佐々木喜善「東奥異聞」の風景(その5)

ひょっとこの話

岩手周辺には「火焚き男」として働く下男が、その家の娘に見染められて出世するという話が多く伝わっています。その「火焚き男」の別名「火男」が訛ったのが「ひょっとこ」とのこと。以下では「火焚き男」や「火焚き女」の話から、授かると金運が上がる「ひょうとく」の話、そして「ひょっとこ踊り」の由来など、多彩なお話を紹介しましょう。

火焚き男の出世話

「奥州の昔話に、竈の火焚き男、あるいは単に竈男(かまおとこ)と呼ばれて、ある訳合いから長者の家に下男となって住みこんだ男が、ついにはその家の愛娘に見染められて、立身出世するというすじの話がある。この話の代表的なものともみるべきものに、奥では糠部(ぬかべ)郡(1)の糠部長者の竈の火焚き男、アラミの郷々(くにぐに)では江刺(えさし)郡の花若話などがそれである。いずれも若々しい美男の若者が、話の主人公になっているのが同様である。
(1)糠部郡は、いまの陸奥、陸中の二国に跨がった二戸(にのへ)、三戸(さんのへ)、九戸(くのへ)の郡辺の総称である。昔ここに長者があった。それは二戸の口碑にある蜻蛉(ドンプリ)長者か、あるいは陸奥三戸町の南部氏をこういったものかもしれぬ。(後略)」

出典:らんで, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons、だんぶり長者の屋敷跡
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Danburi_Ty%C3%B4zya_Yasiki_ato.jpg

上には注釈(1)に挙げられている「蜻蛉長者(だんぶり長者)」屋敷跡の写真を引用させていただきました。場所は岩手県八幡平市の米代川上流、こちらの長者は一匹のだんぶり(とんぼ)が教えてくれた湧泉のおかげで富貴になったとのことです。また、以下には昔の竈の写真を引用いたしました。こちらの前にしゃがんで、顔を赤くしながら火起こしをする男の姿を想像してみましょう。

出典:写真AC、竈_昔の台所
https://www.photo-ac.com/main/detail/33155883&title=%E7%AB%88_%E6%98%94%E3%81%AE%E5%8F%B0%E6%89%80

「この類の話のうちには、上方山城の国の蟹満寺の縁起話からでも系統を引いてきて、結びをちょいと竈の火焚きにしたような、女性を主人公にした話(3)もあるが、それはごく単純に若衆に娘を置き替えたというくらいにすぎなかろうと思っておったが、よく考えてみると話の系統は両者似ているくらいにまったく別物であることがわかったから、ここでは混合(ごっちゃ)にせぬつもりである。誰か奥州の民譚を調査する人のあるときに、これらを混同してはならぬと思ったからかく蛇足しておく。」

火焚き女の話

「女性を主人公にした話(3)」のお話を注釈から引用してみます。
「(3)この昔話は、山城国蟹満寺の縁起と同型であるが、ただ説話としては蟹満寺縁起などよりは、はるかに純朴である。」

出典:巌谷小波 編『教訓お伽噺 : 学校家庭』東洋之部,博文館,明44,45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1168162 (参照 2025-08-12、一部抜粋)、蟹の恩返し
https://dl.ndl.go.jp/pid/1168162/1/169

「蟹満寺の縁起」のあらすじは以下のようになります。
慈悲深い娘は子供たちに捕えられた蟹を救いました(上図)。ある日、蛇が蛙を呑み込もうとしている場面に遭遇した彼女の父は、娘をやるので蛙を助けるようにという約束をしてしまいます。その後、娘を連れにきた蛇を、恩を受けた蟹が撃退してくれました(下図)。

出典:巌谷小波 編『教訓お伽噺 : 学校家庭』東洋之部,博文館,明44,45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1168162 (参照 2025-08-12、一部抜粋)、蟹の恩返し
https://dl.ndl.go.jp/pid/1168162/1/170

一方、火焚き女のお話では娘が三人いました。
「娘を三人もった父親があった。ある日父親が庭前に出ていると一匹のヘビがカエルを呑もうとしている。父親は慈悲深い人であったから憐愍の情に堪えずそのカエルの生命を助けたら娘を一人おまえにやろうというと、ヘビはそのままにカエルを放していずかたへか去った。けれどもそれからは父親の心労は甚だしかった。二人の娘はいたく父親の軽率を非難したが、末の娘は父上心配なさるな、私がヘビの嫁にゆこうという。それから縫い針千本に瓢箪に水銀をいっぱい詰めたものを父親からもらい受けて、翌朝迎えにきたヘビの男に連れられてゆく。山の奥へゆくと古沼があって、ヘビはここはわが棲み家だからこのなかにはいれという。娘は針を水の上に浮かべさせ、この瓢箪を水の底に沈めたらいうことを聞くというと、多数のヘビどもが出てきて針を浮かべようとして目を刺され盲となり、瓢箪の水銀を呑んでみな死んでしまう。」
このように「末の娘」は一人で多数のヘビたちをやっつけてしまいました。
遠野物語二話(遠野物語の風景その1・参照)に登場する末妹・早池峯大神のようなしたたかさがうかがえます。

「そこで娘はその沼のほとりを立ち去ったが山が深く谷はきわまって、どこへいってよいかわからぬ。そのうちに夜となる。すると向こうの谷の底に火の明りが見えるのでそこを目あてにたずねゆくと、ササの伏せ屋のなかに一人の老婆が棲んでいる。わけを話して娘はその小屋に泊めてもらったが、翌朝になると、老婆はおまえはそんな美しい姿をしてゆくと、この下に棲んでいる鬼どもにとって食われてしまうから、この着物を着てゆけと自分のいままで着ていたぼろ衣を脱いで娘に着せ、娘の美しい着物をばササの葉に包んでくれる。娘はそうして谷間を下ってゆくと、まことに鬼どもがいて、あれあそこに人間がきたからとって食おうという。すると一人の鬼はなにあれはこの谷の古蝦蟇の化けた婆だ。小便臭くてとても食われぬと笑う。」
古蝦蟇の化けた婆が来ていたのは「姥皮」といい、着ると老婆のような醜い姿になるという不思議なの衣類のことです。以下には「姥皮」が描かれた童話の表紙写真を引用させていただきました。

「娘はやっとそこをのがれて下るとこんどは大きな川の岸に出る。橋もなくて渡ることができぬ。よって岸に泣き伏していると、またそこに別の鬼どもがやってきて、おやここに見かけぬ石が出ている。力競べをしようとて、娘を川向こうに投げ越した。娘はやっとそのおかげで里辺に出ることができた。それからあとは、前話と同じように、そこの長者の家の竈の火焚き女として住みこみ、その家の息子に見そめられて長者の嫁子となるという話である(遠野郷昔話)。」
下の図のように古蝦蟇に化けた娘の姿は大岩にも見えました。鬼たちはこのような大岩を対岸へ投げ、そのおかげで娘は里に帰れたとのことです。

出典:Katsushika Hokusai, Public domain, via Wikimedia Commons、葛飾北斎画『北越奇談』より「岩とおもひて怪物の頭に釣をたるゝ」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hokusai_Ogama.jpg

「だが両話のあい似ていることは、いずれもいつも妙な老婆(じつは古蝦蟇『がま』の化けたのだが)が出てきて、陰で魔法を使い周囲の調和や主人公にまつわる運命の糸を操っていることがまったく同様である。とにかくいずれも初めは、いわゆる長者の家の竈の火焚き役であって、それがことさらに手面(てづら)に竈煤などを塗たぐって真っ黒になり、目ばかり光らせつつ、火ばかり吹いているというように語られる。それぞれ、竈男が一生懸命に火を吹く御面相ってのがいったいどんなもんか、想像してみておいてくだされたい。」

出典:Los Angeles County Museum of Art, Public domain, via Wikimedia Commons、Kyogen Mask of Hyottoko
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kyogen_Mask_of_Hyottoko_LACMA_35.9.344_(1_of_3).jpg

「これに関してもうすこし大事な話がある。それは奥の村々の神楽道化の狂言に、畠蒔きというのがあって、これは江戸付近でみるひょっとこ舞の仮面(めん)をかぶって踊る。それが出てきてヤアハア畠蒔きと歌いつつ腰を振り頭振り、種蒔き唄(4)を声高に歌いながらに種蒔きをするが、あとからカラス、スズメの鳥奴がきてほじくる、それには呆れ果てて独白となる。・・・・・・やいやい、おれはこうして毎日種蒔きしていても、あとからかの鳥めがきてほじくられてはわからぬ。アワ蒔きも能がない(こういうときは指でハマグリを作って、彼らがほじくる動作をやる)。そうかといって、また日々(にちにち)毎日竈の火吹き役もハアあきあきだ。これから一つ伊勢参宮にでも上ろうか、ヤアハア伊勢の国、そうして伊勢の国へ上ってしまう。その種蒔き男の名まえは、ちょいちょいと舞い手の臨機応変で変えられることもあるけれども、しかしおおむねこれを権助権助というのが普通である。この権助がそちらの権兵衛ではありませぬか、権兵衛はもちろん百姓男であるから、竈の火焚きくらいはせねばもちろんふしぎなはずである。」
以下には江戸時代に実在し、村人を困らせた大蛇を退治したと伝わる「種まき権兵衛」さんに関する動画を引用させていただきました。

「なおこのほかにも、種蒔き男、鳥追いの型の舞(5)があると聞くから、ひょっとこ舞は質朴にこちらに残っているごとくに、その根元は竈の火焚きすなわち竈男で、そうして一方種蒔き舞であり、百姓舞であったと思ってはいかぬか。」

ヒョウトク

「ひょっとこの話に関しては、まだまだたいせつな民話がある。それは陸前の登米(とめ)、本吉(もとよし)、気仙(けせん)の諸郡から、陸中の東磐井(ひがしいわい)、江刺(以上旧仙台領)、その他これらの地方に近接した地方にわたって行なわれている竈神とて粘土や木刻の円眼船口形の怪奇な面を家々の竈前の柱に掛けておく風習があることである。その掛ける柱をこの地方では竈男(かまおとこ)と言い、その面をばヒョウトク、あるいはショウトクなど呼んでいる。そうしてそれをこうしておくという由来については、こんな話があるからひとつ語りましょう。」

出典:写真AC、ひょっとこお面
https://www.photo-ac.com/main/detail/24681306?title=%E3%81%B2%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%81%93%E3%81%8A%E9%9D%A2

「昔々、爺と婆があった。爺は山に柴刈りにいって、大きな穴を一つ見つけた。爺はこんな穴にはきっと悪いものが住むものだ。塞いでしまったほうがよいと思って、一束の柴を穴の口に押しこんだ。そうすると柴は穴の栓にはならずに、するすると穴のなかにはいっていった。また一束押しこんだがそのとおりで、それから、もう一束もう一束と思ううちに、三月(みつき)がほどかかって刈り溜めた柴をことごとくその穴に入れてしまった。そのときに穴のなかから、美しい女が出てきて、たくさんの柴をもらったことの礼を言い、どうか一度穴のなかにきてくれという。爺はこんなときだ、キツネに化かされるのがと思って辞退したが、女がたってよけいに勧めるので、ついはいってみると、なかには目の覚めるようなりっぱな館(やかた)がありその家の脇には、爺が押しこんだ柴がちゃんと積み重ねられてあった。」
下には石見銀山の坑道の写真を引用いたしました。穴の中にはこちらのような立派な通路が続いていたかもしれません。

出典:写真AC、世界遺産・石見銀山の龍源寺間歩
https://www.photo-ac.com/main/detail/33173805/1

「それから爺はたんと御馳走になって、帰りしまにこれをやるから連れてゆけといわれたのが、一人の子どもであった。なんともいえぬ見ともない顔の、臍ばかりいじくっている子であった。ぜひくれると、たっていわれるので、爺はしぶしぶ連れ帰って家においた。
 ところがその子どもはしじゅう炉にばかりあたって、腹をあぶりながら、あまり臍ばかりをいじくっているので爺は火箸でちょいとお臍を突いてみると、そこからぶつりと金の小粒がこぼれ落ちた。それからは一日に三度ずつそこから小金が出て爺の家はおかげで富貴となった。」
「ひょうとく」は「妖怪」の一つとも解釈されています。以下には水木しげるロードの「ひょうとく」像付近のストリートビューを引用いたしました。

「だが婆は欲張り女であったもので、もっと多くの小金を出したいと思って、爺の留守に子どもの臍を火箸でぐんと突くと、金は出ないで子どもは死んでしまった。爺は戻って、これを知って、ひどく悲しんでいると、夢にその子どもが出てきて、泣くな爺さま、おれの顔に似た面を粘土(つち)で造って、毎日よく目にかかる竈の柱に掛けておけ、そうすれば家がかならず富み栄えると教えてくれた。この子どもの名まえをばヒョウトクといった。それゆえこの辺の村々では今日までも、醜いヒョウトクの面をば粘土や木で造って竈男という柱に掛けておく。これを竈神とも竈地蔵とも、また名まえそのままヒョウトクとも呼んでいる(1)。
(1)この話は江刺郡米里村字中沢、浅倉某女という老婆の話。なお同郡伊手村にても同様の話を聞いた。」
臍を火箸でつくと金が出る「ヒョウトク」とは以下に引用させていただいたような「金鉱石」をイメージしているようにも思えます。欲張り婆さんが乱暴に扱ったため、金の採集ができなくなってしまったのでしょうか。

出典:みちのくGOLD浪漫公式サイト、大谷鉱山採掘金鉱石
https://jp.tohoku-golden-route.com/cp/?cpid=315


「自分は好例をあまた挙げる知識をもたぬが、火を司る者が人類にもっともたいせつな役目であった。その必要欠くべからざるものをわれわれに与うる者に福神という考えをもっていったということも自然なことで、そしてそれがまた欲、穢れ、邪心に染まぬ童子であり、老翁であらねばならぬことも至当な思想であろう。右の話なども竈というものから、ながい年月をかかって思いついた(空想、想像した)産物であろうし、そして柳田先生がいわれたように火男(ひおとこ)がヒョットコとなり、そしてその醜い童子が死んで神性なものとなったのではないかという説にも賛成する。なお、先生の海南小記のなかには、竈神の起原に関した話として、かの炭焼き長者に縁因あることを明かされている。いずれも火に縁がふかい話ばかりである。」

ひょっとこ踊り

「竈神の話はこうみてくるといずれも福神の由来談になっている。それはこの世の生活の幸不運に関係なく、死後はおおよそそうなっているかと思われる。福神童の話なら、私の江刺郡昔話のなかにもその二、三の話例がある。ただここに、山と川との違いだけで、同様の趣旨から現われ出た童の話に、紫波郡で福神童ヨケナイと言い、和賀郡の一部地方から江刺郡にかけてウントクあるいはウントコ童(1)という福神話がある。(中略)つまりこの童などが前話のヒョウトクと縁があるらしく思われるのには種々の類似がある。なんの話でも非常に醜い顔のものであったというから、今日のヒョットコ面のような面であったであろう。そんなふうなかっこうをして種も蒔き竈の火も吹いたことと思う。」
注釈(1)によると「ウントコ童」の姿は「醜(メグサ)いカブキレワラシ」とのことです。「カブキレワラシ」はザシキワラシの一種で「かぶきり小僧」との異名もあります。下には現代的にアレンジされた「かぶきり小僧」の投稿を引用させていただきました。

「だが自分は単なる資料収集者であって、学者じゃないから、ヒョットコの起原由来などを詮議考究する知恵を残念ながらもたぬ。ただくだくだしく列挙した話例などにこうした連想をひとりで抱持してみよう。似て非なるものも交じっていようが、ただここにはやたらに話を記して、肩の凝らぬおもしろいものとなっていたらそれで自分は事たりるとせねばならぬ。まじめな考証は識者から聴かしてもらいたい。」

出典:写真AC、まつり2
https://www.photo-ac.com/main/detail/294330&title=%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A2

「終りに臨んで、事のついでにもうひとつおかしい話を追加しようか、これは友人から聞かしてもらったものであるが、なんとかいう落語家が事偶(ことたま)にやったものだというのに、灰神楽(はいかぐら)という奴があったそうである。」

「その梗概を述べると、ある神楽ずきの夫婦が、やきもち喧嘩かなにかをおっ始め、夫が、やいこのオカメというと、女もそれには負けていず、なんだね、人をオカメだなんていわれた御面相でもないくせに、サッサとお竈の下でも吹いてやがれ、ヒョットコ野郎メという。
男「なんだとヤイこのテレツクメが!」
女「オヤこのドロツクが!」
男「やいこのテレツク、テレツクテン!」
女「オヤこのドロツクドロツクドン!」
男「(やっきとなって)テレツクテレツクテレツクテン!」
女「(同様で)ドロツクドロツクドロツクドン!」
と悪罵が漸次高調に達したとき、傍らに寝ていた子どもが目を覚まし、
「チャン、ヨシナヨ!」と細い声で泣き声をたてる。
おりふし、七厘に懸けてあった鉄瓶の湯が沸騰して、灰神楽をあげる。子どもは手平鉦式の細い声をあげて一生懸命に、
「チャン、シチリン、チャン、シチリン!」とわめく。
男「てれつくてれつくてれつくテン!」
女「どろつくどろつくどろつくドン!」
子ども「チャンシチリン、チャンシチレン!」
とわめきたてつつ親子三人ついに手振り臀振りのヒョットコ踊りとなってしまうという。」
下には「日向ひょっとこ夏祭り」の公式youtubeから「肥後笑福会」の動画を引用させていただきました。こちらはひょっとこ親子とオカメ(女)に加えて、オカメに一目ぼれしてしまったキツネも加わり、賑やかな踊りになっています。

「すなわち趣味の同化から和楽しためでたいところで落ちになっているのであるが、この嚊(かかあ)大明神の、竈の下でも吹いてやがれ云々が非常に利(き)いて、痛快でかつ適切でありはせぬか。さあればヒョットコの本来は、前にもいったようにやはり竈男であり、火男であり、同様に種蒔き男であったといっても、一面の真ははずれまい。」

旅行などの情報

日向ひょっとこ夏祭り

「ひょっとこ踊り」の代表例として上でも引用させていただきました。こちらは明治初期に日向市内の眼科医・橘公行医師が、神楽をベースに考案した踊りとのことです。物語は以下に引用させていただたように、岩手周辺の「ひょっとこ」話とは少し異なります。

昔、塩見永田に「ひょう助」と「おかめ」という夫婦が住んでいました。
なかなか子どものできない二人は、毎朝、稲荷神社に豆ん飯を供えて子宝に恵まれるよう祈願をしていると、 あまりにも空腹だった神主が、お供え物の豆ん飯を見て、つい、つまみ食いをしてしまいました。

それを見て怒ったお稲荷様が、きつねの姿となって現れたものの、傍らにいた美しいおかめに目を奪われてしまいます。 そして、おかめの気を惹こうと手招きをしながら踊り始めます。それを見ていたおかめがつたれて踊りだし、 心配そうに見ていたひょう助とこの様子をそっと木陰でうかがっていた村の若者たちもつられて一緒に踊りだしてしまいました。 踊りのあと、境内が汚れたので、残った1人の青年が竹ぼうきを持って踊りながら掃き清め、みんなの後をついて行きました。

出典:日向ひょっとこ夏祭り実行委員会公式サイト
https://www.hyottoko.jp/

「日向ひょっとこ夏祭り」は例年、8月第1土・日に開催され、初日の「前夜祭」では踊りの演技力を競う個人戦、2日目の「本祭り」は団体戦が開催され、午後からの「連」によるパレードでフィナーレを迎えます。

上には公式サイトインスタグラムのイメージ動画を引用させていただきました。

基本情報

【住所】宮崎県日向市上町10736-15(あくがれ広場「JR日向市駅前交流広場」)
【アクセス】日向市駅から徒歩1分以内
【参考URL】https://hyuga.or.jp/app/events/view/11

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