私はほんたうに時代錯誤的だと思はずにはゐられない、乞食坊主が何をうろうろしてると叱られさうな気がする(誰に、――はて誰にだらう)。」
下には「世界館」という福岡初の映画常設館の写真を引用いたしました(大正2年竣工)。山頭火もこちらの前で托鉢をしていたかもしれません。

出典:清原伊勢雄 編『福岡市』,福岡市編纂部,大正5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/955818 (参照 2026-03-17、一部抜粋)、世界館
https://dl.ndl.go.jp/pid/955818/1/199

「すぐれた俳句は――そのなかの僅かばかりをのぞいて――その作者の境涯を知らないでは十分に味はへないと思ふ、前書なしの句といふものはないともいへる、その前書とはその作者の生活である、生活といふ前書のない俳句はありえない、その生活の一部を文字として書き添へたのが、所謂前書である。」

爆音が聞える宿場町・松崎(双之介居)

 「十二月八日 晴后曇、行程四里、松崎、双之介居。

八時頃、おもたい地下足袋でとぼとぼ歩きだした、酒壺洞君に教へられ勧められて双之介居を訪ねるつもりなのである、やうやく一時過ぎに、松崎といふ田舎街で『歯科口腔専門医院』の看板を見つける、ほんたうに、訪ねてよかつた、逢つてよかつたと思つた、純情の人双之介に触れることが出来た(同時に酔つぱらつて、グウタラ山頭火にも触れていたゞいたが)、まちがいのないセンチ、好きにならずにはゐられないロマンチシズム、あまりにうつくしい心の持主で、醜い自分自身を恥ぢずにはゐられない双之介、ゆたかな芸術的天分を発揮しないで、恋愛のカクテルをすゝりつゝある人――さういつたものを、しんみりと感じた。」
後のことになりますが、歯科医であった双之介(柴田双之介)が山頭火に総入れ歯にすることを提案したところ、断わられたというエピソードが残っています。以下は「生誕百年山頭火、大山澄太」からの引用です。

 抜けたら抜けたままの歯がない口で
 山裾やすらかに歯のないくらしで
と詠っているように、其中庵入庵の時には一、二本あった歯が、いつのほどにか一本もなくなっている。入歯する費用のない山頭火ではあるが、彼は自然のままが好きなのであった。九州行乞中、柴田双之介という『層雲』の友で歯科医のところに泊って、彼がただでよいようにしてやるから、五、六日泊ってくれと言ってくれたこともあったが、「そのまま」でよいと言って立ち去っている。

出典:大山澄太 著『生誕百年山頭火』,春陽堂書店,1981.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12464794 (参照 2026-03-18)、公開範囲:送信サービスで閲覧可能
https://dl.ndl.go.jp/pid/12464794/1/26

「開業所、宿泊所、飲食所、それがみんな別々なのも面白い、いかにも双之介的らしい、このあたりは悪くない風景だが、太刀洗が近いので、たえず爆音が聞えるのは困る。……」
当時、太刀洗には東洋一の規模を誇る「太刀洗飛行場」がありました。日本陸軍の飛行場でしたが、1929年(昭和4年)から1936年(昭和11年)までは民間機も運航されていたので、頻繁に離着陸の音がしたのでしょう。以下には太刀洗飛行場の写真を引用いたします。

出典:『三井郡勢史 : 自治制五十周年記念』,三井郡勢史社,昭和13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1036994 (参照 2026-03-18、一部抜粋)、太刀洗飛行場
https://dl.ndl.go.jp/pid/1036994/1/12

「昨日今日は近代科学に脅やかされた、その適切な一例として、右は汽車が走る、左は電車が走る、そのまんなかを自動車が走る、法衣を着て網代笠をかかつた私が閉口するのも無理はあるまい、閉口しなければウソだ。
道を訊ねる、答へる人の人間的価値がよく解る、今日も度々道を訊ねたが、中年の馬車挽さんは落第、若い行商人は満点だつた、教へるならば、深切に、人情味のある答を望むのは無理かな。」
双之介さんの住んでいた「松崎」は現在の福岡県小郡市松崎、江戸時代には松崎藩の宿場町として栄えたところです。以下にはその面影を残す「旅籠油屋」周辺のストリートビューを掲載いたしました。

「しんせつに教へられた道の落葉
・つめたい雨のうつくしい草をまたぐ
 大木に腰かけて旅の空
 立札の下手くそな文字は「節倹」
 山茶花散つて貧しい生活
 坊さん二人下りたゞけの山の駅の昼(追加)
 大金持の大樅の木が威張つてゐる
・空の爆音尿してゐる(太刀洗附近)
・たゝへた水のさみしうない
 また逢つた薬くさいあんたで(追加)
・降るもよからう雨がふる
 夕空低う飛んで戻た(マヽ)(飛行機)
 暮れてもまだ鳴きつゞける鵙だ
今夜は酔ふた、すつかり酔つぱらつて自他平等、前後不覚になつちやつた、久しぶりの酔態だ、許していたゞかう。

 十二月九日 雨后晴、双之介居滞在(本郷上町今村氏方)

よい一日だつた、勧められるまゝに滞在した、酒を飲んで物を考へて、さてどうしようもないが、どうしようもないまゝでよかつた、日記をつけたり、近所のお寺へまゐつたりした、……そして田園情調を味はつた、殊に双之介さんが帰つて、床を並べて、しんみり話し合つてゐるところへ、家の人から御馳走になつた焼握飯(ヤキムスビ)はおいしかつた。
双之介さんと対座してゐると、人間といふものがなつかしうなる、それほど人間的温情の持主だ、同宿の田中さん(双之介さんと同業の友達)もいゝ人物だつた、若さが悩む悶えを聞いた。
みあかしゆらぐなむあみだぶつ(お寺にて)
自動車まつしぐらに村の夕闇をゆるがして行つた」

屏風山に沿って歩く・善導寺

 「十二月十日 晴、行程六里、善導寺、或る宿(二五・中)

九時近くなつて、双之介さんに送られて、田主丸の方へ向ふ、別れてから、久しぶりに行乞を初めたが、とても出来ないので、すぐ止めて、第十九番の札所に参拝する、本堂庫裡改築中で落ちつきがない、まあ市井のお観音様といつた感じである、」

「第十九番の札所」は「石垣山観音寺」です。天武天皇の勅願寺として創建された由緒あるお寺で、推定樹齢350年の「ハルサザンカ」や「牛鬼」の左手のミイラ(寺宝公開時のみ拝観可)などの見どころがあります。下にはお寺周辺のストリートビューを掲載いたします。

「こゝから箕ノ山の麓を善導寺までの三里は田舎路らしくてよかつた、箕ノ山といふ山はおもしろい、小さい山があつまつて長々と横は(マヽ)つてゐるのである、陽をうけて、山脈が濃淡とりどりなのもうつくしかつた、途中、第十八番の札所へ詣るつもりだつたが、宿の都合が悪く、日も暮れかけたので、急いで此宿を探して泊つた、同宿者が多くてうるさかつた、日記を書くことも出来ないのには困つた、床についてからも嫌な夢ばかり見た、四十九年の悪夢だ、夢は意識しない自己の表現だ、何と私の中には、もろもろのものがひそんでゐることよ!」
「箕ノ山」は下のストリートビューのように高良山や耳納山、発心山などが連なった連山で、屏風のような姿から「屏風山」とも呼ばれています。山頭火もこちらのような美しい景色を楽しんだことでしょう。

「・旅は雀もなつかしい声に眼ざめて
・落葉うづたかく御仏ゐます
・行き暮れて水の音ある」

さうろうとしてけふもくれたか・羽犬塚

 「十二月十一日 晴、行程七里、羽犬塚、或る宿(二〇・中ノ上)

朝早く、第十八番の札所へ拝登する、山裾の静かな御堂である、札所らしい気分になる、そこから急いで久留米へ出て、郵便局で、留置の雑誌やら手紙やらを受け取る、こゝで泊るつもりだけれど、雑踏するのが嫌なので羽犬塚まで歩く、目についた宿にとびこんだが、きたなくてうるさいけれど、やすくてしんせつだつた。」
有馬氏が治めた城下町であった久留米は、福岡県南部の中心都市です。「雑踏するのが嫌」とあるように、当時から以下の写真のように建物が密集していました。

出典:久留米市 編『久留米市誌』上編,久留米市,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1209595 (参照 2026-03-18、一部抜粋)、市庁舎上よりの展望(東部)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1209595/1/25

「霜――うらゝか――雲雀の唄――櫨の並木――苗木畑――果実の美観――これだけ書いておいて、今日の印象の備忘としよう。
・大霜の土を掘りおこす
 枯草ふみにじつて兵隊ごつこ
 うらゝかな今日の米だけはある
 さうろうとしてけふもくれたか
 街の雑音も通り抜けて来た」

上には羽犬塚の藤島橋畔に設置された山頭火の句碑「さうろうとしてけふもくれたか」のストリートビューを掲載いたしました。こちらに、ふらつきながら宿を探す山頭火の姿を置いてみましょう。

なお「羽犬塚」というユニークな地名は筑後市に伝わる背中に翼を持つ伝説上の犬「羽犬(はいぬ)」が由来です(ウィキペディア・羽犬)。以下は羽犬塚駅前に設置されている「羽犬モニュメント 」付近のストリートビューです。

石地蔵尊に導かれて・原町

 「十二月十二日 晴、行程六里、原町、常盤屋(三〇・中)

思はず朝寝して出立したのはもう九時過ぎだつた、途中少しばかり行乞する、そして第十七番の清水寺へ詣でる、九州西国の札所としては有数の場所だが、本堂は焼失して再興中である、再興されたら、随分見事だらう、」
「第十七番の清水寺」は現在の16番札所「本吉山・清水寺」です。山門(1745年築)や三重塔(1836年築)は県の重要文化財に指定された歴史を感じさせる建物。雪舟作とされる本坊庭園は「心の字池」を中心に配置し、背後の愛宕山を借景としています。以下には紅葉時期の本坊庭園の写真を引用いたしました。

出典:写真AC、清水寺(福岡県みやま市)の本坊庭園
https://www.photo-ac.com/main/detail/25477337&title=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%AF%BA%EF%BC%88%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E3%81%BF%E3%82%84%E3%81%BE%E5%B8%82%EF%BC%89%E3%81%AE%E6%9C%AC%E5%9D%8A%E5%BA%AD%E5%9C%92

「こゝから第十六番への山越は□□□にない難路だつた、そこの尼さんは好感を与へる人だつた、こゝからまた清水寺へ戻る別の道も難路だつた、やうやく前の道へ出て、急いでこゝに泊つた、共同風呂といふのへはいつた、酒一合飲んだらすつかり一文なしになつた、明日からは嫌でも応でも行乞を続けなければならない。
行乞! 行乞のむづかしさよりも行乞のみじめさである、行乞の矛盾にいつも苦しめられるのである、行乞の客観的意義は兎も角も、主観的価値に悩まずにゐられないのである、根本的にいへば、私の生存そのものゝ問題である(酒はもう問題ではなくなつた)。」

「第十六番」は現在の17番札所「巨泉山・永興寺」と思われます。清水寺から永興寺までは2㎞ほどですが、上のストリートビューのような山越をしなければなりません。

「・日向の羅漢様どれも首がない(清水寺)
・山道わからなくなつたところ石地蔵尊
 明日は明日のことにして寝ませうよ
遍路山道の石地蔵尊はありがたい、今日は石地蔵尊に導かれて、半里の難路を迷はないで巡拝することが出来た。
今夜の宿も困つた、やつと蝋燭のあかりで、これだけ書いた、こんなことにも旅のあはれが考へられる。……」

出典:Gemini 3により生成された画像、『石仏を目印に山道を歩く僧』などのキーワードをベースに生成、生成日:2026年3月18日

「石地蔵尊に導かれて」難路の難路を進む山頭火の姿を描いてみました。

冬が来て心細くなった・大牟田市

 「十二月十三日 曇、行程四里、大牟田市、白川屋( マヽ  )

昨夜は子供が泣く、老爺がこづく、何や彼やうるさくて度々眼が覚めた、朝は早く起きたけれど、ゆつくりして九時出立、渡瀬行乞、三池町も少し行乞して、普光寺へ詣でる、堂塔は見すぼらしいけれど景勝たるを失はない、このあたりには宿屋――私が泊るやうな――がないので、大牟田へ急いだ、日が落ちると同時に此宿へ着いた、風呂はない、風呂屋へ行くほどの元気もない、やつと一杯ひつかけてすべてを忘れる。……」
「三井三池炭田」の中心地として栄えた大牟田には、下に引用したような近代的な建物が並んでいました。

出典:町田定明 編『三池炭鉱と大牟田市写真帳』,町田定明,大正15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/920910 (参照 2026-03-18、一部抜粋)、金毘羅宮より見たる大牟田市
https://dl.ndl.go.jp/pid/920910/1/6

「痰が切れない爺さんと寝床ならべる
・孫に腰をたゝかせてゐるおぢいさんは
・眼の見えない人とゐて話がない
 水仙一りんのつめたい水をくみあげる
 水のんでこの憂欝のやりどころなし
 あるけばあるけば木の葉ちるちる
先夜同宿した得体の解らない人とまた同宿した、彼は自分についてあまりに都合よく話す、そんなに自分が都合よく扱へるかな!
私はどうやらアルコールだけは揚棄することが出来たらしい、酒は飲むけれど、また、飲まないではゐられまいけれど、アルコールの奴隷にはならないで、酒を味ふことが出来るやうになつたらしい。
冬が来たことを感じた、うそ寒かつた、心細かつた、やつぱりセンチだね、白髪のセンチメンタリスト! 笑ふにも笑へない、泣くにも泣けない、ルンペンは泣き笑ひする外ない。
夜、寝られないので庵号などを考へた、まだ土地も金も何もきまらないのに、もう庵号だけはきまつた、曰く、三八九庵(唐の超真和尚の三八九府に拠つたのである)。」

明るくて一間きり・万田(苦味生居、末光居)

 「十二月十四日 晴、行程二里、万田、苦味生居、末光居。

霜がまつしろにおりてゐる、冷たいけれど晴れきつてゐる、きょうは久振に苦味生さんに逢へる、元気よく山ノ上町へ急ぐ、坑内長屋の出入はなかなかやかましい(苦味生さんの言のやうに、一種の牢獄といへないことはない)、やうやくその長屋に草鞋を脱いだが、その本人は私を迎へるために出かけて留守だつた、母堂の深切、祖母さんの言葉、どれもうれしかつた、句稿を書き改めてゐるうちに苦味生さん帰宅、さつそく一杯二杯三杯とよばれながら話しつゞける、――苦味生さんには感服する、あゝいふ境遇であゝいふ職業で、そしてあゝいふ純真さだ、彼と句とは一致してゐる、私と句とが一致してゐるやうに。
入浴して散歩する、話しても話しても話し飽かないほど、二人は幸福であり平和であつた、彼等に幸福と平和とがつゞくことを祈る。」

出典:西田繁造 編『日本名勝旧蹟産業写真集』中国・四国・九州地方之部,富田屋書店,大正7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/967086 (参照 2026-03-23、一部抜粋)、万田坑全景
https://dl.ndl.go.jp/pid/967086/1/44

上には三池炭坑の中心的な施設であった万田坑の全景写真を引用しました。なお、下には「坑内長屋」の例として、三池炭坑・四山坑の鉱夫社宅の写真を掲載いたします。明るい日差しのなか、こちらのような長屋の一部屋で楽しそうに談笑する山頭火と苦味生さん、その御母堂の様子を想像してみましょう。

出典:町田定明 編『三井三池各事業所写真帖』,町田定明,大正15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13736785 (参照 2026-03-23、一部抜粋)、四山坑鉱夫社宅
https://dl.ndl.go.jp/pid/13736785/1/159

「夜は苦味生さんの友人末光さんのところへ案内されて泊めていたゞいた、久しぶりに、ほんたうに久しぶりに田園のしづけさしたしさを味はつた、農家の生活が最も好ましい生活ではあるまいか、自から耕して自から生きる、肉体の辛さが精神の安けさを妨げない、――そんな事を考へながら、飲んだり話したり作つたりした。
・霜の道べりへもう店をひろげはじめた
 大霜、あつまつて火を焚きあげる
 つめたい眼ざめの虱を焼き殺す
・師走ゆきこの捨猫が鳴いてゐる
 よい事も教へられたよいお天気
・霧、煙、埃をつきぬける
・石地蔵尊へもパラソルさしかけてある
 のぼりくだりの道の草枯れ
 明るくて一間きり(苦味生居)
・柵をくゞつて枯野へ出た
 子供になつて馬酔木も摘みます
 夕闇のうごめくは戻る馬だつた
 八十八才の日向のからだである(苦味生さん祖母)
さびしいほどのしづかな一夜だつた、緑平さんへ長い手紙を書く、清算か決算か、とにかく私の一生も終末に近づきつゝあるやうだ、とりとめもない悩ましさで寝つかれなかつた、暮鳥詩集を読んだりした、彼も薄倖な、そして真実な詩人だつたが。
我儘といふことについて考へる、私はあまり我がまゝに育つた、そしてあまり我がまゝに生きて来た、しかし幸にして私は破産した、そして禅門に入つた、おかげで私はより我がまゝになることから免がれた、少しづゝ我がまゝがとれた、現在の私は一枚の蒲団をしみじみ温かく感じ、一片の沢庵切をもおいしくいたゞくのである。」

旅行などの情報

三池炭鉱・万田坑

山頭火の俳友であった(中村)苦味生さんが働いていたのは三池炭鉱の主力坑「万田坑」と思われます。明治から昭和初期にかけて稼働し日本の近代化に貢献したことにより、「万田坑」は世界文化遺産(明治日本の産業革命遺産)に登録されました。

出典:写真AC、万田坑
https://www.photo-ac.com/main/detail/687440&title=%E4%B8%87%E7%94%B0%E5%9D%91

上に引用した「巻揚機室」や配電所の写真のように、往時の建物がそのままの状態で保存されているのが魅力です。ほかにも竪坑櫓や炭鉱電車といったフォトスポットが点在し、入口の「万田坑ステーション」にはパネル・ジオラマや坑内探検ができるVR装置が設置されています。定時のガイドツアーも実施されているので、こちらもご利用ください。

基本情報

【住所】熊本県荒尾市原万田200-2
【アクセス】荒尾駅からバスで約8分
【参考URL】https://arao-kankou.jp/mandakou/