宮本輝著「流転の海」の風景(その2)

再出発

熊吾は故郷の岐阜に戻っていた井草正之助を説得して松坂商会に復帰させますが、再起への課題は山積みでした。松坂商会のビル跡にはバラックの建物が建てられ、見知らぬ輩が勝手に商売をしています。また、資金源として確保していたお金(1千万円)の半分は地元に戻った部下たちに預かってもらっていますが戦後2年たっても音沙汰がありませんでした。

先ずは土地や金の取り戻しから

土地を取り戻すのは熊吾が、資金の返却の催促には井草が当たることになります。下に引用させていただいたのは戦後の闇市から発展したスポットで現在もレトロな雰囲気が残る素敵なところです。このような風景のもと、自分の土地に居ついた人たちを追い出す算段をする熊吾の姿を想像してみましょう。

辻堂忠

「梅雨明けが近いというのに、重そうな総革のコートを着ている人相の悪い男」。それが辻堂の第一印象でした。一見、与太者のような恰好やしぐさをしていますが実は教育がある正直な人間と考えた熊吾は、辻堂に土地の返却交渉についての悩みを打ち明けます。

熊吾の土地の使用者の背後にはやくざの組員もいる難しい状況でしたが、辻堂はその交渉の成功を条件に熊吾の会社に雇ってもらうことになります。

「流転の海」では初対面の時に辻堂が連れて行ったバラックの居酒屋でウイスキーを飲みながら身の上話をするシーンが印象的です。インターネット上の情報によると宮本輝氏は「オールド・パー」という銘柄のウイスキーがお好みとのこと。下に引用させていただいたような風景を思い浮かべて執筆されていたかもしれませんね。

柳田元雄

辻堂の活躍で土地を取り戻した熊吾はいよいよ自動車部品の会社を再開します。中古のタイヤやベアリングは昔のコネなどを頼って入手。下に引用させていただいた写真のようにトラックをタイヤなどで一杯にして出荷をしたのではないでしょうか?

主な買い手となったのは柳田元雄なる人物で、例えば「ベアリングを五百ケース。ジープ用のタイヤを六百本」というような内訳でした。戦前は(事務所を持てずに)自転車で中古部品を売り歩いていた柳田にとって熊吾は窮地を救うように購入してくれたお得意様でしたが、戦争によってその立場が逆転してしまいました。

柳田の容貌については戦前は「汚れた馬面」。今は「顔の垢がとれてヤギのよう」と記述されています。ちなみに「流転の海」の最終巻「野の春」では、柳田の顔について別の印象を受ける場面があります(「野の春」の風景(その4)参照)。

ここでは柳田に対して「ご苦労が実りましたな。大きな商売をなさるようになった。昔と逆になりました」という熊吾の姿を想像してみましょう。

当時の世の中のこと

戦後の爪痕

昭和20年代は戦勝の跡が生々しく残っていた時代です。親族や親友を戦争で失った人も大勢いました。熊吾は満州に出征。信頼していた部下を失った経験があります。

また、辻堂は妻を長崎の原爆で失っています。下は長崎の爆心地の近くにあった「浦上天主堂の」一部で、原爆の悲惨さを示すモニュメントととして長崎原爆資料館の敷地内に移築・保存されています。ここでは「ミンダナオ島から帰ってきたら、女房も、ふたりの子供も死んでしもとった。わざわざ疎開した長崎で、原爆にやられよった」と辻堂の「すさんだ顔つき」をイメージしてみます。

リンタクが流行

熊吾やその周辺の登場人物が当時の世情を語る場面も興味深いところです。自転車のうしろを改造した「リンタク」が流行している話や次々と行われる戦争裁判の話など当時の人たちが何に興味を持っていたかをうかがい知ることができます。

下に引用させていただいたのは昔のリンタクの写真です。1950年代の半ばにタクシーにとって代わられるまではこのような風景が日常的に見られました。

かつては部下であった海老原太一や下請けの立場だった柳田元雄などに先を越された形の熊吾ですが松坂商会はまずは順調な滑り出しを見せます。次回も魅力的な人物との出会いなどが待っています。お楽しみに。

旅行の情報

国立歴史民俗博物館

現在は映画・テレビ以外では闇市などの昭和の風景は見ることができません。千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」の現代ゾーンには「戦争と平和」なるテーマで闇市や露天を実物大で再現するユニークなスポットがあります。

下のような昭和時代のコーナーに入ってみると熊吾の時代を想像しやすいかもしれません。他にも日本の原始時代からの歴史資料も目白押しです。周辺には江戸時代の街並みが残る水郷佐倉などもありますので、あわせて巡ってみてはいかがでしょうか。

[住所]千葉県佐倉市城内町117
[電話番号]03-5777-8600
[アクセス] 京成京成佐倉駅から徒歩約15分
[参考サイト]https://www.rekihaku.ac.jp/index.html

長崎原爆資料館

本文でご紹介した「浦上天主堂遺壁」のほか館内には当時の被害を示すさまざまな遺物や遺品が展示されています。下の写真は教会のステンドグラスの破片。爆風の強さを物語っています。平和の大切さを感じさせてくれる貴重な施設です。

[住所]長崎県長崎市平野町7-8
[電話番号]095-844-1231
[アクセス] 長崎駅から路面電車を利用。原爆資料館電停で下車
[参考サイト]https://nabmuseum.jp/