宮本輝「天の夜曲」の風景(その2)

房江と伸仁の間借り生活

房江と伸仁は熊吾が共同経営をあきらめた高瀬の家から引っ越し、立山連峰が見える富山市大泉本町の嶋田家の二階で間借り生活を始めました。一方、熊吾は一足先に大阪に戻り、新たな事業の立ち上げに奔走します。今回は慣れない土地に残された房江たちの生活を中心に、当時の富山周辺の風景を追って行きましょう。

ラジオや電話

嶋田家での間借りをする房江の生活は単調でした。
「伸仁が帰ってきてから、飯を炊き、おかずを作り、二人きりで食べ終わるのが七時前、それから後は、何もすることがない。ラジオをつけっぱなしにして、これまでゆっくりと聴いたこともない歌番組や寄席中継やクイズ番組を聴くともなしに聴き、階下の嶋田家の話し声をわずらわしく思いながら、たったひとりの話し相手である伸仁にあれこれと話しかけるうちに、夜の十時になり、蒲団を敷いて床に就く」

下にはNHK公式サイトから1956年11月9日の午後7時から10時の番組表を引用させていただきました。

07:00時報
07:10NHK週間ニュース(第166号)
07:30花の星座
08:15演芸独演会 落語「三軒長屋」
09:00芸能お国めぐり 「芸術祭第七回全国郷土芸能大会から」(第一夜) ―日本靑年館―
09:30政治討論会 「臨時国会と今後の政局」

出典:NHKアーカイブス、花の星座
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009041239_00000

NHKラジオで当時の歌番組としては「花の星座(1956年4月~)」という公開音楽番組があり、江利チエミさんやダーク・ダックスさんなどが出演していました。下には当番組のプログラムをNHK公式サイトから引用させていただきました。

放送日時
アナログ総合 1956年11月16日(金) 午後07:30 〜 午後08:15

番組内容
君の名は(織井)
純愛(宮本)
かえらぬ夢(中原)
六月は花ざかり(北)
女豹の地図(久慈)
ハート・ブレイク・ホテル(小割)
ここに幸あり(大津)
誇り高き男(田村)
ケ・セラ・セラ(沢)
<R―T>

出典:NHKアーカイブス、花の星座
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009041239_00000

番組の最初にある「君の名」は昭和28年の同名映画の主題歌で織井茂子さんが歌っていました。こちらを聴きながら、房江も映画「君の名」のワンシーンを思い出していたかもしれません。以下には主演の岸恵子さんと佐田啓二さんの銀座・数寄屋橋での場面を引用させていただきました。

出典:Shōchiku, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:A_scene_from_the_Japanese_movie_%22Kimi_no_na_ha%22_directed_by_%C5%8Cba_Hideo_-_1953.png

当時の小学生の姿

少し話は戻りますが、伸仁が熊吾とともに家を捜しにいったとき(天の夜曲の風景その1・参照)、富山の小学校(八人町小学校)での生活について語る場面があります。
「新学期が始まったころは、まだ寒くて、みんなは廊下に置いてある卓球台に集まり、卓球ばかりやっていた。自分は卓球なんかやったことがないので、一球も打ち返すことができなかった。いまは運動場でキック・ボールというのをする。水沼くんは、相撲も卓球もチャンピオンで、ドッヂ・ボールも上手だ。いちばん勉強ができるのは薬屋の尾川くんで、背が高くて、空手の道場に通っている。瓦を五枚、拳で割れるらしい。担任の荒木先生は滅多い怒らない。このあいだ、図画の時間に、松坂は絵がうまいと賞めてくれた。絵を賞めてくれたのは、荒木先生が初めてだ。・・・・・・」

出典:富山県, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hachininmachi_Jinjo_higher_elementary_school.jpg

「八人町小学校」は平成17年まで実在していた小学校で富山市の繁華街周辺に住む子供たちが通っていました。ここでは下に引用した校庭にキック・(ベース)ボールで遊ぶ伸仁たちの姿を置いてみましょう。

伸仁たちの小学校の服装については
「富山の小学校は、ランドセルではなく、肩にたすき掛けする布製の鞄を、まだ生徒に使わせているのだった。そしてどうやら、いま小学生の男の子のあいだで流行しているらしいバンカラ風の高下駄を、伸仁が買ってくれとねだりだしてから十日ほどたっている。」
とあります。

下には長野県下諏訪町で撮影された昭和初期の通学風景を引用させていただきました。ここでは下駄をはいている右側の子に、八人町小学校の生徒たちの姿を重ねることにします。

出典:みんなでつくる下諏訪町デジタルアルバム、子どもの通学風景
https://d-commons.net/shimosuwa/detail.php?cat=&id=211

誰も死なない西部劇?

伸仁と房江は気晴らしに映画を見に行くことにします。伸仁が見たかったのは
「うん、西部劇やけど、だーれも死ねへん西部劇やねん」
とのこと。

出典:Bill Gold, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:SearchersPoster-BillGold.jpg

伸仁たちが見た映画のタイトルはわかりませんが、上には同じ昭和31年に日本で公開になった「捜索者」のポスターを引用しました。ジョン・ウェインが主演の西部劇で下に引用させていただいたように、こちらの映画では多くの人が亡くなります。

南北戦争が終わって3年後に故郷に戻って来た男がコマンチ族によって兄夫婦が殺され、そして連れ去られた姪を救出するための旅を続ける姿を詩情豊かに描いている。

出典:ウィキペディア、捜索者
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8D%9C%E7%B4%A2%E8%80%85

映画を観た場所は「公会堂の近くの映画館」でした。目印として記されている「富山市公会堂」は昭和29年の富山産業大博覧会にあわせて竣工し、1997年(平成9年)まで坂本九さんやサザンオールスターズさんなど、有名アーティストのコンサート会場にもなりました。房江たちも映画の前後にこちらの前を歩いていたかもしれません。

出典:山産業大博覧会誌編纂委員会編、『富山産業大博覧会誌』、1957年(昭和32年)11月、富山市役所、1957、富山産業大博覧会誌編纂委員会、{{米国著作権継続}}
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%B8%82%E5%85%AC%E4%BC%9A%E5%A0%82.jpg

銭湯通い

間借り先には内風呂はありませんでしたが、近くには銭湯がいくつかありました。
「(房江たちの住んでいる)大泉本町の家々には内風呂を持つ家は案外少なくて、法連寺橋を渡ったところに一軒、堀川小泉に一軒、銭湯があった」

上に引用させていただいたのは、堀川小泉で現在も営業を続ける「朝日湯」の写真です。昭和2年創業なので房江たちも通っていたかもしれません。昭和時代からはリフォームが入っているとのことですが、現在でも昭和の雰囲気が残っています。ここでは、嶋田家の話し声に煩わされることなく、ゆったりと湯舟でくつろぐ房江たちの姿をイメージしておきます。

行商人のいる風景

房江の住む場所には魚の行商人が定期的にやってきました。
「魚津港であがった魚を夫がスクーターで運んで来て、それを氷詰めの木箱に入れて自転車の荷台に積み、清水町から音羽町、さらに大泉町から小泉町へと売り歩く中年の女性は、房江がここに引っ越して以来、二度、嶋田家の前の道を通りかかった。」

出典:港湾協会第九回通常総会富山準備委員会 編『富山県の産業と港湾』,港湾協会第九回通常総会富山準備委員会,昭11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1222125 (参照 2024-07-16、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1222125/1/224

上の写真のように昭和時代から冬は寒ブリが有名でしたが、房江のところにやってきた時期は初夏であったため甘鯛などが目玉商品でした。
「手ぬぐいで頭を包んだ、日灼けした女は、房江を見ると、いい甘鯛があるのだがと言った」

出典:東京開成館編輯所 編『現代商業写真帖』,東京開成館,昭和11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1112198 (参照 2024-07-16、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1112198/1/6

上には昭和時代の東京市中央卸売市場の写真を引用しました。ここでは、自転車で魚を運ぶ人たちを行商の女性に見立ててみます。その行商人と房江の会話を抜粋してみましょう。

行商人「旦那さんは、口髭をはやしとりなはるがか?眉が太うて、おっとろしそうな顔で、ピースを吸いなはるがか?」
房江「そうやねェ・・・・・・。初めて見る人は、おっとろしそうに見えるかもしれへん。煙草は、ピースを吸うねんけど」
行商人がいうには、熊吾が伸仁をつれて家を捜しにいったときに立ち寄った農家で、体調のすぐれない末娘の症状を破傷風によるものと言い当てた。そのおかげで、末娘が一命をとりとめたといいます。

房江「へえ、私の主人の勘が当たって、命拾いしはったやなんて・・・・・・」
行商人「そこの家のもんは、坊やをつれた口髭のおっとろしそうな旦那さんにお礼を言いたいがやに、どこの誰かわらかんですっちゃ。私が魚を売りに行って、世間話をしよるうちに、あんたは行商であっちこっちの事情をよう知っとるがやから、心当たりはないがかって。・・・・・・」

出典:NHK公式サイト、サイカルjournal、宮本輝
https://www3.nhk.or.jp/news/special/sci_cul/2018/11/story/special_181128/

上には2歳の宮本輝氏(=伸仁)を抱く父・宮本熊市氏(=熊吾)の写真を引用させていただきました。こちらは「おっとろしそう」ではなく優しいお顔をしています。

旅行などの情報

朝日湯

上でも取り上げた堀川小泉にある銭湯です。昭和2年創業なので房江と伸仁も通ったかもしれません。こちらを舞台にした「フロ屋のおきて(集英社ぶーけコミックス)」の作者・藤谷みつるさんの実家でもあり、下に引用させていただいたように、入口には生原稿が展示されています。

もちろんレトロな雰囲気の残るお風呂も人気です。天然酵素のお湯で新陳代謝を上げ、カルストーンサウナと水風呂でリフレッシュしてみてはいかがでしょうか。

基本情報

【住所】富山市堀川小泉町1ー232
【アクセス】富山地鉄・堀川小泉駅からすぐ
【参考URL】http://www.asahiyu.com/

氷見昭和館

富山県氷見市にある氷見昭和館は「天の夜曲」と同時代(昭和30年代から40年代)の商店街を再現した施設です。房江たちの住む富山市街からも車で1時間ほどの場所にあるので「天の夜曲」巡りのコースに入れるのもよいでしょう。

館内には上に引用させていただいた写真のように昔ながらのタバコ屋さんや酒屋さん、カメラ店などが並んでいます。また、壁にはホーロー看板や昔の映画看板などが貼られていて、当時の富山にタイムスリップしたような気分になれます。

基本情報

【住所】富山県氷見市柳田526-1
【アクセス】氷見ICから車で15分ほど
【参考URL】https://himishouwakan.jimdofree.com/