夏目漱石「吾輩は猫である」の風景(その5)

寒月を巡って友人や教え子が訪問

実業界の大物である金田氏はさまざまな人脈を生かして寒月君(初登場はその2を参照)の身辺調査をします。そして、寒月君に娘の結婚相手としてふさわしい資格(=博士の学位)を取らせようと画策をします。一方、主人の家には泥棒が入るという大事件が起こり、防犯の役目を果たせなかった「吾輩」はある決心をしますが・・・・・・

学生時代の自炊仲間が訪問

学生時代に主人と「一所に下宿をして」いた実業家の鈴木藤十郎が、九州から東京に転勤になったという名目で主人を訪問しました。そして、(金田氏からの依頼で)主人に寒月君が博士になるように口をきいてくれないかと頼みます。寒月君の将来を考えた主人は協力しようとしますが、途中から入ってきた迷亭は「提灯と釣鐘」のように寒月と金田娘は釣り合わないと婚約には反対する態度をくずしません。

会話の途中には雑談もあり「『君電気鉄道へ乗ったか』と尋ねる主人に対し、田舎者と馬鹿にされたと感じた鈴木君は「これでも街鉄(鉄道会社の株)を六十株持ってるよ」と実業家としての対面を保とうとします。下に引用させていただいたのはその電気鉄道の写真です。ここでは電車の窓から漱石先生が外を眺めている様子を想像してみましょう。

猫を煮て食べる?多々良三平

次にやってきたのは昔、主人の書生をしていた多々良三平です。鈴木藤十郎とも知り合いの実業家でやはり寒月のことを探りにきました。用件に入る前に世間話で「(鈴木の)月給が二百五十円で盆暮に配当がつきますから、何でも平均四五百円になりますばい。あげな男が、よかしこ取っておるのに、先生はリーダー専門で十年一狐裘じゃ馬鹿気ておりますなあ」と言い、主人に実業家への転身をすすめます。

下には少し時代は下りますが実業家の羽振りを示す風刺画を引用させていただきました。第一次世界大戦後に造船業で成功した実業家が灯りをとるために100円(現在に換算すると30万円とも)を焼いているという豪快なシーンです。

芋坂で団子を

詳細は省略しますが、この頃主人の家に泥棒が入り、上着などを取られてしまいます。家のなかでも体が冷えきってしまった主人は、訪ねてきた多々良三平体を誘い、散歩で体を暖めようとしました。多々良君は「行きましょう。上野にしますか。芋坂へ行って団子を食いましょうか」と提案し、2人で出かけます。

多々良君が「あれじゃ胃病は癒りませんな。ちと上野へでも花見に出掛けなさるごと勧めなさい」と奥さんに忠告しているように桜が満開の時期でした。下の写真は明治33年ごろの春の上野公園を写したものです。当時からお花見は人気の行事だったことがわかります。

出典:Scan by NYPL, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cherry_blossom_at_Uyeno_Park,_Tokyo_(NYPL_Hades-2360291-4044090).jpg

また当時は「芋坂の団子」と言われていた現・羽二重団子本店の羽二重団子とは下のような食べ物です。こし餡団子と生醤油をぬった焼き団子。どちらも美味しそうですね。ここでは多々良君と主人が花びらの散るなか、縁台に座って食べる姿を想像してみましょう。

出典:山岡 広幸, CC BY 2.1 JP https://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/deed.en, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Habutae_Dango.jpg

ネズミ捕りに挑戦

散歩に出かける前に多々良君は、防犯の役目を果たせなかった「吾輩」に対し「一番愚なのはこの猫ですばい。・・・・・・鼠は捕とらず泥棒が来ても知らん顔をしている」と憤慨。「吾輩」をもらえるなら「煮て喰べます」と恐ろしいことをいいます。

そのような経緯もあり、役に立つ猫と思わせるために「吾輩はとうとう鼠をとる事に極めた」とあります。下に引用させていただいたのは「吾輩は猫である」のパロディ小説「吾輩ハ鼠デアル(明治40年)」の挿絵です。ここでは鼠と対峙してやや戸惑い気味な「吾輩」を想像してみましょう。

出典:影法師 著『吾輩ハ鼠デアル : 滑稽写生』,大学館,明40.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/888728 (参照 2023-11-15、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/888728/1/6

旅行などの情報

上野公園・清水観音堂

主人と多々良君が向かった上野公園は明治9年に日本初の公園として整備されます。公園内には東京国立博物館が明治5年、国立科学博物館が明治10年、上野動物園は明治15年に完成し、(小説の舞台となった)明治30年代には国内でも有数の観光スポットになっていました。

上野公園のなかでも清水観音堂は幕末の上野戦争でも焼け残った公園内でも最古の建造物とされています。京都・清水寺を模した朱塗りの舞台造りとなっていて、舞台からは下に引用させていただいたような「名所江戸百景」の景色も堪能できます。

基本情報

住所:東京都台東区上野公園1-29
アクセス:上野駅から徒歩約5分
関連サイト:https://kaneiji.jp/information3sp.html(寛永寺公式サイト)

羽二重団子本店

多々良君が主人を誘った「芋坂の団子」として登場したお店です。江戸時代の1819年創業の老舗で「羽二重」とは上質の絹の意味。きめ細かく食感がよいと評判が高かったことからこちらの名前が付けられました。

「行きませう。上野にしますか。芋坂へ行って團子を食いましょうか。先生あすこの團子を食ったことがありますか。奥さん一辺行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます。」と例によって秩序のない駄辯を揮っているうちに主人はもう帽子を被って沓脱へ下りる。

出典:羽二重団子公式サイト「羽二重団子歴史」
https://habutae1819.com/habutae-history/

焼きとあんの2つの味を楽しめる羽二重だんごセット(煎茶付)のほか、下に引用させていただいたような猫をモチーフとした「漱石もなか」付きのセットも人気です。

基本情報

住所:東京都荒川区東日暮里6-60-6(HABUTAE1819羽二重団子日暮里駅前)
アクセス:日暮里駅から徒歩約1分
関連サイト:https://habutae.jp/