田中貢太郎「四谷怪談」の風景(その2最終回)
お岩の逆襲
前回(四谷怪談の風景その1・参照)は田宮家からお岩を追い出そうと、喜兵衛や伊右衛門たちが動き出したところまででした。お岩はまんまとその計略にはまりますが、田宮家に出入りしていた煙草屋から真実を聞かされると、夜叉のようになって行方をくらませます。そしてそれから十数年後、伊右衛門たちの家はさまざまな不幸が起きることに・・・・・・。
喜兵衛の計略
お岩が伊藤喜兵衛に呼び出され、伊右衛門の博奕と女狂いについて忠告を受けて帰ってきました(喜兵衛と伊右衛門のペテンでしたが)。
「朝になってお岩は持仏堂の前に坐ってお題目を唱えていた。お岩の家は日蓮宗(にちれんしゅう)であった。そこへ伊右衛門が入って来た。
『昨夜(ゆうべ)帰ってみるといなかったが、ぜんたいどこへ往ってたのだ、夫の留守に夜歩きするとはけしからん奴だ』
お岩は喜兵衛の家へ往っているのでやましいことがなかった。そのうえ女狂いと博奕に家を外にしている夫が、すこし位の外出を咎(とが)めだてするのが酷く憎かった。」
『わたしは、伊藤喜兵衛殿からお使がまいりましたから、あがりました、わたしが、すこし留守したことを、かれこれおっしゃるあなたは、何をしていらっしゃるのです、わたしのことをお疑いになるなら、伊藤喜兵衛殿にお聞きください』
『喜兵衛殿が呼んだにしたところで、家を空けて来いとは云わないだろう、何を痴(ばか)なことを申す』
伊右衛門はお岩に飛びかかって撲(なぐ)りつけた。お岩は泣き叫んだが、だれも止めに来る者もなかった。伊右衛門はお岩を散ざんに撲っておいて外へ出て往った。」
上には昭和初期の於岩稲荷・陽雲寺の写真を引用させていただきました。こちらの中で南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)のお題目を唱えるお岩、そこに踏み込んでくる伊右衛門の姿を想像してみましょう。
「お岩は一室に入って蒲団(ふとん)を着て寝ていたが、口惜しくてたまらないから剃刀(かみそり)を執り出して自殺しようとした。しかし、考えてみると己(じぶん)が死んだ後で伊右衛門から乱心して死んだと云われるのはなおさら口惜しいので、剃刀を捨てるなり狂人(きちがい)のようになって喜兵衛の家へ往った。喜兵衛はお岩のそうして来るのを待ちかまえているところであった。
『ぜんたい、その容(さま)はどうなされた』
『わたしは伊右衛門に、散ざんな目に逢わされました、わたしは、このことを御頭まで申し出ようと思います』
お岩は身をふるわして泣いていた。
『それは伊右衛門殿が重々悪い、あなたの御立腹はもっともだが、夫の訴人を女房がしたでは、結局あなたが悪いことになって、おとりあげにはならない、これは考えなおさなければならないが、伊右衛門の道楽は、とても止(や)みそうにもないし、あなたもそうまでせられては、いっしょになってもいられないだろう、わたしもあなたとは、あなたのお父様(さん)お母様(さん)からの親しい間だし、伊右衛門殿とても心安くしておるから、どちらをどうと贔屓(ひいき)することもできないが、このままでは、とても面白く往かないだろうから、いっそ二人が別れるが宣いと思うが、伊右衛門殿は家代金を入れて、田宮の身代を買い執ってるから、そのまま出すことはできない、ここはあなたから縁を切って、二三年奉公に出ておれば、あなたはまだ年も壮いし、わたしが引受けて、好い男を夫に持たしてあげる』
お岩は喜兵衛の詞(ことば)に云いくるめられて、伊右衛門の持ち出して往った衣服(きもの)を返してもらうことを条件にして別れることになった。伊右衛門は初めからそのつもりで質にも入れずに知人の家に隠してあったお岩の衣服を持って来て、うまうまとお岩を離縁したのであった。」
離婚したお岩
「お岩はそこで喜兵衛に口を利いてもらって、四谷塩町(しおちょう)二丁目にいる紙売の又兵衛(またべえ)と云うのを請人に頼んで、三番町(さんばんちょう)の小身な御家人(ごけにん)の家へ物縫い奉公に住み込んだ。」
「紙売の又兵衛」の詳細については不明ですが、請人(証人)になってもらっていることから、下に引用した「紙屋」のような実店舗をもった人物をイメージしておきます。
出典:石原正明『江戸職人歌合 2巻』,永楽屋東四郎[ほか12名],文化5 [1808] 序. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2533750 (参照 2025-06-05、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2533750/1/44
お岩は「三番町の小身な御家人の家」に住み込んで奉公をします。以下は江戸時代から明治初期に、番町付近にあった田安門前の橋から神保町方面を撮影した写真です。ここでは、このような屋敷のどこかでお岩が奉公に励む姿をイメージしておきましょう。
出典:厚木市公式サイト、デジタルアーカイブス、フェリックス・ベアト写真集、江戸
https://www.city.atsugi.kanagawa.jp/soshiki/bunkazaihogoka/5/6756.html
「そうしてお岩を田宮家から出した喜兵衛は、早速お花を伊右衛門にやることにしたが、仲人なしではいけないので伊右衛門に云いつけて近藤六郎兵衛に仲人を頼ました。六郎兵衛は女房がお岩の鉄漿親(かねおや)になっているうえに、平生喜兵衛を心よからず思っているのでことわった。伊右衛門はしかたなしに秋山長右衛門の許へ往って長右衛門に頼み、七月十八日が日が佳(よ)いと云うので、その晩にお花と内輪の婚礼をした。
その婚礼の席には秋山長右衛門夫妻、近藤六郎兵衛がいたが、酒宴(さかもり)になったところで、伊右衛門の朋輩今井仁右衛門(いまいじんえもん)、水谷庄右衛門(みずたにしょうえもん)、志津女久左衛門(しずめきゅうざえもん)の三人が押しかけて来た。そして、酒の座が乱れかけたところで、行灯(あんどん)の傍(そば)から一尺位の赤い蛇が出て来た。」
以下には幼蛇のときは体色が赤色になる「ジムグリ(地潜り)」の写真を引用いたしました。名前の通り地面に潜っていることが多く、目撃されることの少ない蛇です。
出典:写真AC、snake_蛇ジムグリ地潜
https://www.photo-ac.com/main/detail/1140817&title=snake_%E8%9B%87_%E3%82%B7%E3%82%99%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%82%99%E3%83%AA_%E5%9C%B0%E6%BD%9C
「伊右衛門は驚いて火箸(ひばし)で庭へ刎(は)ねおとしたが、いつの間にかまたあがって来て行灯の傍を這(は)うた。伊右衛門はまたそれを火箸に挟んで裏の藪(やぶ)へ持って往って捨てたが、朝ぼらけになって皆が帰りかけたところで、天井からまた赤い蛇が落ちて来た。伊右衛門は何だかお岩の怨念(おんねん)のような気がして気もちが悪かった。伊右衛門はやけにその蛇の胴中をむずと掴(つか)んで裏の藪へ持って往って捨てた。」
お岩、恨みを抱いて姿を消す
「物縫い奉公に住み込んだお岩は、伊右衛門のことを思い出さないこともないが、それでも心は軽かった。某日(あるひ)お岩が庖厨(かって)の庭にいると、煙草屋(たばこや)の茂助(もすけ)と云う刻み煙草を売る男が入って来た。この茂助はお岩の家へも商いに来ていたのでお岩とも親しかった。」
江戸時代のタバコといえば刻み煙草が主流で、下図右ページのように量り売りで販売されていました。なお、刻み煙草は左ページの職人がつくるようなキセルを使って吸うのが一般的でした。
出典:十遍舎一九 作 ほか『宝船桂帆柱 2編4巻』,岩戸屋喜三郎,文政10 [1827]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9893157 (参照 2025-06-05、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9893157/1/20
「『田宮のお嬢様でございますか、この辺(あたり)にいらっしゃると聞いておりましたが、こちらさまでございますか、いかがでございます、左門殿町の方へも時どきいらっしゃいますか』
『わたしは、もう、道楽者の夫とは、縁を切って、こちらさまの御厄介になっておるから、往ったこともないが、さすがの比丘尼も、あの道楽者には困っておりましょうよ』
『おや、お嬢様は、何も御存じないと見えますね、伊右衛門様は、伊藤喜兵衛様のお妾のお花さんを御妻室になされておりますよ』
『え、それはほんとかえ』
『ほんとでございますとも、それも人の噂(うわさ)では、喜兵衛様のお妾のお花と、伊右衛門様をいっしょにするために、喜兵衛様、長右衛門様、伊右衛門様の三人が同腹(ぐる)になって、伊右衛門様に道楽者の真似(まね)をさして、それでお嬢様をお出しになったということでございます』
『そうか、そうであったか、そう云えば、読めた、鬼、外道』
お岩の眼はみるみる釣りあがった。顔の皮が剥けて渋紙色をした眼の悪い髪の毛の縮れた醜い女の形相は夜叉(やしゃ)のようになった。茂助は驚いて逃げだした。』」
出典:編輯人不詳『四ツ谷雑談 : 今古実録』,栄泉社,明17.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/882268 (参照 2025-06-04、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/882268/1/15
上にはこのシーンに対応する図を「四ツ谷雑談 : 今古実録」から引用いたしました。もの凄い形相で、怪力を披露するお岩の姿が描かれています。
「お岩の炎の出ているような口からは、伊右衛門、喜兵衛、お花、長右衛門の名がきれぎれに出た。お岩の朋輩の婢達はお岩を宥(なだ)めようとしたがお岩の耳には入らなかった。伝六と云うそこの若侍がつかまえようとすると、
『おのれも伊右衛門に加担するか』
と、云ってその若侍を投げ飛ばしたのちに、台所へ往って台所用具を手あたり次第に投げ出してから狂い出た。御家人の家ではそのままにしておけないので、大勢で追っかけさしたがどこへ往ったのか姿を見失ってしまった。」
出典:Wikimedia Commons、四谷門(現存せず)、明治時代、平凡社「鹿鳴館秘蔵写真帖」より。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/File:Yotsuya-Mon.JPG#file
「そして、辻(つじ)の番人に聞いて歩いていると、
『二十五六の女が髪をふり乱しながら、四谷御門の外へ走って往くのを見た』
と、云うところがあったので、またその方を探したがとうとう判らなかった。」
上には明治初期と思われる「四谷御門」の写真を引用しました。こちらの道に髪をふり乱して走り抜けてゆくお岩の姿を置いてみましょう。
田宮家断絶
お岩が姿を消して十数年の間は何事もなく時が過ぎますが・・・。
「お岩が奉公先を狂い出て行方の判らなくなったことは伊右衛門達の方へも聞えて来た。伊右衛門はそれを聞くとその当座はうす気味が悪かったが、結局邪魔者がいなくなったので安心した。
翌年の四月になって女房のお花は女の小供を生んだ。それは喜兵衛の小供であるのは云うまでもない。伊右衛門の家はそれから平穏で、お花は続いて三人の小供を生んだが、その小供の総領になっているお染(そめ)と云うのが十四、次の男の子の権八郎(ごんぱちろう)と云うのが十三、三番目の鉄之助(てつのすけ)と云うのが十一、四番目お菊(きく)と云うのが三つになった時、それは七月の十八日の夜であったが、伊右衛門初め一家の者が集まって涼んでいると、縁の端(さき)にお岩のような女が姿をあらわして、
『伊右衛門、伊右衛門、伊右衛門』
と、三声続けて云いながら往ってしまった。」
以下には「東海道四谷怪談」にて初代尾上松助が扮するお岩の絵を引用いたしました。この伊右衛門への呼びかけが、お岩の宣戦布告だったのでしょうか。
出典:Utagawa Toyokuni I, CC0, via Wikimedia Commons、Utagawa Toyokuni I (1769–1825)、Tokaidō Yotsuya Kaidan、Onoe Matsusuke I
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tokaido_Yotsuya_Kaidan-Onoe_Matsusuke_as_the_Ghost_of_the_Murdered_Wife_Oiwa,_in_%22A_Tale_of_Horror_from_the_Yotsuya_Station_on_the_Tokaido_Road%22_MET_DP136979.jpg
「伊右衛門は邪気を払うために、家の中で弾の入ってない鉄砲を鳴らした。すると四番目の女の子がその音に驚いて引きつけ、医師(いしゃ)にかけたが癒(なお)らないで八月の十五日に歿くなった。
それから伊右衛門の家には怪異が起って、お染の許へ男が来るような気配があったり、夜眼を覚して見ると女房の傍に男が寝ていて消えたりしているうちに、某日の黄昏(たそがれ)三番目の男の子が家の後へ往ってみると、前年歿くなっている四番目の女の子がいて負ってくれと云った。男の子は怖れて逃げて来たが、それから病気になり、日蓮宗の僧侶に頼んで祈祷などもしてもらったけれども、とうとう癒らずにその年の九月十八日になって歿くなった。
伊右衛門はますます恐れて雑司ヶ谷(ぞうしがや)の鬼子母神(きしもじん)などへ参詣(さんけい)したが、怪異はどうしても鎮まらないで女房が病気になったところへ、四月八日、芝(しば)の増上寺(ぞうじょうじ)の涅槃会(ねはんえ)へ往っていた権八郎がその夜霍乱(かくらん)のような病気になって翌日歿くなり続いて五月二十七日になって女房が歿くなった。」
ここで「霍乱」とは日射病の古い呼び名です。「四谷雑談・今古実録」には、お岩が悪だくみにより追い出されたことを知り、(お岩の)成仏を祈りながら息を引き取るお花の姿が描かれています。以下にはそのシーンを引用いたしました。
出典:編輯人不詳『四ツ谷雑談 : 今古実録』,栄泉社,明17.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/882268 (参照 2025-06-05、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/882268/1/33
「伊右衛門はお染に源五右衛門(げんごえもん)と云うのを婿養子にしたところで、その年の六月二十八日、不意に暴風雨が起って雷が鳴り、東の方の庇(ひさし)を風に吹きとられた。伊右衛門はしかたなしに屋根へあがって応急の修繕をしようとしたが、足を踏み外して腰骨を打って動けなくなったうえに、耳の際を切った疵(きず)が腐って来て膿(うみ)が出るので、それに鼠(ねずみ)がついて初めは一二匹であったものが、次第に多くなって防ぐことができないので、長櫃(ながびつ)の中へ入れておくうちに七月十一日になって死んでしまった。」
とうとうこのようにして伊右衛門もなくなります。下には多数の鼠が噛みつかれているシーンを引用いたしました。
出典:編輯人不詳『四ツ谷雑談 : 今古実録』,栄泉社,明17.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/882268 (参照 2025-06-04、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/882268/1/38
「田宮の家では源五右衛門が家督を相続したが、そのうちにお染が病気になった。年は二十五であったと記録にある。そのお染が歿くなってから源五右衛門は、家についている怪異が恐ろしいので、己(じぶん)の後へ養子をして別居しようと思っているうちに、邸(やしき)の内の樹木を無暗に斬りだした。源五右衛門は発狂したのであった。それがために扶持を召し放されて田宮家は断絶した。」
伊藤喜兵衛の家が断絶
お岩が恨みを抱いていた「伊右衛門、喜兵衛、お花、長右衛門」のうち、残っているのは喜兵衛と長右衛門だけでした。
「田宮家がこうして断絶する一方、伊藤喜兵衛の家では喜兵衛が隠居して養子に名跡を継がしてあったが、その養子も隠居して新右衛門(しんえもん)と云うのに名跡を継がしたところで、二代目の喜兵衛は吉原(よしわら)へ通うようになり、そのうちに遊び仲間が殺された罪にまきぞえになって、牢屋に入れられた末に打ち首になったので、家はとり潰されて新右衛門父子は追放になった。」
出典:possibly by Kusakabe Kimbei (日下部 金幣) (1841 – 1934), Public domain, via Wikimedia Commons、吉原の遊女(明治時代)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:82_Yoshiwara_Girls.jpg
下には明治時代の吉原の写真を引用いたしました。二代目の喜兵衛もこちらのような遊女屋の前を頻繁に行き来していたと思われます。
「そして、一代目の喜兵衛は乳母の小供の覚助(かくすけ)と云う者の世話になって露命を繋(つな)いでいたが、暮の二十八日になって死んでしまった。」
羽振りのよかった一代目喜兵衛もお岩のたたりにより(?)寂しい死を迎えました。
秋山長右衛門にも不幸な末路が・・・
最後に残ったのは長右衛門です。
「また、秋山長右衛門の家では、女(むすめ)のおつねが食あたりのようになって歿くなり、続いて女房が歿くなった。その時田宮源五右衛門の家が断絶になったが、その田宮の上り邸はすぐ隣であったから、長右衛門に御預となった。
そのうちに長右衛門は組頭になった。御先手支配の浅野左兵衛(あさのさへえ)は長右衛門を呼んで、田宮の後をとり立てるように命じたので、長右衛門は総領の庄兵衛(しょうべえ)を跡目にした。すると己(じぶん)の跡目を相続するものがないので、御持筒組(おもちづつぐみ)同心の次男で小三郎(こさぶろう)と云う十三になる少年を養子にした。そして、庄兵衛が御番入りをして三年目になった時、庄兵衛は十人ばかりの朋輩といっしょに道を歩いていると、年のころ五十ばかりに見える恐ろしい顔をした女乞食(おんなこじき)がいた。庄兵衛といっしょに歩いていた近藤六郎兵衛はその乞食に眼を注(つ)けて、
『かの女非人は、田宮又左衛門の女(むすめ)に能く似ている』
と云った。すると他の者は、
『お岩は、あれよりも背も低かったし、御面相も、あれよりよっぽど悪かった』
と云った。庄兵衛は小さい時から種々の事を聞かされているので気味悪く思ったが、それから三日目の夕方になって病気になった。長右衛門は驚いて庄兵衛の家の跡目の心配をしていると、六日目の夕方から長右衛門自身が病気になって八日目に歿くなり、続いて庄兵衛が十日目になって歿くなったので田宮家は又断絶した。」
「四ツ谷雑談 : 今古実録」によると病気になった長右衛門・庄兵衛親子が暴れるため、「科人(とがにん)」のように縛っていたとのこと、以下はそのシーンを記した図です。衝立の向こう側には熱病に苦しむ二人の姿がありました。
出典:編輯人不詳『四ツ谷雑談 : 今古実録』,栄泉社,明17.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/882268 (参照 2025-06-05、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/882268/1/43
「小三郎は養父の二七日(ふたなぬか)の日になって法事をしたところで、翌朝六つ時分になって庖厨(かって)に火を焼(た)く者があった。それは五十ばかりの女であった。小三郎は不思議に思って声をかけるとそのまま消えてしまった。
その怪しい女の姿は翌朝また地爐(いろり)の傍に見えた。その時小三郎はまだ眠っていたので小三郎の父の家から付けてある重左衛門(じゅうざえもん)と云う小男(げなん)が見つけた。小三郎は起きてその話を聞いて縁の下を検(しら)べたが、黒猫が一ついたばかりで別に不思議もなかった。
しかし、怪異が気になるので大般若経(だいはんにゃきょう)などを読んでもらったりしているうちに、これも病気になって歿くなったので秋山家も断絶した。」
出典:Utagawa Kuniyoshi, Public domain, via Wikimedia Commons、東海道四谷怪談 『神谷伊右エ門 於岩のばうこん』(歌川国芳)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kuniyoshi_The_Ghost_in_the_Lantern.jpg
上には「東海道四谷怪談」の伊右衛門とお岩の図を引用しました。「東海道・・・」では喜兵衛が贈った毒薬によりお岩の顔が醜くなるという設定になっており、伊右衛門たちへの恨みはより深かったかもしれません。恨みの対象である四人とその家族に復讐を果たしたお岩は成仏できたのでしょうか。
田中貢太郎の「四谷怪談」は以下のように結ばれています。
「そして、秋山と田宮の建物がとりこわしになったので、左門殿町の妖怪邸(ばけものやしき)と云って好事者(ものずき)が群集した。」
旅行などの情報
於岩稲荷田宮神社
ここではもう一つの「於岩稲荷」をご紹介します。新川の「於岩稲荷田宮神社」は「東海道四谷怪談」の主人公お岩を祀るため、明治初期に創建された神社です。前回紹介した「四谷田宮稲荷神社(四谷怪談の風景その1・参照)」は明治12年に火事で一度焼失し、その際、初代市川左団次の勧めで芝居小屋(新富座)に近い中央区新川に移転したという経緯があります。
出典:写真AC、神社の社殿 新川於岩稲荷田宮神社
https://www.photo-ac.com/main/detail/30466343&title=%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%81%AE%E7%A4%BE%E6%AE%BF%E3%80%80%E6%96%B0%E5%B7%9D%E6%96%BC%E5%B2%A9%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%94%B0%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE
なお、通常は神主さんが不在のため、御朱印などは徒歩7分ほど離れた「鉄砲洲稲荷神社」にて拝領しましょう。また、「鉄砲洲稲荷神社」の境内には富士山の熔岩を用いた「富士塚」があり、こちらは「江戸名所図会」などにも描かれた名所になっています。
基本情報
【住所】東京都中央区新川2-25-11
【アクセス】東京メトロ日比谷線・八丁堀駅から徒歩約10分
【参考URL】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%BC%E5%B2%A9%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%94%B0%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%8C%BA)
妙行寺(お岩さんの墓)
お岩さんのお墓が建つ妙行寺は田宮家の菩提寺でもあります。下には周辺のストリートビューを掲載いたしました。こちらのお寺に到る大通りが「お岩通り」と呼ばれていることからも、今なお、お岩さんの存在感の高さがうかがえます。
なお、お岩の墓について寺の案内板では以下のように記しています。
「お岩様が、夫伊右衛門との折合い悪く病身となられて、その後亡くなったのが寛永十三年二月二十二日であり爾来、田宮家ではいろいろと『わざわい』が続き、菩提寺妙行寺四代目日遵上人の法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれた。この寺も当時四谷にあったが、明治四十ニ年に現在地に移転した。お岩様に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの信者の語るところである」
「四谷於岩田宮稲荷神社」の由緒と異なり、お岩と伊右衛門の仲が悪かったとありますが、こちらは「東海道四谷怪談」の影響を受けているとの説もあるようです。
いずれにしても今ではお岩さんの因縁は解け、良縁や心願成就のご利益をいただけます。
基本情報
【住所】東京都豊島区西巣鴨4丁目8−28
【アクセス】都営三田線・西巣鴨駅から徒歩約3分
【参考URL】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A1%8C%E5%AF%BA_(%E8%B1%8A%E5%B3%B6%E5%8C%BA)