柳田国男「遠野物語拾遺」の風景(その10最終回)

遠野の風習

遠野物語拾遺の終盤(初回は遠野物語拾遺の風景その1・参照)には遠野の行事や風習が描かれています。なかには年回りの悪い子を一旦捨てたり、体の弱い子に別名を与えてもらったりする風習もありました。特に年末・年始はイベントが多く、神様の「年取り」を祝ったり、田植え踊りを楽しんだりと退屈しません。なお、最終話は七夕の節句にまつわる怖~い話で結ばれています。

二四七話・二四八話(捨子と取子)

二四七話【捨子】

「年回りの悪い児は捨子にするとよい。まずその子に雪隠の踏張板の下を潜らせた後、道違いに行ってちょっと棄てる。勿論、始めから拾う人の申合せができており、待っていてすぐ拾ったのを、改めてその人から貰い子をする。こういう子供は男なら捨吉、捨蔵、女の場合お捨、おゆて、ゆてごなど、捨という名をつけることが多い。」
下には昔のトイレ(雪隠)の写真を引用いたしました。こちらの下をくぐらせるのは落としてしまいそうで怖いですが・・・・・・。

出典:写真AC、雪隠
https://www.photo-ac.com/main/detail/24485665?title=%E9%9B%AA%E9%9A%A0

二四八話【取子】

「生まれた児が弱い場合には、取子にして、取子名をつけてもらう。一生の間、取子名ばかり呼ばれて、戸籍名の方は人がよく知らぬということも往々にあった。佐々木君の取子名は、若宮の神子から貰ったのが広といい、八幡坊から長助、稲荷坊からは繁という名を貰っておいたと言うが、しかしいっこう強くもならなかったと言って笑った。」

佐々木君(佐々木喜善)は「八幡坊」や「稲荷坊」などとあるように社寺に「取子名」をつけてもらい、改めて神仏の養子として迎えたとのことです。上に引用させていただいた柳田国男氏からの手紙では、宛先が稲荷坊からもらった取子名「繁」となっています。「繁」は佐々木氏の筆名として用いられていたとのこと。お気に入りの取子名だったと思われます。

二七四話(大師粥)

「十一月二十三日は大師粥といって、小豆粥を萩(はぎ)の箸(はし)で食べる。この食べた箸で灰膳(あくぜん)の上に手習いをすれば字が上手になるという。灰膳とは膳の上に灰を載せ、これを揺すって平にならしたものをいうのである。」
「大師粥」とは下に引用させていただいたように「大師講」で供える「小豆粥」とのことです。

旧暦11月23日の晩に家々を訪れる大師様に、小豆粥(あずきがゆ)や団子を供える行事。東北、北陸、中部や山陰地方など広域に伝承されている。ことに日本海沿岸地域では顕著で、講と称するが家の祭りである。この日はかならず雪が降るといい、大師様の足が片方であるとか、大師様のために畑の作物を盗む老女の足跡を隠すとかということで、デンボカクシ、アトカクシユキなどとよばれている。また大師様は子だくさんで長い箸(はし)で団子を刺して食べさせるなどという伝承や、片方の足の不自由を表しているという話を伴って、長短2本の箸を小豆粥や団子などの供え物に添える。(中略)
現在は大師様といえばほとんどが弘法(こうぼう)大師を想定しており、ほかに智者(ちしゃ)大師や聖徳太子などもみられる。(後略)

出典:コトバンク、小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)、大師講
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%B8%AB%E8%AC%9B-91228#:~:text=%E6%97%A7%E6%9A%A611%E6%9C%8823%E3%80%9C24,%E3%81%AF%E3%81%97)%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%82%92%E4%BE%9B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%80%82

以下には美味しそうな大師粥(小豆粥)の写真を引用いたしました。旧暦11月23日は現在の暦で冬至にあたるとのこと。こちらのような温かい食べ物が冷えた体を暖めてくれそうです。

出典:写真AC、あずき粥
https://www.photo-ac.com/main/detail/31733498&title=%E3%81%82%E3%81%9A%E3%81%8D%E7%B2%A5

「またこの日には家族の者の数だけ団子を造り、その中の一つに銭を匿(かく)して入れておいて、この金のはいった団子を取った者は来年の運が富貴だと言って喜ぶ。大師様のことはよくわからないが、多勢の子供があった方で、この日に吹雪に遭って死なれたと言い伝えている。」
「コトバンク」からの引用文には「現在は大師様といえばほとんどが弘法(こうぼう)大師を想定しており、ほかに智者(ちしゃ)大師や聖徳太子などもみられる」とあります。
ちなみに御三方の命日を確認してみると以下のようでした。
・弘法大師(旧暦3月21日)
・智者大師・智顗(旧暦11月24日)
・聖徳太子(旧暦2月22日)
命日からすると大師の候補は「智者大師・智顗」となりますが、「多勢の子供があった方で、この日に吹雪に遭って死なれた」には当たらないようです。
昔からの大師信仰に、遠野周辺の人物の情報が加えられて独自の物語となったのかもしれません。

二七五話(年越し行事)

年末の遠野は年取り(年越し)の行事が多く、暇をもてあますことはありません。

「十二月は一日から三十日までに、ほとんど毎日のように種々なものの年取りがあると言われている。しかしこれを全部祭るのはイタコだけで、普通には次のような日だけを祝うに止める。すなわち五日の御田の神、八日の薬師様、九日の稲荷様、十日の大黒様、十二日の山の神、十四日の阿弥陀様、十五日の若恵比寿、十七日の観音様、二十日の陸(おか)の神(鼬鼠『いたち』)の年取り、二十三日の聖徳太子(大工の神)の年取り、二十四日の気仙の地蔵様の年取り、二十五日の文殊様、二十八日の不動様、二十九日の蒼前様等がそれで、人間の年取りは三十日である。」

上には大工の神様ともされる「大師像」の写真を引用させていただきました。法隆寺の建立を推進した聖徳大師は大陸から寺院建築の技術を輸入し、国内に広めたとされています。以下には、その象徴的な絵として指金を持った大師像の図を引用させていただきました。

出典:真言宗智山派円泉寺公式サイト、指金を持った大工の神様・聖徳太子掛軸
https://www.ensenji.or.jp/

二七六話(大黒様の年取)

「十日の晩の大黒様の年取りには枝大根を神前に供える。伝説には大黒様がある時あまり餅󠄀を食べすぎて死にそうになられた時、母神は早く生大根を食べるように言われたが、あいにく大根がなかったので道みち尋ねてゆかれると、川傍で一人の下婢が大根を洗っているのに行き遭われた。大黒様がそれを一本くれと言われると、女はこれは皆主人から数を調べて渡された物だから上げるわけにはゆかないと答えた。それでたいへん落胆しておられると、下女が言うには、君さま心安かれ、ここに枝大根があればと言って、折って差し上げたので、大黒様は命拾いをされたと言い伝えている。」

上には大黒様お供え用の「枝大根」の写真を引用させていただきました。実際に大根は糖質の消化を促進するアミラーゼやたんぱく質を分解するプロテアーゼ、脂肪を分解するリパーゼなどを豊富に含んでいて「天然の消化剤」ともいわれています。

二八八話(田植え踊り)

小正月(1月15日)には田植え踊りも行われました。

「田植え踊りもこの日である。やはり村吟味で家ごとに人を出し、この夜は男女うち揃って踊り、笠揃いを済ます。」
以下には昭和45年に復活した田植え踊りの動画(前半に収録)を引用させていただきます。

二八〇話・二八九話(カラスの扱い)

【二八〇話(カラス呼ばり)】

「鴉呼(からすよ)ばりと言うことも、小正月の行事である。桝に餅を小さく切って入れ、まだ日のあるうちに、子供らがこれを手に持って鴉を呼ぶ。村のありらこちらから、

鴉来(こ)う、小豆餅呉(け)るから来(こ)うこ。

と歌う子供の声が聞こえると、鴉の方でもこの日を知っているのかと思われるほど、不思議にたくさんな鴉の群れがどこからか飛んで来るのであった。」

出典:写真AC、夕方、ねぐらに集まるカラス
https://www.photo-ac.com/main/detail/25797824&title=%E5%A4%95%E6%96%B9%E3%80%81%E3%81%AD%E3%81%90%E3%82%89%E3%81%AB%E9%9B%86%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9

子供たちが見たのは上に引用した写真のような風景だったでしょうか。「鴉呼ばり」については鴉による食害やいたずら防止を祈る風習ともいわれています。

【二八九話(カラス追い)】

カラスを呼ぶ行事の次の日には追い払う行事が行われていました。

「翌十六日は、ヨンドリまたはヨウドリと言って、鳥追いである。未明に起きて家の周囲を板を叩いて三度まわる。

よんどりほい。朝鳥ほい。よなかのよい時や、鳥こもないじゃ、ほういほい。

という歌を歌ったり、または

夜よ鳥ほい。朝鳥ほい。あんまり悪い鳥こば、頭あ割って塩つけて、籠さいれてからがいて、蝦夷が島さ追(ほ)ってやれ。ほういほい。

と唄って、木で膳の裏などを叩いて廻るのである。」

出典:写真AC、見つめるカラス
https://www.photo-ac.com/main/detail/32398885&title=%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%82%81%E3%82%8B%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9

再びお餅をもらえると期待してやってきたカラスは、人々の態度の急変に驚き、上に引用したような納得のいかない顔をしていたかもしれません。

二九三話(カマコヤキ)

「この地方では、三月の節句に子供たちが集まってカマコヤキということをする。むしろ雛祭(ひなまつり)にまさる楽しみとされていて、小正月が過ぎてからは学校の往還にも、カマコヤキの相談でもちきりであった。まず川べりなどの位置のよい処を選んで竃を作り、三日の当日になると、朝早くからいろいろな物を家から持ち寄る。普通一つの竈には、五、六人から十七、八人ぐらいまでの子供が仲間になって、めいめいに米三合、味噌、鶏卵等の材料及び食器や諸道具を持ち寄るが、なおその上にぜひとも赤魚(あかよ)、蜊貝(あさり)などが入用とされていた。」
どのような料理を作ったかは定かではありませんが、以下に引用したような浅利めしなどもあったかもしれません。内陸に位置する遠野では浅利や赤魚といった海鮮物は、普段食べられないご馳走だったと思われます。

出典:写真AC、成田 あさりのかまど飯
https://www.photo-ac.com/main/detail/24407670&title=%E6%88%90%E7%94%B0+%E3%81%82%E3%81%95%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%81%BE%E3%81%A9%E9%A3%AF

「炊事の仕事は十三、四歳を頭にして、女の子供が受持ち、男の子は薪取り、水汲み等をする。そうして朝から昼下りまでひっきりなしに御馳走を食べ合うが、それだけでは満足せず、時どきよその竃場荒しをはじめる。不意に襲って組打ちをして竈を占領し、そこの御馳走を食い荒らすのであるが、今はあまりやらなくなった。もう自分の方で腹一杯食べた後であるから、組打ちには勝っても食べられぬ場合が多い。佐々木君の幼少の頃、餓鬼大将田尻の長九郎テンボが隣部落の竈場を荒して、赤魚十三切れ、すまし汁三升、飯一鍋を一人で掻きこんだまではよかったが、そのために動けなくなって、川べりまで這って行くと、食べたものを全部吐いてしまったなどという笑い話も残っていて、この地方の人々には思い出の多い行事であった。」

「カマコヤキ」の終盤には上に引用させていただいた「キャンプファイヤー」のようなこともしていたでしょうか。遠野の子供たちは「カマコヤキ」などの活動を通して共同生活のルールや楽しみ方を学んでいました。

二九四話(その他の遊び)

「その他、的射り、ハマツキ、テンバタ(凧)上げ等をするのものこの日で、節句前の町の市日などには、雉子の羽を飾り、紅白で美しく彩色をした弓矢や、昔の武勇談の勇士を画いたテンバタが店々に飾られた。」

出典:Momotarou2012, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons、天旗(宮城県の凧)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tenbata.jpg

上には宮城県のテンバタ(天旗)の写真を引用いたしました。こちらに描かれているのは伊達政宗のようですが、遠野の天旗には安倍貞任や源義家、義経などが描かれていたかもしれません。

二九四話(餅󠄀の形)

「お雛様に上げる餅は、菱型の蓬餅(よもぎもち)の他に、ハタキモノ(粉)を青や赤や黄に染めて餡入(あんい)りの団子も作った。その形は兎の形、または色々な果実の形などで、たとえば松パグリ(松毬)のようなものや、唐辛(とうがらし)、茄子など思い思いである。これを作るのは年ごろの娘たちや、母、叔母たちで、皆がうち揃って仕事をした。」

上にはひな祭り用に造られた多彩なお餅の写真を引用させていただきました。遠野市・鳥屋部製菓さんの「ひなだんご」という商品とのことです。

二九六話(端午の節句は薄餅󠄀)

「五月五日は薄餅(すすきもち)を作る。薄餅というのは、薄の新しい葉を刈って来て、それに搗(つ)き立ての水切り餅を包んだもので、餅が乾かぬうちに食べると、草の移り香がして、なんとも言えぬ風味がある。」
端午の節句の食べ物としては草餅やちまきが代表的で、「すすき餅」というのはあまり一般的ではないようです。下には餅󠄀を笹の葉でくるんだ「甘ちまき」の画像を引用いたしました。

出典:Ocdp, CC0, via Wikimedia Commons、和菓子の粽の参考画像
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chimaki_002.jpg

「薄餅の由来として語り伝えられている話に、昔ある所にたいそう仲のよい夫婦の者がいた。夫は妻が織った機を売りに遠い国へ行って幾日も幾日も帰って来なかった。その留守に近所の若者共が、この女房の機を織っている傍へ来て覗き見をしては、うるさいことをいろいろしたので、女房はたまりかねて前の川に身を投げて死んでしまった。ちょうど旅から夫が帰って来てこの有様を見ると、女房の屍に取りすがって夜昼泣き悲しんでいたが、後にその肉を薄の葉に包んで持ち帰って餅にして食べた。これが五月節句に薄餅を作って食べるようになった始めであったという。この話は先年の五月節句の日、佐々木君の老母がその孫たちに語り聞かせるのを聞いて、同君が憶えていたものである。」

出典:Chen Hongshou, Public domain, via Wikimedia Commons、屈原の肖像画(17世紀)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Qu_Yuan_Chen_Hongshou_2.jpg

「ちまき」の起源は、紀元前4世紀ごろ(春秋戦国時代)の中国にさかのぼります。楚の王族・屈原(くつげん)は優れた政治家・詩人でしたが、その剛直な性格がわざわいして左遷されてしまいました。絶望して川に身を投げた屈原を弔うために供えたのが「ちまき」だったとのことです。
「遠野物語拾遺296話」とは被害者が川に身を投げたという点では共通しています。他の部分は遠野の実話に基づいた創作かもしれません。

二九九話(七夕の節句はそうめん)

遠野物語拾遺の最終話も296話を受けた少しグロテスクなお話です。

「七月七日には是非とも筋太(すじぶと)の素麺(そうめん)を食べるものとされている。その由来として語られている譚は、五月の薄餅の話の後日譚のようになっている。夫は死んだ妻の肉を餅にして食べたが、そのうちから特別にスジハナギ(筋肉)だけを取っておいて、七月の七日に、今の素麺のようにして食べた。これが起こりとなって、この日には今でも筋太の素麺を食べるのだという話である。」

出典:Nguyenqa, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons、牛郎織女
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tranh_Ng%C6%B0u_Lang_Ch%E1%BB%A9c_N%E1%BB%AF_th%E1%BB%9Di_nh%C3%A0_Nguy%E1%BB%85n_trong_s%C3%A1ch_V%C3%A2n_Ti%C3%AAn_C%E1%BB%95_T%C3%ADch_Truy%E1%BB%87n_(1897).jpg

「七夕の節句」はもともと機織りが上達することを願うのが趣旨の一つです。そうめんが白い糸に似ていることから、供えたり、食べたりする風習が定着したともされています。上には七夕の起源とされる中国の伝説「牛郎織女(ぎゅうろうしょくじょ)」の絵を引用いたしました。

もともと「端午の節句」と「七夕の節句」のお供えの由来は全く別の話でしたが、想像力豊かな遠野の人が、「死んだ妻の供養」というテーマで紐付けしてしまったのかもしれません。

旅行などの情報

まつだ松林堂

今回はお土産探しにもおすすめの遠野の菓子店を2つご紹介します。
今年(令和7年)で創業157周年を迎えた「まつだ松林堂」は、遠野名物「明がらす」発祥のお店です。生地には米粉とゴマとくるみが練り込まれ、下に引用させていただいたようにくるみの断面がからすの飛んでいる姿に見えるのが名前の由来になっています。歯ごたえは餅と「らくがん」の中間くらいで、クルミと胡麻の香ばしさが特徴です。

ほかにも、手絞り山ぶどうの爽やかな味が人気の「ぶどう飴」、砂糖を煮詰めて作ったようかん「甘氷」などの定番商品があります。

基本情報

【住所】岩手県遠野市中央通り1-7
【アクセス】JR遠野駅から徒歩約5分
【参考URL】https://tonojikan.jp/gourmet/sweets/matsuda-shorindou/

鳥屋部製菓

「遠野物語拾遺294話」のうさぎや桃の形のお餅󠄀を販売するお店として登場していただきました。こちらではこしあんと味噌を組み合わせた薄皮饅頭「とおのまんじゅう」や、かっぱの顔がかわいい黄身餡饅頭「遠野かっぱ」などが名物です。

また、上に引用させていただいた「チーズどら焼き」は白・黒の2種類から選べる甘さ控えめの商品です。また、「明がらす」は元祖の「まつだ松林堂」だけでなく、「鳥屋部製菓」や「竹林堂」、「鶴乃屋菓子店」、「たからや菓子店」などでもオリジナル品を取り扱っています。お店を巡りながら食べ比べを楽しんでみてはいかがでしょうか。

基本情報

【住所】岩手県遠野市松崎町白岩15地割33-4
【アクセス】JR遠野駅から車で約6分
【参考URL】https://tonojikan.jp/gourmet/sweets/toriyabe-seika/