宮本輝著「花の回廊」の風景(その6最終回)

昭和33年の3月頭に大規模駐車場(シンエー・モータープール)がオープンし、松坂熊吾一家は元女学校の用務員室に引っ越しをすることになります。立派な団地が次々と建設され、熊吾の家にも三種の神器の一つ洗濯機がやってくるなど日本経済が成長を始めた時期です。最後は伸仁もまきこまれそうになる大きな事件が起きますが、ネタバレにならないように物語の景色を追っていきます。

防火水槽で金魚を飼う

伸仁は誕生日のお祝いとして、リューキンと出目金を5匹ずつ購入し、コンクリートの防水用水入れ(防火水槽)で飼うことにします。 防火水槽 とは下に引用させていただいたようなコンクリート製の容器で、戦時の空襲などに備えて作られたものです。

ここでは、知り合いの大人から「まだそこに金魚を入れたらあかんで。カルキで死んでしまうがな」とアドバイスをもらい、先ずは金魚たちをバケツで飼う準備をする伸仁の姿をイメージしてみます。

伸仁は夕刊売りで人生経験

伸仁は友人に誘われて尼崎駅前で夕刊売りのアルバイトをします。下に引用させていただいたのは、昭和30年代の新聞売りの写真です。ここでは手前の学生(と思われる)を伸仁に見立ててみましょう。

伸仁は「居酒屋では、うるさがられてコップの酒を浴びせられ、別の屋台では共産党員らしい男に資本主義の誤謬について延々と講釈され・・・」などとさんざんな目に会いますが、売れたのはたった1刊でした。

当時の定食は100円以下

「花の回廊」では新聞を読むシーンがたびたび挿入され、当時の世の中の様子をうかがうことができます。東京池袋の闇市マーケットにできた食堂の写真には「親子丼七十円。刺身定食六十円、天丼どうふ汁付六十円・・・」などというメニューが写っていました。

下に引用させていただいたのは老舗食堂の昭和30年代のメニュー表です。ここでは、写真をみながら「やっぱり東京のほうが関西よりもちょっと高い」と考える熊吾の姿をイメージしてみます。

電気洗濯機を購入?

大きな事件があった次の日、熊吾は電気洗濯機を購入すると房江に告げます。「えっ、ほんま?うれしいわァ。そやけど、ものすごう高いんですやろ?」という房江。

下には昭和30年代の洗濯機の写真を引用させていただきました。このような便利な機械を思い描きながら「洗濯板の上でごしごしやる労力を考えてみィ。安いもんじゃ。・・・」と答える熊吾の姿をイメージしてみましょう。

新しき庶民「ダンチ族」とは

「花の回廊」の最後に掲載させていただく写真は昭和33年の団地の風景です。熊吾が読んだ週刊誌には「新しき庶民『団地族』」なる特集が組まれていました。

「団地」とは当時としては目新しい鉄筋コンクリートの集合住宅のことで、「水洗便所、ガスで沸かす風呂、日当たりのいいベランダ」といった夢の生活ができるスペースでした。 熊吾は駐車場の一角を事務所としている自分とは別世界だなと独りごとを言っていたかもしれません。

旅行の情報

大阪ぼてぢゅう本店

熊吾の妹のタネは「蘭月荘」でお好み焼き店を営んでいました。店にやってきた客がタネに向かって「おばはん、いつまでもこんなしょぼくれたお好み焼きを出しとったらあかんで。大阪の心斎橋になァ、うまいお好み焼きの店がでけたんや・・・」という場面があります。

小説では店名は明記されていませんが、「大阪ぼてぢゅう本店」も当時から人気のお店で、初めてマヨネーズやからしのトッピングをしたお店としても知られています。下に引用させていただいただいたように、玉子をくぐらせすき焼き風にして食べる、焼きそばも人気メニューの一つです。

【住所】大阪府大阪市中央区難波3-7-20
【アクセス】御堂筋線なんば駅から徒歩約2分
【関連リンク】https://www.osaka-botejyu.com/

三和本通商店街

熊吾たちが食事や買い物に出かけていたのが三和市場という繁華街でした。今はシャッターを閉めている店も多くありますが、怪獣「ガサキング」による町おこし活動も盛んで、イベントも多く行われています。

市場通りと交差する三和本通商店街には昭和の雰囲気を残したお店が多く、散策もおすすめ。「坊チャン嬢チャンの店」と書かれたレトロな看板が目印の「ニシダヤ」というおもちゃ屋さんは成海隼人氏の人気小説「尼崎ストロベリー」にも登場します。下に写真を引用させていただいた「ナイス市場」 なるディープなスポットもあり、タイムスリップ感も味わえるでしょう。

【住所】兵庫県尼崎市神田北通6丁目153
【アクセス】阪神尼崎駅から徒歩約10分
【関連リンク】https://kansai-tourism-amagasaki.jp/pickup/3247/