柳田国男「遠野物語」の風景(その4)

動物たちとのかかわり

今回は山男(遠野物語の風景その1・参照)やザシキワラシなどの神様(遠野物語の風景その2・参照)にかわって動物たちが主役になります。絶滅したとされる二ホンオオカミも当時の遠野では身近な存在でした。家畜が襲われることも多く退治に向かった村人もいましたが・・・・・・。また、長生きした動物たちは霊力を身につけ「経立」という恐ろしい生き物になるといわれていました。

三六話(狼のうなり声)

「猿の経立(ふったち)、御犬(おいぬ)の経立は恐ろしきものなり。御犬とは狼(おおかみ)のことなり。」
経立とは「長年生きて妖怪のような霊力を身につけたもの(注釈遠野物語P145)」とされています。

「山口の村に近き二ツ石山は岩山なり。ある雨の日、小学校より帰る子どもこの山を見るに、処々の岩の上に御犬うずくまりてあり。やがて首を下より押しあぐるようにしてかわるがわる吠えたり。」

上には狼の遠吠えの動画を引用させていただきました。こちらの狼の遠吠えはどちらかというとかわいい部類かもしれませんが・・・・・・。

「正面より見れば生まれ立ての馬の子ほどに見ゆ。後から見れば存外小さしといえり。御犬のうなる声ほど物凄く恐ろしきものはなし。」

三七話(狼の群れ)

「境木峠(さかいげとうげ)と和山峠(わやまとうげ)との間にて、昔は駄賃馬(だちんば)を追う者、しばしば狼に逢いたりき。馬方(うまかた)らは夜行には、たいてい十人ばかりも群をなし、その一人が牽く馬は一端綱(ひとはづな)とてたいてい五六七匹までなれば、常に四五十匹の馬の数なり。」
下に引用させていただいたような馬が40・50匹いたとのこと。長い列になっていたと思われます。

「ある時二三百ばかりの狼追い来たり、その足音山もどよむばかりなれば、あまりの恐ろしさに馬も人も一所に集まりて、そのめぐりに火を焼きてこれを防ぎたり。」
以下の写真のように狼たちが迫ってくる様子をイメージしてみます。

出典:写真AC、獲物に向かって走るオオカミの群れ
https://www.photo-ac.com/main/detail/29403810?title=%E7%8D%B2%E7%89%A9%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%B5%B0%E3%82%8B%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%81%AE%E7%BE%A4%E3%82%8C

「されどなおその火を躍り越えて入り来るにより、ついには馬の綱を解きこれを張り回めぐらせしに、穽(おとしあな)などなりとや思いけん、それよりのちは中に飛び入らず。遠くより取り囲みて夜の明るまで吠えてありきとぞ。」
馬方たちは生きた心地がしなかったことでしょう。

三八話(狼の真似をするも!)

「小友(おとも)村の旧家の主人にて今も生存せる某爺(なにがしじい)という人、町より帰りに頻りに御犬の吠ゆるを聞きて、酒に酔いたればおのれもまたその声をまねたりしに、狼も吠えながら跡より来るようなり。」
「注釈遠野物語」によると遠野から小友村への帰路は「遠野の町から綾織の我丸、二郷山の裾から小友峠、鷹鳥屋の十三坊を通る道」とあります。下には難所の一つ小友峠付近のストリートビューを引用いたしました。道路は舗装されていますが周囲は自然が保たれ、狼が現れそうな雰囲気です。ここではほろ酔いの某爺が狼の声をまねて叫んでいるところをイメージしてみましょう。某爺の声につられたのか狼は家までついてきました。

「恐ろしくなりて急ぎ家に帰り入り、門の戸を堅く鎖(とざ)して打ち潜(ひそ)みたれども、夜通し狼の家をめぐりて吠ゆる声やまず。」

出典:Ocdp, CC0, via Wikimedia Commons、遠野における伝統的曲がり屋の間取り
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rayout_of_traditional_house_in_T%C5%8Dno_001.svg

上には南部曲り屋の伝統的な間取りのイラストを引用いたしました。朝になってほっとした某爺は馬の世話をしようと馬舎に向かいましたが・・・。
「夜よ明けて見れば、馬屋の土台の下を掘り穿(うが)ちて中に入り、馬の七頭ありしをことごとく食い殺していたり。この家はそのころより産やや傾きたりとのことなり。」

四一話(北に去る狼たち)

「和野の佐々木嘉兵衛、或る年境木越(さかいげごえ)の大谷地(おおやち)へ狩にゆきたり。死助(しすけ)の方より走れる原なり。」
「大谷地」は前々回(遠野物語の風景その2・参照)、「面白いぞー」という声が聞こえた話(九話)の舞台でもありました。
「秋の暮のことにて木の葉は散り尽し山もあらわなり。向うの峯より何百とも知れぬ狼此方へ群れて走りくるを見て恐ろしさに堪えず、樹の梢(こずえ)に上りてありしに、その樹の下を夥(おびただ)しき足音して走り過ぎ北の方へ行けり。そのころより遠野郷には狼甚だ少なくなれりとのことなり。」

出典:Momotarou2012, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons、ニホンオオカミ(Canis hodophilax)の剥製。国立科学博物館の展示。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Japanese_Wolf.jpg

上には世界に五体しかないニホンオオカミのはく製の写真を引用しました。ニホンオオカミは1905年に奈良県東吉野村で捕獲されてから確実な目撃情報がなく、絶滅種に指定されています。

四二話(狼の復讐)

「六角牛(ろっこうし)山の麓にオバヤ、板小屋などいうところあり。広き萱山(かややま)なり。村々より苅りに行く。ある年の秋飯豊村(いいでむら)の者ども萱を苅るとて、岩穴の中より狼の子三匹を見出し、その二つを殺し一つを持ち帰りしに、その日より狼の飯豊衆の馬を襲うことやまず。」
下に引用させていただいた六角牛山のふもとには、良好な萱刈り場がありました。

「外の村々の人馬にはいささかも害をなさず。飯豊衆相談して狼狩をなす。その中には相撲を取り平生力自慢の者あり。」
遠野物語当時の力士としては明治25年から大正3年まで活躍した常陸山谷右エ門などが有名です。以下には常陸山の写真を引用いたしました。

出典:The KC Club, Public domain, via Wikimedia Commons、The 15th Yokozuna Hitachiyama Taniemon.
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_19th_Yokozuna_Hitachiyama_Taniemon_02.jpg

「さて野に出でて見るに、雄の狼は遠くにおりて来たらず。雌狼一つ鉄という男に飛びかかりたるを、ワッポロを脱ぎて腕に巻き、やにわにその狼の口の中に突き込みしに、狼これを噛む。なお強く突き入れながら人を喚ぶに、誰も誰も怖れて近よらず。その間に鉄の腕は狼の腹まで入り、狼は苦しまぎれに鉄の腕骨を噛み砕きたり。狼はその場にて死したれども、鉄も担がれて帰り程なく死したり。○ワッポロは上羽織のことなり。」
雌狼の方が飯豊衆に対して恨みを抱いていたということでしょうか。

四三話(熊猟)

ニホンオオカミは絶滅したとされていますが、熊については近年の遠野でも目撃例や被害が数多くあります。以下は当時の新聞記事を元ネタにした熊猟の話とのことです。下に引用させていただいたような装束を身に着けて猟に臨んだと思われます。

「一昨年の『遠野新聞』にもこの記事を載せたり。上郷(かみごう)村の熊という男、友人とともに雪の日に六角牛に狩に行き谷深く入りしに、熊の足跡を見出でたれば、手分してその跡を覓(もと)め、自分は峯の方を行きしに、とある岩の陰かげより大なる熊此方を見る。」
当時、熊猟をする人はお守りに以下に引用させていただいたようなお守りを携行していたといいます。

「矢頃(やごろ)あまりに近かりしかば、銃をすてて熊に抱えつき雪の上を転びて、谷へ下る。連の男これを救わんと思えども力及ばず。やがて谷川に落ち入りて、人の熊下になり水に沈みたりしかば、その隙(ひま)に獣の熊を打ち取りぬ。水にも溺れず、爪の傷は数ヶ所受けたれども命に障ることはなかりき。」

四四話~四八話(猿の経立)

「六角牛の峯続きにて、橋野(はしの)という村の上なる山に金坑(きんこう)あり。」
「橋野という村」は以下に引用させていただいたように鉱山の町として有名でした。

藩政時代から片羽山の鉄山・銅山・金山の開発があった。とくに青ノ木には安政五(一八五八)年から大島高任(たかとう)の指導で高炉三座が建設され、明治初期まで鉄山として経営されていた。

出典:後藤総一郎(監修)、遠野常民大学(編著)、注釈遠野物語、筑摩書房、1997年、P162

なお、「橋野鉄鉱山」は2015年、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」としてユネスコ世界遺産に登録されました。下には中の俳優の村上弘明さんが主演(大島高任役)されたPRビデオを引用させていただきました。

鉱山には燃料となる木炭が必要になるため多くの炭焼職人が集まっていました。
「この鉱山のために炭を焼きて生計とする者、これも笛の上手にて、ある日昼の間(あいだ)小屋におり、仰向(あおむき)に寝転(ねころ)びて笛を吹きてありしに、小屋の口なる垂菰(たれごも)をかかぐる者あり。驚きて見れば猿の経立(ふったち)なり。恐ろしくて起き直りたれば、おもむろに彼方へ走り行きぬ。」

更に四五話・四六話と猿の経立の話が続きます。二話ともに猿というよりは山男のような人間に近い姿で描かれています。
四五話「猿の経立はよく人に似て、女色を好み里の婦人を盗み去ること多し。松脂(まつやに)を毛に塗り砂をその上につけておる故、毛皮は鎧(よろい)のごとく鉄砲の弾も通らず。」
四六話「栃内村の林崎(はやしざき)に住む何某という男、今は五十に近し。十年あまり前のことなり。六角牛山に鹿を撃ちに行き、オキを吹きたりしに、猿の経立あり、これを真(まこと)の鹿なりと思いしか、地竹を手にて分けながら、大なる口をあけ嶺の方より下り来たれり。胆(きも)潰(つぶ)れて笛を吹きやめたれば、やがて反れて谷の方へ走り行きたり。」

上には「林崎に住む何某という男」が鹿狩りにいった「六角牛山」登山の動画を引用させていただきます。山中には熊の爪痕もあるとのこと(1:15)。鹿も昔から生息していたと思われます。このような場所に毛皮に身を包んだ「猿の経立」が走り降りてくるところをイメージしてみましょう。

四七話・四八話は「猿の経立」が集団で現れます。
四七「この地方にて子供をおどす言葉に、六角牛の猿の経立が来るぞということ常の事なり。この山には猿多し。緒桛(おがせ)の滝を見に行けば、崖の樹の梢(こずえ)にあまたおり、人を見れば遁(に)げながら木の実などを擲(な)げうちて行くなり。」
下には猿の群れの写真を引用いたしました。「経立」でなくてもこれだけの野生の猿が群れをなしていると怖くなりそうです。

出典:写真AC、猿の群れ
https://www.photo-ac.com/main/detail/29918582&title=%E7%8C%BF%E3%81%AE%E7%BE%A4%E3%82%8C

四八「仙人峠(せんにんとうげ)にもあまた猿おりて行人に戯れ石を打ちつけなどす。」
猿おりて行人に戯(たわむ)れ石を打ちつけなどす。」
「注釈遠野物語」には仙人峠の片岩という名所について「この岩場に近年まで野生の猿が住み着いていた。昔は数多く見られ、現在でも生息が確認されている」と記されています。

出典:植田啓次 著『岩手軽便鉄道案内』,成文社,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/948243 (参照 2025-04-17、一部抜粋)、片岩 仙人峠駅付近
https://dl.ndl.go.jp/pid/948243/1/35

上には大正時代初期の仙人峠・片岩付近の写真を引用させていただきました。上からあまたの猿が石を投げてくるところをイメージしてみましょう。

旅行などの情報

橋野鉄鉱山

「猿の経立」が現れる場所として登場してもらった鉱山跡です。下に引用させていただいたような国内最古の洋式高炉跡が三基のほか、採掘場や運搬路、水車場跡、長屋跡などが点在しているので、散策しながら当時の鉱山街を想像してみてはいかがでしょうか。

見学の際には「橋野鉄鉱山インフォメーションセンター」にてガイド用のタブレットをレンタルするのがおすすめ。また、予約しておけば釜石観光ガイド会による詳しい説明を聞くこともできます。
岩手県には、ほかにも「平泉」の遺跡群、縄文時代の「御所野遺跡」の2か所が世界遺産に登録されています。併せて巡ってみてはいかがでしょうか。

基本情報

【住所】岩手県釜石市橋野町第2地割15
【アクセス】遠野駅から車で35分
【参考URL】https://www.city.kamaishi.iwate.jp/docs/2020030600160/