柳田国男「遠野物語拾遺」の風景(その1)

遠野の地名の由来

「遠野物語(明治43年初版発行)」(遠野物語の風景その1・参照)の再販(昭和10年)に際し、遠野物語の二部という形で追加されたのが「遠野物語拾遺」です。遠野物語が119話であるのに対し、拾遺は299話と多彩な話題が盛り込まれてます。今回は「笛吹峠」や「仙人峠」、「青笹村」など遠野の地名の由来に関する伝説を中心に風景を追っていきましょう。

一話(遠野三観音)

「昔三人の美しい姉妹があった。橋野の古里という処に住んでいた。後にその一番の娘は笛吹峠へ、二番目は和山峠へ、末の娘は太田林(おおたべえし)へ、それぞれ飛んで行って、そこの観音様になったそうな。」

上には「橋野の古里」と「笛吹峠」、「和山峠」、「太田林(右端の釜石市橋野町第38地割・・・)」の場所をプロットしてみました。遠野物語(遠野物語の風景その1・参照)の二話(遠野三山の伝説)ではちゃっかり者の三女が夜中に小細工を行い、「最も秀でたる」早池峰山を手に入れていましたが、今回はどうだったでしょうか。三か所のなかでは「太田林」が「橋野の古里」に最も近いというメリットはありますが・・・。下には遠野三山女神図を引用させていただきました。

なお、遠野三山伝説の娘たちは安倍宗任(安倍貞任の弟)の娘「おいし」「おろく」「おはつ」がモデルであったという言い伝えもあります(「綾織村郷土誌」などによる)。彼女たちは「前九年の役」の敗戦後、「おないの方(宗任の妻)」とともに遠野市から釜石市にかけての山中に逃れたとのことです。

こちら(遠野三観音)も同じモデルから発生した伝説であったかもしれません。

二話(笛吹峠の由来)

「昔青笹村に一人の少年があって継子であった。馬放しにその子をやって、四方から火をつけて焼き殺してしまった。その子は常々笛を愛していたが、この火の中で笛を吹きつつ死んだ処が、今の笛吹峠であるという。」
下には笛吹峠周辺の林道のストリートビューを引用いたしました。ここで四方から火をつけられたら逃れられそうもありません。

こちらを元ネタにした絵本「ふえふきとうげ、1978年、金の星社、谷 真介 (著)、 赤坂 三好 (イラスト)」では、少年が大事にしている笛が実母の形見だったことを継母が知り、嫉妬していやがらせ(放火)をするというお話です。最後には火に囲まれながらも、馬とともに昇天していくというもの。同じく遠野物語の「おしらさま」のラストシーンをイメージさせます(遠野物語の風景その7・参照)。

なお、「笛吹峠」の名前の由来については、以下に引用したような説(ふぶき転訛説)もあります。

冬期吹雪の候にはしばしば方向を誤まりて危難を招くことあり、笛吹の名称はふぶきにより出でたる転訛なりという。「上閉伊郡誌」

出典:ウィキペディア・笛吹峠 (岩手県)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%9B%E5%90%B9%E5%B3%A0_(%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C)

三話(羽衣伝説・青笹村の由来)

「昔青笹村には七つの池があった。その一つの池の中には、みこ石という岩があった。六角牛山のてんにんこう(天人児)が遊びに来て、衣裳を脱いでこのみこ石に掛けておいて、池に入って水を浴びていた。惣助という男が魚を釣りに来て、珍しい衣物の掛けてあるのを見て、そっと盗んでハキゴ(籠)に入れて持って帰った。天人児は衣物がないために天に飛んで帰ることが出来ず、朴(ほお)の葉を採って裸身を蔽うて、衣物を尋ねて里の方へ下りて来た。」
下には最古の天女伝説の一つが伝わる滋賀県・余呉湖畔にある天女像を引用しました。このような美しい天女が池で水浴びをしているところをイメージしてみましょう。

出典:663highland, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Lake_Yogo05s3200.jpg

「池の近くの一軒屋に寄って、いま釣りをしていた男の家はどこかと聞くと、これから少し行った処に家が三軒ある。そのまん中の家に住む惣助というのがそれだという。天人児は惣助の家に来て、先程お前は衣物を持ってこなかったか、もし持ってきてあるならば、どうか返してくれと言って頼んだ。いかにもあのみこ石の上に、見たこともない衣裳が掛かっていたので持って帰ったが、あまり珍しいので殿様に上げてきたところだと、惣助はうそをついた。そうすると天人児は大いに歎いて、それでは天にも帰って行く事が出来ぬ。どうしたらよいかとしばらく泣いていたが、ようやくの事で顔を上げて言うには、それならば私に田を三人役(三反歩)ばかり貸してください。それへ蓮華の花を植えて、糸を取って機を織って、もう一度衣裳を作るからと言った。」

上には岩手県紫波町、五郎沼に咲いた古代蓮の写真を引用させていただきました。こちらは中尊寺が所蔵する奥州藤原氏四代・泰衡公の首桶から見つかった種がもとになっています。なお、蓮の茎の繊維から作られた糸は藕絲(ぐうし)といわれ、世界で最も高価な織物の一つとされているとのことです(ウィキペディア・藕絲織)。

「そうして惣助に頼んでみこ石の池の辺に、笹小屋を建ててもらって、そこにはいって住んだ。青笹村という村の名は、その笹小屋を掛けたのが起りであるそうな。」

「青笹村」とは現在の遠野市青笹町青笹(下地図の西)や糠前(下地図の東)、中沢(下地図の南)などをあわせたエリアになります。

「三人役の田に植えた蓮華の花はやがて一面に咲いた。天人児はそれから糸を引いて、毎日毎夜その笹小屋の中で、機を織りつつ佳(よ)い声で歌を歌った。機を織るところを決して覗いて見てはならぬと、惣助は堅く言われていたのであったが、あんまり麗しい歌の声なので、忍びかねて覗いて見た。そうすると梭(ひ)の音ばかりは聞こえて、女の姿は少しも見えなかった。それは多分天人児が六角牛の山で機を織っていたのが、ここで織るように聞えたのだろうと思われた。」
下には青笹エリアの有名な観光スポット「荒神神社」のストリートビューを引用いたしました。こちらは笹ではなく茅葺き屋根ですが、天人児がこちらのような笹小屋で機を織っているシーンを想像してみましょう。

「惣助は匿していた天人児の衣裳を、ほんとうに殿様に献上してしまった。天人児もほどなく曼陀羅という機を織り上げたが、それを惣助に頼んで殿様へ上げることにした。殿様はたいそうこれを珍しがって、一度この機を織った女を見たい。そうして何でも望みがあるならば、申し出るようにと惣助に伝えさせた。天人児はこれを聞いて、別に何という願いはない。ただ殿様の処に御奉公がしたいと答えた。それでさっそくに連れて出ることにすると、またとこのような美しい女はないのだから、殿様は喜んでこれを御殿においた。そうして大切にしておいたけれども、天人児は物も食べず仕事もせず、毎日ふさいでばかりいた。」

時代が不明のため「殿様」については分かりませんが、ここでは戦国時代から江戸時代末まで遠野統治の中心地となった鍋倉城跡に建つ天守閣風展望台付近の写真を引用いたしました。

出典:写真AC、遠野市 鍋倉公園「なべくら展望台」
https://www.photo-ac.com/main/detail/30763994&title=%E9%81%A0%E9%87%8E%E5%B8%82%E3%80%80%E9%8D%8B%E5%80%89%E5%85%AC%E5%9C%92%E3%80%8C%E3%81%AA%E3%81%B9%E3%81%8F%E3%82%89%E5%B1%95%E6%9C%9B%E5%8F%B0%E3%80%8D

「そのうちに夏になって、御殿には土用乾しがあった。惣助の献上した天人児の元の衣裳も、取り出して虫干しをしてあった。それを隙を見て天人児は手早く身につけた。そうしてすぐに六角牛山の方へ飛んで行ってしまった。殿様の歎きは永く続いた。けれども何の甲斐もないので、曼陀羅は後に今の綾織村の光明寺に納めた。綾織という村の名もこれから始まった。七つの沼も今はなくなって、そこにはただ、沼の御前という神がまつられている。」

上には現在も残る「沼の御前」の写真を引用させていただきました。

四話(天女伝説の続き)

以下には光明寺に伝わる「その綾の切れ」と思われる写真(左下)を引用させていただきました。

なお、「山深き遠野の里の物語せよ」では実物の「綾の切れ」をご覧になった作者(菊池照雄氏)が以下のように語っています。

この時の布と称するものが二日町の光明寺に伝わっている。(『遠野物語拾遺』四話より)
染色の研究家がきて、これを拡大鏡でしらべた。私ものぞいてみたが、らせん状の糸がタテヨコに結合し、白い露のように美しかった。ペルシア系の輸入物で、なぜこんな珍しい布がこの辺境にはいりこみ、伝説とぬい合わされてしまったのか、このペルシア布の謎はとけていない。

出典:菊池照雄、山深き遠野の里の物語せよ、梟社、1989、P196

ほかにも「天人の織ったという曼陀羅」が伝わる「某寺」がどちらなのかは気になるところです。

遠野物語四九話(仙人峠)

以下は遠野物語の風景(・・・の風景その5・参照)には掲載していなかった四九話です。
「仙人峠は登り十五里降(くだ)り十五里あり。その中ほどに仙人の像を祀りたる堂あり。この堂の壁(かべ)には旅人がこの山中にて遭いたる不思議の出来事を書き識(しる)すこと昔よりの習(ならい)なり。」
「仙人の像を祀りたる堂(仙人堂または仙人神社)」は現在は残っていません。以下には近年の峠付近の写真を引用させていただきました。

出典:村影弥太郎の集落紀行、写真1 峠
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/03.Iwate/Tono_Osennin.html

「例えば、我は越後の者なるが、何月何日の夜、この山路(やまみち)にて若き女の髪を垂(た)れたるに逢えり。こちらを見てにこと笑いたりという類(たぐい)なり。またこの所にて猿に悪戯(いたずら)をせられたりとか、三人の盗賊に逢えりというようなる事をも記(しる)せり。」
峠の頂にある案内板では、遠野物語の記述を含めて下のように述べられています。

仙人堂には仙人の像がおかれ人々から崇拝されていました。御堂の壁には「何月何日の夜、この山道にて若き女の髪を垂れたるに逢えり。こちら見てにこりと笑ひたり」、「此処にて猿に悪戯をせられたり。」などの記述があったと遠野物語に記されています。右腕の無い御神体は、現在上郷町細越にある通称「御銭堂」に移されています。

以下は案内板にある「御銭堂」のストリートビューです。「右腕の無い御神体」、「仙人の像」はこちらに収蔵されているのでしょうか。

五話(仙人峠の怪)

「遠野から釜石へ越える仙人峠は、昔その下の千人沢の金山が崩れて、千人の金堀りが一時に死んでから、峠の名が起ったという口碑があり、上郷村の某寺は近江弥右衛門という人がその追善のために建立したとも言い伝えている。また一説には、この山には一人の仙人が棲(す)んでいた。菊の花を愛したと言って、今でもこんな山の中に、残って咲いているのを見ることがある。それを見つけて食べた者は、長生きをするということである。」

仙人のルーツである中国では、菊は邪気をはらい、長寿の効能があると信じられていました。

「あるいはその仙人が今でも生きているという説もある。前年釜石鉱山の花見の連中が、峠の頂上にある仙人神社の前で、記念の写真を取った時にも、後で見ると人の数が一人だけ多い。それは仙人がその写真に加わって、映ったのだということであった。」

出典:宮沢賢治・花巻市民の会公式サイト、釜石・仙人峠
https://ihatovstn.jp/sanriku-coast/sennin-pass/

上には宮沢賢治が仙人峠を旅したころ、荷物運搬の手段として使われた索道施設の写真を引用させていただきました。一緒に写っているのは索道の職員の方と思われます。以下には、同サイト(宮沢賢治・花巻市民の会公式サイト)から当時の仙人峠の険しさを示す記述も引用させていただきます。

当時は花巻・釜石間は鉄道は直通しておらず、岩手軽便鉄道仙人峠駅(遠野側)と釜石軽便鉄道の陸中大橋駅(釜石側)間は分断され、徒歩での峠越えが余儀なくされていた。峠を越えて大きな荷物は索道を利用して運び、人を運ぶ「のりかご」もあった。

出典:宮沢賢治・花巻市民の会公式サイト、釜石・仙人峠
https://ihatovstn.jp/sanriku-coast/sennin-pass/

なお、こちらの写真には仙人が写り込んでいることはなさそうです。


旅行などの情報

鍋倉城跡

遠野阿曽沼氏の最盛期を迎えた16世紀末、13代広郷公が松崎町光興寺(横田城)から移転して築かせたのが鍋倉城です。江戸時代になって(1627年)、南部氏が入部、明治2年に廃城になるまで遠野エリア統治の拠点となりました。

城跡は中世山城の遺構を保っているのが特徴で、運がよければ上に引用させていただいたようなカモシカに出会えることもあります。春の桜、秋の紅葉なども見事、天守閣を模した展望台からの絶景もお楽しみください。

基本情報

【住所】岩手県遠野市遠野町4地割60-5
【アクセス】JR遠野駅から徒歩で約15分
【参考URL】https://tonojikan.jp/tourism/nabekura-castle-site/

光明寺

上(三・四話)でご紹介した「天女の曼陀羅」を収蔵するお寺です。以下のストリートビューのような建物の道路に面した壁(内側)には天女の絵が描かれており、写真スポットの一つになっています。

本堂内には天女をモチーフにした装飾がされ、「天女の曼陀羅」と伝わる織物はガラスケース入りで展示されています。ほかにも御本尊の「阿弥陀如来」をはじめ、八つの手(刀)をもつ「刀八毘沙門」、「不動明王」などの仏像も鎮座。天女伝説にちなんだ「天女の散華」という授与品もかわいいと評判です。

基本情報

【住所】岩手県遠野市綾織町上綾織24地割24
【アクセス】JR岩手二日町駅から徒歩約5分
【参考URL】https://omairi.club/spots/87777

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