村上春樹「羊をめぐる冒険」の風景(その8最終回)
鼠の別荘にて
牧場にある別荘には持ち主と思われる「鼠」の姿はなく、「僕」は彼の帰りを待つことにします。滞在する間に彼女が「僕」の前から去るという出来事があり、替わりに現れたのは「羊男」という奇妙な存在でした。「羊男」と何度か会ううちに彼が「鼠」についての何らかの事情を知っていると確信し、聞き出そうとしますが・・・・・・
不吉なカーブ
前回(羊をめぐる冒険の風景その7・参照)、二人は管理人のジープで牧場に向かいましたが、円錐形の山を裏までまわる途中で「ブレーキ・ペダルを踏んだ」とのこと。
管理人「これはすごく嫌なカーブなんだ・・・・・・地面ももろい。でもそれだけじゃねえんだ。なにかこう、不吉なんだよ。羊でさえここではいつも怯えるんだ」
僕「歩けるかな」
管理人「歩くぶんには問題ないな。要は震動だからね・・・・・・ここからだとあと四キロってとこだな・・・・・・一時間半もありゃ着く。・・・・・・最後まで送れなくて悪かった」
僕「いいですよ。どうもありがとう」
管理人「ずっと上にいるのかい?」
僕「わからないな。明日帰ってくるかもしれないし、一週間かかるかもしれない。なりゆき次第ですよ」
管理人「あんた気をつけた方がいいよ。この分じゃ今年は雪が早そうだからな」
下には徳島県の剣山スーパー林道のストリートビューを引用し、こちらの風景を想像してみます。
「我々は急ぎ足で<嫌なカーブ>を通り抜けた。・・・・・・まず体が漠然として不吉さを感じ取り、その漠然とした不吉さが頭のどこかを叩いて警告を発していた。川を渡っている時に急に温度の違う淀みに足をつっこんでしまったような感じだった」とあります。
不吉なカーブを後にしてしばらく歩くと「紅葉した白樺の樹海がどこまでも続いていた。・・・・・・一本のまっすぐな道が白樺の樹海を貫いていた」というような風景に変わります。ここでは下の写真の中に、「不吉なカーブ」から離れてほっとする「僕」たちの姿を置いてみましょう。
出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/1295172&title=%E7%A7%8B%E3%81%AE%E6%95%A3%E6%AD%A9%E9%81%93
牧場(鼠の別荘)に到着!
そして白樺が途切れると「湖のような広い草原が開け」、
「草原を隔てた正面にアメリカの田舎家風の木造の二階建ての家が見えた」とあります。
彼女「着いたわね」
僕「着いた」
下に引用させていただいたのは、仁宇布地区にあり「鼠」の牧場に似ていると評判の「ファームイン・トント」という宿泊施設の写真です。「僕」が到着した季節には羊はいませんでしたが、温かい季節には写真のようなのどかな風景を楽しめます。
人の気配がない
別荘の中に人気が感じられなかったため、「僕」は管理人から教えられた通り郵便受けの底から鍵を捜し出し部屋に入りました。
僕「こんにちは・・・・・・誰かいませんか」
応答はありません
彼女「あなたのお友達はここで冬を越すつもりだったらしいわね・・・・・・台所をざっと見てみたけど、一冬越せるだけの燃料と食品はそろっているわ」
僕「でも本人だけがいない」
彼女「これからどうするつもり?」
僕「待つしかないようだね」
「僕は真空管アンプのパワー・スイッチを入れ、でたらめにレコードを選んで針を置いてみた。ナット・キング・コールが『国境の南』を唄っていた。部屋の空気は一九五〇年代に逆戻りしてしまったような感じだった」とあります。上に引用させてただいたような曲だったでしょうか。
別荘を調査
また、「僕は何冊からの古い映画雑誌を持って居間に戻り、それを開いてみた。グラビアの紹介記事は『アラモ』だった。ジョン・ウェインの初監督映画でジョン・フォードも全面的に応援していると書いてあった」とあります。
下に引用させていただいたのは、売れない頃からジョン・ウェインを役者として起用してきた映画監督ジョン・フォードが、彼を訪問したときの写真です。ここでは左下写真のジョン・ウェインを見て「ビーバーの帽子はジョン・ウェインにはまるで似合っていなかった」と「僕」が感想を述べるところを想像してみます。
彼女が去る
彼女「疲れたの?」
僕「たぶんね・・・・・・ずっと探しまわってきて、急に立ち止まったからね。きっとうまくなじめないんだ」
彼女「眠りなさい。そのあいだに食事の用意をしておくから・・・・・・元気を出して。きっとうまくいくわよ」
「時計が六時を打った時、僕はソファーの上で目を覚ました。・・・・・・ガス台の上にはクリーム・シチューの入った鍋がのっていた。・・・・・・僕は本能的に彼女が既にこの家を去ってしまったことを感じとった」とのこと。「僕のまわりで起こりつつある様々な出来事のひとつひとつにきちんとした意味を与えていくことはもうとっくに僕の能力の範囲を越えていた」とあります。
それでも「ひどく腹が減っていることに突然気づいた」「僕」はシチューを暖めてパンを切り、赤ワインの栓を抜きます。
ここでは、以下に引用させていただいた「パーシー・フェイス・オーケストラの『パーフィディア』を聴きながら夕食をとった」というシーンを想像しておきましょう。
車のシートには羊の毛が!
別荘のガレージには「トヨタの古いランドクルーザー」が残っていました。「彼(鼠)が歩いて山を下りた、それとも山を下りていないか、そのどちらかだったが、どちらも筋はとおっていなかった」とあります。
下に引用させていただいたのはトヨタのランドクルーザー40の写真です。1960年から1984年まで製造されたロングセラーで、この小説の時代ともマッチします。ここでは「後部の座席は鼠の車にしては珍しく汚れたまま」というのを確認し、「羊の毛のようにも見え」るごみをティッシュ・ペーパーでくるむ「僕」の姿をイメージしてみます。
出典:Tokumeigakarinoaoshima, CC0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Toyota_Land_Cruiser_(FJ40)_front.JPG
羊男登場
彼女が立ち去った次の日、「僕」は朝食を作って食べ、家のまわりを散歩し、家に戻って「『シャーロックホームズの冒険』のつづきを読んだ」とのこと。そして「二時に羊男がやってきた」とあります。
下には早稲田大学・村上春樹ライブラリーにある、村上春樹氏の直筆イラストをもとにした羊男の写真を引用させていただきました。
「羊男」については以下のような記述があります。
「羊男は頭からすっぽりと羊の皮をかぶっていた。彼のずんぐりとした体つきはその衣裳にぴったりとあっていた。腕と脚の部分はつぎたされた作りものだった。頭部を覆うフードもやはり作りものだったが、そのてっぺんについた日本のくるくると巻いた角は本物だった。・・・・・・マスクの穴からのぞく二つの目は落ちつかな気に僕のまわりの空間をきょろきょろとさまよっていた」
「羊男」をイメージしたところで、以下には「僕」のやりとりなどを抜粋してみます。
羊男「中に入ってもいいかな?」
僕「どうぞ」
羊男「酒が欲しいな」
「我々はそれぞれのオン・ザ・ロックを作り、乾杯もせずに飲んだ」
羊男「午後に女が一人出てった・・・・・・おいらが追い返したんだ・・・・・・女が出ていきたがっていたから出てった方がいいって言ったんだ」
僕「彼女は自分で望んでここまで来たんだ」
羊男「違うよ!・・・・・・あんたが女を混乱させたんだよ・・・・・・彼女はここに来るべきじゃなかったんだ」
僕「友だちを探してるんだ」
羊男「知らないねえ」
僕「背中に星の印がついた羊のことも探してるんだ」
羊男「見たこともないよ」
「しかし羊男が鼠と羊について何かを知っていることは明らかだった」とあります。
僕は再び太りつつある
別荘の台所には「ひととおり以上の調理器具と調味料が揃っていた」ため、「僕」はさまざまな料理に挑戦します。ある日の「午後にはパンを焼いた」。そして、「夕方にパンとサラダとハム・エッグを食べ、食後に桃の缶詰を食べた」とあります。
また、「翌朝僕は米を炊き、鮭の缶詰とわかめとマッシュルームを使ってピラフを作った。昼には冷凍してあったチーズ・ケーキを食べ、濃いミルク・ティーを飲んだ。三時にはヘイゼルナッツ・アイスクリームにコアントロをかけて食べた。」とあります。下に引用させていただいたような感じでしょうか?
また、「夕方には骨付きの鶏肉をオーブンで焼き、キャンベルのスープを飲んだ」とも。下に引用させていただいたのはキャンベルスープと照り焼きチキンの美味しそうな組み合わせです。このように別荘にあった豊富な食材で料理を満喫する「僕」は「再び太りつつある」ことを実感します。
羊男の再訪
「三度めの雪が降った」日、「僕」がギターの練習をしていると羊男があらわれます。
羊男「邪魔なら出直してくるよ」
僕「いや、いいよ、退屈していたんだ・・・・・・ビールでも飲む?」
羊男「ありがとう。でもできればブランデーの方がいいな」
羊男「ギターを弾いていたんだね・・・・・・少し弾いてみてくれないかな」
「僕」は下に引用させていただいた「『エアメイル・スペシャル』のメロディーをひととおり弾き・・・・・・」とあります。
以下は缶ビールのお替わりを取りに行く場面です。
「僕は台所に新しい缶ビールを取りに行った。階段の前を通る時に鏡が見えた。もう一人の僕もやはり新しいビールを取りに行くところだった。我々は顔を見合わせてため息をついた。我々は違う世界に住んで、同じようなことを考えている。まるで『ダック・スープ』のグルーチョ・マルクスとハーポ・マルクスみたいに」とあります。
下には「ダーク・スープ(邦題:我輩はカモである)」の鏡コントの写真を引用させていただきました。こちらは「ドリフ大爆笑」などでの志村けんさんと沢田研さんのコントの元ネタとしても有名です。
コントのワンシーンを思い浮かべた後で「僕」は「鏡の中の羊男の姿を確かめてみた。しかし羊男の姿は鏡の中にはなかった。誰もいないがらんとした居間に、ソファ・セットが並んでいるだけだった」とあります。ホラー映画のような光景に「背筋がきしんだ音を立てた」とのこと。
以下には台所から帰った「僕」と「羊男」の会話を抜粋します。
羊男「顔色が悪いよ・・・・・・今日は早く寝た方がいい」
僕「 今日は寝ないよ。ここでずっと友だちを待つんだ」
羊男「今日来るってわかるのかい?」
僕「わかるよ・・・・・・彼は今夜十時にここに来るんだ・・・・・・今晩荷づくりをして、明日には引き上げるよ。彼に会ったらそう伝えておいてくれ。たぶんその必要もないと思うけれどね」
羊男が何者で鼠とは会えたのでしょうか?完全にネタバレになるため、この後のストーリーを追うことは控えさせていただきます。
エピローグなど
「羊をめぐる冒険」の風景の最後に、エピローグなどで印象的なシーンを2つ抜き出してみましょう。
一つめは「僕」が鼠の家を去るときのシーンです。下には雪の中の「ファームイン・トント」の写真を引用させていただき、以下の場面をイメージしてみます。
「僕は来た時と同じように草原のまんなかを横切った。足もとで雪がざくざくと音を立てた。足あとひとつない草原は銀色の火口湖のように見えた」
二つめの風景は「羊をめぐる冒険の風景その4」で、「僕」が帰郷したときにも立ち寄った「最後に残された五十メートルの砂浜」です。下には周辺のストリートビューを引用しました。
「僕」はジェイズ・バーに立ち寄り、「その金は僕と鼠で稼いだんだぜ」といって「黒服の男」からの報酬をジェイに手渡しました。
そして、川に沿って河口まで歩いてこちらの砂浜に腰を下ろすと
「二時間泣いた。そんなに泣いたのは生まれて初めてだった」
とあります。
旅行などの情報
ファームイン・トント
「羊の写真」が撮影された牧場として登場してもらいました。仁宇布市内の松山農場内の宿泊施設で、村上春樹作品の朗読会が開催されるなど、村上春樹ファンの聖地としても有名です。
洋室3室と和室1室があり、夕食には自慢のジンギスカン料理を堪能できます。春から秋には宿の目の前にある牧草地に羊が放牧されるので、ふれあい体験もお楽しみください。また、近くには仁宇布川や上徳士別川などがあり、渓流釣りの拠点としても活用できます。
上にはファームイン・トントの「草原朗読会」というイベント時の写真を引用させていただきました。
基本情報
【住所】北海道中川郡美深町字仁宇布660番地
【アクセス】美深駅からバスで20分ほど
【参考URL】http://matsuyama-farm.com/
青い星通信社
築60年以上の石レンガの建物をリノベーションしたおしゃれな外観のホテルです。ゲストルームは3室のみなので静かに過ごせるのも特徴。冬になれば下に引用させていただいような美しい雪景色を満喫できるでしょう。
書斎には村上春樹作品を含む現代日本文学作品のほか、写真集や絵本、コミックといった幅広いジャンルの書籍を備えているので、時間を忘れてゆったりと過ごしてみてください。また、地元のブランド肉や、じゃがいもなど北海道名産の野菜を使った優しい味わいのディナーも人気です。
基本情報
【住所】北海道中川郡美深町紋穂内108番地
【アクセス】美深駅から送迎または紋穂内駅から徒歩8分
【参考URL】http://aoihoshi.co.jp/