宮本輝「血脈の火」の風景(その6)

きんつば屋を開店

昭和二十九年末の夕方、伸仁を迎えに出かけた房江は、<柳のおばはん>の売春小屋を大男が素手で破壊するという事件を目撃します。明けて正月、家族三人でお出かけしますが、あまりの混雑に伸仁が迷子になる場面も!また、プロパンガスの代理店(血脈の火の風景その4・参照)から身を引いた熊吾は、正月早々きんつば屋を開店します。

昭和20年代の終わり

「中華料理店と麻雀店のきりもりに忙殺されて、一家のためのおせち料理作りにやっと取りかかった房江は、あすが昭和二十年代最後の日であることをラジオのニュースで知った」
とあります。

房江は「敗戦という事態を迎え、被占領国となり、世情は混乱して収恰がつかず、食べるものも着るものもなく、ただ生きるために懸命で、阪神間の目を覆うばかりの焼け跡に立つと、もはや元の姿に戻るのは不可能な気がした」

出典:国立国会図書館デジタルコレクション、モージャー氏撮影写真資料、高島屋長堀店(大阪府)
https://dl.ndl.go.jp/pid/10756455/1/65

上に引用したのは1946年4月から1947年1月の間にGHQの文民スタッフ・モージャー氏がア撮影した高島屋大阪店周辺の写真です。高島屋の本館は残っていますが、周辺の家やビルには大阪大空襲の痕跡が残っています。房江はこちらのような風景を思い起こしていたかもしれません。

一方、戦後十年ほどたって、明るい話題も多くなっていました。
たとえば将棋界では「ひふみん」の愛称で知られる加藤一二三氏が、14歳7か月で4段に昇格(昭和29年8月1日)します。こちらの記録は藤井聡太さんが2016年に更新(14歳2か月)されるまで破られることはありませんでした。

下には少年時代の加藤一二三さんの写真を引用させていただきました。

出典:近代将棋社 (Kindai Shogi Sha), Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hifumi_Kato_1954_Scan10045-1.jpg

大男がバラック小屋を破壊

昭和20年代最後のクリスマスに伸仁がもらったプレゼントはおもちゃの長い日本刀でした。その日本刀で子供たちと遊んでいた伸仁が夕方になっても帰らないため、房江は周辺に捜しにでかけます。

上船津橋の東側の川べりには<柳のおばはん>のバラック小屋がありました。
「表向きは、ホルモン焼きとおでんを売る、屋台に毛が生えたような建物だが、店の奥では娼婦が客をとっている」

<柳のおばはん>は理不尽な理由でクレームをつけるため、周辺住民の評判はよくありませんが
「伸仁に、煮込んだすじ肉を串に刺したのを持たせたり、読み古した漫画本をくれたりする」
とのこと。

出典:新関健之助 著『魔島怪人』,金の星社,昭和23. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1168937 (参照 2024-07-02、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1168937/1/1

上には、昭和23年に発刊された「魔島の怪人」の表紙を引用しました。「魔島の怪人」は「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」のなかの「船乗りシンドバードの物語」をもとにしたストーリーです。

著者の新関健之助さんは子供向け漫画の先駆けといわれた方で、「国立国会図書館デジタルコレクション」では引用したお話以外にもいくつかの著作を読むことができます。

出典:大阪市公式サイト、上船津橋(かみふなつばし)、上船津橋_むかし(昭和初期)
https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000025826.html

房江が上船津橋を渡ろうとすると
「橋の向こうから伸仁が走って来た。自分の背丈よりも長いおもちゃの日本刀を腰にさし、漫画の主人公のお面を頭に載せて、一目散に家路を辿っている風情だった」
とのこと。

伸仁「どこかのおっちゃんが『そのお面は坊によく似てござるな』て言いはった」

下には岐阜県の高山昭和館に展示されている昭和時代のお面の写真を引用させていただきました。当時の漫画の主人公でチャンバラに合いそうなのは二段目右にある「赤胴鈴之助」や「鞍馬天狗」でしょうか?「坊の顔によく似て」いるのは「赤胴鈴之助」の方だったかもしれません。

出典:ひだっBlog、高山昭和館スタッフ奮闘記!
https://takayamashowakan.hida-ch.com/

大男の容姿については以下のように表現されています。
「頬髭の男」
「並外れた大男」
「体格だけでなく、目も鼻も口も、耳や頬骨までも大きい男」

房江が迎えにきて安心した伸仁が
「おもちゃの日本刀を抜き、男に向かった大上段に構え、『かかってまいれ』」
と叫ぶと、
「頬髭の男は、伸仁と房江を見て、黒いジャンパーの衿を立てると橋を渡ってきた。」

大男「あのバラックは、いつからあるのでござるか」
房江「今年の春ごろからですけど・・・・・・」
大男「小柳という女が建てて、なかで女に張るをひさがせておる。そのような噂すらお聞き及びではござらぬか」
房江「ご近所のかたから、そんな噂は耳にしたことはありますけど・・・・・・」

「大男は、しばらくバラックの前で立ち停まってから、ブリキの屋根をつかんで、それを剥がし始めた。・・・・・・男は無言でドアを引き倒し、板壁を剥がし、柱を両腕で折り、さらに壁を足で蹴った。それから小屋の中に入り、椅子や食器や蒲団を外に放り出した・・・・・・<柳のおばはん>のバラック小屋は、小さな木切れと食器の破片を残して消滅した」
とあります。

出典:出典:東映ビデオ株式会社公式サイト、大菩薩峠
https://www.toei-video.co.jp/catalog/dutd02400/

房江「あの人、誰ですのん?」
柳のおばはん「ほんまに知らんねん。心当たりもあらへん」
伸仁「あのおっちゃん、机龍之介の親戚や」
柳のおばはん「えっ?ノブちゃん、あいつを知ってるんか?」
房江「この子もびっくりして、わけのわからないことを喋ってますねん・・・・・・机龍之介て、大菩薩峠ていう小説の主人公で、映画にもなってますねん」

上には昭和32年に片岡千惠藏さん主演の映画「大菩薩峠」のDVDジャケット写真を引用させていただきました。想像を絶する力でバラック小屋を解体した大男の姿が、伸仁には千恵蔵さんのように見えたのでしょうか。

当時の正月映画

昭和三十年正月の三日に、熊吾は房江、伸仁とともに映画を見にでかけます。昭和の代表的な正月映画「男はつらいよ」の公開はまだ先になりますが、この年の正月にもさまざまな映画が上映されていました。

例えば、チャンバラ好きの伸仁の意見を取り入れたなら「旗本退屈男・謎の怪人屋敷(1954年12月28日公開)」、ファミリー向けなら「初笑い底抜け旅日記(1955年1月3日公開)」だったかもしれません。

主人公のエノケン(榎本健一)さんは第二次大戦前後、日本の喜劇王として活躍されました。下には今年(2024年)、生誕120年祭に神保町シアターで上映された「初笑い底抜け旅日記」のワンシーン(右上の写真)を引用させていただきました。

映画館からデパートに向かう移動中のタクシーにて、熊吾は房江にプロパンガスの代理店からは全て杉野に任せ、新たに「きんつば屋」を始めたいと打ち明けます。

「わしは、まだまだやり直しがきくが、杉野にはあとがない。あいつは、退職金のすべてをプロパンガスの代理店業につぎこんじょる。これに失敗したら、あいつはええ歳をして路頭に迷う。台風の被害をひきずっちょるわしは、杉野にしてみれば足手まといじゃ・・・・・・」

伸仁が迷子に!

「戎橋の近くでタクシーを降り、正月気分に溢れている心斎橋筋に入ったが、あまりの人出で寸刻みにしか進めず、もう買い物はやめて家に帰ろうと促す房江の言葉に、熊吾がやっと応じたとき、伸仁の姿がないことに気づいた」
とのことです。

出典:今昔物語、心斎橋
https://konjaku-photo.com/?p_mode=view&p_photo=8138

上に引用させていただいたのは、人で賑わう昭和32年ごろの心斎橋筋の写真です。ここでは迷子になった伸仁を必死になって探す2人の姿をイメージしてみます。

きんつば屋を開店

熊吾はきんつば屋の名前を「船津橋の前にあるから、ふなつ屋」としました。玄関の横に作業場と売り場をつくり、一月七日にはきんつば屋を開店します。最初のお客は「自転車の荷台に機械の部品を積んだ16、7歳の少年」でした。

少年「一個でも売ってくれるかなァし」
と10円玉を出します。
房江「一個だけでも遠慮せんと買うて下さい」
熊吾「その言葉は、伊予かのお」
少年「うん、おっちゃんもか?」
熊吾「わしは南宇和じゃ」
少年「へえ、俺は八幡浜や」

出典:『八幡浜商工案内』,八幡浜商工会議所,昭和12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1053717 (参照 2024-07-03、一部抜粋)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1053717/1/9

上には少年の地元・八幡浜にあった有名なきんつば屋と思われる「きねや」の写真を引用しました。もしかしたら、少年は故郷の名物を懐かしく思って熊吾の店に立ち寄ったのかもしれません。

熊吾「おお、八幡浜から大阪へ働きに出て来なはったかなァし・・・・・・金は次からでええけん。ここを通ったら、ふなつ屋のきんつばを買うてやんなはれ。日本一うまいけん、いろんなとこで宣伝してやんなはれ」

自転車とともに写っているのはご店主でしょうか。上の写真をお借りして、以下のワンシーンをイメージしてみましょう。
「少年は、片手で自転車のハンドルを握り、もう片方の手できんつばを持ち、『ここは、毎日通るけん』といって微笑んだ。」

旅行などの情報

出入橋きんつば屋

大阪・堂島の出入橋の近くにある昭和5年創業の和菓子店です。周辺は宮本輝氏が少年時代を過ごした場所のため、執筆時にはこちらのお店のきんつばにも思いを馳せられたかもしれません。

小豆と砂糖、塩、寒天などのシンプルな材料で作られたきんつばは、上品な甘さともちもちとした衣のバランスが絶妙です。イートインスペースもあるので、「血脈の火」の舞台巡りの休憩に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

基本情報

【住所】大阪府大阪市北区堂島3-4-10
【アクセス】北新地駅から徒歩で約5分
【参考URL】https://tabelog.com/osaka/A2701/A270108/27003802/

本高砂屋

神戸に本店を置く明治時代創業の和洋菓子店で全国にお店を展開しています。もともと「きんつば」は刀の鍔(つば)に似た丸い形でしたが。こちらのお店が現在のような角型に改良したとのことです。

熊吾のきんつばには芋を入れたり皮に片栗粉を混ぜたりと秘密(?)のレシピが盛り込まれていましたが、本高砂屋でも衣に桜葉や抹茶を練り込んだものや、餡に栗を入れたものなどといった多彩なラインナップを提供しています。見た目も美しいので贈答用としてもご利用ください。

基本情報

【住所】大阪市北区角田町8-7(阪急うめだ本店)
【アクセス】梅田駅から徒歩で約1分
【参考URL】https://www.hontaka.jp/