内田百閒「第三阿房列車」の風景(その7最終回)

列車寝台の猿—不知火阿房列車(後編)

「不知火阿房列車」の風景を宮崎の宿に到着したところから続けます(第三阿房列車の風景その6・参照)。2泊した宮崎では、新聞記者のインタビューに対応し、青島を観光、昔の生徒たちと思い出話に花を咲かせました。鹿児島を経由して定宿のある八代へ到着すると、雷九州阿房列車(第二阿房列車の風景その5・参照)を思わせる大雨に!夢に出てきた「猿」の動向も気になるところです。

宿でのインタビュー

宮崎に始めての「阿房列車」を運転した百閒先生を新聞記者が訪ねてきます。以下はそのインタビューの抜粋です。
記者「宮崎へ来られて、宮崎の印象はどうです」
先生「さっき著いたばかりで、わからない」
(中略)
記者「どう云う御用件ですか」
先生「用事はない」
記者「当地にお知り合いはありますか」
先生「だれもいない」

次の日の新聞には、「私の写真が載っていて、正に、宮崎くんだりまで来たが知るべは一人もないと書いてある」とのこと。新聞のおかげ(?)で先生が「法政大学の航空研究会会長をして」いたころの学生から連絡があり、「同窓の先輩」とともに会いに来ることになりました。

下には法政大学に勤務していたころの先生の雄姿です。ここではその学生たちから「随分怒られました」といわれ、当時を思い出す先生を想像してみます。

道ばたの綺麗な花

話は少し戻りますが、宮崎での2日目は天気が良く、気分も良かった先生は山系君を誘って青島へ行くことにしました。自動車に乗り込み郊外まで走ると「道ばたの畑に、綺麗な色の赤い花が咲いている。穂の様な形で、燃え立つ焔の様で、一面にかたまって族生している」とあります。運転手に花の名前を尋ねると「ルウピンです」とのことです。

下には宮崎のルピナスパークのルピナス(ルウピン)の写真を引用させていただきました。先生が見たのもこのようなきれいな景色だったのではないでしょうか。

青島観光

車を降りた先生たちは「高い橋杙に乗った長い橋を渡」ります。「修学旅行の生徒達や、講中の団体旅行などで橋の上は雑沓(ざっとう)し、道を避けなければならない程」の混みようでした。

青島神社に行き、島の裏側に廻ると「おかしな形をした黒ずんだ色の奇石怪石が人の手で列(なら)べた様なきちんとした間隔で海に向かってポーズを取っている」という景色に出会います。

先生が見たのは名勝「鬼の洗濯岩」という太古の昔から時間をかけてつくられた地形です。下に引用させていただいたように、その姿は先生が訪問したころとあまり変わっていません。

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/24551624&title=%E6%99%B4%E3%82%8C%E6%B8%A1%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%97%A5%E5%8D%97%E6%B5%B7%E5%B2%B8%E3%80%81%E9%9D%92%E5%B3%B6%E8%BF%91%E3%81%8F%E3%81%AE%E9%AC%BC%E3%81%AE%E6%B4%97%E6%BF%AF%E5%B2%A9

高千穂峰も見えた!

宮崎から鹿児島までの汽車旅の途中、先生は子供の頃に紀元節(現・建国記念日)に皆で歌った歌を「車輪が線路の継ぎ目で刻む拍子に合わせて歌って」みます。ちなみに一番は以下のような内容です。
「雲にそびゆる高千穂の
高根おろしに草も木も
なびき伏しけんおほみよを
あふぐ今日こそ楽しけれ」

「宮崎を出る時」、歌に登場する「高千穂ノ峰は二つ三つ先の駅の青井岳、山之口あたりから車窓の右に見え出すと教わって来たが」あいにく曇っていて高千穂峰の姿を見ることができません。

汽車にいた地元の女学生に高千穂峰の見える方向を確かめて凝視していると、「五十市を出て財部に到る間に、薄れかかった霧の中から見えた」とあります。下に引用したのは財部駅近くの線路付近のストリートビューです。「大きな箆(へら)でそいだ様な三角の山で何の奇もないが、見たいと思って意地になっていた山が見えたのは有難い」と少し頬が緩む先生を想像してみます。

さらに先に進んで「霧島神宮駅のあたりでは、もっと間近に、はっきり見え出した」とあります。下に引用したのは霧島神宮駅~国分駅間の線路付近のストリートビューです。

先生が利用した日豊本線は高千穂峰の南を東西に横切るような路線のため、高千穂峰の形が変わっていく様子も楽しめたのではないでしょうか。

「かんかん」で体重測定

鹿児島では主治医から旅の途中で体重を計るように言われたことを思い出します。「ふとり過ぎると云う事を用心しなければならぬ様で、その警戒の為に目方を知る必要がある」とのことです。

下に引用させていただいたのは「看貫秤(かんかんばかり)」なる器具の写真です。略して「かんかん」とも呼ばれた分銅を使った重量計で、鹿児島駅の小荷物扱所にも置かれていました。

もちろん駅にある「かんかん」は本来体重を測るものではありません。「忙しい所に飛んだ荷物が割り込んですまなかったが」としながらも鉄道関連の知り合いの口利きで駅の「かんかん」を使わせてもらいます。ここではこちらの秤で少し恥ずかしそうに体重を計ってもらう先生の姿を想像しておきましょう。

再び松浜軒へ

今回の旅行では松浜軒で2泊しますが雨男ヒマラヤ山系君の神通力によって連日雨が降り、訪問時には枯れていた池の水があふれるほどになります。

下には松浜軒に滞在する百閒先生の貴重な写真を引用させていただきました。先生は口をヘの字に結んではいるものの、どことなくリラックスした表情をしています。撮影しているのは山系君でしょうか?ただ「不知火阿房列車」で山系君が取った写真は、「最初の一枚が真っ黒けで、後は全部真っ白で、何にも写っていなかった」とのことです。

こちらの写真を誰がいつ撮影したかの詮索はやめにして、ここでは「時に貴君、大手饅頭はどうした」と山系君に聞いている場面と重ねてみましょう。ちなみに先生は酔った勢いで、岡山駅で真さんからもらった大手饅頭をほとんど一人で完食していましたが・・・・・・。

不知火ノ海を見に

八代の2日目はまだ雨が続いていましたが、先生は「僕は不知火ノ海を見に行こうと思う」といいます。「不知火が見えると云う白島に車を停めて、雨の中へ出た。その晩はここへ弁当を持ち込んで不知火を眺めるものだと云う家の廂の下に雨を避けながら、何となく海を見ている」とあります。

下にはその白島についての新聞記事の写真を引用させていただきました。記事では「戦後9回にわたり八代を訪れた作家の内田百閒も足を延ばした」と先生についても触れています。「島のたもとで海水浴や潮干狩りができる」とあるので、先生が景色を眺めた「家」もその休憩所兼食事処のような場所からだったかもしれません。

また、先生は「不知火が出るのは八朔、即ち陰暦の八月朔日の明け方だそうだから、まだ半年も先の事で、季節が違うのみならず、その日まで待ったとしても、夜光るものを昼間見に来たのでは見えるわけがない。だから不知火を見に来たのではない」ともいっています。下に引用したように白島は大理石でできた白い姿が美しく、島自体が観光地だったようです。

全島大理石より成る、(中略)本島は名勝の地として避暑者多し。

出典:熊本県教育会八代郡支会 編『八代郡誌』,熊本県教育会八代郡支会,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1195134 (参照 2023-12-13)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1195134/1/49

さらに下には現在の白島からの八代海方向の写真を引用させていただきました。手前の住宅地やその奥の内港地区は昭和時代に埋め立てられたところで、先生の頃には不知火海までを見通せたと思われます。

ここでは「不知火の海を見に来たのだから、底の浅そうな色をした海の面に、雨が降り灑(そそ)いでいるのを見て堪能した」という先生の姿をイメージしてみましょう。

ちなみに、標高約19m程度の白島は、今では九州一の低山としても知られています。

出典:YAMAP、九州で一番低い山 白島 とか
https://yamap.com/activities/23338398

雨中の八代駅

八代の2日目は「私の陣取った座敷にお客を迎えて一献したので、寝るのが遅くなったが、寝入った後の夜半過ぎから大雨が降ったらしい。寝ている頭がひしゃげる様な大雷が鳴って目がさめた」とあります。

先生は「雨男山系の通力には加減がなく、無茶苦茶に降らして仕舞うので困る」とこぼしますが、なんとか八代から予定通り急行「きりしま」に乗り込むことができました。

下に引用したのは明治44年築で2018年(平成30年)まで活用された駅舎の2012年の写真です。道路には水たまりもあり、雨の中を駅に入る先生一行の姿が想像しやすいと思います。

出典:Asasa198, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:JRYatsushiro-eki.JPG

「猿」がいなくなってから飲みなおし!

急行「きりしま」が無事に下関を過ぎ、途中から「大雨の出水の為、単線運転」とはなりますが、速度を緩めることなく順調に進みます。

ただ、食堂車のテーブルの筋向かいに「不知火阿房列車」出発の朝に夢に出てきた「猿」に似た男がいるのを発見し、「人の顔をまじまじと見ている相手に気がついたら、むかむかする気持ちになった」とのこと。窓の外の落雷に気を取られているうちにその男がいなくなりほっと一息つきます。

「さあおいしく飲みなおそう」といった先生は、山系君にビールを注いだかもしれません。下には昭和29年の国鉄の食堂車内の写真を引用させていただきました。楽しそうな顔が印象的ですね。ここでは右が山系君、左が先生と見立てて(眼鏡は付け替えて)、阿房列車の締めくくりにいたします。

旅行などの情報

青島

百閒先生が宮崎宿泊の際に出かけた観光地です。先生が訪れた青島神社や「鬼の洗濯板」は今でも観光の目玉となっています。1周約1.5kmの遊歩道には亜熱帯植物が生い茂っていて、南国ムードを味わえるでしょう。

また、周辺には南国植物を鑑賞できる「宮交ボタニックガーデン青島」や、おしゃれなカフェ・ショップが出店する「青島ビーチパーク」など当時はなかった観光スポットもできています。散策後には青島温泉などでリフレッシュして帰るのもおすすめです。

出典:Naokijp, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Aoshima_jinja,_Worship_Hall_01.jpg

基本情報

【住所】宮崎県宮崎市青島
【アクセス】青島駅から徒歩約10分
【参考URL】https://www.miyazaki-city.tourism.or.jp/spot/10001

永尾剱神社

八代で百閒先生が不知火の海を見に出かけた白島は、埋め立てにより当時に比べて見晴らしが悪くなってしまいました。現在、不知火を観望できるスポットとして有名なのが「永尾剱(えいのおつるぎ)神社」です。

713年創建の海童神(わだつみのかみ)を祭神とする神社で、下に引用させていただいたような海中に佇む鳥居も見どころです。旧暦の8月1日前後に条件が整えば、漁火が屈折による幻想的な景色(不知火)を見ることができます。

基本情報

【住所】熊本県宇城市不知火町永尾615
【アクセス】JR松橋駅から徒歩約20分
【参考URL】https://ukitrip.city.uki.kumamoto.jp/sashiyori/775/