宮本輝「血脈の火」の風景(その7最終回)

さまざまな人生模様

戦後十年を経た大阪はカラフルな服装に身を包んだ女性が増える一方、白衣の傷痍軍人なども歩く混沌とした状況でした。きんつば屋や中華料理店の経営は順調ですが、タクシーの運転手を殴って警察に連行される出来事も!また、伸仁が中にいる(と思われる)近江丸が火事になり、熊吾は伸仁を助け出すため家から飛び出します。

街は華やかに

熊吾のきんつば屋は繁盛し、立ち食いのカレーうどん屋も併設しました。店先から周辺の風景などを観察し、熊吾は以下のような変化を感じます。
「船津橋を渡っていく自動車の数が、ことしに入ってから確実に増加していた。市電に乗っている女性の服装の色も柄も形も、二、三年前と比して派手になったのがわかる」

出典:パブリックドメインR、ファッション・モデルの美容実習 [秋元啓一, 朝日新聞報道写真傑作集 1954より]
https://publicdomainr.net/asahi-shimbun-news-photography-1954-0001125/

上に引用させていただいたのは昭和29年ごろのファッションモデルの写真です。ここではこちらのような洋服を着た女性たちが、市電の中で楽しそうにおしゃべりしているところをイメージしてみます。

街中には戦後の風景も!

日本経済は成長し、国民所得が戦前を上回るレベルに達しますが、
「熊吾の視界に入ってくる人々の姿は、それに浮かれている気分とは遠いものばかりだった」とのこと。

「血を売ったあとの脱力感を昼間から酒で補う港湾労働者は、常時、船津橋や端建蔵橋のあたりにうずくまっていたし、繁華街に入り込めなかった傷痍(しょうい)軍人たちは、白衣を着てアコーディオンをかなでながら、野田阪神のほうから九条へと向かう道を歩いていた」
とあります。

出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wounded_Soldier_in_Japan.JPG

上にはギターを演奏して生計を立てる傷痍軍人の写真を引用しました。ほかにもさまざまな境遇の方たちが入り乱れ、大阪の街はカオス状態だったと思われます。

映画「ゴジラ」が流行

また、1954年(昭和29年)、
「南太平洋ビミニ環礁で、アメリカは水爆実験を行い、危険区域外の公海上で操業していた日本のマグロ漁船・第五福竜丸は<死の灰>をかぶって帰国したが、乗組員全員が放射能障害を受け、そのうちのひとりは九月に死んだ」
という事件が起こりました。
「その水爆実験の生き物への影響を下敷きにして制作された<ゴジラ>という映画は公開されると大量の観客を動員し、とりわけ子供たちは、それを観るために日曜日の早朝から映画館の前に列を作った。」
とのことです。

出典:Toho Company Ltd. (東宝株式会社), Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gojira_1954_Japanese_poster.jpg

上には昭和29年に公開された初代ゴジラのポスターの写真を引用しました。ちなみに、ゴジラは水爆実験で居場所を失った古代生物が、巨大化して人類を襲うという設定でした。

熊吾「原爆のうえに水爆か。また、日本人を人体実験に使いやがる。・・・・・・伸仁、ゴジラなんて映画は観るな」

タクシーで大暴れ!

熊吾は寝小便が治らない伸仁を鍼治療に連れて行きました。熊吾も悲鳴を上げそうな治療でしたが、伸仁は痛みに耐えて泣きませんでした。
熊吾「お前はえらいやつじゃ・・・・・・漫画の本も買うちゃる。昼めしはビフテキで、そのあとタクシーで淀へつれてっちゃる」

上には昭和30年ごろのタクシーの写真を引用させていただきました。こちらの写真のように、このころから「防犯灯」から発展した「社名表示灯」を装備したタクシーが増えていき、昭和35年には義務化されることになります。

二人は十三駅でタクシーに乗りこみました。昭和7年竣工の十三大橋(下に引用)を渡ると運転手が話しかけてきます。

出典:大阪市立図書館デジタルアーカイブ、阪急百貨店/宝塚新温泉/十三大橋
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=d0794001

運転手「お孫さんをつれて競馬でっか?」
「行く先々で、人は熊吾に、伸仁を孫かと訊くので、最近は慣れてしまって、そうだと答えるのが常であった」
熊吾「この子は、馬券に絡む馬を上手に当てるんじゃ。・・・・・・」
運転手「万馬券なんか当てたら、どないしまんねん」
熊吾「そのまま祇園にくり込むんじゃ」
運転手「お孫さんと一緒にでっか?」

鍼が効いたのか、眠くなったので静かにしてくれといいますが、運転手はそれを無視してしゃべり続けます。苛立った熊吾が後ろから運転手の頭を殴ると、運転手はハンドルを切りそこね、車は銀杏の木にぶつかってしまいました。

警察がやってきて熊吾たちは曾根崎警察署に連行されます。

とんでもない親子?

曾根崎警察OBの杉野が話をつけてくれたためすぐに署から開放された熊吾は、とんかつ店に一緒に向かいながらこういいます。
熊吾「伸仁と競馬に行くつもりじゃったのに、予定が狂うてしもうた。きょうは二人で大儲けして、祇園で遊ぶつもりやったんじゃ・・・・・・とんかつを食うたら、OSミュージックで、ええ女の体でも観るか」
杉野「伸仁はどなんすんねん?」
熊吾「一緒に連れて行きゃええ」
杉野「あそこは、十八歳未満は入られへんで。あんなとこに伸仁をつれて行ったってことがわかったら、あとでわしが房江さんに叱られるがな」
熊吾「伸仁は、ストリップ小屋に三回行っちょるが、まだ房江にはばれちょらん。伸仁のご贔屓は、九条では、ルビーピンク。OSミュージックでは、えーと誰じゃった?」
伸仁「西条あけみさんや」

出典:KENPEI, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kujo-os.jpg

上には昭和26年から平成24年まで営業していた九条OSの外観写真を引用しました。ここでは熊吾と小学低学年の伸仁という奇妙な組み合わせでこちらの劇場に入って行くところを想像してみましょう。

熊吾「きょうあたり、伸仁に花を持たせて楽屋を訪ねてもいいのお。伸仁、西条あけみさんに逢えたら、何て言うんじゃ」
伸仁「あけみさんを好きですって言うねん」
杉野「とんでもない親子だな・・・・・・」

伸仁のお気に入りだった西条あけみは、後に熊吾の人生にも大きな影響を与えることになります(天の夜曲の風景その3・参照)。

近江丸で事件が!

「血脈の火」の冒頭に登場する近江丸には船長の青木照三とその妻、子供三人がいて、安治川口で水上生活をしていました。ですがこのころ、酒癖の悪い青木は仕事仲間との喧嘩が絶えず、安治川口から常安橋の周辺に追い出されてしまいます。

下には「血脈の火」と同じく水上生活者を描いた「泥の河」の映画のワンシーンを引用させていただきました。

ある日、熊吾は伸仁に焼きビーフンと焼き飯を持たせてこういいました。
熊吾「これを近江丸のおばちゃんに渡してこい。絶対に船のなかに入っちゃあいけんぞ。岸から声をかけて、おばちゃんか女の子が出てくるのを待つんじゃ」

「三十分ほどたって、熊吾が伸仁の帰りが遅いのを案じ始めたころ、人の騒ぎ声が聞こえ、房江が駆け込んで来た。近江丸が燃えている。伸仁は帰って来たか・・・・・・。房江の悲痛な声で、熊吾は川に面した窓をあけた。朱色に染まった常安橋のところで、炎と火の粉が吹きあがっていた」

熊吾は慌てて飛び出します。近江丸に行った伸仁がどうなったかは、「血脈の火」にてお確かめください。

恵比寿神社の夜店

近江丸の事件が起きた後、心が沈む熊吾や伸仁を元気付けるために房江は恵比寿神社の夏祭りに誘います。
房江「玉川町のえぺっさんで夜店が出る日やねん・・・・・・えらい元気がないから」
熊吾「近江丸のことでは、わしも元気がない・・・・・・そろそろ夜店もたたみよるじゃろう」
房江「十一時までやってるそうやねん」

「(きんつばの)ふなつ屋の先月の収益は(熊吾の中華料理店)平華楼の五倍」というように働き詰めだった熊吾たちは、家族水入らずで久しぶりに穏やかな時間を持ちました。夜店に行く途中の房江と熊吾の会話を抜粋してみましょう。

房江「きのう、伸仁が書いたラブレターを読んでしもてん」
熊吾「ラブレター?誰に書いたんじゃ」
房江「呉芳梅ちゃんや」

出典:大阪市第一西野田尋常高等小学校 [編]『第一西野田郷土誌 : 六十周年記念』,教育後援会,昭和10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1057181 (参照 2024-07-08、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1057181/1/189

上に引用したのは昭和初期の野田恵美須神社本殿の写真です。こちらの写真の中央にお参りをしている熊吾たちを置いてみます。伸仁が近江丸の火事を逃れたことに対し、熊吾や房江はお礼をしていたかもしれません。

出典:パブリックドメインR、宵祭り #3 [山田広次, アサヒカメラ 1956年9月号より]
https://publicdomainr.net/photograpy-journal-asahicamera-september-1956-issue-0006439/

「血脈の火の風景」のラストはお祭りを楽しむ親子の写真とさせていただきます。
こちらの親子を熊吾と伸仁に見立てて
「恵美須神社の境内の夜店で金魚すくいをしてから、飴細工を見物している」
というシーンをイメージしてみましょう。

旅行などの情報

野田恵比寿神社

房江に誘われて熊吾たちが夜店を訪れた場所として登場していただきました。名前のとおり、漁業の神・えびす様をお祭りした神社で、平安時代の創建とされています。

一年を通して行事がありますが、特に夏祭りはこちらの神社でも最大のイベントです。夜店以外にも、上に引用させていただいた鯛鉾(たいほこ)や太鼓、地車(だんじり)の巡行のほか、ダイナミックな「すずめ踊り」も見逃せません。

基本情報

【住所】大阪府大阪市福島区玉川4-1-1
【アクセス】玉川駅から徒歩で約5分
【参考URL】https://www.noda-ebisu.com/