小泉八雲「怪談」の風景(その2)
貉(むじな)
その昔、紀伊国坂は「むじな」が出るという噂がある人通りの少ない場所でした。ある夜、商人が坂を上っていくと、道の縁で娘がひどく泣いています。心配になって声をかけると、振り向いた顔には目・鼻・口がありませんでした。商人は慌てて坂を駆け上がり、そこにいた蕎麦屋の亭主に恐ろしいものを見たとうったえますが・・・・・・。
紀伊国坂について
「東京の、赤坂への道に紀国坂という坂道がある――これは紀伊の国の坂という意である。何故それが紀伊の国の坂と呼ばれているのか、それは私の知らない事である。」
下には江戸時代に描かれた紀伊国坂の版画を引用させていただきました。(ウィキペディア・紀伊国坂)などによると「紀国坂」の名前は、坂の西側(版画の左側)に紀州藩上屋敷があったことに由来するとのことです。
出典:サントリー美術館公式サイト、東京真画名所図解 赤坂紀伊国坂
https://www.suntory.co.jp/sma/collection/data/detail?id=827
「この坂の一方の側には昔からの深い極わめて広い濠(ほり)があって、それに添って高い緑の堤が高く立ち、その上が庭地になっている、――道の他の側には皇居の長い宏大な塀が長くつづいている。街灯、人力車の時代以前にあっては、その辺は夜暗くなると非常に寂しかった。ためにおそく通る徒歩者は、日没後に、ひとりでこの紀国坂を登るよりは、むしろ幾哩も廻り道をしたものである。」
下に引用した江戸時代の赤坂周辺の地図には左端に「紀伊国坂」の名前があります。上側には江戸城の濠がありそれに沿って塀が続いています。また、下側は紀伊藩邸となっていて夜になると人気のない場所でした。
出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』赤坂絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1286666 (参照 2025-05-20、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1286666/1/1
「これは皆、その辺をよく歩いた貉のためである。」
貉(むじな)とはアナグマのこと、またはタヌキ、ハクビシンなども含めた総称ともいわれます。昔から人を化かす動物と恐れられていました。
「遠野物語(五話)」には山男・山女と出会うのを避けるために「笛吹峠」を避けるというお話がありましたが(遠野物語の風景その1・参照)、こちらでは「むじな」を怖れて迂回していたようです。
ある商人の話
「貉を見た最後の人は、約三十年前に死んだ京橋方面の年とった商人であった。当人の語った話というのはこうである、――
この商人がある晩おそく紀国坂を急いで登って行くと、ただひとり濠(ほり)の縁(ふち)に踞(かが)んで、ひどく泣いている女を見た。身を投げるのではないかと心配して、商人は足をとどめ、自分の力に及ぶだけの助力、もしくは慰藉を与えようとした。女は華奢な上品な人らしく、服装(みなり)も綺麗であったし、それから髪は良家の若い娘のそれのように結ばれていた。――『お女中』と商人は女に近寄って声をかけた――」
以下には歌川広重の「名所江戸百景・紀の国坂赤坂溜池遠景絵」を引用いたしました。紀伊国坂から溜池方面を見下ろす構図のなかに、坂を上って紀州徳川家の屋敷に向かう行列が描かれています。ここでは大名行列の代わりに、左側の堀の縁のところで娘が泣き叫んでいる場面をイメージしてみましょう。
出典:Utagawa Hiroshige, Public domain, via Wikimedia Commons、紀ノ国坂赤坂溜池遠
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:100_views_edo_085.jpg
「『お女中、そんなにお泣きなさるな!・・・・・・何がお困りなのか、私に仰しゃい。その上でお助けをする道があれば、喜んでお助け申しましょう』(実際、男は自分の云った通りの事をする積りであった。何となれば、この人は非常に深切な人であったから。)しかし女は泣き続けていた――その長い一方の袖を以て商人に顔を隠して。『お女中』と出来る限りやさしく商人は再び云った――『どうぞ、どうぞ、私の言葉を聴いて下さい!・・・・・・ここは夜若い御婦人などの居るべき場処ではありません! 御頼み申すから、お泣きなさるな!――どうしたら少しでも、お助けをする事が出来るのか、それを云って下さい!』」
下は歌川広重の絵の構図に近いポイントからのストリートビューです。上の絵のように当時は防護柵などはありませんでした。縁に佇んでいたら身投げと思うのも無理はありません。
「徐ろに女は起ち上ったが、商人には背中を向けていた。そしてその袖のうしろで呻き咽びつづけていた。商人はその手を軽く女の肩の上に置いて説き立てた――『お女中!――お女中!――お女中! 私の言葉をお聴きなさい。ただちょっとでいいから!・・・・・・お女中!――お女中!』・・・・・・するとそのお女中なるものは向きかえった。そしてその袖を下に落し、手で自分の顔を撫でた――見ると目も鼻も口もない――きゃッと声をあげて商人は逃げ出した。」
以下には「深川江戸資料館」の夏イベント「お化けの棲家」に登場する「のっぺらぼう」の像を引用いたしました。
振り向いた彼女が顔を撫でているところをイメージしてみましょう。
出典:Fred Cherrygarden, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons、深川江戸資料館「お化けの棲家」ののっぺらぼう。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Obake_no_Sumika_-_Nopperabo_(II).jpg
「一目散に紀国坂をかけ登った。自分の前はすべて真暗で何もない空虚であった。振り返ってみる勇気もなくて、ただひた走りに走りつづけた挙句、ようよう遥か遠くに、蛍火の光っているように見える提灯を見つけて、その方に向って行った。それは道側(みちばた)に屋台を下していた売り歩く蕎麦屋の提灯に過ぎない事が解った。しかしどんな明かりでも、どんな人間の仲間でも、以上のような事に遇った後には、結構であった。商人は蕎麦売りの足下に身を投げ倒して声をあげた『ああ!――ああ!!――ああ!!!」
下に引用したのは江戸時代の屋台蕎麦を再現したセットです。当時の流行りは荷台に吊るした風鈴で蕎麦屋の存在を知らせながら、屋台を担いで移動するというものでした。真っ暗な紀伊国坂を上った先には提灯の灯りのみが光っていました。
出典:DryPot, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Japanese_Edo_Soba_Yatai_03.jpg
「『これ! これ!』と蕎麦屋はあらあらしく叫んだ『これ、どうしたんだ? 誰れかにやられたのか?』
『否(いや)、――誰れにもやられたのではない』と相手は息を切らしながら云った――『ただ・・・・・・ああ!――ああ!』・・・・・・
『――ただおどかされたのか?』と蕎麦売りはすげなく問うた『盗賊(どろぼう)にか?』
『盗賊(どろぼう)ではない――盗賊(どろぼう)ではない』とおじけた男は喘ぎながら云った『私は見たのだ・・・・・・女を見たのだ――濠の縁ふちで――その女が私に見せたのだ・・・・・・ああ! 何を見せたって、そりゃ云えない』・・・・・・」
以下には担い屋台の棚の中までを詳細に描いた浮世絵を引用させていただきます。なお、商人はこの時点ではまだ蕎麦売りの顔はみていません。
すると、蕎麦売りは振り返ってこういいます。
「『へえ! その見せたものはこんなものだったか?』と蕎麦屋は自分の顔を撫でながら云った――それと共に、蕎麦売りの顔は卵のようになった・・・・・・そして同時に灯火は消えてしまった。」
卵のような顔とは以下のようだったでしょうか。芥川龍之介が描いた「のっぺらぼう」の図を引用いたしました。
出典:芥川龍之介, Public domain, via Wikimedia Commons、芥川龍之介『化物帖』に描かれたのっぺらぼうの図。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nopperabo_by_Ryunosuke_Akutagawa.jpg
最後にこちらの男にもう一度、言ってもらいましょう。
「お前さんの見たのはこんな顔だったかい?」
旅行などの情報
紀伊国坂・迎賓館赤坂離宮
「貉」の舞台・紀伊国坂は以下のストリートビューのような雰囲気です。高速道路(首都高速4号線)が平行して走り、昔ほど寂しい場所ではなくなりました。道路の右側には「弁慶掘」という皇居のお堀が残っていて、釣りを楽しむこともできます。
江戸時代、こちらの左側は紀伊藩上屋敷でしたが、現在は「迎賓館赤坂離宮」が建ち、2016年から一般公開もされています。「迎賓館」は鹿鳴館などで知られる建築家ジョサイア・コンドルの弟子・片山東熊の設計で明治42年(1909年)に竣工、2009年には国宝に指定されています。
上に引用させていただいたように、フランス・ヴェルサイユ宮殿などを参考にした優美な外観が特徴で、調印式などが行われる「彩鸞の間」や晩餐会の会場となる「花鳥の間」、首脳会談が行われる「羽衣の間」といった趣向の異なる部屋も見学できます。なお、国家行事などの関係で公開日は不定期となっていますので、公式サイトをご確認の上お出かけください。
基本情報
【住所】東京都港区元赤坂2丁目1番1号(迎賓館赤坂離宮)
【アクセス】四ツ谷駅赤坂口から徒歩約7分
【参考URL】https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/