村上春樹「風の歌を聴け」の風景(その4最終回)

夏休みの終わり

大学の夏休みも終わりに近づき、東京に帰る日がせまってきます。そんなある日、何か問題を抱えて元気のない鼠をプールに誘いました。また、前回(風の歌を聴けの風景その3・参照)、旅行に出るといっていた「小指のない女の子」が戻って来て、一緒に食事をしたり、港を歩いたりします。昭和時代の神戸や映画のロケ地の写真などを交えながらストーリーを追って行きましょう。

「鼠」との風景

プールにて

鼠を誘ったのは「山の手」にあるプールで「プールには10人ほどの客しかいなかった。そしてその半分は泳ぎよりは日光浴に夢中になっているアメリカ人の泊り客だった」とあります。下に引用させていただいたのは映画「風の歌を聴け」のロケ地となった「芦屋市民プール」の写真です。

「僕と鼠は25メートル・プールを競争して何度か往復してからデッキ・チェアに並んで座り、冷たいコーラを飲んだ。」とのこと。ここでは、アメリカ人たちがのんびりと甲羅干しをする脇で、真剣に泳ぐ「僕」と「鼠」を置いてみることにします。

小さいころ見た景色

鼠は空を見ながら小さいころに見た風景について語ります。
鼠「子供の頃はもっと沢山の飛行機が飛んでいたような気がするね。・・・・・・殆どはアメリカ軍の飛行機だったけどね。プロペラの双胴のやつさ。覚えているかい?」
僕「P38?」
鼠「いや、輸送機さ。P38よりはずっとでかいよ。とても低く飛んでいた時があってね、空軍のマークまで見えたな。・・・・・・」

鼠の見た飛行機の名前はわかりませんが、下には「僕」が例に出したアメリカ軍双胴機「P38」の写真を引用しました。このような飛行機を日常的に見ていた鼠は、子供の頃、パイロットになる夢を抱いていました。

出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Lockheed_P-38_Lightning_USAF.JPG

鼠「時々ね、どうしても我慢できなくなることがあるんだ。自分が金持ちだってことにね。逃げ出したくなるんだよ。・・・・・・」
僕「逃げ出せばいい。本当にそう思うんならね。・・・・・・大学には戻らない?」
鼠「止めたんだ。戻りようもないさ。」
僕「これから何をする?」
鼠「小説を書こうと思うんだ。・・・・・・」

奈良の古墳と文章

鼠「何年か前にね、女の子と二人で奈良に行ったことがあるんだ。ひどく暑い夏の午後でね、僕たちは3時間ばかりかけて山道を歩いた。・・・・・・しばらく歩いた後で俺たちは夏草がきれいに生え揃ったなだらかな斜面に腰を下ろして、気持ちの良い風に吹かれて体の汗を拭いた。斜面の下には深い濠が広がって、その向こう側には鬱蒼と木の繁った小高い島のような古墳があったんだ。昔の天皇のさ。」

下にはここでは奈良にある「垂仁天皇陵」の写真を引用して、このとき鼠が見た風景をイメージしてみます。

出典:Saigen Jiro, CC0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Horai-yama_Kofun,_zenkei_over_the_water.jpg

鼠は更に続けました。
「・・・・・・その時に考えたのさ。何故こんなでかいものを作ったんだろうってね。・・・・・・もちろんどんな墓にだって意味はある。どんな人間でもいつかは死ぬ。そういうことさ。教えてくれる。でもね、そいつはあまりにも大きすぎた。巨大さってのは時々ね、物事の本質を全く別のものに変えちまう。・・・・・・」

「文章を書くたびにね、俺はその夏の午後と木の生い繁った古墳を思い出すんだ。そしてこう思う。蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろうってね。」

ホテルの小さなバーにて

「夕方になって日が翳り始める頃、僕たちはプールから出て、マントバーニのイタリア民謡の流れるホテルの小さなバーに入り、冷たいビールを飲んだ。広い窓からは港の灯がくっきりと見えた。」とあります。

下にはムードミュージックの元祖ともいわれるマントバーニの「ITALIA MIA(邦題:わがイタリア)」を引用させていただきました。「僕」は思い切って「鼠」の本音を聞き出し、相談に乗ろうとしますが・・・・・・。

「小指のない女の子」との風景

YWCA前で

旅行に出かけるといっていた「小指のない女の子」から電話が来ます。
女の子「帰ったわ。」
僕「会いたいな。」
女の子「今出られる?」
僕「もちろん。」
女の子「5時にYWCAの門の前で」
僕「YWCAで何してる?」
女の子「フランス語会話。」
僕「フランス語会話?」
女の子「QUI。」

「僕」はYWCAの前に車を停めて授業が終わるのを待つ間、隣のビルの冷蔵庫の屋上看板を観察します。
「フリーザーには氷と1リットル入りのバニラ・アイスクリーム、冷凍海老のパック、二段目には卵のケースとバターにカマンベール・チーズ、ボーンレス・ハム、三段目には魚と鶏のもも肉、一番下のプラスチック。ケースにはトマト、キュウリ、アスパラガス、レタスにグレープフルーツ、ドアにはコカ・コーラとビールの大瓶が3本ずつ、それに牛乳のパックが入っていた。」

上には「風の歌を聴け」の頃に発売された3種類の冷蔵庫の広告写真を引用させていただきました。「僕」が見た看板と同じく、どちらのメーカーの冷蔵庫もフリーザー(冷凍室)が上に付いていますね。

「僕」は「冷蔵庫の中身を平らげる順番をずっと考えてみたが、何れにせよ1リットルのアイス・クリームはいかにも多すぎたし、ドレッシングの無いのは致命的だった」ともいっています。

港の近くのレストランにて

YWCAで車に乗り込むとき、女の子は「旅行になんて行かなかったの。あなたには嘘をついていたのよ。」といいました。「僕たちは港の近くにある小さなレストランに入り、簡単な食事を済ませてからブラディー・マリーとバーボンを注文した。」とあります。

下には映画「風の歌を聴け」で、こちらの場面のロケ地となった「キングスアームス」についての投稿を引用させていただきます。既に閉店してしまいましたが、三宮にあった英国風パブでローストビーフが美味しいと評判でした。

ここでは、こちらのお店のなかでの二人の会話を抜粋します。
女の子「本当のことを聞きたい?」
僕「去年ね、牛を解剖したんだ。・・・・・・」
(と、話をそらす僕)
女の子「わかったわ。何も言わない。」
女の子「あなたに訪ねようと思ってたことがあるの。いいかしら?」
僕「どうぞ。」
女の子「何故人は死ぬの?」
僕「進化しているからさ。個体は進化のエネルギーに耐えることができないから世代交代する。もちろん、これはひとつの説にすぎないけれどね。」
女の子「今でも進化しているの。」
僕「少しずつね。」
女の子「何故進化するの?」

話は続きます。

海辺を歩く

「僕」たちはお店を出た後、港の周辺を歩きます。レンガ造りの倉庫や港湾鉄道の軌道を渡り、突堤の倉庫の石段に座って景色を眺めました。夕方になると造船会社のドッグに灯りがともります。

下にはメリケンパークのストリートビューを引用させていただきました。対岸には川崎重工の造船ドッグが見えます。このような風景を見ながら打ち明け話をする彼女の姿や、耳を傾ける「僕」の姿を想像してみましょう。

役に立ちそうもない日常品を購入

アパートまで一緒に帰る途中、彼女は「あまり役に立ちそうもないこまごまとした買い物をした」とあります。「苺のにおいのする歯磨きや派手なビーチ・タオル、何種類かのデンマーク製のパズル、6色のボールペン」など。

デンマーク発祥のレゴ社によると(レゴジャパンの投稿を引用させていただきました)、1970年にはすでにレゴブロックの原型である「オートマ・ビンディング・ブロック」が販売されていたとのこと。彼女が購入したのは、もしかしたらこちらのような商品だったかもしれません。

「今夜は一人でいたくないのよ」という女の子に付き合い、一緒にアパートに向かいました。そこで女の子は旅行のかわりに何をしていたかを語り始めます。

再びテレフォンリクエスト

ポップス・テレフォン・リクエストでは、DJが17歳の女の子からの手紙を読み上げます。以下にDJの言葉を抜粋します。
「やあ、元気かい?こちらはラジオN・E・B、ポップス・テレフォン・リクエスト。また土曜日の夜がやってきた。・・・・・・ところで夏もそろそろおしまいだね。どうだい、良い夏だったかい?今日はレコードをかける前に、君達からもらった一通の手紙を紹介する。」
(手紙を読み始める)
「私は17歳で、この三年間本も読めず、テレビを見ることもできず、散歩もできず、・・・・・・。私がこの三年間にベッドの上で学んだことは、どんなに惨めなことからでも人は何かを学べるし、だからこそ少しずつでも生き続けることができるのだということです。
 私の病気は脊椎の神経の病気なのだそうです。ひどく厄介な病気なのですが、もちろん快復の可能性はあります。3%ばかりだけど・・・・・・。これはお医者様(素敵な人です)が教えてくれた同じような病気の回復例の数字です。彼の説によると、この数字は新人投手がジャイアンツを相手にノーヒット・ノーランをやるよりは簡単だけど、完封するよりは少し難しい程度のものなのだそうです。」

「風の歌を聴け」以前の直近で、巨人相手にノーヒット・ノーランを達成したのは阪神のジーン・バッキー投手(1965年)でした(ウィキペディア「ノーヒットノーラン達成者一覧」より)。上にはその時のサンケイスポーツ記事の投稿を引用させていただきました。

グッド・ラック・チャーム

女の子の手紙は以下のように結ばれていました。
「病院の窓からは港が見えます。毎朝私はベッドから起き上がって港まで歩き、海の香りを胸いっぱいに吸い込めたら・・・・・・と想像します。もし、たった一度でもいいからそうすることができたとしたら、世の中が何故こんな風に成り立っているからわかるかもしれない。そんな気がします。そしてほんの少しでもそれが理解できたとしたら、ベッドの上で一生を終えたとしても耐えることができるかもしれない。
さよなら。お元気で。」

DJは手紙を受け取ったあとに港まで歩き、女の子の病室を捜したとのこと。「泣いたのは本当に久しぶりだった。」とあります。
DJ「でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。僕のいいたいのはこういうことなんだ。・・・・・・僕は・君たちが・好きだ。」

彼女のリクエストはエルビス・プレスリーの「グッド・ラック・チャーム」でした。上に引用させていただいたように、エルビスが軽快なテンポで「君が幸運のお守りだ!」と語りかけています。

神戸港の風景

東京に帰る日のジェイと「僕」の会話から抜粋します。
僕「今夜バスで帰るよ。」
ジェイ「あんたが居なくなると寂しいよ。・・・・・・鼠もきっと寂しがる。」
僕「うん。」
ジェイ「東京は楽しいかね。」
僕「どこだって同じさ。・・・・・・」
「ジェイは僕にビールを何本かごちそうしてくれ、おまけに揚げたてのフライド・ポテトをビニールの袋に入れて持たせてくれた。」
僕「ありがとう。」
ジェイ「元気でね。」

僕は小指のない女の子に、「冬にはまた帰って来るさ。クリスマスのころまでにはね。12月24日が誕生日なんだ。」と約束したとおり、その年に冬に彼女のアパートを訪ねますが・・・・・・

下には神戸港付近の写真(1967年ごろ)を引用させていただきました。このような風景を、「僕」があるときは「小指のない女の子」と二人で、あるときは一人で眺めているところをイメージしてみましょう。

出典:ヒョーゴアーカイブス、神戸港・1967年
https://web.pref.hyogo.lg.jp/archives/c064.html

旅行の情報

メリケンパーク

「小指のない女の子」と「僕」が2人で海を見るシーンで登場してもらいました。メリケンパークは1980年代に「艀だまり(下写真の黄色枠)」を埋め立てた港湾緑地です。下の空中写真のように「風の歌を聴け」のころはメリケン波止場(黄色枠の右側)とポートタワーのある中突堤(黄色枠の左側)が「艀だまり」を挟んで別れていました。

現在では隣接するハーバーランドなどとともに神戸港観光のメインエリアとなっています。

出典:出典:国土地理院・電子国土Web、赤枠を追加
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.683002/135.187783/&ls=ort_old10&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m

パーク内には神戸開港150年を記念した「BE KOBE」の モニュメントが設置される一方、下に引用させていただいたようなレトロな係船柱(ボラード)も残り、散策や写真撮影を楽しめるでしょう。また、クルーズ船も運行し、神戸港や六甲の山々のダイナミックな景色を満喫できます。

基本情報

【住所】兵庫県神戸市中央区波止場町2
【アクセス】JR神戸駅から徒歩5分
【公式URL】https://www.feel-kobe.jp/area-guide/meriken-harbor/