佐々木喜善「東奥異聞」の風景(その6)

嫁子ネズミの話

ネズミは神の使いともいわれますが、東北地方には人間がネズミになった、あるいはされてしまったという話が伝えられています。以下にはお産を控えた女性を冷たく扱ったためにネズミにされてしまった「こだまネズミ」の話、若者への恋がかなわなかった娘が自らネズミになってしまう「嫁子ネズミ」の話を紹介しましょう。

序文

「ネズミの話は、日本の神代史のあたりにも、かの有名な大国主神を火中からお救い上げた話など、ふんだんにあります。」
以下にはスサノオノミコトが与えた火攻めの試練から、ネズミの力を借りて切り抜ける大国主命の図を引用いたしました。

出典:補助教育研究会 編『少年歴史物語』1,而立社,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1168898 (参照 2025-08-20、一部抜粋)、因幡の白兎(大国主命)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1168898/1/100

「しかし、そういう神話などは別にして、私たち祖先の人々、すなわち農民の――平民の――なかから起こった話にはどういうのがあったか、それはかなり多くの民譚がありますが、私はそのうち、奥羽地方の民間のなかに残っているネズミの起原の話をつぎに一、二お話しようと思います。」

「こだまネズミ」の話

「羽後の国、北秋田郡荒瀬村という所は、同国のうちでも有名な山郷で、そして村の大部分は狩猟でもって年中の生活をたてている所であります。」
下には道の駅あに(阿仁)の入口周辺のストリートビューを引用いたしました。こちらに掲げられている阿仁マタギのキャラクター「かける君」は「釣りキチ三平」などで知られる地元の漫画家・矢口高雄氏によるものです。

「この村の山中にこだまネズミというて、普通のネズミよりはやや小がらな、焦茶色の艶のある毛色のネズミがすんでおりますが、この小ネズミが、酷寒の樹木の枝などが凍り折れるようにしばれるときなど、木のまたなどにいて、じつに恐ろしい音をたてて破裂してしまいます。狩人がその音響をたよっていってみると、ネズミの背がポンと割れ裂けて死んでいるそうであります。私にこの話を聴かせてくれた同所の老人の狩人(マタギ)の話ですと、寒中のひどくしばれる日に、えもののくるのを木陰などでさけしんで(耳を傾けてうかがうて)いると、そのネズミの破裂するのがポンポンとすてきな音をたてて遠近に聴こえるのだということです。なんとなくそれが淋しいものなんだそうです。こだまネズミとはそのからだの破裂する反響からきた名でありましょうが、そんなら数多い獣のうちでなぜひとりこの小獣にかぎってそんな無惨なありさまになるかということについては、つぎのような口碑があります。」

「小玉鼠」とは秋田県北秋田郡のマタギ(猟師)たちに伝わる幻獣(ウィキペディア・小玉鼠)ともいわれますが、実在する「ヤマネ」という齧歯類のことという説もあります。下にヤマネの写真を引用いたしました。

出典:Yamaneseisokubunpuiki, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons、ヤマネのアップ
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97.JPG

「昔、同地の狩山に、七人と六人の二組の狩人が登って小屋掛けをしていました。六人組のほうをばスギのレッチウ、七人組のほうをばコダマのレッチウと呼びました。ところがある夜の夜半に、コダマのレッチウの小屋に若い女がやってきて、私はいま、お産の紐を解きたいのだからどうぞ一夜の宿りをゆるしてくれというのでした。その小屋では狩人が、たださえ女という語を嫌うのに、ましてなによりいちばん忌むのは産火であるから、もちろんその女を小屋のなかに入れようはずがありません。それにこの真夜中に女がただの一人、これはてっきり魔物なんだろうと早合点して、スカリ(組頭)が筒先を差し向けると、女はさも無念そうにすごすごとどことなしに立ち去ってゆきました。」
以下には北秋田市阿仁打当「マタギの湯」の入口に再現された「マタギ小屋」の写真を引用いたしました。お腹の大きくなった女が交渉がまとまらず、悲しそうに出ていく様子をイメージしてみましょう。

出典:写真AC、マタギ小屋
https://www.photo-ac.com/main/detail/31640581&title=%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%AE%E5%B0%8F%E5%B1%8B

「そのあとその女はスギのレッチウの小屋にいって、前同様のことをいって一夜の世話を頼み入れますと、そこの小屋では、それはさぞ御難渋だろう、さあさ早くはいって火にあたれといって、いろいろと介抱をしてやり首尾よく女にお産の紐を解かせました。女人はひどく喜んでスカリに向かっていうには、おおよく聴けよ。われこそはただの人間ではありません。じつは山神さんでありまするぞよ。今夜のお世話のお礼には明朝三つクマをえさせましょう。夜が明けたならこの下の洞に尋ねいってみなさい。大きなタカスのうちに三匹の大グマがいよう、それを射つにはかくかくせよと教え、また前に情けなく私に当たったかの七人組の小屋にもいってみておくれ、私の怒りが彼らをなんとしておくか、といわれたと思うと、その山神さんの女人はどことなしに立ち去りました。」
「タカス」は以下にも補足されているように木の空洞に住む熊の「高所の出入口」のことです。以下には「秋田花まるっグリーン・ツーリズム推進協議会」のホームページから、「タカス」の画像を引用させていただきました。

出典:秋田花まるっグリーン・ツーリズム推進協議会、狩りの文化、森の王者・熊狩り
https://www.akita-gt.org/data/bunka/matagi/matagi-04.htm

なお、同ページには木の空洞に住む熊の捕らえ方について以下のような説明がされています。

クマの穴狩り・「たかす」…木の中が空洞になっていて、入り口が上のほうにあるタカスという穴。あらかじめ根本に直径3cmぐらいの探り穴をうがつ。そこから木の棒を押し入れると、クマは上の穴口から出る。見張り中のシカリは、それを撃つ。

出典:秋田花まるっグリーン・ツーリズム推進協議会、狩りの文化、森の王者・熊狩り
https://www.akita-gt.org/data/bunka/matagi/matagi-04.htm

「そこでスギのレッチウの者ども、女人のお告げの洞にいってみると、いかにもいわれたとおりの大木の朽ち穴があります。その穴を突いて望みの大グマ三匹をえ、それから一つ山を越えてコダマのレッチウの小屋にいってみると、鉄砲諸道具をみなそのままにしておいて、肝腎の人間が一人もおりません。これはどうしたことだろうと思って、四辺を見ると、小屋の梁の上にいままで見慣れぬ毛色の小ネズミどもが七匹ちょろちょろと去ってゆく。それこそすなわち山の神さんにとがめられて、ネズミとなったコダマのレッチウの七人組のなれの果てであったのであります。それでいまでもけっして七人組のレッチウは忌んで、ないことになっております。」
以下には「ヤマネ」の写真を引用いたしました。

出典:Yamaneseisokubunpuiki, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons、巣箱を利用したヤマネ
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%8DGlirulus_japonicus.jpg

「私は老人がたびたび用いるこのレッチウという言葉をまたそのままに用いましたが問い糺すとこれは『連中』ということだということがわかりました。またタカスというのは、山言葉の一で、深山で大木の梢が風雨のために折れたのが、自然と幹に朽ち込み大穴となったのにクマがはいったもののいわれです。このほか、ソラグチ(大木の根に穴があるもの)、ツルベ(これは岩穴でクマが釣桶つるべのように上からはいってゆくようなもの)――まあざっとこんなふうになりますが、しかしこれは主題とは違った余談であります。いずれも秋田の荒瀬村に行なわれている山言葉です。」

正月のお供え餅の由来

「私の知っているかぎりで、奥州にはもう一つネズミの起原の話があります。その話は『江刺郡昔話』という私の本のなかにも書いておきましたから、ここでざっとその話の梗概だけをいってみましょう。ただしここでちょっと言いたいことは、奥州ではお正月にかぎってネズミのことを嫁子(よめご)と呼び、お正月の晩などにはとくに嫁子だちの餅といって、小餅をとって土蔵の大黒柱の下や、その他家のなかの平素ネズミの通うような箇所に置くことがあります。私だちも毎年その季節になると嫁子、嫁子と言いながら、そのわけもわからずにおりましたが、先年江刺郡という土地の民間伝承を収集しているうちに、はからずも左のような童話をえたので、私は非常にうれしかったのです。」
以下には佐々木喜善の生家周辺のストリートビューを引用させていただきました(ご子孫の方がお住まいになっていますので見学は不可)。ここでは「嫁子だちの餅」をお供えする少年・喜善の姿を想像してみましょう。

「われわれの間にはいま、名称や言葉だけが残っていて、その起原とか由来とかの本話がとんと民間の記憶から忘れられたものが多くあります。私のこのような話などももうすこしの間気がつかずに放っといたなら、すでに取返しのつかぬ運命に落ちいっていたのだろうと思います。そうなったら日本民族の新しい文化のために、まことに大きな損害でございます。皆さまも民間に残っている話にとくに別な愛護と追惜とをおもちくださいまし。」

ここで紹介されているのは前回(東奥異聞の風景その5・参照)、糠部郡の話とともに例に挙げられた江刺(えさし)郡の花若話です。

「昔、ある山寺に花若という若衆がありました。その若衆が、和尚さまから勘当をさせられることがあって、寺を出るとき、和尚は夜になったらかならず戸の口一つに一本柱の家に宿かれよといわれました。その夜、花若は山中の草舎に辿り着き、和尚のいったような所に宿づきましたが、その草舎には老婆が一人おります。これは年経た古蝦蟇の化けたのでありました。その古蝦蟇の老婆は、花若の身の上話を聞いて、谷下の郷の長者の家に、竈の火焚き男として住みこませました。」

出典:Sawaki Suushi (佐脇嵩之, Japanese, *1707, †1772), Public domain, via Wikimedia Commons、『百怪図巻』より「山うは」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Suushi_Yama-uba.jpg

上には佐脇嵩之が描いた「山うば」の絵を引用いたしました。古蝦蟇の老婆はあらかじめ和尚から、花若の相談に乗るように依頼されていたのかもしれません。なお、「勘当」とありますが、炉辺叢書 22-24(郷土研究社)には、その原因について「和尚の留守に芋を食べた」からと記されています。

「その長者には娘が三人ありました。その娘らが、秋祭りに笛を吹いて通る美しい若衆を見て、いちように深く思いこがれる身となりました。その若衆というのが花若でありました。花若は主人から娘の婿になってくれといわれましたけれども、三人のうちいずれの娘を娶(めと)ってよいかわかりませぬ。そこでやむなくあの谷の蝦蟇の老婆のもとへいって聞きますと、老婆は花若に三つの試し事を教え、三人のうちそれを首尾よく成し遂げた娘を娶れと言いました。三つの試し事とは、第一には一束の麻を苧(お)んで紡いで機に織って、一すじの縞の帯を作ったもの、第二には畳の上にいちめんに引き伸ばした真綿の上を新草履で、わたってすこしも足に綿を絡み着けぬもの、第三にはスズメのとまった木の小枝をそのまま折ってきて、男の手に持たせてくれたもの、こうありました。二人の姉娘どもはいずれのわざにも失敗をしましたが、三番めのいちばん末の妹は三つの試しをどれもりっぱに成し遂げました。そこでその娘が花若のお嫁さんになりました。」
特に3つ目の「スズメのとまった木の小枝をそのまま折ってきて」というのは、下の写真などを見る限り難しそうですが、やりとげた末妹はめでたく花若と結婚します。

出典:写真AC、青空と雀
https://www.photo-ac.com/main/detail/3242804&title=%E9%9D%92%E7%A9%BA%E3%81%A8%E9%9B%80

「ところが二人の姉娘どもは、あんまり泣いてそうして恥ずかしがってとうとうネズミになって、梁の上に逃げていってしまいました。長者はそれをかわいそうだと思ってそうでないんだけれども嫁子どもだといってやりました。そのことのあったのが小正月の晩だったというので、いまでもそれを思うてやるために、村の家々ではかならず嫁子だちの小餅をとってやるのだということであります。江刺郡の村に残っているネズミの起原の話がまずこんなふうなのであります。」

出典:写真AC、ねずみ
https://www.photo-ac.com/main/detail/2937161?title=%E3%81%AD%E3%81%9A%E3%81%BF

「私はこれで奥州地方の民間に残っている、二つのネズミの起原の話をいたしました。そうして二つともたいへんすじが違っているけれども、人間の少し邪(よこしま)なことが原因で同じくこの小獣になったというように物語られております。ほかにも多くの違った例があることと思います。そのような末々の話を集めて比較してみますと、われわれの祖先の人たちがこんなものに対して考えた、なつかしい心持が今日のわれわれにもあらましながらにわかって参ります。私たち自身の今日の生活によりむずかしい美しい磨きをかけてゆくには、こうした昔の人たちの心の生活をも考え味わってみねばなりません。深く潤いのある心持、真に感じ味わってゆくところの心持ほど今日のわれわれに必要なものはありません。私は間違っていようがいまいが、そういう心持で、まさに滅びようとしつつある、民間伝承を収集してゆきたいと思っております。」

旅行などの情報

くまくま園

秋田県にある「くまくま園」は東北地方で唯一のくま専門の動物園です。「つきのわ舎」は大くま・中くま・小くま、そして「こぐまの保育園」の年代別に分けられ、過ごし方や遊び方の違いを観察できるのが魅力です。また、ひぐま舎には大きな運動場が設けられ、水遊びなどのダイナミックな姿を見ることができます。以下にはこぐまの写真を引用させてただきました。

例年夏休みを中心に、周辺観光施設の「打当温泉マタギの湯」や「道の駅あに」との地域連携イベント(割引など)も実施されます。「道の駅あに」では「うさぎ肉ラーメン」や「馬肉ラーメン」といったジビエメニューが人気、遊んだ後には「打当温泉マタギの湯」の源泉かけ流しのお湯を堪能してみてはいかがでしょうか。

基本情報

【住所】秋田県北秋田市阿仁打当陳場1-39
【アクセス】内陸線阿仁マタギ駅から車で約8分
【参考URL】http://hahaha.akita.jp/wp/kumakuma/