宮本輝「流転の海」の風景(その3)

新しいメンバーで再出発

河内善助という戦前からの仲間が伸仁の誕生祝いにやってきます。河内は井草正之助が海老原太一にそそのかされて熊吾を裏切る危険があると指摘しますが、会社の資金は持ち逃げされてしまいました。傷心の熊吾のもとに闇市で出会った辻堂忠が現れ、雇ってほしいとのこと。人間味のある運送屋・丸尾千代麿も仲間に加わり、会社を再出発させます。

河内善助からの出産祝い

松坂ビル跡からは闇市のバラックが立ち退き「そこだけ空地になっている」状態でした。そしてその場所にはすでに松坂商会の仮事務所が建てられています。

下には名古屋・栄町の闇市の写真を引用させていただきました。
ここでは左側の空地を松坂ビル跡に見立て、空地の奥にいる人たちを熊吾などに重ねておきましょう。

出典:Network2010公式サイト、戦後復興から高度成長へ「栄町の闇市」
https://network2010.org/article/162

「弁天町に再び<河内モーター>を開設した河内善助」が松坂ビル跡の事務所を訪ねてきます。

熊吾「善さんやないか・・・・・・元気そうで何よりやのお。また善さんとこから品物を買わせてもらうけん」
善助「熊さん、わしは、もう、もぬけの殻や。大事な大事な息子を、ふたりとも殺されてもた・・・・・・わしの息子を殺したやつを絶対に許さへんでェ・・・・・・ひとりはガダルカナルで、ひとりは満州や。誰や、わしの息子をそんなとこに無理矢理つれて行きやがったやつは!わしは何のために息子を大きィして来たんや。なァ、熊さん、教えてくれ。お国のためでも天皇陛下のためでもあらへんでェ」

「熊吾は巨体を震わせて泣いている河内を抱きかかえるようにして、事務所の中に導いた」
とのこと。
河内については
「自分より五歳歳上の、まるで頑丈な箱みたいな体つきをした二十数年来の友人」
との説明もあります。

映画「流転の海」では芦田伸介さんが河内善助役を演じられていました。下に引用させていただいたように、芦田さんの「クリープを入れないコーヒーなんて」というCMのキャッチコピーは流行語にもなりました。

出典:文芸サロン「箱館クリオネ文筆堂」公式サイト、クリープを入れないコーヒーなんて…
https://greensaster.blogspot.com/2020/11/blog-post_9.html

河内「熊さんの元気そうな顔を見た途端になァ、なんやしらん、おかしな気持ちになってきた。・・・・・・息子を戦争で亡くしたんは、なんもわしひとりやあらへんのに」
熊吾「何が辛いっちゅうて、自分の子に先立たれるのが、人間は一番つらいことやけん」
河内「それはそうと、ほんまにびっくりしたでェ。熊さんに子供が生まれたっちゅうのを聞いて」

ここでは、さっきまで泣いていた河内が笑顔になって「子供用の真新しい革靴」をお祝いに渡す様子をイメージしてみます。

珈琲の出前を注文

熊吾「稲葉のとこ行って、とびきりうまい珈琲を持ってこいっちゅうて来てくれ」
と井草に頼みます。稲葉とは松坂ビル跡にいた珈琲屋の主人で、約束通り熊吾が捜してやった場所でお店を再開していました(「流転の海」の風景その2・参照

下には昭和20年代の東京の飲食店街の写真を引用させていただきました。ここでは稲葉修次が「息を弾ませて、手製の小さな岡持に珈琲を二人分持ってやってくる」ところを想像してみましょう。

出典:東京WEB写真館、昭和20年代
https://www.koho.metro.tokyo.lg.jp/PHOTO/contents/sp1/category/001.html

稲葉「大将、いま淹れたてのやつを持って来ましたでェ」
珈琲にはクリープは入っていませんでしたが、本物の砂糖が入っていて贅沢な味がしたと思われます。

稲葉は後々、ビリヤード場や麻雀荘を経営するようになり、熊吾とは長い付き合いになります。映画「流転の海」で稲葉役を演じているのは落語家の笑福亭仁鶴さんです。仁鶴さんは人気時代劇「子連れ狼」を模したボンカレーのCMでも話題になりました。下にCMの動画を引用させていだだきます。

井草の裏切りが発覚

河内「井草のやつ、海老原としょっちゅう逢うてるみたいやでェ。酒を飲ましてもろたり、靴とか背広を買うてもろてるそうや」
熊吾「あいつは所詮、番頭の器やけん。俺のいうとおりに働いてくれさえすりゃあ、それでええんじゃ・・・・・・」
河内「そやけど、そういう男が、一番危ないんやがな」

噂話をしているとその井草が事務所に戻ってきます。
熊吾「もうそろそろ行ったほうがええぞ。いまからやったら、なんとか今晩中に着くやろけん」
井草「へえ、ほな、行って参じます」
そういって井草は大阪駅に向かいました。
下には昭和21年の大阪駅のホームの写真を引用させていただきました。このような混雑の中にある想いを持って汽車待ちをする井草の姿を置いてみましょう。

河内「今晩中に着くやろて、どこへ行くんや?」
熊吾「城崎よ・・・・・・俵木徳三のとこに行くんや・・・・・・あいつに二百万円の金を預けてある・・・・・・きょう、それを井草に取りに行かせたんや」
河内「俵木は死んだで」
熊吾「いつや」
河内「先月の十五日や・・・・・・俵木の嫁はんが、もう一年待ってくれ・・・・・・息子とふたりで力合わせ働いて、耳を揃えて返すさかいと頼んだけど、松坂商会の井草は有り金の全部を持って帰ったそうや・・・・・・」

熊吾「井草のやつ、いつまでも俺を騙せんことはわかってるやろなァ」

「出て行った井草正之助の長身を思い浮かべ、これで二度と俺の前に姿をあらわすことはないだろうという予感を抱いた。・・・・・・井草がそんな悪辣なことが出来る人間だとは思えなかった。魔がさしたのか、あるいは、井草に魔をささせた男がいるのか。熊吾は海老原太一の色白の顔を脳裏に描いた」
とあります。

辻堂が入社

井草の裏切りにショックを受けているところに、辻堂が履歴書を持ってやってきます。
辻堂「雇って下さるというお約束でしたが・・・・・・」
熊吾「辻堂上等兵やったなァ」
辻堂「上等兵とは違います。松坂商会の平社員です」
熊吾は闇市のバックにいた柄島を警察に逮捕させ、土地を取り戻してくれた辻堂に恩義を感じています
熊吾「わしの恩人やけんのお。よう来てくれた。・・・・・・さっきまで勤めとった男が辞めてしまいよった。それでこの松坂商会はわしひとりになって、さてどうしたもんかと考えちょったとこやけん・・・・・・給料は幾ら欲しい」
辻堂「松坂さんが決めてください」
熊吾「さっそく仕事や」
新しく辻堂という片腕を得た熊吾は、気力が戻るのを感じました。

出典:大阪府警察公式サイト、懐かしの写真館、梅田新道交差における交通整理(昭和26年)
https://www.police.pref.osaka.lg.jp/ochikakunokeisatsusho/keisatsushobetsujoho/2/2/5/16602.html

「熊吾と辻堂は梅田新道の交差点を渡って、出入り橋まで歩いた」とのこと。
上には昭和26年の梅田新道交差点の写真を引用させていただきます。

タイヤの搬送ルート

熊吾は出入橋にある<丸尾運送>と看板を掲げた一軒の店に入っていきます。
熊吾「タイヤを二百本、玉川町の柳田商会に届けてくれ。いますぐじゃ」

下には当時、熊吾がトラックで廻った場所を、現在の道路で辿ると以下のような(最短)ルートになります。

タイヤ倉庫があったのは上の地図・最下部の安治川南岸です。船津橋の南にある端建蔵橋(はたてくらばし)を通っていくルートですが、現在架け替え工事中(~2025年)でマップにないため、船津橋まででとどめておきました。
なお、タイヤを積んだ後は玉川町(玉川駅周辺)にある柳田商会に納品する予定になっています。

出入橋について

昔は下の航空写真のように大阪駅(右上の線路が集中している箇所)のすぐ近くまで「梅田入堀川」という運河が引かれていました。そして、下の十字の左側にある橋が輸送船の出入りした「出入橋」です。

出典:国土地理院撮影の空中写真(1945年~1950年撮影)
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.697911/135.491703/&base=std&ls=std%7Cort_USA10%7Cnendophoto2021%7Cnendophoto2020%7Cnendophoto2019%7Cnendophoto2018%7Cnendophoto2017%7Cnendophoto2015%7Cnendophoto2011%7Cnendophoto2014%7Cnendophoto2012%7Cnendophoto2013%7Cnendophoto2022%7Cnendophoto2016%7Cnendophoto2010%7Cnendophoto2009%7Cnendophoto2008&blend=0&disp=11000000011011111&lcd=ort_USA10&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m

梅田入堀川は1967年に埋め立てられますが、出入橋は下のストリートビューのように現在でも残っています。

ここではストリートビュー上のトラックを丸尾運送のトラックに見立てて、以下のような会話がされているところを想像してみましょう。

辻堂「このトラックで、タイヤを二百本も運べるんですか?いまでも、やっとの思いで走ってるみたいですけど」
熊吾に小声でいいますが、丸尾運送の主人にも聞こえていました。
丸尾運送の主人「何言うてはりまんねん。このトラックはねェ、荷物を積んでないときは、あかんたれだす。ところが荷物を載せた途端に元気になって調子が良うなりまんねん。逆境に強いんだす」

当時の道路の整備状況

運送屋の「古ぼけたトラック」は「亀甲町あたりのでこぼこ道に入った」とのこと。
「烈しい揺れで、熊吾は頭の横を助手席の後部にしたたかにぶつけた。辻堂もこめかみを窓の脇に当てたらしく、『うっ』と呻いて手で押さえた」
とあります。

下に引用したように日本の道路の舗装率は低く、他の工業国と比べて車社会への対応が遅れていました。

(参考)昭和30年代は一般国道でさえ、大半が舗装されていなかった時代。
一般国道 改良率 S30:35.0%
一般国道 舗装率 S30:13.6%

出典:国土交通省公式サイト、道路行政をめぐる主な経緯について
https://www.mlit.go.jp/

以下には昭和30年代の東京都国立市の非舗装道路の写真を引用させていただきました。
ここでは、こちらの道をトラックが激しく揺れながら走行する場面を想像してみましょう。
「こらっ、もうちょっとおとなしいに運転せんか」
と熊吾は運送屋の主人の頭を叩きます。

出典:くにたち郷土文化館、三小通り 1963(昭和38)年頃
https://kuzaidan.or.jp/province/kuni-photo/photo-info2/%E4%B8%89%E5%B0%8F%E9%80%9A%E3%82%8A%E3%80%801963%E6%98%AD%E5%92%8C38%E5%B9%B4%E9%A0%83/

丸尾運送の主人

丸尾運送の主人の風貌は「垂れ目で団子鼻」と描かれています。
熊吾「お前、名前は何ちゅうんじゃ。これから長いつきあいになりそうじゃけん名前で呼ぶようにするぞ」
丸尾「わたいの名前でっか。あんまり人に知られとない名前でんねん」
熊吾「なんでや」
丸尾「丸尾千代麿(ちよまろ)ていいまんねん」
熊吾「チヨマロ・・・・・・」
丸尾の容姿と名前のギャップに熊吾は思わず吹き出してしまいます。

丸尾「この名前のおかげで、子供の時分から、何遍笑い者にされたかわからしまへん。ほんまに親をうらみまっせェ」
熊吾「千代麿っちゅう顔やないぞお。権左衛門とは、又兵衛とか、そんな面をしとるがのお」

映画版の丸尾千代麿役は芦屋雁之助さんです。上に引用させていただいた「裸の大将放浪記」などの代表作があり、人間味のある演技には定評がありました。

倉庫へ

タイヤを保管しているのは
「端建蔵橋のたもとから安治川の南岸に並んで建っているコンクリートつくりの倉庫」
でした。
なお、
「土佐堀川は端建蔵橋を境に安治川となる。その土佐堀川の両岸にはバラック一軒建っていなかった。何もない焼け野原だった」
とあるように端建蔵橋の上流(大阪市街側)は空襲の被害が大きかったところです。

出典:国土地理院撮影の空中写真(1945年~1950年撮影)
https://maps.gsi.go.jp/#17/34.685603/135.482243/&base=std&ls=std%7Cort_USA10%7Cnendophoto2023%7Cnendophoto2021%7Cnendophoto2020%7Cnendophoto2019%7Cnendophoto2018%7Cnendophoto2017%7Cnendophoto2015%7Cnendophoto2011%7Cnendophoto2022%7Cnendophoto2014%7Cnendophoto2012%7Cnendophoto2013&blend=0&disp=11000000001110&lcd=ort_USA10&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m

上には戦後の大阪の空中写真を引用させていただきました。船津橋と端建蔵橋の中間点に十字マークがくるようにしています。

また、下には十字マークの場所から、松坂商会の倉庫があった安治川南岸方向を見たストリートビューを引用しました。こちらの写真と上の空中写真から端建蔵橋の左側は焼け野原、右側には倉庫が数軒残るだけの寂しい風景をイメージしてみましょう。

「トラックは玉川町の交差点を左に曲がり、柳田商会の店先を通り過ぎて船津橋を渡り、端建蔵橋を渡った。満潮時なのか、二本の川にはかすかに潮の匂いが混じっていた」
とあります。

辻堂の入社祝い

柳田商会にタイヤを届けた後、熊吾は辻堂を自宅に招いて入社祝いをします。途中から、辻堂がトラックに置き忘れた「干し鰈(かれい)」を届けてくれた丸尾千代麿も加わりました。

「干し鰈」は入社に当たって辻堂が熊吾のために持参したお土産で、彼の郷里・山口の漁村の名物として紹介されています。上には見た目も美しい干し鰈の写真を引用させていただきました。

「流転の海」には記述はありませんが、こちらの干し鰈を肴にお酒で新しい出発を祝う三人の姿をイメージしておきましょう。

旅行などの情報

「泥の河」文学碑

2011年に宮本輝氏のデビュー作「泥の河」を記念して建てられました。場所は土佐堀川に架かる湊橋南詰にあり、土佐堀河はすぐ近くで堂島川と合流し安治川となります。下に引用させていただいた写真のように文学碑のそばからは端建蔵橋が見え、「流転の海」の世界にも思いを馳せることができるでしょう。

また、川の手前にある川の駅「ぽんぽん船船着場」はイベント船や貸し切り船の発着駅になっています。スケジュールなどは一本松汽船公式サイトをご覧ください。

基本情報

【住所】大阪市西区土佐堀3丁目5
【アクセス】地下鉄・阿波座駅より徒歩で約10分
【参考URL】https://www.city.osaka.lg.jp/nishi/

出入橋・出入り橋きんつば屋

丸尾運送の近くにある「出入橋」は昭和10年に架け替えられたものです。下に引用させていただいた写真のように水路は埋め立てられていますが、立派な石畳などから当時の様子を偲ぶことができるでしょう。

こちらのエリアを散策するなら「出入橋きんつば屋」に立ち寄るのもおすすめです。お店の創業は昭和5年なので熊吾や千代麿なども食べていたかもしれません。

こちらの「きんつば」は砂糖が少なめなのが特徴。ふんわりとした衣の中には柔らかい小豆がたっぷりと詰まり食べ応えも抜群です。ぜんざいやいそべ餅󠄀、かき氷(夏季のみ)などのメニューもあり、イートインも備えています。

基本情報

【住所】大阪府大阪市北区堂島3-4-10
【アクセス】西梅田駅から徒歩約5分
【参考URL】https://tabelog.com/osaka/A2701/A270108/27003802/

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