内田百閒「贋作吾輩は猫である」の風景(その1)

明治から昭和にタイムスリップ

1906年(明治39年)の「吾輩は猫である」のラストシーン(「吾輩は猫である」の風景9最終回・参照)では「吾輩」は酔いが回って甕に落ちてしまいます。「南無阿弥陀仏」と唱えながら意識を失った「吾輩」が気付いてみると1949年(昭和24年)にタイムスリップしていました。

「贋作吾輩は猫である」は夏目漱石の原典に対し、弟子の内田百閒が続編として世に出した小説で、原典と同様、苦沙弥ならぬ五沙弥先生の家に教え子や友人たちが集まり、自由気ままに会話を交わします。今回は、こちらの小説のストーリーを戦後の世の中の風景とともに追っていきたいと思います。

五沙弥先生について

甕から這い上がった「吾輩」は「月に背いて歩きだし」、「池を左に廻って、板塀の間から手近かの家」に侵入。もぐりこんだ五沙弥先生の家は「苦沙弥(くしゃみ)先生の家よりは小さい」との記述があります。五沙弥先生の姿は「五分刈頭の大入道」で「鼻の下に口髭を生やして」というものでした。

「吾輩が黙って這入り込む」と「(五沙弥先生が)毬栗頭の毛を一本立ちにしたような顔になった」のを見て、「吾輩」は「この大入道は案外小心なのかもしれない」と考えます。

ここでは「贋作吾輩は猫である」の著者・内田百閒先生の写真を引用し、「吾輩」が五沙弥先生に出会ったシーンをイメージしてみましょう。

出典:パブリックドメインR:古写真・イラスト・絵画美術館(一部を加工して引用)
https://publicdomainr.net/asahi-shimbun-news-photography-1954-0001198/

五沙弥先生は酒好き

お神さんは「出来すぎたか知ら」といい「鉄瓶から燗徳利を引き上げ、指先で濡れた徳利の尻を撫でて」います。お酒をほとんど飲まなかった「苦沙弥家では見たことのない風景」でした。

さらに「(銚子を五沙弥先生に持っていった)お神さんはすぐに茶の間から戻って来たが、手にはさっきのお銚子を持っている」とあります。「吾輩」は「今の間に大入道は一人で已に一本あけてしまったのか知ら。按ずるに大入道は相当の酒吞みである」と驚きます。

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/377209&title=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%85%92%E3%83%BB%E7%87%97%E9%85%92%EF%BC%91

ちなみにちゃぶ台の上に並んだおつまみの一つは、下に引用させていただいたようなチーズの海苔巻きでした。五沙弥先生の食べ方は「小さく切ったチーズの切れ」に「別の手で焼き海苔の切ったのを摘まんで、くるくる巻いて、チーズの海苔巻きを拵えた。それを更めて箸に挟み、先に一寸醤油をつけてから口へもっていった」というものでした。

ここでは、チーズ海苔巻きをつまみながら、好きなお酒をちびりちびりとやる先生の姿を想像してみます。

苦沙弥家より好待遇?

五沙弥家にもぐりこんだ際、先生の態度は「つまみだしてしまえ」でしたが、お神さんは「器量よしね、この猫は。尻っぽもちゃんとしているし」とほめてくれました。

さらに与えられた食事の美味しいことにも感動します。「尾頭つきの煮干し、かますの頭は云うまでもなく・・・・・・さっきお神さんが鍋の底からご飯の上に掛けた汁のうまい事」。汁の深い味わいの秘密は「酒を使って雛を煮た」ことでした。ここでは、下に引用させていただいた画像をもとに夢中で食事をする「吾輩」の姿を想像してみましょう。

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/24163938&title=%E9%A3%9F%E4%BA%8B%E4%B8%AD%E3%81%AE%E7%8C%AB

風船画伯

そんな夜分に先生の家を訪ねてきたのは風船画伯という「痩せこけて、しなびて、ぱさぱさに乾いて、かますの干物を突っ立てた様な姿をした中年の男子」でした。「風船画伯」は内田百閒先生が版画家の谷中安規氏につけたあだ名で、谷中氏のキャラクターをもとにしています。

その「風船画像」は「今日はまた、朝来一粒一滴もと云う所なのでして」というように貧困に陥っており、お金を貸してほしいというのが訪問の用件でした。

ちなみに、谷中安規氏は幻想的な作風で人気があり、下に引用させていただいたような多くの挿絵が残っています。

出典:佐藤春夫 著 ほか『FOU : 絵本』,版画荘,昭11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1207968 (参照 2023-10-19)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1207968/1/43

お神さんがお金を調達

借金を申し込まれた先生は、お神さんに「おい、お金はなかったのではないか」と聞きます。「もう一昨日からありませんわ」と答えますが、「でも何とかしなくっちゃ。一寸、ひとッぱしりして来ましょう」と出かけました。ひとッぱしりしてきたお神さんは「帯の間から、重ねて二つに折った百円札を二枚取り出し」「はい二百円」といいます。

下に引用させていただいたのは昭和21年発行(昭和31年発行停止)の百円札です。風船画伯は「この表の百円と云う字の下に、赤い模様がありますでしょう。ここの所がわたくしには、女の唇に見えますのでね」といって版画のモチーフにしようとしますが、五沙弥先生は「百円札をもとにして似た様な物を造ろうと云うのは贋造精神のいたす所だ」と止めさせようとします。

吾輩の命名式

「吾輩」を見ながら風船画伯が「先生さん、この猫は何と云う名前ですか」と聞きますが「名前はまだない」と返答。「命名式をいたしましょう」という風船画伯に対して「じゃあ、つけてやろうか。アビシニア」とあっさりと決めてしまいました。

下に引用させていただいたのは映画「まあだだよ」にて内田百閒役を演ずる松村達雄さんが猫(吾輩)を抱いているシーンです。ここでは「あんまりいつ迄も下らない事ばかり云うので、つくづく退屈したから、背伸びをしたら大きな欠伸が出た」という風景をイメージしてみましょう。

https://twitter.com/isoroku0710/status/1496631707134722048

旅行などの情報

内田百閒旧居跡

東京都千代田区・五番町・六番町のなかには内田百閒氏の住居後が3か所もあります。1つ目は昭和12年から昭和20年の東京空襲で焼失するまで住んでいた場所、2つ目は焼け残った三畳しかない小屋でした。最も長く住んだのが昭和23年から亡くなる46年まで住み続けた家で、その近くには下に引用させていただいたような案内板が立てられています。

市ヶ谷駅や四ツ谷駅からは歩道が整備された歩きやすい道路が続いていますので、散策を楽しみながら百閒先生を偲んでみてはいかがでしょうか。

基本情報

住所(案内板設置場所):千代田区六番町6 六番町共同ビル前植込み
アクセス:市ケ谷駅から徒歩約6分
参考URL:https://jinbutsukan.net/person/1u01.html?lst02

東京国立近代美術館

東京国立近代美術館では風船画伯こと谷中安規氏の版画を数多く所蔵しています。例えば2023年秋(9.20–12.3)のコレクション展では下に引用させていただいた「影絵芝居」や「自画像」といった作品が展示されるなど、毎年異なる作品を見ることができます。ほかにも東山魁夷や棟方志功、岸田劉生などのセレクト作品約200点が展示され見どころが満載です。

レストランやミュージアムショップなども併設されていますので、ゆっくりと時間をとって鑑賞してみてはいかがでしょうか。

基本情報

住所:千代田区北の丸公園3-1
アクセス:東京メトロ竹橋駅から徒歩約3分
参考URL:https://www.momat.go.jp/