宮本輝「天の夜曲」の風景(その3)

大阪で再出発

大阪に一足先に戻った熊吾は(天の夜曲の風景その2・参照)、資金を得るために所有する国宝級の刀剣を売ることにしました。そして、自分の言い値で買ってくれそうな因縁の相手・海老原太一のもとに向かいますが・・・・・・。ほかにも闇市の時代からつきあいのある喫茶店店主の稲葉修次や伸仁がファンになったダンサー・西条あけみと再会する場面も追って行きます。

関の孫六を資金に!

熊吾は所有する国宝級の刀剣「関の孫六兼元」を売り、新しい事業の資金や房江たちの生活費に充てようとします。

下には東京国立博物館が所蔵する孫六兼元の写真を引用しました。孫六兼元の作品は折れにくくてよく切れると評判が高く、武田信玄や豊臣秀吉、前田利家といった戦国時代の名将たちが愛用したことでも知られています。

出典:SLIMHANNYA, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E5%88%80_%E9%96%A2%EF%BC%88%E5%AD%AB%E5%85%AD%EF%BC%89%E5%85%BC%E5%85%83,_Katana_forged_by_Seki_Kanemoto_(Magoroku_Kanemoto).jpg

また、下に引用した刀工辞典によると、三本杉という山形を3つ連ねたような模様の刃文が特徴とのことです。

こちらを眺めながら、戦前、熊吾が孫六兼元を入手したときの海老原太一の様子を想像してみましょう。
「『わしには猫に小判じゃ』と言いながら白鞘から抜いて刀身に眺め入る熊吾の横で、太一はその名刀に異常な関心を示して、ぜひ自分に譲ってはいただけないかとしつこく迫った。」

出典:藤代義雄 著『日本刀工辞典』古刀篇,藤代義雄,昭和13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1116200 (参照 2024-07-18、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1116200/1/55

稲葉修次(磯辺富雄)との再会

熊吾が房江の従妹に預けてあった「孫六兼元」を引き取り、馴染みの雀荘に立ち寄ると、そこにいた知り合いから熊吾を捜している男がいると聞かされます。
「阪神裏で玉突き屋をやってる男でんねん。磯辺っちゅうんですけど」

その名前に記憶はありませんでしたが、戦後、松坂ビル跡で勝手に珈琲屋を営んでいた稲葉修次のことでした(流転の海の風景その2・参照)。彼は仲間たちを立ち退かせたお礼として、熊吾に店を持たせてもらい、今でも恩義を感じています。

「熊吾はたしかに男に見覚えがあった。闇市の時代には痩せていて、頬も顎も尖っていたが、身のこなしが敏捷で、言動に愛嬌があったという印象のほうが強くて、いま笑みを浮かべて熊吾を見つめているのは、当時よりはるかに太って、左の薬指に大きな蒲鉾型の金の指輪をはめた五十前後の男だった」

映画・流転の海で稲葉修次を演じられていたのは笑福亭仁鶴さんです。上には稲葉と同じく笑顔の仁鶴さんの写真を引用いたします。

磯辺にさそわれていきつけの喫茶店に向かう途中、熊吾が大阪を去ってからの自身の経緯を語ります。
「稲葉姓から磯辺姓へと替えたのは、戦後すぐのころに知り合った女と所帯を持ったからで、子供の将来を考えると、妻の戸籍が必要だという判断に基づいている。老松町で営む喫茶店は、その後、界隈に多く集まった広告業の者たちが贔屓にしてくれて、夜は洋酒と軽いつまみを出すようになり、若干の貯えもできた。客のひとりにビリヤード好きの者がいて、誘われて玉突き屋で遊ぶうちに、ビリヤードにのめり込んでしまい、自分で玉突き屋をやってみたくなって、おととし、阪神裏に『ラッキー』というビリヤード場を持った・・・・・・」

出典:大阪駅前第一ビル公式サイト、大阪駅前第一ビルの歴史、大阪駅前市街地改造事業が行われる前の梅田繊維街 (大阪駅前第一ビル振興会20周年記念誌より)
https://www.1bld.com/history/history_02.html

上には阪神裏と呼ばれた阪神百貨店の南側の写真を引用させていただきました。こちらのどちらかに稲葉の営む「ラッキー」が写っているかもしれません。

若者たちは太陽族

「OSミュージック・ホールの近くの、カウンターに幾つものサイホンを並べた喫茶店」に案内された熊吾は、磯辺が頼んだ「超豪華ミックス」コーヒーを飲みながら、磯辺との旧交を温めます。

すると、
「半袖シャツでなければしのげない暑さではないのに、派手なアロハ・シャツを着て、黒メガネをかけた青年が四人、喫茶店に入ってきた」
とのこと。

磯辺「太陽族ちゅうやつです」
熊吾「ほう、こういう格好をしよるのか。『太陽の季節』っちゅう小説にかぶれた若い連中は・・」

上には映画・太陽の季節の姉妹編「狂った果実」の公式動画を引用させていただきました。ここでは石原裕次郎さんや津川雅彦さんのような出で立ちの青年たちが、大声で話しながら喫茶店に入ってくるところをイメージしてみましょう。

西条あけみ

次にこの喫茶店に現れたのはOSミュージック・ホールの踊子・西条あけみ(と友人やマネージャーなど)でした。在阪時、熊吾はOSミュージックに伸仁を連れていったこともあり、西条あけみを気に入った伸仁が花を贈ったこともあります(血脈の火の風景その7・参照)。

下には日劇ミュージックホールのダンサーの写真を引用しました。写真のどちらかの女性に「日本人離れした彫り深い美貌」をもった西条あけみの姿を重ねてみます。

出典:パブリックドメインR、楽屋の踊り子たち 舞台を終えて [稲村隆正, ARS CAMERA 1955年4月号より]
https://publicdomainr.net/ars-camera-april-1955-issue-0000861/

西条あけみ「あれ?ノブちゃん(伸仁)のお父さんや」
と気付いた彼女は、「ファンからの贈り物らしいキューピー人形」をかかえていました。

下に引用したのはセルロイドのキューピー人形の写真です。ここでは、酒癖の悪い仲間たちから逃れたいという西条あけみのために、
「この人形は、伸仁のためにもらうぞ」
と、熊吾がキューピー人形を奪うふりをして喫茶店から飛び出すところをイメージしましょう。

出典:Galessa at English Wikipedia, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Celluloid_Kewpie_doll.jpg

仲間から逃れられた西条あけみでしたが、そのキューピー人形に蝋燭の火が引火するという事故が起き、顔に大火傷を負うことになります。

因縁の相手に刀剣を売る?

熊吾は事業資金や生活費だけでなく、火傷の責任を感じる西条あけみの治療も援助したいと考えました。そして「孫六兼元」を安く買い叩かれる美術骨董商に売るよりも、
「己の威勢を見せつけるために少々法外だとわかっていても、気前良く、そして勝ち誇って恩着せがましく、松坂熊吾が頭を下げれば言い値で買う男」
を思い出します。かつて大衆の前で名誉を傷つけた海老原太一でした。

「海老原太一に侮辱されに行くとするか・・」
熊吾は太一が会社を構える三宮に向かいます。

出典:昔のアルバム、昭和27~30年頃の神戸(1)、三宮
https://takephoto.sakura.ne.jp/oldphoto/room005/index.html

上に引用させていただいたのは昭和27~30年ごろの三宮駅前の写真です。熊吾が三宮駅に降りるのは7年ぶりでした。

「交差点に立って、かつての商売仲間の店やビルを捜したが、駅周辺の景観はあまりに様変わりしていて、どれが張邦徳の事務所があったビルなのか、どれが劉健恵の愛人が経営する洋品店だったのか、どれがマダム・ヤンの酒場だったのか、もはやまったくわからなくなっていた」

海老原太一との交渉

熊吾に恨みを持つ海老原太一があっさり刀剣の購入を承諾するはずもなく、予想どおり交渉は難航します。ひととおり挨拶を述べたあと、熊吾は太一に謝りの言葉を述べました。

下には、映画・流転の海で海老原太一役を演じられた西郷輝彦さんの写真を引用させていただきます。もちろん、熊吾との交渉時には、こちらのような笑顔を見ることはできませんでした。

熊吾と海老原太一の会話を抜粋してみましょう。

熊吾「あの節は誠に乱暴狼藉の数々・・・・・・。私と海老原さんとの長年の友情に免じて、なにとぞお許し願いたいんじゃが」
海老原「三針ずつ縫いましたんや。こことここを。こんなひどいことするやつ、警察に訴えてしまえって、いろんな人に言われたけど、私は辛棒してあげたんです。松坂さんのためやおまへん。奥さんや、あのころはまだ一歳にもならん坊ちゃんのためや・・・・・・勝手に押しかけて来て、関の孫六兼元を買え、でっか・・・・・・」
熊吾「買うてくれると、誠にありがたいんじゃが」
海老原「日本刀には飽きました・・・・・・名だたる物は、ほとんど見ましたし、手に入れられる物も手に入れて・・・・・・。いま私が凝ってるのは猟銃です・・・・・・英国製の特注物の味わいの深さってのは格別です。・・・・・・」

出典:Joe Loong, CC BY-SA 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Two_David_McKay_Brown_shotguns,_above_a_Holland_%26_Holland_Double_.700_Nitro_Express_Rifle.jpg

上に引用させていただいたのは、1835年創業の英国王室御用達の高級ブランド・ホーランド&ホーランドの銃の写真です。海老原太一が収集した銃のなかにもこちらのブランドがあったかもしれません。ここでは、かつて兄貴分だった熊吾に対し得意気に語り、優位性をアピールする太一の姿をイメージしてみます。

続けて会話を抜粋します。

太一「お困りやそうで。あの関の孫六、なんぼで買うてほしいんです?」
熊吾「五十万」
太一「正気でっか?・・・・・・ぎょうさんの人前であんなに大恥をかかされたあげく、靴の裏で額を割られましたんやで。松坂さん、あんたどの面さげて、そんな法外な金を私に出せと言えまんのや・・・・・・私の社員の前で土下座でもするなら、道で落としたとあきらめて、五十万円、めぐんだるわ」

旅行の情報

関鍛冶伝承館

岐阜県の関市は、熊吾が資金繰りに用いた「関の孫六」の由来となった名工・孫六兼元の故郷です。「孫六兼元」の刀剣はこちらの施設でも所蔵していて、下に引用させていただいたように常設展示もしています。

また、月に一回程度のペースで日本刀の鍛錬の実演もされているので、火花が散る迫力のある現場を体感してみてください。関市には今でも刃物製品の伝統が続いており、本格的な包丁やナイフ、ハサミなど近現代刃物の展示も見どころとなっています。

基本情報

【住所】岐阜県関市南春日町9-1
【アクセス】長良川鉄道刃物会館前駅から徒歩約5分
【関連サイト】https://www.city.seki.lg.jp/kanko/0000001558.html

「太陽の季節」文学記念碑

喫茶店で熊吾が言っているように「太陽族」の由来は「太陽の季節」という小説です。後に東京都知事を務める石原慎太郎氏が若者の性と暴力を赤裸々に描き、話題になりました。映画化もされ、慎太郎氏の弟・裕次郎氏がスクリーンデビューを果たしています。

慎太郎氏は「太陽の季節」で芥川賞にも選ばれますが、その50周年を記念して平成17年に立てられた記念碑がこちらです。上に引用させていただいたように「太陽の季節ここに始まる」という慎太郎氏自筆の文字が印象的です。逗子海岸海水浴場の傍らにあるので海水浴やビーチ散策の途中にも気軽に立ち寄れるでしょう。

基本情報

【住所】神奈川県逗子市新宿1-6
【アクセス】横浜横須賀道路の逗子ICから約10分
【関連URL】http://www.zushitabi.jp/news12.html